小さな蝶の羽ばたき 1-2
ジャスミンは深呼吸をすると話したく無さそうにしながら
ゆっくりと語り始めた。
そもそもジャスミンはアヤカと共に行動していた訳では
無かったのだと言う。
元々はあるサキュバスから “ある人物” を
指定された場所まで連れて来る依頼を受けていた。
そしてサキュバスは首だけを持ち去ってしまった。
その場で依頼主と別れた少し後にアヤカがこの廃ホテルへと
逃げ込んで来た所でばったりと出会ったのだと言う。
「で、その首を持ち去ったサキュバスってのは何者だ?」
今の話で得られた情報は少ない。
俺は結局ジャスミンと行動を共にしていた依頼主はおろか
首を持ち去られてしまった人物の正体すらはぐらかされた。
「教える事は出来ませんわ。
ワタシ達の仕事は信用第一……それとも、
こんな事でスラスラと依頼人の情報を
話してしまうような軽い舌を信用して頂けるんですの?」
「専属契約になるって話だった筈だ。
言うなれば俺はお前らを一方的に使う側だ。
それでも話せないか?」
「当然ですわ。
……ただ、ワタシ達は貴方様とより良好な関係を
築いておきたいと言うのも事実ですの。
仕方がありません……本来はあり得ない事ですが
依頼人が困らない程度であれば情報の開示をしますわ」
ジャスミンは非常に冷静だった。
守秘義務をきちんと果たしながら
俺に誠意を見せようとしている。
「容姿や名前など本人を特定する内容は
話せないと言う事か。
……なら、何を教えてくれるんだ?」
「そうですわね……まずは、ワタシに依頼してきた人物が
所属している組織。
そして、専属契約のお約束をして頂けた場合は
死体についての詳細な情報をお渡ししますわ」
「…………やってくれたな」
「これは少しでもワタシの有用性を知ってもらう為の
プレゼンも兼ねていますの。
手を抜いた交渉をするつもりはありませんわ」
俺はここでようやく気付いた。
ジャスミンには死体を片付けるだけの猶予があった筈だ。
特に今、アヤカと行動しているとなれば
俺のような者が死体を発見するのも時間の問題になる。
だが、ここに来るのが俺だと分かっていたのだとすれば
わざと死体を片付けずに有利な交渉カードを得られる
可能性が増える。
俺は魔察官と言う立場からこの一件を見逃す事が出来ない。
情報は喉から手が出る程欲しいものだった。
未登録のサキュバスを国に報告せず
あまつさえ使うと言うのは褒められた事では無いし、
バレた時の代償を考えれば
専属契約とやらは蹴った方が良い。
……しかし、ジャスミンの方が俺より1枚上手だった。
「全く……全部話すって言った癖にとんだ食わせ者だよ」
「何をどこまで全て話すかは指定していませんわ。
ワタシはただ、話せる範囲であれば全て話すと言う意味で
あの発言をしただけですわ。
それに貴方様は “首の無い死体について”
アレは何かと質問されましたので
その全てを答えると確約したまでの事ですわ」
もう考えるまでも無さそうだ。
様々なメリットを抜きにしてもまず
このジャスミンと言うサキュバスは
放置しておくにはかなり危ない。
非常に優秀であると言わざるを得ない……それだけに
敵対するのはあまり頭の良い選択じゃ無い。
少なくとも俺では多分コイツを捕らえられ無い。
……しかし手綱は必要だ。
なら……もう俺が選べる道は1つだ。
この力、戦力にさせて貰う。
「俺の負けだ……契約でも何でもしてやる。
その代わり、2つ条件をのんでもらう」
「聞きますわ」
ジャスミンは少し安心したかのように頬を緩めたが
付け入る隙自体はまるで見当たらない。
「まずひとつ、太刀花には話を通させてもらう。
……どうせ “これ” を通して太刀花にはバレてしまうからな」
俺はジャスミンに見せるように頭を指差す。
正確には同調装置を指差したのだが
意図は正しく伝わったようだ。
「……あの子にそれを理解できる頭があるのか不安ですわ。
ポロっと言ってしまう可能性も考えるべきですの」
「それについては問題ない。
同調装置で共有される情報は基本的に俺依存のものだ。
同調している間は完全な理解を示す事が出来ると思うが
そうで無い時は俺から同調共有された情報を
上手く理解出来ない。
ややこしいが、状況を理解させて同意させた上で
