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37  作者: ぶんけい赤テン
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小さな蝶の羽ばたき 1-4

蜜になった者には幾つか共通点がある。

しかし、この共通点を知る者は蜜自身のみであり

彼らは頑なにその共通点を他者に明かさない。


1つ、サキュバスを虜にしてしまうその体質。

1つ、サキュバスには決して触れさせてはならない血液

1つ、本来人の身で扱える筈が無い力。

そして1つ、 ……天界からの堕ち者をその身に匿っている。



(あれが……改変の力)


ジャスミンが彼の力を知ったのは契約を結んだ時だ。

彼は契約を結ぶ上で絶対に隠すことが出来ないと考え

自身が持つ奇妙な異能の話を明かした。

蜜と言う特異体質には謎が多い。


まず発生原因がよく分かっていない。

と言うのも、そこに関しての話になると蜜は何故か皆一様に

口が堅くなってしまう。

分析しようにも異常なくらい抵抗してくるし、

いざ分析出来ても身体の組成が異常なくらい

変化していることだけしか分からない。


しかし研究者は語る。

彼ら自身は明らかに何かを知っている。

そしてその何かを命懸けで匿っている。

その証として彼らはサキュバスに似た力を行使するのだと。


彼が持つ力は改変の力だった。

改変と言っても単純に言い表せるようなものじゃない。

例えば金属は硬いだけではなく様々な性質を持っている。

色、形、沸点、融点、原子配列……

ひとつの物体を見ても何千何万と言う項目が存在している。

改変の力はそれらの性質を全て数値化して

その数値を変えてしまえる力だ。

本来磁力のない金属に磁力を与えたり、

振るだけでぐにゃぐにゃに曲がる軟性を与えたり、

簡単にちぎれるようにしたり

その逆に凄まじい強度を与えたり。

その汎用性はそこらのサキュバスが持つ異能の比ではない。


そしてこの力の本当に恐ろしい所は、

改変の影響を受けたものは現存するあらゆる法則に

矛盾しない形で出力されるのだ。

故に改変されたものはその後も

安定した状態で存在を保ち続ける。

幾ら異能とは言え普通ならあり得ない事だ。


そんな彼がこれからやろうとしているのは

“厄獣をサキュバスに戻す” 改変だ。


これを実行する為に彼が通らなくてはならない工程数は

恐らく君たちが想像しているよりも遥かに多い。

様々な性質を変え、入れ替え、

20万をゆうに超えるパラメータを照合していく

そんな地道な作業を終えてようやく改変コードが誕生する。


しかしこのコードは遠距離へ飛ばすような事は出来ず

厄獣へ直接それを当てる必要がある。


更に言うと、改変の力は反動が酷い。

ひとつの項目を弄るにあたってその改変に使われる

エネルギーは様々な所から用いられるのだが

全体の0.07%は彼自身を構成する原子から支払われる。

その際全身に激痛を伴うのだがそれを無視して

限界以上まで行使してしまうと

肉体を保つ上で必要な原子を失ってしまい

影響されていなかった筈の原子までもが

核崩壊を開始してしまう。


端的に言えば無茶して使いすぎると

最悪の場合身体が消滅する。


故に彼の力は決して万能なものではなく

その代償として彼自身に甚大な負荷を及ぼし

この大掛かりな改変に最低でも10分もの時を必要とする。



(麻痺が解けましたわ!!)


麻痺状態にしてから再び厄獣が動き出すまでの時間を

太刀花がストップウォッチで計測した。


「11秒なのです!」


「11秒?! たった11秒だけですの?!」


2人に気付いた厄獣が隙を見せずに飛び掛かるが

一瞬早く2人は影の中へ逃げ延びた。

そして大急ぎで厄獣の足元へ再出現すると

太刀花と連携して再び麻痺させた。


「グオォ?!」


ジャスミンは一瞬で思考を巡らせた。

ジャスミンの鞭が与える麻痺は必ず相手に有効であり

ゲームなんかでよくある耐性の蓄積などは起こらないもの。

つまり11秒効力が続いたものはどう足掻いても、

何回当てても確実に11秒持続する。


厄獣がジャスミンに気付いて襲ってくるまで

0.5秒も無かったところを見ると

この厄獣を自由にして置ける時間は1秒弱

……長くても2秒程度。


一回の作業を平均12.5秒とした場合……10分の半分

つまり5分間に必要な平均作業数は……24回。

仮に11秒毎に一切の隙を与えず麻痺を与えた場合は

およそ28回もの作業が必要。


「全く……契約後初の大仕事とは言え

本っっ当に割に合いませんわね!!

