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左腕の付け根をざっくりと斬られたものの治癒魔術で深い傷は塞いでもらったため、全治二週間程度で済んだ。後遺症もないだろうと診断を受けている。魔術っていうのは本当にすごい。
怪我をしたので任務と訓練は免除され、今の私は休むことが任務と言われているのだけど、そうも言っていられない事情があった。
「ガブリエラ様、アロイス様がお越しです。今日の夜会のことだとか……」
「はい、お通ししてください」
そう、夜会があるのだった。
私が第二王子であるレフ隊長に嫁いでもはや2ヶ月ほどが経った。私が嫁いで来た時は冬真っ只中で猛吹雪に包まれていた辺境伯邸だけれど、最近は少しずつ暖かくなって来ている。
そのため、この時期になってやっと予定されていた、レイブン辺境伯主催の結婚祝いのパーティーが開かれることとなったのだ。名目上は私たちの結婚祝いのため、不参加は出来ない。何を押しても参加しなくてはならない。
幸い怪我のことがあるので丸一日屯所に顔を出さなくても怪しまれないと思う。しかし、問題はその怪我のことだった。
辺境伯邸に用意された私の部屋。使用人たちに頼んで部屋を出てもらい、今は訪ねて来たアロイス様と二人きりだ。
「あなたは、本当に……!」
「はい……」
「女性が体に傷を作るなど信じられません。もっとご自分を大切になさってください!」
「はい……」
何も言い返せない。
貴族の娘の体に傷があったりしたら、それだけで価値はがくりと落ちてしまう。貴族令嬢は結婚と出産が人生で最も大きな仕事と言っても過言ではない。傷一つが人生を左右しかねないのだ。
「本来そのような怪我で夜会などお止めする所ですが……」
「今日のパーティーはお休みできません。辺境伯閣下が私と殿下のために催してくださるのですから」
レイブン辺境伯とはこの地にやって来た初日にご挨拶をし、その後もたびたび私を気にかけて声をかけてくださる。かなりお年を召した方だけれど辺境伯の地位を預かるのは伊達ではなく、がっしりした体つきと鋭い眼光はけして衰えを感じさせない。
それでいて細かい気遣いも欠かさない、とても素敵なお爺さまだ。
「そうですね、ガブリエラ様が欠席なさるのは難しいでしょう」
「それより、今日はレフ隊長……じゃなくて殿下はご参加なさるんですか?」
「はい、その予定です」
聞けば、レフ隊長は辺境伯閣下と付き合いが長く、恩があるらしい。辺境伯の夜会を欠席するようなことはないだろうとアロイス様は言った。
「では、ついに『私』もレフ殿下とお会いできますね」
最近はエルとして毎日会っているので忘れていたけど、そういえば未だに妻としてレフ殿下とお会いしたことはないのだった。
もしかしたらガブリエラとして辺境伯閣下に抗議するなどしたらまた違っていたかもしれないけれど、私も兵士生活で忙しく気に留めなかったのだ。
「本当に申し訳ありません……」
「アロイス様が謝ることではありません。隊長がお忙しいのはこの目で見て分かっていますから」
もう何度目かも分からないアロイス様の謝罪だ。本当に気にしていないからいいのに。
「殿下は会議を終えた後、その足で夜会へ参加されます。お迎えには私がうかがいます。ご準備をよろしくお願いいたします」
「承知しました。あ、そうだ。アロイス様に見ていただいてもよろしいですか?」
「? 私でよろしければ……何を見るのでしょう?」
私はドレスの胸元を広く開け、左肩を露出した
「な、なっ!?」
アロイス様の顔が耳まで真っ赤に染まった。
「傷を白粉で隠してみたのですけれど、どうですか? 不自然ではないでしょうか?」
「あ……は、はい。大丈夫かと……」
「後ろ側はどうでしょう?」
「大丈夫です……はい……」
この傷は使用人にもバレるわけにはいかない。事情を説明できないからだ。貴族の女が日常生活を送っていてこんな怪我をすることは普通無い。
「みっともないところをお見せしてすみません。他に確かめてくださる方がいなくて」
「はい……」
アロイス様は動揺を隠せない様子で、私から顔を隠すようにそっぽを向いた。耳は未だに真っ赤で、流石に照れていらっしゃるのだなと分かる。
勝手な印象だけれど、アロイス様ほどの容姿なら女性から放っておかれることはないはずである。それなりに女性経験がありそうなものを、何故ここまで動揺されるのだろう。
そう思ってから、私はひらめいた。
そうだ、アロイス様はきっとこれまで、淑女とはかくあるべしというような女性たちとしか親しんでこなかったのだ。だから私のような妙ちきりんな女に耐性がないのだろう。
言ってしまえば私なんてなんちゃって公爵令嬢だしね。家では身の回りのことは自分でやって、今は毎日抜け出して剣を振り回している。こんな公爵令嬢はきっと王国中を探しても私くらいのはずだ。