理解のみを付け外しする事ができる。
普段の太刀花から俺の秘密が漏れる心配は無い」
「……何だか随分と都合の良い関係ですわね」
「この一点だけは太刀花には申し訳ないが
バカでいてくれて助かっている」
……まぁ太刀花の場合、俺が太刀花に馬鹿でいてもらう事を求めているのが分かってて
望んで馬鹿なまま居続けいるような気がするんだが。
太刀花は単なる馬鹿じゃない。
気付きや直感にかけては俺を遥かに上回る。
そうやって感覚的に捉えた物事から
非常に鋭く事実を炙り出す事がある。
“バカでいてくれて” 助かっていると言うのはこう言う事だ。
「まぁ良いですわ。
どの道バレてしまうのなら仕方がありませんもの。
……それで、2つ目は何ですの?」
ジャスミンは半ば諦めるような表情で
ひとつ目の条件を受け入れると
もうひとつの条件について聞いてきた。
「もうひとつは条件と言うより念押しに近い。
検索の異能持ちがいるなら分かっているだろうけど、
俺を含めて “蜜の血には絶対に触るな” 」
「……どう言う意味ですの?」
ジャスミンは首を傾げた。
……何か妙な反応だ。
「まさか……知らないのか?」
「何をですの?」
再度ジャスミンは首を反対方向へと傾げる。
……どう言う事だ?
「検索の異能で俺の事は調べたんじゃ無いのか?」
「調べましたわ。
……ただし、検索の異能は万能ではありませんの。
幾つか制限があるんですの」
「制限?」
「まず、検索対象の情報をアンロックするには
幾つかの条件を達成する必要がありますわ。
達成した条件が多い程検索で得られる情報は
多くなりますの」
「……なるほど。
無差別に情報を取得できる類では無いのか」
「その通りですわ。
そして検索で調べる事ができる事柄は1回につき1つだけ。
2つ以上の物事を同時に調べる事が出来ませんの。
その上、検索情報において関連する単語などの意味が
分からない場合
検索対象を変えてその単語についての検索をする
必要がありますわ」
「……つまり、 “蜜” について
全てを知っている訳では無いのか?」
「先程から何を……?
まさか、蜜にはまだ政府が知らない秘密でも
眠っているんですの?」
蜜と言う体質は非常に稀有なものでありながら
現代においては教科書に載る程有名なものだ。
それこそ今生きている中で蜜は世界中を探しても
両手の指で数える程しかいないだろう。
だからこそ俺はこの話で確信した。
ジャスミンはまだ “アレ” を知らない。
「良いか、いずれ知るだろうからもう話してしまうが……」
「っ?! これは……少しまずいですわね。
交渉は一度中断しますわ」
「は?」
ジャスミンが急に顔色を変えた少し後閉じている扉の奥から
複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
この感じ……太刀花がアヤカを捕まえて合流しようとしてる
と言う訳では無さそうだ。
足音が扉の前まで接近してくる。
物々しいソレから察するに10……いやそれ以上はいそうか?
足音がピタリと止まり束の間の静寂が流れた。
……その直後、鍵のかかったドアが押し破られて
盾を構えた武装集団が突入してきた。
(この重武装……普通の武装警察とは違う。 ……何だ?)
全身を鋼鉄のパワースーツで固めた
黒と白を基調とした色合いの重装備。
かなり強そうに見えるが一般的な犯罪者を取り締まるには
あまりにもオーバースペックだろう。
「こちら突入部隊。
拘束された男性一名を発見しました」
真っ先に突入してきた1人が俺に気付くと
何処かへと連絡を取り始めた。
『対象は?』
「……ここには、男性1人しかいないようですが」
(今の声……おいおいまさか?!)
突入してきたパワースーツの男が連絡を取る相手の声に
嫌と言う程聞き覚えがあった。
その瞬間、このパワースーツに身を包んだ連中の正体に
心当たりが芽生える。
コツコツとわざとらしい靴音を立てながら
ゆっくりと女が1人部屋へ入ってきた。
パワースーツと連絡してた奴だ。
周りの武装集団は部屋な内部を囲うように陣取ると
俺を見張るように警戒の視線を向けてきた。
そして、女の顔を目視して確信した。
「何でお前がここに来るんだ」
「あら? あらあら?
