噂の真実
「ねえねえ聞いた?マドラージュ様の話!最近いつもおそばにとても美しい方がいらっしゃるんですって!」
「私、この前見たわ!あんなに綺麗な方、見たことがないってぐらい素敵な方だったわ!」
元々、ルーク・マドラージュは見目の美しさと凜とした立ち振る舞いから、女子生徒の憧れの的であった。
ただ、彼はそもそも誰彼構わず親しくするような人間ではなく、女子生徒と懇意にしている、なんて話も全くなかった
それは婚約者を慮っての行動のようだと、より人気に拍車がかかっていたほどだ。
そんなルークの色恋沙汰に、学園中が浮き足だっているようだった
ひとりを除いては
「うっうっ…ル、ルークは確かに素敵だわ…そんな美しい方と並ばれたらどれほど素敵か、私にだってわかるわ…私なんかよりずっとお似合いなんだわ、きっと…」
シルビアはルークの噂に関して本来なら怒って然るべき立場だ
だが、今までの負い目や自分への自信のなさからただただ悲しみに暮れていた
「シルビア…きっと何かの勘違いよ。ルーク様は今までそんな不誠実なことをされたことはなかったでしょう?」
「今まではそうでも、私のしたことを許せなくなったんだわ!同じ学園に通っているのに挨拶すらもしないような最低な婚約者だもの。礼儀もなっていない人を婚約者に据えて置けなくなったんだわ…」
考えれば考えるほど、自分が婚約者ではなくなるんだということに確信してしまうシルビア
はっきりと断言してあげれないことにカレンはもどかしさを感じていた
(噂だと思うけれど、ここまで広がっているということは、少なくとも女性と一緒にいらっしゃったことは確かなんでしょうね…)
泣いて泣いて、そのままどこかに消えてしまうのではないか
彼への態度は褒められたものではなかったが、持っている気持ちの純粋さや一途さはカレンは痛いほど知っていた。だからこそ、心配でしかたなかった
そしてこういう時に限ってフリッツはいない。
(シルビアがこうして学校にも来れず泣いているのに、フリッツ様は一体何しているのかしら)
シルビアに何もしてあげられないもどかしさがフリッツへの怒りを助長していた
「カレン様、シルビアお嬢様は朝からこのような状態です。ご心配いただき、使用人としてもありがたく存じますが、カレン様もお休みになられた方がよろしいかと。凝ったものをお出し出来ず恐縮ですが、あちらで少しお休みくださいませ。」
シルビアのことは心配だが、ずっと部屋の前に立ち尽くしてもいられない。提案に甘えて休むことにし、応接室に向かっている途中に階下から凄まじい音がした。
「間に合いませんでしたね。お気をつけくださいませ。」
侍女のアンナは臨戦体制という姿勢で構えている。カレンには何がなんだかわからなかったが、数刻後思い出した。
“シルビアの兄は重度のシスコン”だと
この一族は皆が皆、拗らせて愛が重いのかと思わずため息が出た。
「フリッツ!止めてくれるな!!シルビア!!!!シルビア大丈夫なのか!!!!あの顔だけクソ野郎の息の根は俺が止めてやる!!!!だから死ぬんじゃない!!!!」
「おい、ルイス、飛躍しすぎだ。シルビアは死なないし、マドラージュ殿の息の根を止めてもいけない。そもそも噂だし、なんなら美女と一緒に居ただけだろ。抱き合ってたとか、そういうわけじゃないんだ」
「抱き合ってだなんて許さん!!!!!!」
「だから、してないんだっつの!」
なるほど、フリッツ様が居なかったのはルイス様を止めるためだったのね
というか、家の一部壊してないかこの人、とカレンは宙を仰いだ
ひとまず泣き暮れていたシルビアを部屋から出し、4人で今後について話し合うこととなった
「お兄様、フリッツ、カレン、心配をかけてごめんなさい…私自身、ルークから何かを言われただとか、実際に女性を伴っているのを見たということはないの。でも、こんな私だからとうとう愛想を尽かされたのだと思ったら合点がいってしまって…」
「ふむ、かく言う俺もルーク殿が女性と共にいるとことは見たことがないな」
シルビアの兄、ルイスはルークと同い年であり、幼少の頃から何かと競っていた仲だ
…実態は可愛い妹を取られたくないルイスの一方的なものなのだが
「噂の出所は掴めなかったけど、実際に見たって子に話は聞けたんだ。ついこの前だって言ってた。ここ最近で何か出会いの場があったかというと聞いたことがないし、なんかやっぱりしっくりこないんだよなぁ」
フリッツはルイスを諌めながらも友人などに聞きながら噂の真相を探っていた
そもそもルークのことはルイスを含め、幼少期から知っている
女子にデレデレするような男でもないし、なんなら血が通っているのかと思うほど何に対しても熱量がない男だ
シルビアのことは確かに昔から気に入っていない様子だった、よくシルビアを睨む姿をも見た
(でも、今まで婚約解消の素振りも、他の令嬢との浮いた話もまるでなかった)
そんな男がなぜいま?
