表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37  作者: ぶんけい赤テン
3/4

小さな蝶の羽ばたき 1-3

「よろしかったんですか? 見逃してしまって」


廃ビルが建ち並び、舗装されてはいるが所々割れている道を

乗用車とは思えない重装甲車両が列を成して通過していく。

そんな車両の列の1番前を走る赤い装甲車の内部に

真白崎の姿があった。


「よろしい訳ないでしょ? 本来なら有り得ない事よこれ。

天下の真白崎が個人の為に身を引いて

更にその上でもう一つ仕事を譲るんだから」


「しかし不屈お嬢様……でしたら何故そのように

満足されたご様子なのでしょうか?」


真白崎は大きなため息を吐いたがその表情はまるで

“良い仕事をした” かのように晴々としていた。


「簡単な話よ。

あの無様を晒していた男に恩を安売りする方が

真白崎の損失よりも遥かに大事な事だからよ」


「……お言葉ですが、

あの者にそれ程の価値があるとは思えません。

恋慕うのは結構な事だとは思いますが……」


「恋慕う? 誰が?」


「……へ?」


「………………ぶっ! あははははははは!!」


真白崎は全くピンと来ていない様子を見せたが

数秒の沈黙を経て言葉の意味を理解した途端

吹き出して爆笑し始めた。

……名門一族のお嬢様とは思えない下品な様子に

周りの部下たちは思わず困惑してしまうが

自分の膝を叩いて爆笑する真白崎を

止められる者はいなかった。


「違う違う!

確かにあの男の事はかなり知っている自信があるけど

私はあの男に能力的価値以上のものを期待していないのよ。

キチンと冷静に分析した結果よ」


「では、あの者に恩を与えてどうなさるおつもりで?」


「恩まみれにして真白崎の婿養子に入ってもらうわ。

あの男はいずれ確実にその名を

世界に轟かせるような事をやるでしょう。

……だから他の名家に目をつけられるより早く

動く必要があるのよ。

私はもう婚約者がいるから、とりあえず今のところは

さち 辺りにでも婿入りしてもらうつもりよ」


真白崎 不屈 は長女であり、兄が1、妹が3人、弟が2人いる。

幸はその中でも四女にあたるのだが……まだ9歳だ。


「幸お嬢様ですか?!

幾らなんでもそれは

御当主様がお認めになられるとは思えませんが」


幸はまだ9つでありながら “ある特殊体質” のせいで

真白崎本家から出る事を禁じられている。

しかし、これは幸自身があまりにも

希少な特殊性を持つが故に幸を手に入れようとする

無数の勢力から守る為の措置であり

最早彼女に釣り合うのは皇室のみとまで言われていた。


「認めるよ。 あの人なら絶対に認める。

近い未来、あの男の価値に気付いて絶対に動き出す。

……だからそうなる前に

私が動いて如何に私が現当主よりも有能なのか

見せつけてやる必要があるのよ」


その言葉には絶対的な重みがあり、

確固たる物証も何も無いのに

誰1人として反論する事ができなかった。

しかし、この言葉はこの場にいる者や

当主にあてられたものではなく

何処か遠くを見据えている言葉のように思えたと

その場で言葉を聞いたものは後に語る。


その時、真白崎のスマホが鳴った。


「こんな時に誰……?」


当主から連絡が来たとは考えにくい。

あの人は実力主義であると同時に放任主義でもある。

わざわざ真白崎の問題行動を叱責するような人物ではない。


真白崎はワルキューレの騎行が鳴り響くスマホを取り出して

目を大きく見開いた。


「幸?」


電話の主はつい先程まで丁度話題に上がっていた幸だった。

ただ、真白崎はそれを見て芳しく無い表情を見せた。

姉妹仲は悪くない ……問題なのはこの妙なタイミングで

あの幸から電話がかかって来た事だ。


真白崎は大きく深呼吸をすると覚悟を決めたかのように

真剣な面持ちで電話に出た。



-視点切替 九 新多 -



(ようやく見つけた…… “2人目” )