男性が捕まっていると聞いたから
状況を聞こうと思っていたけどアラタじゃないの?」
黒いスーツに黒い手袋。
肩にかからないくらい短い髪はある事件をきっかけに
燃えるような赤に変色しており
頭頂部は白く毛先は黒くグラデーションがかかっている。
その髪はまるで手入れがされておらず寝癖をそのままにした
くしゃくしゃなものであり、
彼女の内面を映すような散らかり方をしていた。
顔以外において肌の露出を最大まで避けたかのような装いは
彼女の過去を閉ざすようであり、
不意に手袋と袖の隙間から覗く肌は
痛々しくも爛れた痕を残していた。
名前からして全く可愛げの無い同級生
真白崎 不屈 (ましろざき ふくつ) その人だった。
真白崎は魔察署36支部に身を置く魔察官であり
国防における五大名家のひとつ 真白崎家の次期当主である。
……この物々しい集団は恐らく真白崎家のものだろう。
俺はコイツとはとにかく反りが合わない。
高校生魔察官になるべく特殊授業を選択した先で出会い
以降顔を合わせては喧嘩している。
コイツは金に物を言わせて行動する癖に実力が伴っている。
一介の庶民である俺を度々見下して来ては
無理矢理張り合わせようと煽ってくる。
当たり前だが、俺はこの女が大嫌いだ。
「下の名前で呼び捨てするなって何度言えば分かるんだ?
あと俺の質問にさっさと答えて消えろ」
「はぁ……相変わらずアラタは私の事、
名前はおろか苗字ですら呼んでくれないのね?
もう1年の付き合いになるのにこの平民ときたら
いつになったら身の程を知ってくれるのかしら?」
「何が平民だ浪費家。
貴族にでもなったつもりか? 時代錯誤も大概にしろ」
自然と舌打ちが漏れる。
「…………それで、この状況は何?」
真白崎は埒が明かないと考えたのか話を戻した。
「まずお前から答えろ。 …………何しにここへ来た?
ここは36支部の管轄じゃ無いだろ?」
「はぁ……簡単な話よ。
今回の案件は37支部……いいえ、アラタの手から
真白崎家の管轄に変わったのよ」
「何だと……?」
36支部の管轄に変わったと言うなら
違和感はあれどまだ分かる。
……真白崎が何でこの一件に関わって来るんだ?
「まぁ良いわ……本来なら部外者に
話しちゃいけないんだけどアラタは特別。
条件を呑めば話してあげても良いわ」
「……条件?」
「厄介な案件よ……本当に癪だけど適任は私じゃない」
「……その案件とやらを俺に受けろと?」
「とても稼ぎの良いバイトを回してあげるんだから
感謝して欲しいわね」
「受けなかった場合はどうなる?」
「アラタにとって都合の悪い結果に収まるだけよ」
「ったく……気に食わねえ」
これは脅しだ。
コイツは俺の秘密を知っている。
真白崎の情報収集能力であれば
アヤカの能力も特定している可能性がある。
“個人的に” 俺がこの案件を奪われては困ることを
コイツは知っている。
要は “アヤカは譲ってやるし情報もくれてやるから
私の手足となって働け” って訳だ。
「“血” はいつもの所に送っといたが
それで手打ちにならねぇか?」
「なる訳ないでしょ?
こっちは真白崎の仕事を秘密裏に譲るって言ってるのよ?
