002
002
ちゅんちゅんと小鳥が鳴いている。朝になった。
状態を起こして周囲を確認する。
どうやら樹上の洞にある妖精の住処という設定の、ドールハウス内部のカメラ映像みたいだ。ファンシーな木造の家具などがチマチマと配置されている。
いや、そうか。
俺は転生したんだったな。
マリーは机に木の皿を並べている。
木の実とチーズが乘っている。
妖精も食事するんだな。
「イラ、ごはんできてるよ」
マリーはにっこりと笑った。
「ああ、ありがとう」
まぁ食えないこともないけど見たまんまの味だな。食にうるさい場所出身としては今後食の改善もしたい。
マリーに分かること全てを聞く。
この辺の地形、どんな生物が住んでいるか。魔法かそれに近い物はあるのか。
妖精はこの世の成り立ちだとかは深く考えない様で、知りたいことはあまり聞けなかったが、それでも多くのことを聞けた。
関連性なく思うまま羅列されたので、都度必要な時に思い出しつつ考えるとしよう。
この世界には魔法がある。
まぁ妖精が居るくらいだからあってもおかしくはない。
ただ、魔法は普通ではない。
そりゃ魔なる法というくらいだから普通ではないのだが、よくあるゲームみたいにMPを支払って呪文詠唱すると火の玉が対象に飛んでいくとかではないらしい。
戦火に見舞われた村で、両親を殺され、凌辱されてる娘が世の不条理を呪いながら全て燃えてしまえば良いと願うと、村全体が火に包まれて全て燃え尽きる、という様な物が魔法であるらしい。大きな魔法の根底に大きな感情が必要という事だ。
魔女が触媒と呪文でうんたらかんたらと長い準備をして魔除けをしたり、呪いを掛けたり、猫と意思疎通したりとか、現代日本で言うと爪切りとかの小物みたいな魔法は人間も良く使うらしい。
長い記録の蓄積によって人間は魔法技術としてある程度体系化した様だ。
試行錯誤の結果、経験的にある程度の法則性が分かり、それを人為的に扱える技術としたのだろう。
妖精は非常に効率よく魔力を魔法に変換する様である。
人が生活していくうえで垂れ流す感情が、使用されずにそのまま拡散して雲散霧消するのがもったいない。妖精が人間に常に思う事だという。
逆に、妖精は魔力の生成規模が人間に比べて相当小さい。
妖精からすると、人はなんであんなに悲しんだり苦しんだりして生きていられるのか分からないし、怖いという事だ。
得意分野が分かれていれば分業と相互輸出は当然の流れである。
人間から魔力を幾らか分けて貰い、人間のことを魔法で助けてあげるというのが妖精と人間の相互補助の関係となって認識されてきている。共栄の関係だな。
俺はいったい何ができるのだろう。自分の名前をイラと決めたように、やはり根幹には世界への怒りがある。
ただ、努力することには疲れた。
いや、違うな。努力はもう諦めたんだ。優遇されてる奴らが世の栄華を独占して、その搾り滓しか手に入らなかったから。
だから、まぁ望みといえば古来の王の力だろうか。血筋で王座に座ってるだけで全てを手に入れたい。
でも人を、もっと言えば精神活動をする存在は使役したくない。それは俺の自己否定につながる。
「たとえば、機械的な下僕を意のままに操るとか」
窓際に置いてある木偶人形を見る。
こういうやつが、感情なく俺の意図通りに動けば良いんだが。
そう考えていると、木偶人形もといパペットの胴の、丁度胸にあたる部分に窪みみたいな凹みがあるのが分かる。実際の物理的な状態ではない。
視界は色と明暗、人の場合は色が三つ、明暗一つの4つの情報、まぁパラメータを座標に乗せて認識している。
有名な所で、蛇は温度を、蝙蝠は音をこの視界パラメータに追加してる訳だな。