ワタシをここまで動かすからには高くつきますわよ!!」


ジャスミンは凄まじい活躍を見せ始めた。

影内の高速移動に加えて鞭での攻撃。

並大抵の重労働より余程体力を使う筈だ。

幾らサキュバスが普通の人と比べて身体能力が高いとは言え

ジャスミンが行っていたソレは

一回あたり1kmを全力疾走するのに必要なぐらいの体力を

一瞬で持っていかれるような作業を

11秒感覚でやると言うものだった。

疲れが出ない筈がない。


6回、7回と続くうちジャスミンには目に見えて

疲労が見え始めた。

恐らく普段はもっと動けるのだろうが

太刀花を連れて動いてるのもあって

体力消費が更に激しくなっているのだ。


(まだこれが20回……!!)


「だ、大丈夫なのです?!」


「正直結構厳しい……ですわ。

でも今は泣き言なんて吐いてる場合じゃ

ありませんもの!!」


8回目にもなると体力消費を抑えるコツを掴んだのか

行動の無駄が省かれ、休息に充てる時間が長くなり始めた。

影の中を移動する速度は次第に最適化され始め

5分間と言うこの戦法を取り続けるには

少々長すぎる時間を戦い抜けるように

ジャスミンは体力保持の手段を模索し続けた。


この戦法で最も重要なポイントは厄獣に慣れさせない事だ。

厄獣が影移動の前兆でも読めるようになろうものなら

この作戦の失敗率は大幅に跳ね上がる事になってしまう。

その為には影移動が神出鬼没で何処から来るかすら

悟らせない必要があった。


つまり、あまり連続して同じ箇所は狙えないので

動き回らなければならない。


余程の修羅場を潜り抜けて来たんだろう……ジャスミンには

そう思わせるだけの戦闘能力と環境適応能力があった。


(腰……左脇腹……左耳裏……右股付け根……!!)


ジャスミンの影移動は最高峰の性能を持つ

回避手段であると同時に移動手段でもある。

しかし、その性質上絶対に切っても切り離せない

弱点が3つあるのだ。


まず、影からしか出入り出来ない。

それも影なら何でも良いって訳ではなく

ある程度の濃さが必要となる。


それを補う為にジャスミンは大きな黒い布を使って

自身と太刀花を覆って大きな影を落とす事で

布の影を生み出し、入口の問題だけは解消しているのだが

出口に関してはこの方法を使う事が出来ない。

黒い布は影の世界で大量に備蓄しているらしいが

回収する隙が無いのと出口の確保の為か

12秒毎に黒い布が散乱していく。


影の世界に存在している影は

全て現実世界にあるものを参照している。

つまり、影の世界で影は生み出せない。


そして……自分の足元に伸びる自分自身の影は

出入り口にする事が出来ない。

当然のことながらこれは一緒に移動している

太刀花の影も使用不可能である事を意味していた。


更にこれが1番深刻なのだが

影を出入りする際、その影は

一瞬だけ水面のように揺らぐのだ。

本当に一瞬ではあるもののこれは移動の予兆として

対処される危険性を大いに秘めた弱点であり


ジャスミンは常に厄獣の死角からの攻撃を

余儀なくさせられていた。


(まだだ……まだ油断するな。

厄獣には脅威的な適応速度がある。

アイツらはあのふざけた再生能力を応用して

自身への脅威に対応した身体機能を得る事が出来る)


恐らく直接あの麻痺に対する対応は不可能な筈。

ならまず考えられるのは影移動に対する何らかの対策だ。


(十分理解していますわ貴方様……さっきので17発目。

つまりもう3分以上が経過していますわね。

なら…… “そろそろ” )


ジャスミンが18発目の鞭を振おうと

影の世界から出たその時だった。

突然厄獣の全身に尋常ではないエネルギーが奔る。

エネルギーは紫色の血管のように

頭部から全身に広がっていき

あり得ない速度で肉体の組成へと影響を与え始めた。


……その間、僅か0.03秒。

ジャスミンの目にはその0.03秒が

5秒にも10秒にも感じられていた。


(なんて恐ろしい力ですの

……身体を作り変えるエネルギーの余波だけで

周辺の建造物が?!)