これ、通常ではあり得ない事なのよ?」
真白崎は余裕のある笑みを一切崩さず
冷静に言葉を並べ続ける。
これだ……俺がコイツを1番嫌っている所
“人を見下して見るかのような微笑み”
ガサツな癖に抜け目が無いコイツは俺にとって天敵だ。
「はぁ……分かった。
どうせ道はひとつしか無いんだろ? さっさと話せ」
「本当に無愛想ね……少しは可愛げを見せてくれても
良いとは思わないの?」
「お前に向ける愛想なんてあるか。
こっちはお前に骨の髄まで情報を握られてるんだぞ?」
俺の秘密を知る人間は指を折る程しかいない。
だからこそコイツに握られているこの状況は
命を握られているにも等しい。
特にこの秘密は……正直外部に漏れるとまずい。
真白崎は可愛げを見せろなどと言いつつも
満足そうな表情で事の顛末を語り始めた。
「今から数時間前、佐々木防衛大臣が
突然行方不明になったのよ。 痕跡すら残さずね」
「何だと?!」
防衛大臣は国防に関わる最重要人物の1人だ。
それが行方不明になると言う事が何を意味しているのか
分からないようなバカはこの場にいなかった。
「そして……私の “鷹目” が防衛大臣が愛用していた
万年筆を消費してその所在を明らかにしたの。
……そうしたらここに辿り着いて、しかも
首から上が無い状態の防衛大臣を発見したと
パパに情報が伝わったのよ」
「馬鹿な……じゃああの死体は」
「鷹目の異能に間違いはあり得ないわ」
鷹目はこの女が保有するグローブの “1人” だ。
その能力は探索に長けており
探索対象に縁深いものを “消費” する事で
永続的に位置情報を取得する事が可能になる
異能を持っている。
あらゆる偽装などは通用せず
世界の果てまで追跡するその能力からは逃れる術はない。
「成程……今回の一件は防衛大臣殺しに
関わっている可能性がある。
秘密裏に処理したい案件である以上魔察官よりも
真白崎家を使った方が良いと国が判断したのか……」
「そう言う事よ」
「全く……とんでもない事に巻き込まれたなこれは……
冗談じゃねぇぞ……」
「さてと……用は済んだので私はもう帰るわ
一刻も早く消えないと短期な貧民から
怒りを買ってしまうのよ」
真白崎が簡単なハンドサインをすると
部屋を囲うように陣取っていた集団が
呆気なく引き上げ始めた。
真白崎は嫌味を言い残してその場を立ち去ろうとする。
黒い手袋をもう片方の手で引っ張るような仕草をしながら
癪に障る程に余裕のある立ち振る舞いを崩しもせず
横目で椅子に縛られた俺を見て鼻で笑って見せて来た。
「おい待て、これ解いていけよ」
「……そんな事する必要ないわ。
アラタ程の実力者がその程度の拘束を
何とか出来ない筈が無いもの」
「…………ちっ」
「それにしても……本当に惨めね」
真白崎はそう言うと楽しそうにしながらスマホを構える。
俺が止める隙も無い程の早技で真白崎の手元から
シャッター音が鳴り響いた。
「おい…………」
「良い写真が撮れたわ。
しばらく待ち受けにするわね。
後日報告書を受け取りに来る時に依頼の話もするわ。
それでは、さようなら」
「おい待て!!! その写真消しやがれ!!!! おい!!」
真白崎は鼻歌を歌いながら去って行った。
それはもう……楽しそうに。
「はぁ……もう出て来て良いぞ。
ジャスミン」
真白崎たちの気配が完全に消えた事を確認して
俺は自分の影に話しかけた。
すると、影の中からゆっくりとジャスミンが顔を出した。
「何なんですのあれは……」
「厄介な奴だ。 見つかったらタダじゃ済まん。
しかし咄嗟に隠れてくれて助かった。
……滅茶苦茶驚いたけどな。
その異能で防衛大臣を攫ったんだな?」
「えぇ、察しの通りワタシの異能は陰に潜み
影を渡るもの…… “シャドーダイヴ” ですわ」
「影の中を移動する能力に加えて
様々な効果を持つ蛇の鞭か
……想像以上にタチが悪い組み合わせだな。
捕まらないどころか全く情報が無いサキュバスだってのも
納得がいく」
影の中にいる間ジャスミンは完全に気配を消す事が出来る。
その上で触れた相手に対して必ず有効な拘束、毒、気絶、