そういう感じで俺には窪みとでっぱりが物に重なって分かる。転生お馴染みの魔力だろうか。
視界という画面で、でっぱりをドラッグして窪みに持ってくるイメージをすると、実際にでっぱりが、すーっと移動して窪みに嵌った。
すると、パペットの黒い木の実などで模造された目がこちらを向いた。
命令のパスが通った様な気がする。これが俺の能力なんだろうか。
自分は全てを諦めているのに、世界に干渉していいのか、そういう疑念が残る。
諦めて生きる事に慣れた人間は何事も一歩離れる癖が付いてしまっている。一言で言うと負け犬根性だ。
例えばクラスの美少女に話しかけるとか、評価の付く運動や勉強などで一位を目指す事をしなくなる。
見目麗しい雌犬や、離れた所にある美味しい肉などがある無人島みたいな場所があったとして、雄の犬を20頭入れたケージを設置し扉を開けたとする。全ての犬が雌と餌に走っていくだろう。生存本能に従うからだ。
だが、雌と交尾する犬や、餌の大部分を食べる犬は雄犬の集団で一番体格の大きく強い犬になるだろう。犬には序列がある。
頭の良い犬、余程群れの序列が固定したのであれば、どうせ手に入らないからとチンタラと走る犬が居るかもしれない。ほかの餌を探すかもしれない。これが負け犬だ。
クラスのヒエラルキー、スポーツの実力に例えてもいいかもしれない。一番の美少女を狙わずに、女なら誰でもいいやと人気無さそうな子を狙うとか、スポーツや勉強も程々の所を狙うだろう。
学生時代は非常に価値がある。
ちょっと勇気を出して話しかければ恋仲になれるかもしれない地味な女子、少し努力すればクリアできる進学、就職ボーダーは、大人になって、おっさんになってから取り戻すのに非常に労力が要る。
生きる方向性を向いているならまだいい。
人間では競うこともしなくなる。
生命には一番になれないなら二番に、相手に勝てないなら戦わないという選択をする所がある。
どうせ無駄になる努力はしたくない。最近よく増えた努力をしない若者である。
歴史は勝者が作る。
社会のルールは勝ち組が作る。
勝ち組は負け組が努力しつつ負け組になるのが見たい。
少子高齢化なので子供は作ってほしいが美少女と付き合いやすい環境は作らないし、労働条件とは、決める人間の労働条件の半分の半分以下の劣悪な環境の更に下の規定である。下民の労働下限、そんなもんどうでもいい。もっと苦しむところを見せろということだ。
法の策定に関して、例えば誰でも採用してくれる派遣雇用やハローワークがどういう物か実際にやってみた議員や官僚は居ない。調査の為と言えば議員の身分を保存しながら体験できるだろう。でもそういう事はしない。
俺は美少女と付き合って嫁にしたし、金で若い子とも遊ぶ。仕事は碌な事しないでも金が入ってくる。負け犬が頑張ってゴミみたいな報酬で働いて売れ残りのババアと結婚してるの見たいんだ。という事だ。
それが行き過ぎてじゃあやめるわとなったのが今の日本だな。
毎年多くの若者が自殺し、子供は全然生まれない。賃金の格差が広がり、ワーキングプアか、生活保障を受けるか死ぬか、犯罪に走るかとなる。もはや崩壊秒読み。
そりゃそうなるとしか言いようがない。日本の制度と教育の賜物だ。
ダメだな。使役というのは気に入らない。
何かをやる気が起きない。
やはりどうでもいいんだ。
少しの努力もしたくない。
前の人生の清算もされてないしな。
異世界転生。
手違いで殺してごめん。新しい人生どうぞ。
ではなく、本当はクソみたいな地球での人生ごめん。である。
まぁそう言ってしまうと角が立つので手違いで殺してごめん。その清算で異世界転生となるのがサブカルとしてマイルドな表現にされた設定だ。