「あの、本当に申し訳ありません」
「いいから早くしまってください……」
「あ、はい」
私は言われるままドレスを直した。
「おかげで助かりました。まだ夜会までしばらくありますね。私は時間まで部屋で過ごすつもりですが、アロイス様はどうなさいますか?」
「……私は一度戻ります。また、時間になりましたらお迎えにあがります」
「はい。よろしくお願いします」
お帰りになるかと思ったアロイス様が、すっと私の方に踏み出す。服と服が擦れるほど、彼との距離が縮まった。
「何度も申し上げておりますが」
「はい」
「あなたは危機感というものがなさすぎる。私も男です。主人の妻とはいえ、あなたのような美しい方を前にして手を伸ばさずにいる自信はありません」
それだけ言うと、アロイス様は踵を返して部屋を出て行った。
◆
「…………」
さっきのアロイス様の言葉が頭から離れない。
「どういう意味……?」
言葉の意味は分かる。要約すると、もっと男性に対して距離を取れということだろう。
もともと私は男性と親しく付き合ったことがない。父が早くに亡くなってしまったこともあって男性の知り合いがそもそも少なく、ずっとクリスティアン様の婚約者だったので出会いもなかった。
だから本来異性との距離感が近いタイプではないと思うのだけど、最近の男所帯での生活が徐々に私の常識に侵食し始めていた。
一番一緒にいることの多いグランはスキンシップの多い方だ。すぐ肩を組んだり頭を撫でたりしてくる。
第一小隊の皆さんも優しい。肩車をして屯所を走り回ってくれたり、腕にぶら下がったりさせてくれる。
そしてレフ隊長も意外と距離が近い。隣に座っているとよりかかって来たり、悪戯と称して物陰から急に飛びついて来たりする。そのことについて第一小隊の人たちは、「これまで歳の近い友人がいなかったからはしゃいでいるのだろう」と言っていた。
少しおこがましいかもしれないけれど、そう思ってくれているのなら嬉しいな。
毎日がそんな感じだから、だんだん男の人と接することに特別な感じが無くなってきていたのだった。
……いや違う、問題はそこじゃない。
「主人の妻とはいえ、あなたのような美しい方を前にして手を伸ばさずにいる自信はありません」
まるで、アロイス様が私に好意を抱いているかのような言い草だ。
自慢ではないけれど、私はこれまでアロイス様に苦労と心労をおかけしてばかりで、好かれるようなことをした覚えがない。
「……多分、私のために言ってくださったのよね?」
淑女らしい振る舞いを忘れないように注意してくださっただけ。その他のちょっと過剰なお言葉は、夫から見向きもされない可哀想な女である私への、行き過ぎたリップサービスだったのかもしれない。
うん、そう思うことにしよう。考えても仕方がないし。
◆
時間になり、約束通りアロイス様が迎えに来てくださった。その時にはすっかりいつも通りのアロイス様で、さっきのは私の聞き間違いだったんじゃないかと思うほどだ。
使用人の手を借りて着飾った私を見て、「お綺麗です」と言ってくださった。私はもうこれ以上彼について考えないことにした。
今日は久しぶりに淑女らしく着飾っている。髪はボリューミーに巻いて下ろし、ドレスは鮮やかなグリーンで、レースをふんだんに使った女性らしいデザインとなっている。大粒の宝石をあしらった髪飾りもつけ、華やかな印象だ。
ドレスがグリーンなのはレフ殿下の瞳の色に合わせたものだ。面識のない(ということになっている)夫の色に勝手に合わせるのはちょっと……と思ったけれど、辺境伯邸の使用人たちに押し切られてしまった。彼女たちは何故か私より熱心に私を飾り付けてくれる。
「お足元にお気をつけください」
「はい、ありがとうございます」
アロイス様にエスコートされながら会場へ向かう。向かうと言っても、パーティーが開かれるのは辺境伯邸別館のホールなので敷地内。わざわざエスコートしていただかなくても、という気もする。
「主人の妻に恥をかかせるわけには参りません」
「お気遣いいただきありがとうございます」
会場は既に賑わっていた。
色とりどりのドレスで着飾ったお嬢さんたちの姿が私の目を眩ませる。会場には生花を使った贅沢な飾りがふんだんに施され、豪華な料理が照明を浴びて輝いている。ゆったりとした音楽に合わせてみな思い思いに談笑しているようだった。
「あれが第二王子の……」
「思ったより地味ね」
参加者は私を見ながらひそひそと噂話に花を咲かせる。アロイス様の眼光が鋭くなった。
「ご注意申し上げましょうか」
「結構です。慣れていますので」
こんなことでいちいち気にしていたら私は王国中の人たちと喧嘩しなくてはならない。第一王子の婚約者だった頃から私の評判は悪かった。
「それにしても、殿下は何をなさっておいでなのか……」
「や、遅くなったね」
アロイス様が言った直後、彼の背後からレフ隊長が顔を出した。
おぉ……!