感覚増幅などを自由に選択して強いる事ができる。
中には対象によって回数制限がある効果も
少なくは無いらしいが
“必ず有効” と言うところが本当にヤバい。
そしてジャスミンのシャドーダイヴは
影の中であれば高速で移動できる上に
影と影の間隔が直線距離で
5m以内にあれば飛び移れるらしい。
実は俺は真白崎が突入して来るより少し前に
ジャスミンから異能と魔具の説明を簡単に受けた。
これはその情報から得られた推測だが
恐らく太刀花は意識外からこの鞭による攻撃を
受けたのだろう。
そして建物などの影を利用して高速移動をして
俺の背後へと回った。
アヤカの異能は現状では不明だが
別の情報源から新たに得た情報から推測して
大体候補は絞れた。
「こちらもひとつ聞きたい事がありますわ」
「……何だ?」
「先程、あの強そうな方は “貴方様程の実力者が
その程度の拘束を何とか出来ない筈が無い”
とおっしゃいました。
あれはどう言う意味ですの?」
俺は今ジャスミンの魔具から “有効な拘束” を受けている。
まず普通の人間ならこれを抜け出せないだろう……
そう、 “普通の人間” なら 。
俺は特に苦労する訳でも無く、力技と言う風でも無く
いとも容易く拘束を破って立ち上がって見せた。
「ま、こう言うこった」
「っ?! 馬鹿な……一体どうやって」
「有効な拘束を無効にした……それだけだ」
「………………貴方様は、一体何者ですの?」
俺は少し黙った。
覚悟が必要だからだ……俺の秘密を話した時点で
相手は共犯者になる。
俺はこう見えてメンタルが強い方じゃない。
……相手を共犯にする覚悟が必要だ。
やれやれ……今度は俺が話す番か。
俺はようやく覚悟を決めて話し始めた。
もう引き返せない……これを話すからには
俺は……いや、ジャスミン達は俺と組むしか無い。
時は少し経過する。
太刀花はアヤカの捜索を続けていたが
アヤカの方が逃げ足が早いせいで苦戦していた。
オマケに俺の補助も無かったせいで
再び同調装置を繋ぎ直した時には
ゼェゼェとやかましい息遣いでふらふらと歩いていた。
『お前……もう千鳥足じゃねぇか』
『かいぬしさまが装置を切るからです!!
タチバナは頑張っているのです!!
褒めて褒めて褒め殺して欲しいのです!!!』
『はぁ……まぁ良い。
この任務が終わったら幾らでも褒めてやる』
太刀花の体験が逆流してくる。
成程……愚直に追い回していてはキリが無いなこれは。
俺は自身の考えや作戦を太刀花へと伝達していく。
こちらの状況は既に把握している筈だ。
……お陰で逆流する太刀花の思念に
ジャスミンへの嫉妬などが断片的に混じって来る。
作戦を脳内で受け取った太刀花は不満を訴えながら
行動を開始した。
勿論作戦への不満ではない……ジャスミンの事だ。
『タチバナは納得できないのです!
どうしてタチバナ以外のサキュバスに
生命力を与えたんです?!』
確かに俺はジャスミンに生命力を与えた。
ジャスミンの仲間には特殊な薬品を生み出す魔具を持った
サキュバスがいるらしく、
その魔具によって生み出した
“蜜の生命力に対して依存しにくくなる薬”
を試す必要があった。
そして、本来グローブと組む時には最初に魔察官が生命力を
与えてやる儀式のようなものがある。
形式的にそれを真似て契約の印とした訳だが……
ここでひとつ問題が生じた。
サキュバスは個体ごとに生命力の吸い方が異なる。
対象の身体に甘噛みをするようにして
ちゅーちゅーと吸い上げる所までは変わらないのだが
問題なのは “サキュバス毎に生命力を吸い取る為に
口を付けないといけない場所が決まっている” 点だ。
しかも大体のサキュバスは吸う時の体勢まで決まっている。
太刀花は背後から抱きつかれるような体勢になって
右腕から生命力を吸う。
しかしジャスミンのソレは……正面から抱きついて
左首筋から吸うと言うものだった。
言いたくは無いがぶっちゃけてしまうと
サキュバスにとって必要不可欠なこの行為、
……実は結構えっちだ。
吸われている感覚は気持ち良いし、