脆く崩れかけていた建物は呆気なく崩壊し

比較的状態の良い建物も一瞬にしてガラスが粉砕され

壁はヒビまみれになった。

エネルギーの余波は地鳴りを生み

周囲の空間をも大きく揺らした。


あまりにも長く感じられた一瞬がようやく過ぎ去り

鞭が振るわれかけた……しかし、

その鞭が届くことは無かった。


(嘘……!! 秒数管理を誤った?!!)


11.2秒 これがそれまでに与えられていた猶予だった。

確かにジャスミンはこの秒数管理を

怠っていなかった筈だった。

10.8秒 これが18回目の鞭が振るわれるまでの

猶予時間であった。


(いえ……確かに今ワタシは厄獣が動くよりも早く

麻痺効果限界のギリギリを突いていた筈

まさか……麻痺への耐性が間に合わないと判断して

麻痺状態からの復帰に対して適応力を高めたの?!)


しかしそれだけでは説明がつかない。

確かに今この巨体は太刀花の攻撃を避けた。

それによって鞭が外されてしまった上に

太刀花が狙われている。


「うぎゃあああああ!!

ちょっと危なっ!! 危ないのです!!」


飛び蹴りを外して大きくジャスミンから離れてしまった

太刀花めがけて拳が振り落とされた。

しかし、その拳を太刀花はギリギリ回避していた。


凄まじい一撃だ……あんなものがまともに命中すれば

いくらサキュバスとは言え身体が粉々になってしまう。


厄獣すらもすっぽりと覆う大規模な土煙が舞った事で

ジャスミンには太刀花を回収するだけの猶予が生まれた。


(今しかありませんわ……!!)


影移動を駆使して太刀花の腕を掴む。


「うびゃあ!! こ、今度は何なのです!!」


「しーっ!! 静かになさってくださいですわ」


「じ、ジャスミン殿?!」


「殿って……そんな事より早く来……! 急いで走って!!」


その時、ジャスミンは視界の前方から

大きな影が迫っていることに気付いた。

いち早くそれに気付いたジャスミンは

1番近くにある布まで太刀花を連れて全力疾走した。


ジャスミンたちが黒い布を被った時、

その正体が煙の中から顕になる。

手だ……少女2人を捕まえるには十分過ぎる程に大きな

厄獣の手がすぐそこまで迫って来ていた。


巨大な掌が小さな身体を覆うその瞬間、

2人の身体は影の中へと消失した。


「か、間一髪でしたわ

……生きた心地がしませんわよこんなの!!」


「あ、危なかったのです!!

ありがとうなのですジャスミン殿ぉ…………」


「貴方が脱落すればこの作戦は成り立ちませんもの。

助けるのは当然ですわ」


ジャスミンの中には大きな違和感が渦巻いていた。

幾ら0.4秒早く動けたとは言え太刀花の蹴りを

的確に回避できる理由にはならない。

何よりジャスミンはちゃんと厄獣の死角を突いていた。

他の感覚が発達した……? 考えられる事は無限にあるが

どんなものであれこの先の1分強が

ろくでもないものであることを示唆していた。


「一体どうやって……」


「ジャスミン殿、タチバナは見たのです!」


太刀花は厄獣の影を指し示した。

同調装置を通じて太刀花が見た情報は新多には伝達されるが

太刀花から直接その情報がジャスミンへ流れる事は無い。

しかし、新多からほぼ同時に “指示” として

その事実が告げられた。


「『全身に無数の目が出現した』 のです!」



それは、太刀花たちが厄獣アヤカの追撃から影の世界へと

逃げ延びてすぐの出来事だった。

俺は遠くからその様子を追体験しながら作業を続けていた。


(今のは本当にヤバかった……

ジャスミンがあと一手でも遅れていたら………)


想像に易いがあまりにも考えたくないものだった。

拳を振り落としただけであれだけの破壊力が出せるんだ……握られでもすれば

全身が木っ端微塵になるのは避けようもない。


如何に再生能力があると言ってもサキュバスのそれは

際限の無い再生では無い。

心臓や脳などをやられれば命に関わるし

原型も残さず潰されてしまえば死は免れない。


(だが問題はここからだ……何だよありゃ気持ち悪いな…………)


太刀花が見た光景はまさに

“厄獣の体表から無数の目が出現した” ものだった。

黒々とした鎧を着込んだような姿をしているが

ただ硬いだけであの鎧も厄獣の肉体だ。

そんな鎧の表層にも目が出現し

一瞬で太刀花の姿を捉えてきた。


「くそっ……!