俺はある目的を完遂する為に “完全否定型異能” を持つサキュバスを探していた。

完全否定型異能は全部で7つ。

……とは言ったものの、そもそも

完全否定型異能と言われても大半の人は知らないだろう。

多分まだ国の諜報機関ですら7つの特殊異能に

関連性を見つける事が出来ていないのだから。

……それどころかまだ発見されてない異能もある。


これらの異能は特定の事柄を否定する力を持っている。

それはあらゆる法則に依存せず、

ほぼ絶対的な力として行使されるのだが

運が良いと言うべきか俺の側には

敵対した場合最大の難所となりそうだった

“アンチアビリティ” が最初からいる状態だった。


太刀花は非常に難のある全てが極端な子だが

それでも敵として彼女を迎え撃つ想像などしたくもない。

まず間違いなく大苦戦を強いられてしまうだろう……


さて、ここで困った事がある。

本来なら保護されたサキュバスは

“魔塔局” と呼ばれる巨大施設に引き渡され、

グローブとしての訓練を受けて再び外界に出るか

衣食住は完全に保証されるが

“魔塔” の外へ出る事を禁じられてしまい

2度と外の世界は拝めなくなるかの2択を迫られる。


そして、前者を選んだ場合でも

本人の意思による相方の厳選がある。

つまり、俺が自分のグローブを指定できる機会はない。

強いて言えば今この場でプレゼンでもするしか無いが

はっきり言って現実的な話では無いのは

誰の目にも明らかな事だ。


私利私欲以前にこの異能が他者の手に渡る事だけは

避けなければならない。

アンチヒットを悪用した時に発生する損害は計り知れない。

完全否定型異能はあまりにも危険過ぎる。


国に掛け合うのも駄目だ。

現段階で完全否定型異能を世間が知るリスクは避けたい。

何より、この話をする為には

“奴ら” の話をしなくてはならない。

これが世界に知られでもしたら

向こうがどう出るか分からない……悪手だ。


そうなる前に俺が7人全員を

何とかしてグローブにするしか無いのだが……

幾ら強大な力を持っていたとしても

彼女たちが子供である事実は覆らない。


ある日突然強大な力が自分に宿って、

外見が変わってしまい、

人の生命力を吸わなければならない体質に変わり……

親に捨てられ……訳も分からず命を狙われた。

いきなり全てを受け入れろと言う事が

どれほど残酷な事か推し量るだけで心が痛む。


「あの……あ、あの!」


俺は我に返った。

何かにでも取り憑かれたように考え事をしていた俺は

目の前の状況について熟考していながら

目の前の状況を忘れていたようだ。


「あぁ…………ごめん、少し考え事をしていたんだ」


「あ、あの……答えてくれませんか?