しかも、シルビアが少しずつルークとの関係性のために変わろうと努力している所で、だ
「実際に聞いてみませんか?」
考え込む親戚3人に提案をしたのは、カレンだった
「確かにカレンの言うとおりだわ。噂に踊らされて、それこそ彼の婚約者として相応しくない態度だったわ。」
「だが…シルビア、お前は聞きにいけないだろう?」
ルイスは重度のシスコンだ
彼女のことは彼女以上にわかっている
「あぁ、じゃあ俺が行くよ。知らない間柄でもないしね」
フリッツがあっけらかんとして言った
「でも…!」
「ダメだよ、シルビア。最近頑張ってきたのが水の泡になっちゃうよ。大丈夫、シルビアはショックで寝込んでるから代わりに聞きにきたって言うさ。あながち間違ってないしね。兄のルイスがルークに対して好戦的なのは彼も十分わかっているだろうし、従兄弟の俺が適任ってこと!」
フリッツは任せといてよ、といつものような、なんてことはない軽い口調で去っていった。
いつも意地悪ばかりしていたフリッツ
大嫌いだったのに、なぜ急に
シルビアは困惑していた
困惑しているシルビアを見ながらカレンもまた、考え込んでいた
何か見逃しているような、そういう胸のわだかまりを感じて、でも、それが何かどうにも掴めなかった
「やぁ、ルーク、久しぶり!」
軽薄そうな笑みを浮かべたフリッツが、ヒラヒラと片手を動かしながらルークの前に立っていた
「…珍しいな、お前が俺に会いに来るなんて」
「そうだね、明日は槍でも降るんじゃなぁい?」
クツクツと笑いながら、場の空気に合わない冗談をフリッツが言う
「ねえ、シルビアを悲しませたら、俺、許さないって言ったよな?」
さっきまでの顔つきとは打って変わって、視線で射殺さんばかりの顔を向けるフリッツ
「なんのことだか」
「校内に流れてる噂…知らないわけないよなぁ」
「俺が女と歩いていた、とか言うやつか?それこそお前がよく知ってるだろう」
堂々と、後ろめたいことは何もないと言わんばかりのルークに、フリッツは苛立ちを覚えながら昔の思い出を思い出す。
「…いやお前、それわかるやついないだろ…」
絶句するフリッツに、しれっとルークはいうのだった
「俺はシルビアを泣かせるようなことはしない。断じてな」
「え?嘘だった?本当に?」
後日、フリッツからの話を聞きながらシルビアとカレンは驚いていた。
「そー。ルークは女の子となんて歩いてないってさ」
やっぱり何かを忘れているような…カレンはシルビアに聞こうとした
「ルークがそういうなら、それを信じるわ!」
シルビアはカレンの様子も、フリッツの苦笑の意味も、ルークが他の令嬢に気持ちが移ったわけではない、という事実を前にして何も見えていなかった
「そうと決まれば、また今日からルークとラブラブ大作戦を再開しなきゃ!」
好いている相手にその気持ちを伝えたい、その長年の思いが叶えられそうないま、ただただ突き進むだけだ
カレンは未だに悩んでいた。
噂はあくまでも噂だが、そもそも公爵令息であるルークについて完全なる嘘つく人間がいるだろうか
この学園は基本的に貴族が将来の社交や領地経営に関わる知識などを学ぶ場所だ
誰だって公爵家に睨まれたくない、睨まれるような真似はしないはずだ
…フリッツはこう言っていた
『女の子となんて歩いてないってさ』
じゃあ、『女の子の格好をした男の子』なら成立するのではないか
「思い出した…ガーランド様…」
「ルーク、噂、ほっといていいの?」
その噂の張本人であるはずなのに、他人事のように言う“彼”
「そもそも俺は“女”とは歩いていない。それは間違いようのない真実だ」
ルークの友人であるナリスは中性的な見た目をしている
顔つき、体型、声、どれをとっても男性とも女性とも思われなくはない
普段の学園生活での彼は男性に見えやすい格好を心がけてしていた
それは勘違いされると面倒だから、というのが建前
本当の理由は幼少期に遡る
彼の実家、ガーランド家には、子供が10歳の誕生日を迎えるまで本人の性別とは異なる性別として育てる、というしきたりがあった
性別を不確かなものにすることで悪きものから守るという、悪く言えば迷信によるものだ
ナリスも例外なく、このしきたりに従って幼少期は女の子として扱われていた。もちろん、ドレスだって着ていた
ナリス自身の中性的な見た目も相まって、しきたりの年齢を超えても女性と間違われることもしばしばあった
それは彼にとって屈辱であり、幼少期の親の言うことを守るしかなかった弱い自分を思い出す、耐えがたいものであった
そのため、男らしい見た目にこだわって過ごしてきていたのだが、ルークの婚約者である暴君姫の彼の気を引こうとする許し難い行動に対し、牽制の意味で敢えて女性らしく見えるような見た目に戻したのだ
嫌でたまらないその姿も、ルークを守るためならいくらでもできる
ルークは幼少期の頃、好奇の目に晒され、仲間はずれにされていた彼を唯一“彼”として扱ってくれた大切な友人だった
「ルーク、君を守るためなら僕は僕自身だって犠牲にできるよ」
だから、幸せになって
そして、幸せな彼を祝福し、友で居続ける
彼の望みはただそれだけだ
「カレンは気づいちゃったわけね」
幼少期、ガーランド家の子息が女の子の格好をしていることは有名であった
だが、彼が成長するにつれてその部分を隠し、男性らしく居続けることで皆、その事実を忘れていっていた
「ルーク様はガーランド様…ナリス様といつも一緒にいらっしゃっていました。それが急に美しい女性に変わったことにまず違和感を感じて…その後、ルーク様が噂を否定されたこと、そしてフリッツ様が含みを持たせた言い方をされたことで思い出しました」
「そ、ナリスの独断みたいだけど、それが真実」
よくそこまでするよね、とケラケラ笑いながらフリッツ様は言う
「シルビアにはさ、本人が気づくまで内緒にしててよ。噂をほっといてる時点であいつ…ルークにもなんか考えがあるみたいだしさ!」
「はい、シルビアには言わないつもりでした。こう、揮発材のようにいい方向に転がってくれればいいなと思ってます。」
2人は内心、あの拗らせがそんな簡単に治るか疑問に思っていたのだが、今まで変わることのなかった彼らの関係性に動きが見え出したことがきっかけになればと願った