バカみてぇな脳筋手段で解決しやがって……!!」


ただ、今回の適応で分かった事はこれだけでは無かった。

何も悪い事ばかりではない。

あの厄獣の適応が思っていたよりも遅かったのだ。


今まで何体も厄獣をサキュバスに戻して来たが

その経験から見てかなり遅い。

平均は大体2分程度だった。


(再適応にかかる時間はまだ3分以上ある……

とは言え、あの図体であの速度は驚異的だ)


通常、厄獣は大きくなる程瞬発力が失われるのだが

あのデカブツは既に巨体であるにも関わらず

10m級の厄獣とも大差ない程の速さを見せた。


オマケにまだ2つ目の異能を隠している

……何かを警戒しているのか?



だが、その疑問はすぐに望まない形で解決する事になった。

太刀花たちが自身の行動を警戒している事が

分かっているのか

突然厄獣はこちらを見て歪に顔を歪ませたのだ。

そう……あのデカブツが最初から警戒していたのは

俺だった。


(嘘だろ……この距離から俺を視認して

警戒してくるのか?!)


厄獣はそこらに落ちている瓦礫を片手でありったけ掴むと

握力で少しだけ瓦礫を潰した。


瓦礫が砕けて少しだけ小ぶりになったのを確認すると

厄獣は瓦礫を持った手を大きく振りかぶり

前傾姿勢のままこちらを見据えて来た。


「おいおいおい……おいおいおいおいおい!!!」


嫌な予感は的中した。

厄獣は嫌な顔をしながら腕を大きく横に振るようにして

瓦礫を投げつけた。

しかもそれを目にも止まらない速さで4回も繰り返した。


1回目に投げた瓦礫が地面につくより早く

4回目に投げた瓦礫が宙へと放たれた。

視界が宙を舞う死の雨に覆われた。

俺ならこのくらいの弾幕攻撃を回避するのは

不可能な事では無いがここで回避にリソースを

割いてしまうと最悪の場合コードの完成を

1分以上遅らせてしまう事に繋がりかねない。


(くそっ……コイツ相手に1分の遅延は致命的過ぎる)


広範囲を瓦礫の雨が襲った。

瓦礫の雨はその一つ一つがビルを易々と貫通する程の

驚異的な破壊力を持っており

第一波のみでもその損害は計り知れないものであった。

すぐに第二波、三波、四波が襲いかかる。

周囲を破壊音と煙が支配する。



回避行動も取らずに助かるような攻撃では無かった。

インチキみたいな攻撃範囲と威力

……普通なら避けても避け切れない。

そう、普通なら。


(何が起きたんだ……?)


……俺はあの死の雨に晒されて何と無傷だった。

回避すらしていない……俺が立っていた建築物も

ズタボロに崩壊していた。

コードも無事だ。


(……一瞬だけだったが確かに見た。

俺に命中しそうな瓦礫だけが全て綺麗に切断されて

軌道が変わった。

とんでもない切れ味だったが全く兆候が観測出来なかった。

何だったんだあれは……まさか、

佐々木防衛大臣を殺ったサキュバスか?)


そう考えるとあの切れ味にも説明はつく。

しかし、一体どんな能力なんだ……?

斬撃を飛ばした? ……それとも特定対象の切断?

空間系の異能というのも考えられるが……

いや、そもそも何故俺を助けた???

1番そこがよく分からない。


「いや……考えてる暇はない……か。

一刻も早くコードを完成させないと……

またあんなのが来たらここら一帯は更地にされちまうぞ」


俺は急いで2人に新たな指示を送った。

幸いと言うべきか今の派手な攻撃で30秒は稼げたし

大きな隙が生まれた。

……狙うなら今しかない。



(良かった……無事だったんですのね)


ジャスミンの状況判断能力には目を見張るものがあった。

ジャスミンは俺の指示よりも少し早く

行動を開始していたのだ。


あの無数の目に関しては新多が即座に対抗案を用意した事で

一筋の希望が見えていた。

しかし、ジャスミンにはもう一つ危惧している事があった。


(あの時、確かに土煙の中を手が追って来ましたわ。

……土煙の濃さは視界が2〜3mほど確保できるくらいで

当然厄獣からワタシ達を視認する事は出来なかった筈。

どうやってワタシ達の位置を?)


