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私は一から十までアロイス様に説明することを余儀なくされた。
「特にやることもなく暇で……殿下のお顔でも見に行こうかなあ、と……」
「……なるほど」
アロイス様は深いため息をついた。
「そしてわざわざ男装して屯所へ出向き、新兵と偽って兵士たちに潜り込み、戦闘にまで参加していたと言うことですか」
「はい……」
「一歩間違えればスパイ行為ですよ! バレたら捕まっていた可能性だってあるんです。あなたは自分がしたことをもっとよくお考えになった方がよろしい」
「はい……」
バレてしまった……。
せっかく私の特技を認めてくれる人が現れたのに、これでもう駄目になってしまう。悲しい気持ちでいっぱいになった。
「……そんなに剣を振るうのが楽しいですか」
項垂れる私を見かねたのか、アロイス様が労るようにそう声をかけてくれた。
「昔から体を動かすのが好きなんです。剣を降るったり、馬に乗ったり、森の中を駆け回ったり……状況が変わったので出来なくなってしまいましたが」
「……ガブリエラ様としてお会いしたあなたは、いつもどこか諦めた様子でした。ですが昨日見たあなたはとても生き生きとしていた。辺境伯邸での暮らしが辛いのですか?」
「そんな。皆さん、とても良くしてくださいます。用意していただいたお部屋もとても素敵です。辛いことなどありません」
「ほら、それです」
アロイス様のアイスブルーの瞳が私を覗き込んだ。
「昨日の影のない笑顔を見てしまった後では、無理をしているとすぐに分かります」
……そうなの?
確かに好き勝手は出来ないけれど、私は自分が辛い境遇に生きているとは思っていない。両親と死に別れたのは悲しいけれど、だからといって嘆いてばかりいては二人も心配してしまうだろう。最近は毎日美味しいご飯も食べてるしね。
それに、昨日はちょっと羽目を外しすぎていた。男装してエルと名乗り、自分でない誰かになったような気がしてテンションが上がってしまったのだ。あれを私の素だと思われるのは少し困る。
基本的に私は……落ち着いていると思う。そういう風に王妃教育も受けて来たし。自分ではそう思ってるんだけど、どうだろう?
「……殿下には、あなたは私が特別に面倒を見ている新兵だと説明してあります」
「!」
「私の親戚で、頼まれて預かっていると。名簿に名前がないのは正規の入団試験を受けていないからだという風にご説明しました」
「アロイス様……!」
「あなたは守られるべきご令嬢です。本当なら今すぐにでもお辞めいただきたい所ですが、あなたを見ているとそれが正しいのかどうか分からない。それに、今は戦況が逼迫しており、あなたの能力は眠らせておくには実に惜しい」
「ありがとうございます! この御恩はいつか絶対にお返しします!」
「やめてください、騎士相手に膝をつくなど!」
私が感謝すればするほどアロイス様は居心地が悪そうにしていた。
「そうだ、こちらを」
アロイス様が懐から布袋を取り出す。ずっしりと重そうだ。
「これは……お金?」
「昨日の戦いで武功を挙げたでしょう。毎回、最も活躍した者には殿下から褒美が出ることになっているのです。これはあなたのものですよ」
「まぁ……」
自分の力でお金を稼いだのは初めてだった。腕の中でずっしりと重みを主張する袋が、なんだかとても愛おしいように感じる。
「兵士というのは思っていたより稼げる職なのですね。いつか、兵士を本業にするのも良いかもしれません」
「絶対におやめください……」
「そうだ! そのうちガブリエラは事故死でもしたことにして、エルという少年として生きていこうかしら」
「絶対におやめください!」
◆
「お前、アロイス様の親戚なんだってな」
「えっと、うん、実はそうなんだ」
アロイス様が説明してくれたおかげで、レフ隊長の部隊での私の立場は確かなものとなった。
設定はこうだ。
私はアロイス様の母方の親戚で、家族を災害で亡くして天涯孤独の身となった。幼い頃から親交のあった私の身を案じたアロイス様が身許引受人となったはいいが、彼は軍属でレイブンの地から離れるのは難しい。そこで私を仮に軍に入れ、新兵として面倒を見つつ、一人で身を立てられるよう稽古をつけていた……。ということだ。
「だから強いのか? アロイス様も穏やかな人だけど、戦場では鬼のように強いんだ。そういう血筋なのかもな」
「そうかも、えへへ」
「何がえへへだよ。生意気に俺にも勝ちやがって。いつか絶対勝つからな!」
「もぉー、ひゃめひぇよぉ」
グランが私の両頬を引っ張る。友達とこんな風にはしゃぐのも初めての経験だ。なんだかくすぐったい。
今日は兵士たちと混ざって訓練に参加していた。メニューは模擬戦。
すっごく楽しい……!
