『聖域教会の女。』
◆
クゼナイを発ってから丸一日、
コトハは殆ど休み無しに、
イファルへ向かって飛び続けた。
一応、時折リクに疲れていないかを確認はしていたが、
いつも冷静な彼女からすれば、
明らかにその様子は違っていた。
あまり、落ち着きがある様には思えなかった。
リクは振り落とされない様に、
コトハの足を引っ張らない様にと思い、
懸命に魔力を調整しながら、
浮遊魔法を発動させて、
コトハの手をしっかりと握っていた。
飛翔魔法には、
生身の術者の飛行を可能にするだけでなく、
重力や風の抵抗、
人間の身体が空を飛ぶ障害の一切を受けなくさせる効果もある。
飛行している間、
風に眼を塞がれる事も無く、
地形や方角を位置情報魔法で確認しながら、
コトハは進行方向を調整し続けた。
夜通し飛び続け、
流石にコトハも疲れたらしく、
近くに川もある、
広々とした草原に着地地点を定めると、
一度、下に降りる、と言い出した。
「今どの辺りなんだ?」
リクが川で水を汲んで来て、
水筒をコトハに手渡した。
普通に日本で買える魔法瓶の水筒だ。
コトハは荷物を持って行かないと言っていたので、
リクが持参したものだった。
収納魔法でコトハに仕舞っておいてもらったものだ。
「中央諸国の入り口に近づいたあたりかな?
少し気候が変わっただろう?」
言われてみれば、
ラロカに居た頃よりは随分、
気温が下がっているようだった。
「まだまだ遠いけれどね」
コトハはそう言って欠伸をしていた。
「疲れたろ?少し寝るか?毛布も持って来たし」
「うん。ありがとう。
でも、今寝たら起きられるか心配だから、
このまま少し座って休んでるよ」
コトハは水筒の水を飲みながら言った。
「少し溶けてしまった」
悲しそうな声でそう言いながら、
コトハは再びチョコレートに凍結魔法を掛けていた。
異世界に戻って来てから、
コトハは片時もチョコレートの入ったビニール袋を離さなかった。
収納魔法で仕舞えば良いのに、とリクは思ったが、
収納していたからと云って、
品質が保たれる訳では無いらしい。
氷が溶けて、
少し柔らかくなってしまったチョコレートを、
悲しそうに、一つずつ点検するコトハの姿が、
リクにはとてもいじらしく思えた。
「チョコってそんなに高いものなのか?」
「高い。
コンビニに売ってるような板チョコくらいの量で、
中央諸国で流通してる銀貨で一枚くらい。
一万円弱くらいだ」
「高ッ!!?」
「信じられないだろう?
僕も最初は本当に驚いた。
こんなに魔法の発展している世界なのに、
チョコレートを量産して作る技術は一向に進歩しない。
滑稽ですらある」
コトハはそう言って、
ジャージのポケットから煙草を取り出して咥えると、
フィルターの部分のカプセルを噛んで潰した。
しばらくそのまま咥えた後に火をつけると、
ゆっくり煙を吸い込んでみせた。
「しかも、
当然だけど日本の物の方が勿論美味しい。
フルーツの味がしたり、
ナッツやアーモンドが入ってたりするし。
それにホワイトチョコは、
こっちの世界で見たことが無い。
僕はホワイトチョコも好きだ」
「スイもだけど、お前も甘いの好きなんだな」
「チョコレートを嫌いな人なんて果たしているのかな」
「いや、そりゃいるだろ」
「ナツメくんは?」
「まあ、普通に。あったら食べるかな」
「おいおい、
君のチョコに対する思いはそんなものなのかよ!」
「なんでだよ。普通だろ」
コトハとリクはそう言い合って笑った。
「煙草。いつから吸ってんだ?」
「安心したまえ。
ちゃんと成人してから吸い出したから」
「異世界に居た時から吸ってたのか?」
「いや、吸ってなかった。
日本に戻ってからさ。
バイト先に、いつも休憩中に煙草を吸ってる人が居てね。
初めは煙たく感じてたんだけど、
ひょんな事から、その人と喋る様になって、
一本貰ってみて吸ってみたら、
思いの外美味しく感じてね。
それからだね」
「なんかストレス溜まってたとか?」
「そうだね。多分ストレスが溜まってた。
いきなり日本に戻って、初めは混乱していたしね」
コトハはそう言って、
短くなった煙草の火ををサンダルで踏みつけて消した。
「煙草のストックなんて持って来てないだろ?
無くなったらどうすんだ?」
「こっちにも煙草はあるからね。
どうしても吸いたくなったら、それでも買うさ。
でも、もう煙草はいらなくなると思う。
スイに逢えるんだ。
煙草臭かったりしたら、スイに嫌われてしまう」
「……何かさ、足手まといになってないかな?俺」
「君が?どうして?」
コトハは驚いた顔をして訊き返した。
「お前一人だったらさ、
多分もっと迅くイファルに着いてるだろ?