ど、どうしてわたしの異能、知ってるんですか?」


この件について俺はバカ正直に答えるべきか迷ったが

彼女を巻き込む事を思えば表面だけでも

伝えなくてはならないのだと悟っていた。


「俺は見ての通り魔察官になりたての高校生だ。

そして、魔察官になったのは “ある目的” を果たす為だ。

……アンチヒットはその目的に必要な力の1つだったから

個人的に知っていただけなんだ」


「……つ、つまり、

あなたはわたしの力が欲しいんですか?」


「…………否定はしないが、無理強いはしない。

サキュバスは人だ。

人と同じ幸せ、同じ権利、

同じ体験を受けなくちゃいけないと俺は考えてる」


「……怖く、無いんですか?」


「…………どちらかと言えば俺は “怖がられる側” だ。

君たちを特に怖いとは思わない。

それに、俺の目的を果たす為には

絶対にサキュバスの力が必要なんだ。

そんな相手に恐怖するなんて筋違いだろ?」


彩歌はしばらく考えをまとめる素振りを見せて

静かになった。

正直……意外だった。

大抵の子供は急にこんな事になれば

パニック状態になってしまう。

訳の分からない状況のまま判断を焦ってしまい

人を傷つける事だって少なくはない。


そんな中でもこの子は不気味な程に落ち着いていた。

人との会話に慣れていないから

てっきり心も弱いものと決めつけていた。

……馬鹿だな俺は。

外見や印象だけで全てを分かった気になってはならない。


アイツから散々教えられた事だってのに

……なっちゃいない。



「……あ、あの、わたしの話を聞いてくれませんか?」


「話?」


「は、はい。

わたしなりの覚悟……と言うか、決意……ですかね。

もう知ってるんです。 あの生活にはもう……戻れないって」


彩歌は足元の埃を払うように手ではたきながら立ち上がると

少しだけ俺の近くへ座った。


「わ、わたしは2年前までこの辺りに住んでいたんです。

パパは有名な車を作ってる会社で

偉いお仕事をしていました。

ママは車を作る工場で働いていました。

……でも、2年前のあの日

そんな幸せな生活に終わりが来たんです」


彩歌の目に翳りがあった。

俺はこの廃都市がどうして生まれたのかを知っていた。

そして重要な情報を思い出した。

この子の資料には父親についての情報が無かった。


「あの日、わたしたちのお家はぺしゃんこになったんです。

わたしは学校、ママはお仕事。

……パパは……たまたまお仕事がお休みだったんです」


思い出したかのように彩歌の目からは

大粒の涙が溢れ始めた。

彩歌はそんな涙も気にせず話に没頭していた。


「何が起きたのか分かりませんでした

……帰ったらお家がつぶれてて

……ママが見た事無いくらい泣いてて

……わたしは、何を受け止めて良いのか

分からなくなってしまいました」


胸に針が刺さるような感覚があった。

この子も地獄を見てきたんだ……だから今この子は

これだけ落ち着いていられたんだ。

そして、それと同時に俺は “大きな罪悪感” を覚えた。


「ぱ、パパが死んだ事を受け入れられたのは

……パパのお葬式が終わってから

10日くらい経った後でした。

それまでは何が起きているのか分からなくて

何もかも止まってたんです。

……あの日、ママがお仕事にも行けなくなって

他の街に引っ越して……荷物を新しいお家に片付けて

見た事もない天井をベッドから見上げていました。

いきなり涙が止まらなくなったんです。

……今まで全然出なかったのに、急に。

……あぁ、もうパパに会えないんだ。

もう帰れないんだって」


「……」


俺はただ黙って彩歌の話を聞いていた。

この世界ではよくある話だ。

それでも、俺は決してこれらを “当たり前な物語” として

受け取ってはならないと思う。


どんなに悲惨な世界でも悲しい事は悲しいんだ。

そんな話をしなくてはならないのは辛いし

相当な覚悟が必要な事だ。


「ママは働けなくなってしまいました。

お金をどうしてたのかはわたしには分かりませんが

それでもこの2年間で不足を感じた事はありませんでした。

辛い筈なのに、

私にはそんな素振りを見せようともしなくて……

い、今思うと、わたしは強くて優しいママに

支えられていたんです……

苦しい姿を私に見せないようにしていた

私の大好きなママに」


彩歌はここまで言い切ると唇を強く噛んで震え始めた。

その様子は何かを必死に抑えてるように見えて

とても痛々しいものだったが

彩歌は苦しそうにか細い声で話を再開した。


「…………捨てられちゃった。

わたし、ママに捨てられちゃったんです。

わたしの髪がおかしくなってから

ママの様子がおかしくなっていきました。

私にはなるべく見せないようにしていた

つもりだったんだと……思います。

でも……次第に隠せなくなって、顔が怖くなって行って……

私が寝ている間に……川へ捨てられました」


「嫌だったよな……辛かったよな」


俺は思わず彩歌へと駆け寄っていた。

小刻みに震えている小さな背中を摩って

落ち着かせようとした。

大好きだった親にある日いきなり捨てられて

平気でいられる子供なんて居るはずが無い。


「そ、そこから先はあなたの知ってる通りです。

溺れながらここの近くまで流されて

そのまま追われてここに辿り着きました。

……これでわたしのこれまでは全て話しました。

その上で、あの……質問させてください」


「分かった」


「……も、もう一度だけ、ママに会えますか?」


「………………」


その質問をする時点でこの子は何となく理解している筈だ。

普通なら会えないだろう。

……ただ、それで良いのか?

この子は深く考えた筈だ。

今の自分が母親と会う意味を。

……どれだけ辛い思いをしなくてはならないのかを。


「難しいかも知れないと言う事だけは覚えておいてほしい。

魔察官……いや、人として君たちの心を守る義務がある。

……ただ、君がそれを望むなら努力するよ」


「そう……ですか。

……………………わ、分かりました。

わたし、どうしてももう一回

ママに会わないと行けないんです」


「恨んでいるのか?」


「う、恨める訳無いじゃないですか!

すごく悲しかったけど……ママはママなんです。

そ、それに……分かってるんです。

ママがわたしを捨てた理由もちゃんと、分かってるんです」


十中八九 “2年前” の出来事が関係しているのだろう。

俺は彩歌にハンカチを渡した。

涙を拭くように促すと彩歌はハンカチに顔を押し当てて

声を抑えながらまた泣いた。


こんな状況だけどやっと今まで抑えてきた

不安や悲しみなんかが溢れてきたのだろう。

10歳とは思えないくらい強い子だ。



「取り乱してごめんなさい……あ、あのこれ…………」


彩歌はしばらく泣いた後目の下を腫れ上がらせたまま

ハンカチを返そうとしてきた。


「良いよ。 大したもんじゃないからそのまま君にあげるよ」


「で、ですが」


「高そうに見えるって?

まぁ確かに値段は安くないかも知れないけど

それ、ちょっと個人的にあんまり好きじゃない奴から

付き合いで貰ったものでさ。

他にハンカチとか持ってなかったから

とりあえず使ってたんだけど

扱いに困ってたし……正直貰ってくれると助かる」


「そ、そうだったんですね……ありがとうございます……

も、貰いますね……えへへ」


彩歌は俺のハンカチを大事そうに

自分の胸へ押し当てると左ポケットへ仕舞おうとした。

……ふと、俺は視界の端に違和感を覚えた。


彩歌の右肩の辺りがぼんやりと光っているように見えた。

俺は咄嗟に光る方を見てしまった。

……そこには “あるはずがないもの” があった。


蝶だ。 羽はおろか身体の全てが透き通った蝶。

アサギマダラと言う蝶がそのまま全部透明になって

うっすらと光っていると表現するのが1番近いだろう。


俺は目を見開いた。

あり得ない……何で “アイツ” が本件に関わって来るんだ?!

