9
アロイス様の助けもあり、夜会はなんとかつつがなく終えることができた。レフ殿下の退室をレイブン辺境伯に詫び、二人で会場を後にした。
「レフ殿下は女性のお顔を覚えるのが得意ではないのです」
辺境伯邸の私の部屋に戻る途中、アロイス様がそう切り出す。
「そうなのですか?」
「はい。特に着飾った女性たちはみな同じに見えるそうで……」
まぁ確かに、服飾に興味のない男性から見たらそんなものかもしれない。
「ですから、その、お気を落とさずに」
「え? あぁ、レフ隊長が私に気がついてくださらなかったから、傷ついていると思われたのですか?」
全然そんなことはない。むしろ気付かれたらこの生活は終わってしまうだろうから、一生気付かないでいて欲しいくらいだ。
「私などはことさら特徴のない顔ですからね。レフ隊長の目に留まらずとも仕方ありません」
親切な辺境伯邸の使用人からも「お化粧が似合う顔ですね!」と元気よく言われるほど、私は顔立ちがその……薄いというか、あまり特徴がない。
もう16年この顔で生きて来たから、今更落ち込みはしないけど。
「何をおっしゃる。ガブリエラ様は大変お可愛らしい。殿下が途中退室なさったおかげで帰りもあなたをエスコートする栄誉を頂き、殿下に感謝したいほどです」
「まぁ……」
返答に困ってしまう。
しかしそんな私に構わず、アロイス様はエスコートのために軽く握っていた私の手にもう片方の手を重ねて言った。
「ガブリエラ様、あなたは分別があって物分かりがよく、それは時に美徳ですが、何もかもを諦めてしまわないでください。無礼を働く者がいれば怒っても良いのです」
「アロイス様?」
「あなたの幸せを願う者がここに一人いるということを、お忘れなきよう」
いつの間にか私の部屋の前に着いていた。おやすみなさいませ、と頭を下げると、アロイス様は何事もなかったかのように立ち去った。
◆
「うーん……」
アロイス様のお考えが分からない。
アロイス・ペントマン様。
ペントマン侯爵家のご長男であり、確か王国騎士団の入団試験に主席で合格なさった逸材だと聞いている。
いずれペントマン侯爵家を継ぐことは確約されているし、その実力なら出世も堅いだろう。こんなことを言うのもなんだけれどルックスも抜群で、紳士的で、女性からの人気も高い。つまり完璧な騎士様だ。
アロイス様の私への態度はただ優しいだけと言ってしまえばそれだけだけど、そんな将来有望な彼が私をそこまで気にかける理由が分からない。
主人の妻とはいえ、レフ殿下からの私への興味はゼロに近い。私に気に入られたところで彼にメリットは無いはずだ。
「分からない……」
「何か悩み?」
ぽん、と私の肩を叩いたのはレフ隊長だった。
ここは屯所の食堂。午前の訓練を終え、みんなが昼食に集まる時間帯だ。今日は私も男装してここへ来ていた。
午前中に治療室の先生に改めて怪我を見てもらい、簡単な訓練なら参加しても良いと太鼓判を押してもらった。また今日から頑張るつもりだ。
レフ隊長は昼食の載ったトレーを置き、特に断ることもなく私の隣に座る。
レフ隊長はこの頃こうやって、「エル」をよく気にかけてくださる。昨日の夜会でお会いした時とはえらい違いだ。
「こんにちは、レフ隊長。昨日の夜に敵襲があったんですよね。大丈夫でしたか?」
「あー、平気平気。様子見程度の小競り合いだったからさ。適当に追い返したよ。それよりどうしたの、そんなに重いため息ついちゃって」
「え、ため息出てましたか?」
いけない、しっかりしなくては。
「人間関係とか、まぁ色々です」
「邪魔な奴でもいるの? 殺しちゃえばいいじゃん」
「だ、だめですよ……! 敵じゃないんですから」
「あはは、冗談。僕に解決できるようなこと? 話してみなよ」
「レフ隊長にですか!? 申し訳ないです、個人的なことですし」
「悩みのせいで大事な兵士のコンディションが落ちても困るんだよね」
「大事な兵士……!」
「そこ?」
レフ隊長が私を認めてくれている。私は喜びにじーんと打ち震えた。レフ隊長はちょっと呆れていた。
「その……相手の考えていることが分からなくて」
「ふぅん?」
「最近、すごく親切にしてくださる方がいるんですけど、その理由が全然分からないんです。なんというか、その親切が立場にしてはちょっと過剰で……」
親切にしていただきながら文句を言うのも心苦しいけれど、正直なところだった。理由の分からない親切は少し怖い。
「そいつ、女?」
「え?」
「男だったらそんなに悩まないんじゃない? 相手が自分に惚れてるんじゃないかと思ってるんだ」
「あー……まぁ、可能性としてはゼロではないのかなー、みたいな……」
話の流れでアロイス様が女性になってしまった。
「ていうか、何が困るの? お前もその女が好きなら付き合えばいいし、そうでないなら無視すればいいじゃん」
「そういう問題でもないんですよ。好き嫌い以前に、僕とその人との間にそういうことはないので……」
「なんで?」
「えーっと、僕に決まった相手がいるので」
流石に既婚者ですとは言えなかった。
「へー! お前、恋人いたんだ」
「まぁそんな感じの人が」
「でもそれってお前の都合じゃん。向こうの女は確実にお前に横恋慕してるね。間違いない」
レフ隊長は意外にこういう話が好きなのだろうか?