俺に合わせないといけないし。
お前、スイに一刻も早く逢いたいだろうに」
「ふ。そんな事を思ってたのか」
「思うだろ普通」
「君がそんな事を気に病む必要はない。
僕は君と、
一緒にスイのところへ帰るんだ。
そう決めたんだから、
とにかくそうなんだ」
リクは、
コトハがそう言って自分に気を使ってくれているのだと思った。
「……そりゃどうも」
「僕が気を使っているとでも思ったかい?
生憎だけど、僕はそんなに出来た人間じゃないよ。
僕は君に気なんて使わない。
だから君も僕に気を使う必要はない」
コトハはそう言って立ち上がると、
身体を伸ばして溜め息を吐いた。
そして魔法で地図の映像を出し、
イファルまでの航路を再び確認する。
「広い世界だ。
此処で暮らしていた時もいつも思っていた。
地球の広さなんて僕はよく知らないけど、
なんとなく、
この世界は地球よりも広いんじゃないかと思ってる」
コトハはそう言いながら、地図の拡大と縮小を繰り返し、
一番近い距離にある街に寄ろう、と言った。
「手ぶらで来てしまった僕が悪いんだけど、
何か食べる物や、他に必要なものを手に入れよう。
ナツメくん疲れたでしょ?」
コトハはそう言って、リクと手を繋いだ。
「気使ってんじゃん」
「違うね。
これは友人として付き合ってる君に対する僕の優しさだ」
「違いがよくわからん」
「僕にもよくわからん」
◆◆
そして二人は、もうしばらく休んだ後、
コトハの地図を頼りに、
近くの街へと無事に辿り着く事が出来た。
イファルよりも未だ遥か南東に位置する、
ルトナムと云う国の、国境の付近の街だった。
此処より更に北へ向かえば、
ようやく中央諸国へと到達する。
国境に近いので、関所があるのだろう。
街の外壁には要塞の様に石垣を高く積んであり、
物々しい装備をした大勢の兵隊が、
入り口の辺りを厳重に警備していた。
城門から少し離れた所に着陸すると、
コトハはリクの手を握ったまま、スタスタと歩いて行き、
警備をしている兵隊に声を掛けようとした。
「ちょっと待て待て待て! 手! 手!」
リクが顔を真っ赤にして、
先を歩くコトハを制した。
「ん?ああ。君は照れ屋だな。
こういうのはコソコソしていた方がいやらしく見えるものだよ?」
「お前が気にしなさすぎなんだよ!」
二人のやり取りを、
初めは遠巻きに見ていた兵隊達だったが、
やがて二人に近づいて来ると、
兵隊の方から二人に声を掛けた。
重厚な鎧を装備した兵隊が、
手に持った槍を構えている。
「止まれ。何者だ」
「怪しい者ではないよ」
警戒している兵隊に、コトハは事も無げに答えた。
「今、空を飛んで此方に向かって来ていたな?
魔法使いか? 魔族ではないだろうな?」
「旅の魔法使いだよ。魔族じゃない」
「何か身元は証明するものを持っているか?」
「残念だけど持っていない」
「それならば立ち去れ。
この街の上空は、飛行する魔法の類いを禁じている。
街を抜けるつもりだったなら、迂回して行け」
「それは困る。補給をさせて欲しかったのと、
迂回する様な時間の余裕があまり無いんだ」
「それはこちらの知った事では無い。立ち去れ」
そして、コトハと兵隊の問答の間に、
コトハとリクを取り囲む様にして、
他の兵隊達も集まってきていた。
「おい! お前達、何をしている!」
ジリジリと距離を詰めようとしていた兵隊達を諌めるように、鋭い声が城壁の上から聞こえた。
声のする方を見上げてみると、
そこに立っていたのは、
白いローブの上に甲冑を身につけている女だった。
女は城壁の上に立ったまま、
コトハとリクに声を掛けた。
「旅の者よ。すまなかったな。
今、この街は警備態勢のレベルを引き上げているんだ。
この門を潜る事は、身元の不明な君達で無くても、
とても難しい。
申し訳ないが、そこの者達の言う通り、
目的地までは迂回をしてもらえると助かる」
凛とした声だった。
顔はよく見えなかったが、若い女に違いはなかった。
「申し遅れたが、
私の名前はイズナ。聖域教会南方司教の一人だ」
女はそう名乗った。
女の着ている白いローブは、
聖域教会の刻印の入った法衣だった。
◆◆◆
本日投稿分です!
時間が定まらなくてごめんなさい!