吸われた場所は唾やら涎やらでベタベタになる。
これに性癖を壊されて引退していく者も多い。
明確な理由は存在するが、
小児性愛者は魔察官になれない。
太刀花の時には感じる事が無かった
ジャスミンの息遣いが耳に残る。
多感な思春期にこれを耐えろと言うのだから
仕事とは残酷なものだ。
太刀花にはそんな俺の焦りや動揺が
ダイレクトに伝わった訳だ。
同調装置を使って尚明かされない謎の理由により
俺を本気で好いてくれている太刀花にとって
面白くないものだった事は間違いない。
太刀花は目的の場所まで頬をぷくーっと膨らませながら
歩いて向かった。
今アヤカはある部屋に身を潜めているが
正攻法でやっても太刀花では取り逃すだろう……
だから少し絡め手を使う事にした。
俺はジャスミンを自身の影に待機させたまま移動している。
今回の作戦において重要なのは俺たちの連携だ。
太刀花は膨れっ面になりながらも
俺の指示通り動いてくれている。
あとは俺次第だ。
「402号室……ここだ」
大丈夫……俺の推測が正しければ
アヤカ自体に攻撃力のある異能は無い。
問題は魔具と身体能力だが、そもそも気が弱い彼女が
不意打ちしてくるとは考えにくい。
俺はゆっくりと扉を開ける。
どこに隠れているのかアヤカの姿は無い。
しかし、確かに気配はある……ここにいる。
「古賀 彩歌 ちゃんだよね……?
まずはいきなり追い回して来た大人に代わって
俺から謝罪したい。
怖い思いをさせてしまって、本当にごめん」
誰もいないように見える部屋の中で俺は言葉を繋げていく。
「君は今、非常に危険な状態にある。
ジャスミンから全て聞かせてもらった……
彩歌ちゃん、もう4日間誰の生命力も吸ってないよね?」
サキュバスが5日以上生命力を補給出来なければ
どうなるのかは小学一年生で教えられる程に
一般常識化した知識だ。
国家には “最悪” を防ぐ義務がある。
しかし返事は無い。
……まぁ無理も無いだろう。
内気であまり喋らない子は少なくない。
特に今は色んな大人から浴びた事も無い視線を向けられて、
追い回されて……混乱している筈だ。
同じような状況に陥ればきっと大人だって怖い……
それを4日前までは普通の女の子だった子供が
嫌と言う程に体感している。
寂しくて辛い筈だ……食べるものも無くて
お腹は空いているのに
ただ苦しいだけで気絶も出来ない。
ものを食べる事が出来ないのに餓死するどころか
気絶すら出来ない苦しみは分かっているつもりだ…………
「君は賢い子だから分かっている筈だよ。
このままだと確実に君は……だから、そうなる前に
助けさせてくれないか?
俺個人に君を捕まえるだけの力は無い。
……安心して欲しいと言える立場では無い事も
分かっているつもりだ。
……だから、今からする事は魔察官では無く
俺個人としての考えに基づいた事だ」
全ての仕掛けを終えた太刀花は急いでホテルから離脱した。
その直後、下の階から轟音と振動が響いた。
ジャスミンに仕掛けさせた時限爆弾が爆発した衝撃だ。
「あわわわわ?!」
アヤカはとうとうガタンッ!と言う音と共に
驚きを声に出した。
部屋の端にあるロッカーの中にいるらしい。
場所が特定出来たのは良いがもうあまり意味は無い。
これから起きる物事がその全てを
無意味にしてしまうからだ。
何故太刀花を避難させたのか……その理由は単純だ。
太刀花にはこの402号室を固定している全ての柱を
真っ二つに斬らせた。
壁の外側にも小威力の爆弾を何十箇所かに設置した。
爆弾は全てジャスミンのものだ。
……後で無茶な請求をされなければ良いんだが。
下の階から爆発が昇るように伝播して来る。
その間に予め斬っておいた柱が横にズレていき
402号室そのものが大きくバランスを崩していく。
そして、小威力の爆弾が同時に起爆すると
402号室は完全に崩壊した。
床が抜けて瓦礫と共に自由落下を開始する。
どこを見ても瓦礫、瓦礫、瓦礫……そんな滅茶苦茶な空間で
俺の手を小さな手が掴み取った。
大量の質量と共に一階まで落ちた俺は……無傷だった。
頭上からは大量の瓦礫が落ちて来たと言うのに
