ナッツバスターズ
木々に止まった小鳥たちのさえずる声がもったりした夏の暑さに溶け、村の平和を象徴していた。
そこにカン、カン、カン、カンと不定期に聞こえる音が混ざる。近付いてみると、一件の民家から聞こえているようだ。
その民家の玄関の扉を開くと、木の椅子に座った老婆の後ろ姿が見える。老婆の手元ではナッツが、年季の入った手と木槌によって皮を砕かれていた。
カン、カン、カン、カンと心地良い音を立ててナッツの皮が砕かれ、本体が老婆の口へ運ばれる。老婆は表情を作らず、何も発さず、自分の最も重要な仕事とも思えるくらい真剣に、ひたすらナッツを砕いては食べていた。
しかし、太陽が沈みはじめたころから、ナッツを砕く音は聞こえなくなってしまった。
再びその民家を覗いてみると、老婆が困った表情で木槌を手に息を切らしている。
川での洗濯を終えた、息子の妻が帰宅すると、老婆はこのナッツだけがどうしても砕けないと息子の妻へ助けを求めた。そこで彼女も、夫の頭を砕いたときと同じくらいの力で木槌を振り下ろしたが、それでもナッツは砕けない。
やがては孫である血気盛んな青年が、村の男どもとともに、一本の太い枝に括り付けられた巨大な猪を担ぎながら帰宅した。孫も状況を聞き、父親にとどめの一撃を加えたときと同じくらいの力で木槌を振り下ろしたが、それでもナッツは砕けない。
老婆とその息子の妻と孫息子は言った。「こんなとき、急にいなくなってしまったお父さんが帰って来てくれたら」
その民家でナッツが砕けないという噂は瞬く間に広がった。その民家には力自慢の男たちが集まり、トッペセル(注:この地域のじゃんけんのようなゲーム)で順番を決めると、各々これまでで一番憎しみを持った出来事を思い出しながら木槌をナッツへと振り下ろし続けた。
力自慢たちが諦め、子供たちがふざけてはしゃぎながら、砕けないナッツを木槌で叩いて遊ぶようになってしまったころ、村の外から聞いたことのないテーマソングが聞こえてきた。
民家に集まっていた面々が外へ顔を出すと、五人の人影が鮮やかな夕日を背にこの民家に向かってゆっくりと歩いて来る。民家の前に立ち止まると、体つきも顔つきも良くバランスの取れた真ん中の男が言った。
「俺たちは、ナッツバスターズだ」
「ナッツバスターズ?」孫息子が聞き返す。
「そうよ、あたしたちはナッツバスターズよ」と右端のセクシーな唇をした美女が答える。
「ナッツバスターズ?」息子の妻が聞き返す。
「そうだ、僕たちはナッツバスターズだ」とひょろりとした長身で眼鏡をかけた左端の男が返す。
「ガッツ剥奪?」老婆が聞き返す。
「いや、ナッツバスターズだ」右から二番目の筋骨隆々の男が低い声で返す。
「は?」と孫息子。
沈黙。村の人間たちは警戒した表情でナッツバスターズと名乗る者たちを見、緊張が走る。
「私たちは」と左から二番目の金髪の優男が口火を切る。真ん中の男が続ける。「ナッツバスターズは砕けないナッツを探してはそのナッツを砕くことを生業としている」
「そう、私たちは」と優男。すかさず筋骨隆々男が、「ナッツを砕くスペシャリストだ」
「この村で」と優男。間髪入れずセクシー美女「ナッツが砕けないのを察知してやってきたのよ」
「お、俺たちに」優男。長身眼鏡男「ナッツを砕くのを協力させてくれないか?」
村の者たちはようやく警戒を解き、その民家にナッツバスターズを招き入れた。
ナッツバスターズは民家で、持っていた大袋に入った部品から、なにやら装置を組み立てはじめた。セクシーな美女は男たちを惑わしている(本人はただ組み立てているだけだが男たちが勝手に惑っている)。
「砕けないナッツには」と組み立てながら優男。すぐに真ん中の男が爽やかな表情で続ける。「想いが詰まっている」
「砕こうとしたときに込められた感情、思い出が、すべてナッツに詰まっている」と筋骨隆々男。
「もしうっかり砕いてしまったものなら、そのすべてが砕いた人に入り込んでしまう」と長身眼鏡男。
「むしろ私たちの手を借りずに砕けてしまったときのほうがトラブルになることも少なくないの」とセクシー美女。
「だがこの装置なら大丈夫だ」と真ん中の男。「すべての感情、思い出はこの装置に吸収され、そのまま俺たちが持ち帰って責任を持って消去する。なにも不安を感じることはない」
村人たちは砕けないナッツのそんな仕組みなど知らず、説明を聞きながら、全員ほっと胸をなでおろしたようだった。
わずか三十分程度で装置は組みあがり、真ん中の男がスイッチを入れる。
雷が落ちたような光と音が村全体に響き渡り、全員がおそるおそる目を開けると、あんなにも砕けなかったナッツの皮がなんと、割れていた。
拍手喝采の中、涙を流しながら謝意を伝える老婆と目を潤ませるその息子の妻、少し悔しそうだが爽やかな表情をした孫息子に見送られ、ナッツバスターズは村を出て行く。
「いやあ、今日もいい仕事をしたな」と道すがら真ん中の男が言う。「五人は揃っているな?」
「ああ」と筋骨隆々男。
しかし「待って」とセクシー美女。「四人しかいないわ」
「だれかいないのでしょうか?」と長身眼鏡。
「大丈夫だ。俺たちはいつも通り役目を果たしたじゃないか」と真ん中の男。
それもそうだ、と四人は夜に消えて行った。
その日の深夜、静まり返ってなんの音もしないはずの村で、コン、コン、コン、コンと扉を叩く音がする。近付いてみると、一件の民家から聞こえているようだ。
その民家の玄関の扉を寝ぼけまなこで老婆の息子の妻が開けると、男が立っている。
「あんた、だれ」と彼女が聞くと、「あなた、夫を殺しましたね」と扉の前の金髪の優男は返した。
「おばあさんに黙っていてほしければ、財産の八割を出しなさい。……ああ、逃げても無駄です。旦那さんは顔の広い方だったようなので、この話を近くの村にいる知り合いすべてに話したら、あなたは逃げ切れるものではないでしょう。話は最後まで聞くものですよ。……なるべく早くしてくださいね。まだまだこれからなんです。これから、この村のたくさんの人たちに会いに行かなければならないんです。……なんですか? もう話すことはありませんよ」