俺はこの透明な蝶の正体を知っていた。

この蝶はある危険なサキュバスの能力によって

生み出される存在だ。


そのサキュバスの力は非常に複雑だが

能力の発動において共通する特徴がある。


“透明な蝶が特定の物質や存在に触れる” 事で

何らかの干渉を起こす。

干渉の内容は様々で発動者本人にしか分からない。

何でもありなチート能力だ……そんなものが今この場で

間違いなく彩歌に触れていた。


「あ、あの……どうしたんですか?」


「……彩歌ちゃん。

1つだけ確認したいんだけど

浅葱斑あさぎまだら” って言う名前の

サキュバスに出会ったりしてないよな?

真っ白で光を強く反射する長い髪と

金色の目を持つおっとりしてそうな奴だ」


「あさぎ……まだらさん?

えっと……多分会ってないです」


浅葱斑は全世界に指名手配されている

非常に危険なサキュバスだ。

口数が少なく、眠そうな垂れ目のせいで

おっとりしていそうな印象なのだが非常に活発で神出鬼没。

行動も予測が難しく何をするか分からない危うさがある。


2年前にいきなり出没した彼女は

そのあまりにも強力極まりない能力と

目的の為に手段を選ばない非道かつ横暴な犯行の数々から

4000万ドルもの大金がその首にかけられている。

今は1ドル160円くらいだった筈だから……

およそ64億円もの莫大な金額だ。


3000万ドルを超える懸賞金がかけられているサキュバスは世界広しとは言えたった6人だけ。

……まぁそうでなくとも犯罪史上ほぼ最高金額と言える程の

懸賞金がその小首にかけられている時点で

その危険性は疑うまでもない。



「あっ……ぐっ!! あ……あああ

……あああああああああ!!!!!」


「彩歌ちゃん?! どうした?!

急に一体何が………! 待て……まさかこれ」


突然彩歌が声を上げて苦しみ始めた。

最初は何が起きているのか分からなかったが

いつの間にかあの蝶が消えていた事から

浅葱斑が何かした事だけは確実だった。


一刻も早く何らかの処置をしなくては……

俺は短い時間ではあったけど彩歌をよく観察した。

そして、これが “ある最悪” の兆候である事が分かった。


全身から軋むような音、

瘡蓋が剥がれ落ちるかのように全身の薄皮が剥がれ落ち

規則性のない暗く深い溝が身体中にはしる。

次第に溝は緑色の光を放ち始め身体の崩壊が進行していく。


「痛い……痛い………」


身体中に力を入れ続けてしまっているせいで

溝から血が吹き出している。

目、耳、鼻、口からも出血が確認できる。

あまりにも痛々しい光景だがこれは怪我や病気では無い。

これはもう手遅れだ……こうなってしまったらもう

変化が終わるまで顛末を見守るしかない。


俺は急いで同調装置を起動させた。

太刀花にはあらゆる不測の事態への備えとして

予め装置を起動させてあった。

俺は状況を急いで送信していく。

このまま周囲にいれば太刀花でも

ノーダメージでは済まないかもしれない。

頼む……間に合ってくれ!!!


「うっ……ぐぅ!! あああ!!!