影の世界にはジャスミンの武器庫が存在している。

武器庫の位置は固定だがジャスミンが影の世界にいる限り

物体の出し入れは何処からでも好きなように行える。


(とりあえずこれとこれ……あとこれ…………)


ジャスミンは移動しながら瞬時に物を大量に取り寄せた。


「太刀花さん、とりあえずこのサングラスと耳栓を

急いで付けて下さいます?

あと……これとこれとこれ」


「ちょ、ちょっと待つのです!

何なのですこの大量の筒は?!」


「試したい事がありますの。

一か八かですが、ここを切り抜けないと

ワタシ達に勝ち目はありませんわ。

影から出たら同時にそれらのピンを抜いて

広範囲に投げて下さいな」


「よ……よく分からないけど分かったのです!

タチバナ、頑張るのです!!」


「それでは……行きますわよ!!」


ジャスミンが太刀花を引っ張って影から出る。

その直前に太刀花は器用に10本の筒から安全ピンを抜いた。


そして、影から出た途端にジャスミンと太刀花は

合計18本の筒を四方八方へと投げて2方に分かれた。

視界は砂煙に包まれており殆ど確保不可能だったが

厄獣の反応が早かったお陰で気流に変化が生まれた。


(視界……5mは確保出来ましたわ。

後残るは……!!)


2人は急いで正反対の方向へ走り抜ける。

厄獣は2人の動きを警戒するあまりその場から

ほとんど動かなかった。

その時、投げられた2種類の筒が火を吹いた。


一種類はフラッシュバンだ。

熱や殺傷性は無いが光量と音を極限まで改造したものであり

八本のみで強い遮光性のあるサングラスと

99.7%もの遮音性を誇る耳栓をしていないと

耳と目に後遺症を引き起こしかねない程のものだった。

新多も遠くにはいたがサングラスと耳栓を付けた。

これにより、見事に厄獣の視覚と聴覚を的確に潰せた。


そしてもう1種類が……サーメートと呼ばれる

テルミット焼夷弾を改造した兵器である。

非常に高い熱を瞬時に生み出せる手榴弾だが

燃焼時間が短時間かつ爆発範囲が狭いのが特徴である。


しかしこれも改造されて威力が上がっており

爆破範囲と温度が強化されている。

燃焼時間に関しては短時間である事には変わらないが

今回の場合それが逆に作戦へ効果的に作用する。


更にこの爆発を粉塵爆発を利用してより広範囲に広げる……

これも計画通りだった。


直後、凄まじい光と音を伴う大爆発が厄獣を直撃した。

……流石に多少のダメージは与えたかもしれないが

目的はそこではない。


「太刀花さん!」


「分かっているのです!! とりぁああ!!」


爆発はすぐに収まり、3000度はあったはずの超高温の爆発

は数百度にまで冷却されていた。

このくらいであれば太刀花たちは皮膚の表面が

火傷するくらいで済む。

それもすぐに回復する程度に収まるだろう。


太刀花は熱そうに少し顔を歪めるが

厄獣への突撃を止める気配はない。

そして、遂に太刀花の飛び蹴りが厄獣の左足へと命中した。


(やはり……高熱感知でしたのね!)


厄獣が得ていた特殊器官はもう一つあった。

それは……その場に存在している中で

特に高い熱を検知すると言うものだった。

サーモグラフィーのように熱の変化を

機敏に察知できるほどの器用な器官を得たのなら

わざわざあれだけの目を全身に追加した意味がない。

ならばもう一つの感覚は非常に単純なものであると

考えられた。


対策手段は非常に単純だった。

ジャスミン達の熱を感知できない程の高温で周囲を満たし

新多の作戦通り違法改造フラッシュバンで耳と目を封じた。


「グオオォ?! グオオオォオオオォオ!!」


「良し……当たりましたわ!!!!」


突然強烈な光と熱、音に襲われた厄獣はパニックとなり

正常な判断が出来なくなっていた。

そこへジャスミンの鞭が命中し、

再び麻痺ハメの準備が整ったのだ。


「太刀花さん!!」


「アチチチ……すぐ行くのです!!」


2人は即座に合流して再び影の世界へと潜っていった。

厄獣はただその姿を恨めしそうに見ながら硬直していた。


(行けますわ……このままあと1分!!!)


