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 私がカール伯爵閣下の強引さに困り果てていた時、割って入ってくださったのはアロイス様だった。


「随分と酔っておられるご様子。本日はもうお帰りになった方がよろしいでしょうな」

「なんだと、貴様……」

「ガブリエラ様、殿下からあまり離れられるのはよろしくありません」

「は、はい。申し訳ありません」


 私は足早にレフ隊長のいる方へ向かった。


「災難だったね。あの好色家は懲りないから、かわす術を早めに身につけた方がいいよ」

「えっ」


 私とカール伯爵の話が聞こえていたのかと思ったけれど、よく考えるとそんなはずはない。結構距離があったし、会場は音の波に溢れている。

 きっと見た感じの雰囲気で、どんな話をしていたのか分かったのだろう。


「レフ殿下」


 挨拶周りがひと段落したところでアロイス様が切り出した。


「ガブリエラ様にとってここは見知らぬ土地です。もう少し奥様にお気遣いをお願いします」

「お前、随分とガブリエラに肩入れするね」

「大丈夫です、アロイス様。先程はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「ガブリエラ様が謝罪なさることではありません。殿下がもう少し周りをご覧になっていれば防げた事態です」

「はぁ? こんなうるさい場所でそれでなくても最悪なのに、これ以上気を遣えって?」


 レフ隊長が分かりやすく不機嫌になった。


「殿下。あなたは戦場では優れた指揮官ですが、貴族としての振る舞いに欠ける。それを御自覚ください」

「そんなの出来なくたっていいよ。どうせハナっから、ここに僕の居場所は無いんだからね」


 レフ隊長が笑う。それはご自身を嗤うような響きがあった。


 私はふとレフ殿下の生い立ちについて思い出した。


 第二王子であるレフ殿下は、ご側室であったヴェロニカ様からお生まれになった。

 元来お体の弱かったヴェロニカ様はレフ殿下を産んですぐお亡くなりになり、殿下はお一人で残されてしまった。

 クリスティアン殿下の母親である正妃様のご意向でレフ殿下は日の目を見ることなくお育ちになった。内部の事情までは知らないが、正妃とその息子の第一王子、一方で側室が残した第二王子となれば、あまり良い扱いは受けていなかったという噂だ。


 現在は武功を挙げてご活躍なさっているレフ殿下だけれど、ここまで来るのに大変な苦労をなさったのだろう。貴族社会に居場所がないというレフ殿下のお言葉はとても悲しく聞こえる。


「アロイス様、私のためにおっしゃってくださっているのなら本当に大丈夫です。久々のハレの舞台で、少々勘が鈍っておりました。気を引き締め直します」

「ガブリエラ様……」

「ほら、彼女だってこう言ってるんだからもういいだろ」


 その時、かすかに聞き慣れた鐘の音を聞いた。外からだ。


 これは……敵襲の時に屯所で鳴るベル。

 さっとお二人の顔色が変わる。


「ガブリエラ、悪いが僕は抜ける。辺境伯には適当に取りなしておいて」

「はい、承知いたしました」

「本当に申し訳ありません、ガブリエラ様」

「お気になさらないでください」


 レフ隊長とアロイス様はなんと窓から会場を出て行ってしまった。


「すごいわ……」


 なんなら私も行きたかったけれど、今の私は怪我をしているから足手まといだ。それに、次の任務をいただいた。

 お二人が抜けた分つつがなく夜会を進行し、辺境伯に適当に取りなす……!


「ごきげんよう、あなたが第二王子殿下とご結婚なさったっていう?」

「はい、ガブリエラと申します」

「まぁ!」

「私たち、お会いしたいと思ってましたの」


 ご婦人たちの集まりに取り囲まれる。

 にこやかに笑う婦人たちだが、なんだか不穏な気配を感じた。


「あなた、第一王子殿下から捨てられて第二王子に乗り換えたのでしょ? 一体何をなさったらあのクリスティアン様から捨てられるなんてことになるのかしら」

「詳しくお聞きしたいわ。ねぇ皆さん」

「わたくしたちずーっと気になっていたの」


 ほほほ、と笑い声が溢れる。この方たちが私を下に見ていることは明らかだった。


「第一王子殿下のご判断を私などに推し量ることはできません。そんなに気になるのであれば、第一王子殿下に直接お聞きになってください」

「なっ……」

「なんだか生意気ではない? きっとそういうところが殿下のお気に障ったのね」

「そうよ。大した顔でもないのだから、もっとしおらしくしていないとね」

「まぁ……」


 私は思わず笑ってしまった。


 王都にいた頃も陰口に晒されることはしょっちゅうだったけれど、向こうはもっと酷かった。口では味方のようなことを言いながら態度は私を心底馬鹿にしている。言葉の端々に嫌味を忍ばせ、ちくちくと攻撃してくる。そんなことばかりだ。


 しかし、レイブンに来てからは反対に直接的な悪口を言われることが増えた。土地柄なのだろうか。

 このご婦人たちも、あまり嫌味が得意な性質ではなさそう。きっと素直な方々なのだろう。


「何を笑っているのよ!」

「気味の悪い方。第二王子に嫁いでくるだけはあるわ。あの“気狂い王子”にぴったり」

「え……?」


 ここレイブンの土地が平和なのは、レフ隊長とその部下の方々が体を張って戦っているからだ。この地に住む人々はそれを身をもって知っているはず。それだというのに彼女たちは心底レフ隊長を見下げているようだった。