いつもは軍服や軽装で見慣れているレフ隊長が、今日は夜会のためにフォーマルな格好をしている。普段は無造作にしている髪を今日は整髪料で整えているのか、少し雰囲気が違って見えた。
隊長、かっこいいです!
そう言ってしまいそうになるのをすんでのところで我慢して、私は臣下の礼を取った。
「お初にお目にかかります、第二王子殿下。ガブリエラと申します。ストレイ公爵家から参りました。どうぞよろしくお願い申し上げます」
結婚して2ヶ月経ってからはじめましてというのは随分と変な感じだ。
「うん、知ってる。僕はレフ・クラウスナー。これまで時間を取れなくて悪かったね」
「いいえ、殿下は国防のために身を粉にして働いていらっしゃるのですから、文句などあろうはずもございません」
「分かってくれて嬉しいよ」
そう言うと殿下は私の手を取った。
殿下がじっと私の顔を見る。まさかバレた? いや、今日は化粧もしているし、印象を変えるために髪を下ろして巻いたし、大丈夫な、大丈夫なはず……!
「君も色々と思うところはあるだろうけど、僕もこのクソ忙しい時期の結婚命令には不満がないでもない。ここはお互いフラットに行こう」
そう言って殿下はにこっと笑った。普段素の隊長と接しているから分かるけれど、明らかな作り笑いだ。
良かった、バレていない。
「かしこまりました」
「夜会の間は適当ににこにこして話を合わせてくれれば良いから。挨拶回りが終わったら後は適当にして」
レフ隊長は言いたいことだけ言うと、後は私の方を見ずに歩きだした。
流石隊長、作戦行動の前に簡潔に作戦の全容を説明し、細部は隊員の裁量に任せる。
あまりガチガチに作戦内容を決めるとミスが多くなり、そのカバーのために無駄な労力を要するそうだ。チェスの指導をしてくれた時に隊長が話していた。
「誠心誠意、お勤めさせていただきます」
「? うん、よろしく」
背後でアロイス様が深いため息をついた気配がした。
レフ隊長について挨拶に回る。レイブン周辺の貴族たちが多く参加しているので、これまで王都で暮らして来た私は初めて顔を合わせる方もいた。
「これはこれは、レフ殿下! 我々が安心して過ごせるのも、殿下の軍が戦ってくださるおかげです」
「いやいや、カール伯爵の援助にはいつも助けられるよ」
隊長が今お話しされている男性、カール伯爵は軍に寄付をしてくださっている方らしい。私はできるだけ愛想良く彼の話に聞き入るようにした。
レフ隊長が別の方とお話を始めると、何故かカール伯爵が私の方に近づいて来る。
「殿下も随分お可愛らしい奥様を迎えられて、羨ましい限りでございます」
カール伯爵が私の手を取る。
「第一王子殿下との婚約が白紙になり、この地においでになったと聞いておりますが……一体どういう経緯があったのかお聞きしても?」
「第一王子殿下のご事情に関わることでもありますから、私の口からは……」
「それはそうでしょう、このような人の多い場でお話しできることでもありますまい。どうです、向こうで二人きりでお話でも」
「えぇ……?」
王都にいた頃はこんな風にぐいぐいと距離を詰められることはなかった。戸惑ってしまい、反応が遅くなる。それを了承と取ったのか、カール伯爵は私の手をぐいと引いた。
「あのっ……」
「伯爵様」
そこに割って入ってくださったのはアロイス様だった。