まるでその全てが俺を避けて通るかのように
新たな密室を構築していた。
隙間から漏れる僅かな光が十分な光源となっているおかげで
視界は辛うじて確保出来ている。
俺が落ちた地面もまた俺を避けるかのように
歪んでいて触れていない。
一階の床へ激突する直前で俺の身体は
急激に落下速度を減速させていった。
物理法則に反した浮遊は長く続く訳でも無く
ゆっくりと俺を地面に下ろした。
(地面の形が元に戻った……つまりこれは
物質への干渉では無く
空間そのものへの干渉……俺の読みは当たっていたらしい)
俺の手を握った人物はジャスミンでは無かった。
その人物は先程までロッカーに隠れていたが
勇気を振り絞って俺を助けてくれたのだ。
「君なら助けてくれるって信じてたよ」
俺を救ったのは彩歌だ。
「…………ど、どうしてこんな無茶、したんですか?!」
彩歌は手を離すと少しだけ距離を取った。
無茶な作戦だったからか
流石に警戒までは解けなかったらしい……
「俺はしっかり準備してから仕事をする派だ」
「……い、いきなり、何ですか?」
「まぁ黙って聞け……子供にはまだ馴染みの無い話だが
仕事には幾つか求められるものがある。
ここでは要素を絞って
早さ、正確さ、そして信頼の3つで話をするぞ。
信頼ってのは完全に他者からの評価でしか無いから
行動に合わせて自動的に変化する。
しかし……早さと正確さは違う」
「は……はぁ」
彩歌は少しピンと来ない表情のまま遠くから
俺の声に耳を傾けている。
会話は成立するようになったようで安心した。
「早く仕事を片付けられる人間は
より多くの仕事に貢献する力がある。
正確に仕事を片付けられる人間は
ミスを少なく安定した仕事をする。
しかし残念ながらこの2つを共存させる事は非常に難しい」
「…………」
「それで、俺は正確さを優先する事にした。
多くの仕事を片付けるのは俺には荷が重いし
早さを出すには経験が足りないからな。
正確な仕事には情報収集が必須だ。
君も今回の一件で情報の重要性は
ジャスミンから教わったんじゃないか?」
「…………こ、この滅茶苦茶な状態も、情報の力ですか?」
「そうだ」
俺は断言した。
この作戦はアヤカの性格を分析した上で立てたものだ。
ただし、この作戦を成功させる為にはアヤカの異能が
何なのかを推測出来ていなくてはならなかった。
しかしその問題はある程度解決していた。
アヤカはこの建物へと逃げ込む前に
警官隊から銃撃を受けている。
だが、アヤカはその時弾丸を避けるような様子すら見せずに逃亡のみを繰り返した。
弾痕はあらぬ方向に残っており、
アヤカに命中したものは無かった。
その直後に非番で偶々近くまで来ていた
25支部の魔察官とグローブが応戦したらしいが
全く手に負えなかったらしい。
その時にあがった報告には
“攻撃が対象を避けるように曲がった”
と記載があり、異能無効化能力を持つ
太刀花と俺が本件へとあたる事になった。
その記載を見た時、俺は心の底から喜びに打ち震えた。
アヤカの異能には心当たりがあった。
もしかしたらアヤカは俺が探している異能のひとつを
持っているかもしれない。
「君の異能は……完全命中阻害能力 “アンチヒット” だろ?」
俺は話の流れで遂に核心に迫る質問をした。
サキュバスは自分の異能を自覚している。
……その異能の名前まで含めて。
アンチヒットは全ての異能において最強格のひとつ
“完全否定型異能” のひとつであり、
その存在が今まで確認された事は無かった。
自身に降りかかる猛威の全てが当たらず
あらゆる攻撃手段を無効化する。
対抗可能な異能は太刀花のアンチアビリティしか無い。
俺にとって、とても重要な異能のひとつだ。
俺は息を呑んで彩歌の返答を待った。
「ど、どどどどうしてわたしの異能を知ってるんですか?!」
俺がこの時どんな表情をしていたのかは分からないが
この暗がりでお互いの表情が見えない程距離を取って
会話している事を心の底から感謝した。
きっと俺は今、あまり人に見せたくない顔をしている。
…………ようやく見つけた。