ジャスミンは麻痺させる間隔を9秒おきに変更した。

万が一があってはならないからだろう。

その様子を見た新多は一安心する様子を見せると

コード作戦と同時並行で

作戦の第二段階以降までのカウントダウンを開始した。



-時は少し遡る-


(やれやれ……本当にやれやれです。

手のかかるお兄ちゃんを持つと妹は心休まりませんね。

折角帰ろうと思ったのに……厄獣が出たと聞いて

心配のあまり戻ってきてしまったではありませんか)


瓦礫が飛び交い、空を覆う都市の残骸を遠くから見つめる

サキュバスがいた。

そのサキュバスは黒髪を靡かせ、

あの大きなバケモノを相手に悪戦苦闘する人物を

“兄” と呼んでいた。


九 知辺 (いちじく しるべ) はサキュバスとして覚醒しているにも関わらず

その事実を必死に隠しながら家族と共に暮らしている。

幸いと言うべきか彼女の髪色は殆ど変わらなかった。

それ故に安易な変装のみでサキュバスであることを

隠す事が出来ている。


そして彼女はその身に与えられた窮屈な現実や恐怖心から

サキュバスとして道を歩いても

偏見なく接して貰える世界を欲して

仲間を募り、“Tots” と呼ばれる非政府組織の原型となる

組織を立ち上げた。


Totsは今や世界的に知られているサキュバスのみで

構成されたテロ組織であり

彼女は成り行きで総帥と言う立場にあるのだが……

当然その事実を兄は知らない。


知辺は空を右手の指でなぞった。

指からは青い軌跡が生じてその場へと残留した。

知辺は左手でその軌跡をかき集めると強い力で握りしめた。


「 《斬れ》 」


パキパキッ……とガラスが砕けるような音がして

軌跡が割れてると

その軌跡の数だけ兄を襲う瓦礫が切断された。


砕け散った軌跡は青い光の粒子となって

風に乗って消えて行った。


これこそが知辺の異能である。

右手から放出されたエネルギーの残滓を左手で砕く事で

遥か遠くから離れた場所からでもその残滓の形状に合わせた

超常的な現象を引き起こす。


指で直線を描けば切断の現象を生み出し

円を描けば亜空間の出入り口を生み出すなど……


この能力は一見すると予備動作が大きく

使い勝手が悪そうに見えるが

それは真の意味でこの異能の怖さを知らないだけだ。

……その実態は射程と呼ばれるものが存在せず

“願望” に依存した能力であり

あらゆる制限や現象を無視する。

つまり、望んだ超常現象を望んだ場所で引き起こす。

射程も何もあったものではない。


非常に強力な異能であり、これひとつで

あのTotsをまとめ上げていると言っても過言ではない。


(はぁ……今度こそ大丈夫そうですね。

夕飯でも作って待ってますから……さっさとその変な力で

その熊、片付けて帰って来てくださいね)


知辺は今の弾幕攻撃に次弾が無く、

爆発を見てジャスミン達の反撃が始まった事を確認すると

夕飯について考えながら再び帰路についた。



-現在-


「5分……経過」


あまりにも長すぎた5分間がようやく過ぎ去った。

ジャスミンは最後の鞭を当てると俺の指示に従って

その場へ太刀花のみを残して俺の側へと移動した。


「ふぅ…………疲れましたわ」


「助かった……後はコードが出来るまで

俺の護衛に徹して太刀花に任せてくれ」


「任せてって……本当に大丈夫なんですの?

相手は厄獣ですのよ?