……に……げて………お……にいさ……ん……!!」


「っ?! やばi」


彩歌から漏れる光が最高に達した時、

光は爆発力へと変換されて廃ホテルを吹き飛ばした。

木っ端微塵となったホテルがあった場所には

凄まじい轟音と共に禍々しい姿をした

超巨大な緑色の熊が出現した。


30mはあろうかと言う規格外なサイズ、

全身を覆う黒々とした鎧、太い腕と赤い目が四つずつあり

背中からは赤黒い結晶が生えている。


あれこそが飢えたサキュバスの成れ果てであり

苦痛と恐怖、憎悪のみでしか動けず

ただ血みどろに暴れて地上を蹂躙する者


災厄の獣 “厄獣” だ。



「危機一髪……ですわね」


「あぁ……本当に助かった。 君がいなかったら今頃

大怪我どころでは済まなかったかもしれない」


俺は厄獣がいる地点から

400mほど離れた高層ビルの屋上にいた。

間一髪だった……俺の影でスタンバイしていた

ジャスミンが俺の手を掴んで影に潜って緊急退避したのだ。


ジャスミンは任意で影の世界に

他者や物を招待できるらしい。

……ただあまりにも緊急を要していたので

俺は目を瞑ったまま運ばれてしまった。

影の世界……ちょっと見てみたかったんだが。


「残念ですわ……あの子、少しだけ気に入ってましたのに。

もうこうなっては殺すしかありませんわね」


ジャスミンは本当に残念そうにそう言っていたが

顔には一切の余裕が見られない。

……まぁ無理もないだろう。

厄獣の脅威度はサキュバスの比較にもならない。

サキュバスが世間的に怖がられている理由の過半数は

むしろこの “厄獣化” が占めているくらいだ。

本来なら恐怖を覚えない方が余程どうかしてるのだろう。

しかし、俺はあの子を殺す為にこんな所にいる訳ではない。


「……いや、 “助ける” 」


「……何を言っていますの? そんなの不可能ですわ」


「それがそうでも無いんだよ」


「……どう言う事ですの?」


ジャスミンは本当にピンと来ていないようだ。

どうやら俺について知っているのもここまでらしい。


確かに、ジャスミンが言った通り

厄獣は救えないと言うのが一般常識だ。

厄獣化したサキュバスを元に戻す術なんてない

……そう、無い筈だった。


「……俺は、世界でただ1人。

“厄獣をサキュバスに戻す手段” を持っている」


「…………そうでしたのね。

“あの力” の応用がまさかここまで凄まじいなんて……」


ジャスミンの目の色が変わった。

驚きや混乱の混じった目だが

俺が嘘を吐いているとは微塵も思っていない目だ。

事前に話しておいた情報が役に立ったようで

ジャスミンは思いの外すんなりとその事実を受け入れた。


「とりあえず、まずは太刀花と合流しないといけない。

10秒後にはここに来る筈だ」


太刀花は無事だった……こう言う時にお互いの無事をすぐに

確認出来るのも同調装置のお陰だ。

俺は同調装置の電源を切った。

コイツは電気をかなり食うのでなるべく節約したい。


「かいぬしさまぁぁ!!!」


太刀花は俺にめがけて跳んで来ると

心配するような素振りを見せながら

全身をベタベタと触ってきた。


「だ、大丈夫なのですかいぬしさま?!!

お怪我は無いのですか?!!」


「……大丈夫、大丈夫だから落ちつけ。

あとどさくさに紛れて変な所を触るな」


「はい! 落ち着くのです!」


太刀花は俺から少しだけ離れると

ジャスミンの方に視線を向けた。

さっきまでのキラキラとした忠犬の顔は何処へやら。

太刀花は不満や嫉妬などを存分に練り込んだ態度を取った。


「初めましてですわね。

これから何度か協力する事もあるでしょうし

仲良くしてもらえるとありがたいですわ」


ジャスミンはわざとらしい笑顔で太刀花に対抗した。

表面上は仲良くするべきだと言う事は

太刀花にも理解出来ていたのだろう。

しかし、太刀花の思考回路は単純だった。


「……はじめまして。 協力は多分今回だけなのです」


「あら……嫌われてしまいましたわね」


流石に厄獣相手ともなれば

手を組んだ方が良いと考えたのだろう。

とは言え、以前までの太刀花なら

厄獣が相手でも全自動で突撃した筈だ。

……一応成長はしているんだな。


厄獣はサキュバスとは比較にならない程の

圧倒的な身体能力を誇る存在だ。

それと同時にその身には異能と “2つ目の異能” を宿す。

魔具を扱えないのだけが幸いと言うべきだが

それを抜きにしてもその存在は脅威でしかない。


まず “身体能力の大幅な上昇” が本当に厄介だ。

その身は重く硬く、しかし素早い上に

関節の可動域は非常に広い個体が多い。

更に最悪な事に再生力と環境への適応力は

あらゆる生物を遥かに凌駕しており、

再生が遅い個体でも胴体切断くらいなら

10秒で完治させてくる。

ロケットランチャーなどで攻撃をしても

薄皮がやや焦げる程度であり

しかもその損傷は一瞬で消えてしまう。


非常に強大な存在だが、身体の何処かに存在している核を

破壊すれば再生能力が著しく低下するので

その隙に致命傷を負わせてしまえば殺す事は可能だ。


しかし、今回の目的は殺害ではなく無力化。

あの太刀花であれば指令次第で彩歌を殺害するのは簡単だが

そんな楽をさせてやれないのが

新米の辛い所だとでも言うべきだろう……


ってか、そもそもこの状態からサキュバスを救えるのは

俺だけだし新米魔察官かどうかは関係ない訳だが……

子供1人……いや、2人にしばらくの間

大役を押し付けてしまうのだから

このくらいの言い訳はさせて欲しい。


これから俺がやるのは言葉通り “無茶” な事なのだから。



「まず、お前たちには時間を稼いでもらう。

10分だ……だが、これには2つ問題がある」


「問題ですの?」


俺の作戦に慣れないジャスミンが

擦り合わせを図ろうとしてきた。

出現したばかりの厄獣は少しの間動けない。

肉体を動かすための繊維や伝達回路などが

体内で急速に構築されている最中だからだと

考えられているがその為におよそ2分の余裕がある。


本来なら今のうちから動くべきなのだが

何しろ今回はジャスミンの手を借りて

作戦の成功率を上げておきたい。

それに、サキュバス2人と同時に同調するのは

流石に初めてなので何が起きるかは未知数だ。

初期起動に問題が無い事は確認したが

ここから “5分” 保つ確証もない。


「あぁ、まず1つ。 俺はこの10分間動けない」


「動けない?」


「そうだ……俺は作業に集中しなくてはならない。

同調で指令を飛ばすことは何とか出来る筈だが

足はその場で釘付けになる」


「……つまり、動けない貴方様を守りながら

あの大きな獣を無力化しなくてはならない

……と言う事ですわよね?