「あんな方が我々が仕える王家の一員だなんて、恥ずかしくってたまらないわ。さっさと戦場で死んでくださったら良いのに」

「私、未だにあの方を見ると恐ろしくて……だってほら、嫌な噂も多いし」

「嫌われていることが分かっていないのかしら? いつも笑っているのも気味が悪いわ。きっと頭が悪いのね」


 なんて酷いことを。

 レフ隊長が夜会の場を嫌っている理由が少し分かった気がした。


 ……夜会をつつがなく終えるのが一番大事。聞き流すつもりだったけれど、つい、我慢ができなかった。


「あまりお話に夢中にならない方がよろしいですよ。みなさん、とても醜いお顔をしていらっしゃいます」

「な、はぁ!?」

「言いにくいのですけど……みなさんとても大きくお口を開けてお話になるものですから、厚いお化粧がひびが入ってしまっていますわ。鏡をご覧になって来たらいかがでしょうか」

「なんて人!」

「こっちが下手に出たら調子に乗って……!」

「クリスティアン様に捨てられたくせに!」


 ばしゃっと音がして、直後に自分が飲み物をかけられたのだと分かった。


「ふん、びしょびしょのドレスがとってもお似合い。これでやっと相応しい姿になったわね」


 かけられたのは色の薄いシャンパンのようだった。王都だったら真っ赤なワインだっただろう。


「ありがとうございます、ちょうど少し暑かったのです」


 私がそう言って笑うと、婦人たちは顔を強張らせてそそくさと去っていった。


「どうしましょう……」


 やり過ごしはしたけれど、これはまずい。何がまずいかというと、濡れると肩の白粉が取れる可能性がある。悪口はいくらでもやりすごせても、貴族夫人の肩にこんな大きな傷があるのは致命的にまずい。


 一度中座して着替える? だが勝手に抜けるのはまずい。それに、使用人に手伝われるのも困る。一人でこの場を切り抜けないと……。


「はぁ」


 肩の傷は治療魔術をかけてもらったおかげでだいぶ良くなっているけれど、それでも痛みがないわけでは無い。今日は鎮痛薬を飲んで参加していて、だんだんその薬が切れて来ている気がする。鈍い痛みが思考を乱す。


 負傷した体にコルセットはきついし、ドレスは重いし、濡れて冷たいし、なんだか泣きたくなって来た。私は何の罰を受けてこんな状況にいるのだろう?


「ガブリエラ様……!」

「アロイス様!?」


 走って戻ってきたアロイス様が私の前で立ち止まり、肩で息をする。随分急いで来たらしい。


「あの、何かお忘れ物でも?」

「向こうで状況を確認して、私がおらずとも問題がないと判断しましたので、戻って参りました……お一人にしてしまい、申し訳ありません」

「えぇ? そこまでお気遣いいただかなくても……」

「私が駄目なのです。あなたを一人残していると思うと、敵を前にしても集中できそうにありません」

「それは……ありがとうございます」


 いつも穏やかに微笑んでいるアロイス様が、今は顔を赤くして、汗までかいて私の元へ来てくれたようだった。


「こちらを」


 さっと私の状態を見て、上着をかけてくださる。肩が隠れた。

 良かった、これで傷がバレる心配がない。


「助かります。傷が見えてしまいそうで困っていました」

「そうでしょうな」


 私が笑うと、アロイス様も笑い返してくれた。


「主君の妻を侮辱されたのです。相手方にはそれなりの報復を覚悟していただかなくては。どこのどなたかお聞きしても?」

「その……申し訳ありません。お名前を存じ上げないので……」


 私も腹が立って失礼な物言いをしてしまったし、報復なんてしてもらう必要はない。


「なるほど、名乗りもしなかったと」


 しかし私の受け答えは火に油を注いだだけのようだった。

 本当に私は気にしないのに……。


 肩さえ無事なら問題はない。ドレスは見た目には濡れていると分からないし、会場の熱気でだんだん乾いて来た。髪と顔もハンカチで軽く拭いて乾かす。


「お化粧を直して参ります」

「お供しましょう」

「えっ? いえ、お手洗いに参りますので……」

「近くまでご案内いたします」


 また何か問題を起こすと思われているのか、アロイス様は頑として譲らなかった。


「アロイス様。本当に私は大丈夫ですよ……?」


 お化粧を直し、手水から出てアロイス様と合流する。アロイス様はまるで一流の用心棒のようにぴったり私の背後に張り付いていた。


「大丈夫とはおっしゃいますが。辺境伯邸に住まわせれば抜け出して兵士となり、夜会で一人にすれば酒をかけられる。こんな女性のどこが大丈夫なのです」

「返す言葉もございません……」


 そうまとめられてしまうと私がとんでもない女みたいだ。


「でも、あの、アロイス様……」

「はい」

「一人になって、本当は少しだけ不安だったのです。心配して来てくださってありがとうございます」

「……いえ。困っているご婦人をお助けするのは騎士の誉です」


 アロイス様がふわりと柔らかい微笑みを見せた。

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