皆が欲している物、真実は不遇な人生の清算だ。だから、謝罪と言うならその清算をしなければ筋が通らない。
異世界転生には後払いと前払いがある。
宗教と教徒。古来のサブカルとオタクである。
聖書。古来のなろう小説である。
どうかな。
よく考えると共通部分と違う部分がある。それぞれ特徴があって考察すると面白い。
ともかくだ。
遊園地にあるコインを入れると動く乗り物あるだろう。
俺は一度、コインなしで動いた。自分から動いて楽しいと思えたなら無料で動いた。その場合は次も一回はまず無料で動いてみてもいいと思えたのかもな。
だが俺はそうではなかった。
金も貰ってないのに最悪の環境の中で動いた。だからもう動かない。まず地球で動いた分の清算をしろ。話はそれからだ。
俺は椅子に座りなおした。
「はぁ」
頬杖を付いて今後の事を考える。この世界を俺の意のままにできたとしても、俺が壊したいのは日本なんだよな。
ふと影が差す。見上げると、先ほどのパペットが立っていた。
なるほど指図せずとも自動で動けば、めんどくささは無いな。
ただどうなんだろうなこれは。
上位者の意を汲んで勝手に動く部下みたいな物で非常に黒い関係っぽくて嫌だ。
パペットはその場に座った。
どういう理屈で動いてるのか分らんな。うーん。
癖で考え事の時はコーヒーが欲しくなって視線を巡らした。
いつの間にかパペットが湯気が立つコップを俺の眼の前に置いた。
確かに、ここまで俺の意図に沿うのであれば、まぁ。ただ俺を殺してはくれないのか。
「ちっ、デクめ」
飲み物を飲んでみると一度飲んだことのあるタンポポ珈琲の味だった。
木漏れ日に、風がそよぐ音がする。
まったり妖精スローライフなら生きても良いかな。
この世界の人間社会を俺の意のままにすることを二次目標にしよう。それに向けて何か努力をする気はしないけど。
「マリー、俺は何もする気はない。何か期待しているなら悪いが」
「ううん、イラは居てくれるだけで、わたしは嬉しいよ」
マリーが抱きついてくる。
マリーがこうなのか、妖精がこうなのか良くわからない。
あるいは俺にだけなのか。
マリーのあの調子だと、他の妖精と沢山気持ちいい事してそうだ。
まぁ言ってしまえばビッチかもしれない。
マリーの眼がキラーンと光った。
「イラだけだよ。私が好きなのは」
「…そうか」
確かに、この洞察はビッチにはできなさそうだ。
じゃあ俺だけか。
どうしてなのか理由が分らんけどね。
パペットがマリーに蜂蜜入りの紅茶を出したので二人でまったりとした時間を過ごす。
俺が色々と世の中の事を聞いたり、マリーが人の事を俺に聞いてきたり。
俺はこの世界の人にあったことは無いが、人なんてどこでも一緒だろと思って前世の人の性質をマリーに話す。
この日は碌に外にも出ずに寝た。
マリーと気持ちいい事はまたしたが。こういう生活ならいいな。
スローライフというやつか。
妖精にもやらなきゃいけない事もあるかもしれない。面倒な事が無ければいいが、と思いつつ微睡に落ちていく。
====
その日、魔王にして妖精王イラが誕生した。
魔王イラは原初の傀儡、木のパペットの『デク』を創った。
デクは魔王の世話の合間に葉っぱの簡単な人形を作った。それはすぐさま動き出し、自分と同じ葉っぱの人形を作る。
そうやって葉っぱの人形が増えていき、更にデクと同じ木の人形、石の人形などを作っていく。
魔王誕生の一日、その終わりには、妖精の森を速やかに支配下に置いた。
魔王の気に入らないと思われる存在は全て等しく土に還った。敵対するものは当然に間引かれた。
イラが人形の首魁である事はまだ知られてない。
事態が森の外に知れた時、傀儡の王が妖精の森で誕生したとされた。