それもあの厄獣は普通じゃありませんわ」


「……アイツの事、心配してくれてありがとうな。

でも大丈夫だ。

本気になった太刀花に勝てる奴なんていないさ。

それは、厄獣が相手でも同じ事だ」


「そんな馬鹿な……」


俺は同調装置を使いながら左手を大きく掲げる。

これは合図だ。


「太刀花!!!!!! 《オーバービースト》 だ!!!」


「おぉ!! 待っていたのです!!! この時を!!!」


俺の命令を皮切りに太刀花から滅茶苦茶な量のエネルギーが解き放たれる。

紫色の強大なエネルギーは渦を撒き天を穿つ。


「《オーバービースト》 !!!!!!!」


太刀花が高らかに声を上げる。

直後、エネルギーの質が大きく変化した。

色は更に濃くなり天を穿つ光の柱が

再び太刀花へと収束していく。


厄獣が太刀花に対して最大級の警戒を示す。

一歩……また一歩厄獣が後退りしたのだ。


「何ですの……これは?」


ジャスミンは言葉を失っていた。

それもその筈だ……こんなものは見た事が無いだろう。


「俺も太刀花にはぐらかされっぱなしで

よくは知らないんだが、太刀花は5分間だけその身に

『厄獣の力』 を宿す事ができるんだ」


「は、はぁ?!」


ジャスミンが今までに見た事が無い程に動揺している。

……まぁ皆んなこうなるよな。

あの真白崎ですら最初に知った時は

同じようなリアクションを見せたものだ。


そんな話をしているうちに太刀花に収束したエネルギーが

暗い青紫色へと変色し始めた。

髪色はつむじを中心として白く変色していき

目は赤く染まる。

衣服もまた髪と同じ白い輝きに満ちる。


「《オーバービースト モード:纒閃》 !!!」


白く発光しつつも青紫色のオーラを発する状態に変化した

太刀花は前方へ威圧を飛ばした。


「グォ?!!」


厄獣は今までに見せた事もない顔をして

一気に距離を取った。

本能で理解したのだ。

あれは自らと同等……いや、それ以上の力を持っている。


「覚悟しろなのです……!!!」


太刀花は刀も持たず拳を突き出すような構えを取ると

一気に軸足に力を入れた。

右足が踏み締めた大地は大きくひしゃげてヒビが入る。

そして、それとほぼ同時に厄獣の真上に太刀花が出現した。


「グォォオオオオオオ?!!!」


急に出没した太刀花に驚いた厄獣はパニックに陥り

出鱈目に攻撃を開始しようとした。

しかし、その攻撃が太刀花に当たる事は無かった。


「ゴァアア?!!」


熊の顔面にとんでもない重みの拳がめり込み

瞬く間すら無く熊を何十周と光が通過した。

その3秒後……熊をあらゆる方向から

数千トンにも及ぶ破壊力の打撃が襲いかかった。


厄獣が放った弾幕攻撃とは比べものにならない程の

爆風が廃都市を襲う。


「な、ななな何ですのこの馬鹿げた攻撃はぁぁあああああ?????!!!!!」


有象無象が爆風に連れて行かれる。

圧倒的な暴力が厄獣を襲う。


「厄獣にはサキュバスの異能の他にもうひとつ、

厄獣の異能がある。

これを一般的に “反転異能” と呼んでいる訳だが」


「そんな事は流石に知っていますわよ!

あんなのただの反転異能で片付くレベルの

戦闘力じゃありませんわよ?!」


「まぁそうだよな……でも太刀花の反転異能は

特別製なんだよ。

アイツの反転異能 “アンフェア” は

敵対勢力と自身の力を拮抗させた上で

相手から戦力を半分奪い、自身に加算するものだ。

つまり……今太刀花の戦闘力は

あの熊の3倍だ。

しかも通常時の異能も常時発動しているから

敵の異能は全て通用しない」


「アンフェア?!

な、なんなんですの……その意味不明な異能は?!

そんなの出鱈目過ぎますわ……」


「だよなぁ……」


厄獣がまるで風に吹かれた葉っぱのように吹き飛ばされる。

あの圧倒的な巨体が何もなす術なく空を舞っている。

ジャスミンにとってその光景は今まで見た何よりも

衝撃的なものであり、ただただその光景に見惚れていた。


「凄い……こんな……こんな事が」


宙を舞う厄獣を更に飛び蹴りが襲う。

あのデカい身体が目にも留まらない速度で弾き飛ばされ

まるでスーパーボールのように弾みながら転がっていく。


太刀花はその様子を楽しそうに見ながら着地すると

大きく伸びをして首を鳴らした。


「……この状態は5分しか保たないからって

中々使わせて貰えなくてストレスが溜まっていたのです!

それにかいぬし様はタチバナの事を

断固オンナとして見てくれないのです!!

イライラしているのです!! ムカムカするのです!!

だから、ストレス発散に……思う存分殴るのです!!!」


厄獣には少しだけ同情してしまう。

恐らく……多分……きっと、そんな事にはならないとは思うが

あの怪物の中で意識を失っている彩歌に

この記憶が残らない事を願うばかりだ。

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