でもそれ、周辺への被害を考えなくてはならない身である

貴方様にとっては無理難題ではありませんの?」


「よく分析してくれて助かる。

だが、それについては問題無い筈だ。

恐らくもうこの一帯での避難は完了している筈だ」


「おかしいですわね……対応が早すぎますわ?」


「……まぁ、この件については後で説明する。

とにかく今はこの建物以外を気にする必要はない」


俺は一度息を整えてから再び話し始めた。


「そしてもう1つ。 この作戦の半分は

ジャスミンのポテンシャルにかかっている」


「!」


「かいぬしさま?!」


驚かせてしまっただろう……だが無理もない。

影間を高速移動できる反則級の移動手段である

シャドーダイヴに加えて

あらゆる対象に対して必ず有効なマイナス効果を付与出来る

蛇鞭 “ビアンコ” の力。

これ程までにヒット&アウェイに特化した

異能と魔具を持ち合わせたサキュバスの力を借りないのは

あまりにも愚かな選択だ。


しかもこの影移動は

ジャスミンが触れているものまで対象になる。

影に潜っている間はあらゆる攻撃が届かず、

物理法則を無視した高速移動が可能である上に

太刀花のアンチアビリティで

厄獣のアンチヒットを無効化しながら鞭を当てられる。


鞭さえ当たれば 気絶や麻痺、拘束などで行動を阻害し放題。

俺みたいに “例外的な力” を持っていたとしても

太刀花のアンチアビリティが効力を持つ以上

なすすべも無い筈。


俺は要点だけ掻い摘んでこれを説明した。


「な、なるほどなのです……?」


太刀花はまるで何も分かっていなさそうだが

もうこれで良い。

問題はジャスミンの方だが……


「……ワタシの鞭が、果たしてあの獣に通じるのか

自信がありませんわ」


「何だそんな事か……それなら問題無いだろ。

“必ず有効” と言うのはジャスミン自身がその力を得た時、

勝手に頭の中に思い浮かんだ文言の筈だ。

これは “福音” と呼ばれるもので

異能と魔具の絶対的なルールなんだよ。

必ず有効とある以上は厄獣が相手でも効く筈だ」


「…………」


「それでも……不安って顔だな」


「そんなの……当たり前ですわ」


「まぁそりゃそうだな」


無理もない……か。

アレは大の大人でも普通にチビるレベルで怖い。

特に顔はやばい。 何だよあれ怖すぎるだろ。

もう少し原型残してくれても良いんじゃ無いのか??


ましてやサキュバスなんていくら強くても

その精神性は子供のまま成熟しなくなるのだから

余程アレらを見て、勝ち続けた経験のある

サキュバスでもない限り怖くて仕方ないのは当たり前だ。


俺はジャスミンの頭に優しく手を置いてゆっくりと撫でた。

さっき渡しておいた同調装置が少し邪魔だが

今はそれどころではない。


「頼む。 5分間だけで良い。

……アレの注意を引きながら逃げ切ってくれ。

残り5分は秘策を使う」


「……秘策ですの?」


「そうだ……出来そうか?」


10分が5分になったからと言って

受け入れるのはやはり簡単ではない。

ジャスミンは深く考え始めた。

相手は国すら滅ぼした前例を幾つも持つ厄獣。

それに対する戦力はサキュバスが2人と

“特殊な力” を持った魔察官が1人。

パワーバランスは考えるまでもなく絶望的だが……


逃げるにしてもあの厄獣が簡単に逃がしてくれるとは

到底思えない。

ならば……真っ向勝負を避けて勝率を上げる手段を取るのは

この場で生き残る最善手と言える。

……何より、この男を失うのはあまりにも痛手だ。


ジャスミンは数秒で決意を固めて見せると

大きく深呼吸をした。


「後でご褒美を要求しますわ」


「あぁ、だが俺に出来る範囲にしてくれよ」


今のやり取りで緊張がほぐれたのか

ジャスミンはクスリと笑った。

……こう言うふとしたタイミングで

子供らしい表情をするのは少しだけズルい。

この笑顔を守る為にも絶対に失敗出来なくなってしまった。


“同調開始!!!”


まだ厄獣は動き出さない……行動するなら今だ。

俺、太刀花、ジャスミンの3名は同調装置を起動した。


(うっ……これは!)


3つの視界が繋がり、複雑に思考が飛び交う。

太刀花1人と同調する時とは

比較にすらならない程の反動が容赦なく襲ってきた。


……泣き言など口にしている場合じゃない。

“改変” しろ……このふざけた反動に適応する身体に!


左手を起点として無数の光が全身を駆け巡った。

反動は幻であったかのようにいともあっさりと消失した。

だが、少し無茶な “改変” をしたからなのか

左手が痺れる。


“各自、作戦行動へ移行!!”