「えー? でも、その人は本当に綺麗で将来有望な方で、僕なんかを相手にするような人じゃないんですよ?」
「だから、それもお前がそう思ってるだけだろ? 好みなんかそれぞれなんだからさ」
「うーん……」
レフ隊長が邪気のない笑みを見せる。
「僕なんかー、とか言ってるから余計に分からなくなるんだろ。少なくともお前は僕の見込んだ隊員なんだから、もっと堂々としろって」
「隊長……」
隊長はいつも私を評価し、必要としてくれる。私がそのことでどれだけ恩を感じているか、レフ隊長はきっと知らないだろう。
「もっと気楽に考えろよ。女にモテて悪いことはないんじゃない? うちの奴らだったら、やれ酒場の娘が俺に惚れてるだの、目があったから気があるだのといつも小さな事でぎゃあぎゃあ騒いでるよ」
「あはは……」
ここで兵士として過ごし始めて分かったことだけれど、男所帯の女性への飢えは想像の遥か上を行く。暇な時の雑談の九割が女の子の話だ。聞いてる分には面白いけれど、夢を見過ぎでは……と思うこともある。
「人に好きになってもらうって、どういう感じなんでしょう」
「というと?」
「両親も亡くなってしまって、それから結構、周りに迷惑ばかりかけて来たので。よく分からないです、人を好きになるとか好かれるとか」
言ってから、子供っぽかったかなと少し反省した。隊長から呆れられたかもしれない。
しかし隊長は意外なことを言った。
「あー。分からないでもないかな」
「本当ですか?」
「僕って一応この国の第二王子なんだけどさぁ」
存じ上げております。
「城にいた頃は立場が危うくて色々と大変だったよ。好きだの嫌いだの言ってられる状況じゃなかったね。今だってそうだ。明日死ぬとも知れない身で愛だの恋だの浮かれててもさ、しょうがないじゃん」
隊長はどこか遠い目をして話す。
「僕にとって、他人は役に立つ奴と立たない奴でしかないから。好きか嫌いかなんてもう随分と考えたことがないね」
「あぁ……そっか」
隊長のその言葉を聞いて、私はその逆かもしれないと思った。
私は隊長のように人を纏める立場だったことはないから、相手が役に立つか立たないかなんて考えたことはない。でも、その逆は。
私が相手にとって役に立つか立たないか。そのことはずっと考えて来た。
両親が死に、叔父の世話になるようになって、出来るだけ叔父にとって役に立つ人間でありたかったから、第一王子との婚約に縋ってきた。
クリスティアン様が私を迷惑に思っていると分かっていても、あの日まで婚約破棄を一度も考えなかったのはそのためだ。
血縁とは言え他人の一家に養われる中で、無用のタダ飯食らいと思われながら生活する勇気は私にはなかった。
一方で、クリスティアン様にとって私は役立たずであるという事実が一番辛かった。だから出来るだけ彼の目に魅力的に映るよう努力した。無駄だったけれど。
「隊長が僕を必要だって言ってくれたの、すごく嬉しかったんです」
「別に、必要だから必要だって言っただけだよ」
隊長はちょっと照れくさそうにそっぽを向いた。
「ま、さっきも言ったけど、そんなに思い詰めるなよ。お前はこれからも僕の部下として働くつもりなんだろ? だったら恋愛もいいけど、日々の訓練に精を出してくれなくちゃ」
「そっか……そうですよね」
そう言われて、なんだかぱっと目の前が開けたような気持ちだった。
「僕、目が覚めました。そうですよね、人間関係なんかに惑わされてる場合じゃありませんよね。僕、隊長に一生ついて行きます!」
「一生は要らないけど……」
「隊長に相談して良かったです。気分が晴れました!」
「お前がそう思うんなら良かったよ」
一部下のためにこんなに親身になってくださるなんて、隊長は本当に部下想いだ。ますます隊長への憧れが強くなった。
横を見ると、いつの間にか隊長は綺麗に昼食を食べ終えていた。ずっと私の話に付き合わせていたらしい。
「ごめんなさい、僕ばかり話しちゃって。引き止めてしまいましたよね」
「ううん。実を言うと僕もお前に用があったんだ」
「用?」
「それ食べ終わったら会議室においで。第一小隊のミーティングがある」
「は、はいっ。すぐ行きます!」
「あはは、焦らなくていいからゆっくり食べな。僕は先に行くけど、ミーティングまで時間はまだある。本当に急がなくていいからね」
そう言うと、隊長は空になったトレーを持って席を離れていった。
私はひたすら食べる作業に入った。