ジャスミンは太刀花の手を掴んだ。

太刀花抵抗する素振りこそ見せなかったが

可愛らしく頬をパンパンに膨らませたまま

影へと沈んで行った。


2人を介して影の世界が見える。

黒々しいが全て明瞭に見える不思議な空間。

地面は天井に変わり、建物は天井から生えている。

白く光る場所以外なら自在に壁歩きやすり抜けが可能で

身体は浮くように軽く感じる。

ジャスミンは太刀花を引っ張りながら

黒の世界には相応しくない巨大な赤い光源を目指して

ほぼ一直線に移動を開始した。


2人の感情が逆流して来る。

決して消えない恐怖に立ち向かう勇気

……これはジャスミンの感情だな。

懐かしい感覚だ……もうこの感情は

俺たち2人の中に無いものだから。


そしてこっちは……嫉妬や忠誠心が

ごちゃごちゃになっているな……太刀花。


大きなため息が出そうになるが、

それはそれとしてここまで忠義を尽くされていると思うと

悪くない気持ちにはなる。

ただ、この膨大な俺への想いで

何か重要な情報を隠しているような気がするのは

何なんだろうな……


手は依然として痺れているが

今用があるのは正しくこの左手だ。

俺は右手で左手の手首を掴んで強引に前方へ突き出した。


「止めないといけない

……彩歌だけはここで暴れさせる訳にはいかない!!」


全身から左手へ光が収束して掌の先で解き放たれる。

解き放たれた光はどの言語にも当てはまらない言語を象り

複雑な模様を描きながら円を成す。


「改変陣……展開!

厄獣 “アヤカ” を解析開始……!

逆行式の構築を確認……公式に変数を入力開始……!

逆行プロセスの最適化を並行進行……!」


特異体質の一言では最早説明の付かない力を行使している。

認めよう……これは異能だ。

本来この世界においてただの人が持てる筈が無い力だ。

誰かに見られているかも知れない

……見つかってはいけない。

左手が熱い……痛い……確実に救えるとは言い切れない。

急に不思議なくらいネガティブな感情が

心の奥底から俺に語りかけてきた。

これはジャスミンのものでも太刀花のものでもない

……そして俺の感情ですらない。


…………放置して良い訳がない。

秘密なんて真白崎にでも隠蔽工作して貰えば良い。

左手が痺れる事なんて珍しくもない。

元々この身体に合わない力を強引に活用しているのだから

その反動が出るのは当然だ。

ましてや、救えるかどうかなんて考える事ですらない。


俺の事を想って忠告しているんだろうが余計なお世話だ。

そもそも10年前のあの日……この役割を負わせたのは誰だ?

分かったら今はまだ俺の中で黙って眠っていてくれ。

きたる日までは大人しく俺に力を預けておけ。


何処からか湧いてきたネガティブな感情は

俺の意思に反応して泡のように消えた。

再度左手から放たれる光は形を変えて

先程作った複雑な模様をした円の前に

同じように複雑な模様をした八芒星を成した。


「逆行式……ロード!!」


俺の言葉を合図に円と八芒星の間を

電気に似た白い光が激しく音を当てて駆け巡る。

ここまでに約1分……ここから真の意味で準備が整うまで

9分かかる。

左手に更なる激痛に襲われるが

俺は大きく息を吸い込んでそれを強引に抑え込んだ。


その時、バキッ……パキッ! と言う何かが折れるような音が

遠くから聞こえた。

その音は一度ではなく連続して鳴り止まなくなっていき

次第にその音に合わせるかのように厄獣が動き始めた。

あれは使われていなかった筋肉が起きた音

……厄獣の産声とでも言うべきものだ。


そして、厄獣から放たれる不快な音が鳴り止んだ直後

凄まじい衝撃と音が身体を押し飛ばそうとしてきた。


「グオォォォオオオオオオオオオオオオ!!!!!」


「ぐっ……!!」


たかが咆哮でこれだ。

周囲の建築物は震え、張り詰めた音がビリビリと肌を伝う。

400mは離れているのに音圧のみで3歩後退させられた。

音に遅れて大量の破砕音が誰もいなくなった廃都市中から

響き渡りそこら中のガラスが

粉微塵に砕けて地面へと降り注いだ。

厄獣近辺の建築物の幾つかは

今の衝撃に耐えきれず崩壊を始め、

更に2、3件の建物は地面へと陥没した。


「アホかよ……馬鹿げてるのは

見た目だけにして欲しかったな」


厄獣は動けるようになると同時に

周囲からエネルギーを無差別に吸い上げ始める。

そうやって成長を続けて更に巨大化していくのだが

最初から30mはありそうな程に巨大な個体は

今まで観測された厄獣の中でも非常に大きい。

厄獣の強さは基本的にデカさと比例する。

彩歌だったものは厄獣基準で見ても強いと言う事だ。


「ジャスミン!!」


アレがまともに動き出せば

避難が間に合っていない区域にまで被害が出かねない。

先手は打てるだけ打っておきたい。


「分かっていますわよ!」


厄獣のうなじ付近からジャスミンと太刀花が

黒い空間の歪みから飛び出してきた。

影の世界から脱出できる地点に制限はないらしい。


「まずは1発なのです!!!」


太刀花は飛び出した勢いを利用して

厄獣のうなじに飛び蹴りを食らわせた。


「うぐぅ?! かっったいのです!!

何なのですかこのバカみたいにかたい毛は?!」


太刀花は思わず右足を両手でおさえた。

しかし厄獣自体は全くダメージを受けている様子はない。


(少しは動くと思ったんだが無反応かよ……

まぁ良いや、目的はダメージを与える事じゃない)


太刀花の異能は大きく分けて2つの性質を持っている。

ひとつは “任意で触れた異能を相殺する力”

そしてもうひとつは

“任意で触れた対象の異能を2秒間封印する力” だ。


太刀花の蹴りはダメージ目的では無く

異能の封印を目的とした攻撃であり、本命はここからだ。

蹴りを放った太刀花と僅かにタイミングをズラして

ジャスミンの鞭が厄獣を捉えた。


「グオォ?!! ……ォ……ガ?!!」


厄獣は鞭の一撃に対して明らかに反応している。

ジャスミンの視点から厄獣の様子はよく見えていた。

微に全身が振動していて

左腕が物凄くゆっくりと動いている。

“麻痺” が効いている。


(よし……麻痺は効いてるが何秒保つか分からない。

すぐに影へ潜って追撃の準備をしてくれ。

麻痺が切れたらもう一度攻撃……これを繰り返す)


(了解ですわ!)


(わかったのです!)


かくして、今日一長い9分間が幕を開けた。

浅葱斑の介入や防衛大臣の首を持ち去った謎のサキュバス、

さっきから周囲200m前後を飛行している

真白崎の監視用ドローンとは明らかに違う妙なドローン……

様々な目的が複雑に交わっている。

今回の厄獣騒ぎは一筋縄ではいかないかも知れないと言う

漠然とした不安の中

俺は右手でスマホを操作して電話をかけた。



-同刻 場所不明-



「これはこれは……素晴らしい厄獣ではありませんか」


巨大モニターとタッチパネルの光のみで照らされる

暗く広い部屋。

巨大モニターには緑色の厄獣が映っており

その光に照らされて少女が嬉しそうに

傍の老人へ語りかける。

少女は腰に届く程の黒髪と紫色の目をしており

毛束のひとつが赤く変色している。

黒いコートにスカート、黒タイツにカーディガン、

そして赤いローファーと言う少し奇抜な格好をしており

赤いフレームの丸メガネをかけている。


老人の方はかなり背が高く

老人とは思えない程に姿勢が整っている。

白髪をオールバックにしてきちんと整えており

髭も手入れが行き届いている。

執事のような様相だが肌身離さずと言った様子で

左手に長い杖を持ち、

右手には黒いシルクハットを持っている。

……姿勢がまるで崩れていないので杖に違和感しか無いが

本人はそのスタイルを好んでいるようだ。


「えぇ……確かに素晴らしい個体です。

しかしお嬢様、アレを持ち出すのはいささか……」


老人は丁寧でありながらも何処か貫禄を感じさせる声で

少女へ返答する。


「そうですね……確かにアレは大き過ぎます。

残念ですがそのまま回収するのは不可能でしょう

……おや?」


品のある老人からお嬢様と呼ばれた少女は

一瞬だけ映り込んだジャスミンと太刀花を見逃さなかった。


「あの黒い薔薇のドレスを着こなしている

可愛らしい御方はどなたか存じませんが

あの帯刀しているサキュバス……見た覚えがありますね」


「登録名簿をお持ちしましょうか?」


「………………いえ、それには及びません。

思い出しました……あのサキュバス

“彼” のグローブですね」


「彼……と、申しますとあの御恩人でございましょうか?」


「えぇ。 間違い無い筈です。

生涯を支払っても返し切れない程の大恩を受けた相手の

パートナーを間違えるなんてあってはなりません。

あのサキュバス、確か名前は太刀花……だった筈ですね。

ふむ……であれば、私共は撤退いたしましょう」


老人は一瞬だけ眉を顰めた。


「よろしいのですか?」


「よろしいも何も彼が対応しているのであれば

問題無いでしょう。

何より、彼から獲物を横取りするような真似は出来ません。

あの素体を逃すのは痛手ですがね……」


少女はまるで痛手とは思っていなさそうな笑顔で

淡々と言葉を並べた。

そしてコートの左ポケットから古びた懐中時計を取り出し、

それを愛おしそうに胸へと寄せた。


「それに、受けた大恩に仇をなすような無礼は

天楽坂てんらくざか に名を連ねる者として失格……

ですよね? シゲユキ」


「仰る通りにございます。 お嬢様」


シゲユキと呼ばれた老人は少し納得いかない表情をしていたが

天楽坂の誇りについて語った少女を見て口を緩めた。

しかし、依然としてその眼光は鋭くモニターの先を見ているのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