教官が見守る中で、それぞれで勝手にペアを作り、思い思いに剣をぶつけ合っている。
「いきなり来た僕が馴染めるか不安だったけど、みんな優しいね。わざわざ僕のペアになってくれるっていう人もいるし」
「あ、あぁ……」
てっきりあぶれてしまうかと思っていたのだけど、そんなことはなかった。
最初に話しかけて来てくれたのは私の2倍ほどの身長がある岩のような男の子だった。
「お前か? アロイス様の親戚で、レフ隊長にも目をかけられてるっていうガキは。調子に乗るなよ! 思い知らせてやる!」
そう言って私をペアに誘ってくれた。
「勝者、エル!」
「次は俺だ。その可愛い顔をぐちゃぐちゃにしてやるよ」
次に誘ってくれたのは髪の長い細身の男の人だ。
「勝者、エル!」
「次は俺様だ!」
「勝者エル!」
「次は……」
そんな風に、私は訓練中休むことなく模擬戦に勤しむことができた。今は休憩時間だ。
「調子はどうですか? エル」
「アロイス様!」
急に座っていた場所が日陰になったので見上げれば、私の背後にアロイス様が立っていた。
私の頬を引っ張って遊んでいたグランが慌てて背を正す。
アロイス様からは、事前に「エル」でいる時は親戚の少年として接すると言われている。私もその方がありがたい。
「はい、みなさんとってもあたたかく接してくれて、訓練も楽しいです。ね、グラン」
「あ、あぁ」
「そうですか……エルに何かあれば、亡くなったエルのご両親に申し訳が立ちません。グラン、くれぐれもよく見てあげてください」
「はい……」
アロイス様がグランの肩に手を置く。気さくな動作だ。ただグランの顔色があまり良くないように見えた。
「では、私はこれで」
釘を刺すだけ刺して行ってしまったアロイス様の背を見ながら、グランと話す。
「アロイス様って意外と過保護だね」
「なんだか俺は寒気がしたぞ……」
「休憩時間でも気を抜くなってことじゃない? グランってばふざけてたから」
「それだけかぁ?」
訓練を終えて、夕飯を食べに屯所の食堂へ向かう途中、後ろから急に肩を組まれた。転びそうになるのをグランが受け止めてくれる。
「わっ!?」
「や、エル。訓練見てたよ。大活躍だったね」
「レフ隊長!」
声をかけて来たのはレフ隊長だった。シャツとズボンというラフな格好で、髪が少し濡れている。訓練終わりに水浴びをしたみたいだった。
「はい。とっても楽し……ためになりました! こんな風に訓練に参加できるのもレフ隊長のおかげです。ありがとうございます」
「そんなペコペコしなくたっていいよ。確かに僕は一応王子で隊長だけどさ、きっちり働いてくれる限り兵士たちにはうるさいこと言わないようにしてるんだ。だからお前ももっと砕けていいよ」
「でも、レフ隊長は僕の恩人ですから。昨日は直属部隊に誘っていただけて本当に嬉しかったんです。もっともっと強くなって、レフ隊長のお役に立てるよう頑張りますね!」
「へー」
レフ隊長の手がぐしゃぐしゃと私の頭を撫でる。編み上げて隠した髪が崩れてしまわないかひやりとした。
「可愛いこと言うじゃん」
「えへへ……」
「そうだお前、チェスはできる?」
「ルールは知ってます。あんまりやったことはないですけど」
「食事が済んだら僕の部屋に来いよ。教えてあげる。嬉しい?」
「本当ですか? 絶対いきます! 嬉しいです!」
「よしよし。じゃ、また後でね」
満足そうに笑うとレフ隊長は足早に屯所の廊下を駆けていった。
忙しそうだなぁ。そんな中でも私を呼んでくれるなんてすごく嬉しい。絶対行こう!
「本当にレフ隊長に気に入られてるんだな。隊長があんな風に部下を部屋に呼ぶの、初めて見たぞ」
「本当? 隊長って良い人だね」
「呑気な奴だな……」
◆
私は手早く食事を終えると屋敷の3階にあるというレフ隊長の部屋に向かった。グランも一緒に来ないかと言ってみたけど、自分は呼ばれてないから行かないと言う。そういうものだろうか。
「レフ隊長、エルです」
「入っていいよー」
許しを得たので扉を開けると、部屋の中にはレフ隊長とアロイス様がいた。
「殿下! その格好は……」
「え? 別にいいだろ、男しかいないんだから」
アロイス様が慌てているのは、多分レフ隊長が上半身に何も来ていないからだろう。
「訓練の後は暑いんだよ。お前に言われて廊下ではシャツを着るようにしただけ、譲歩してると思うけど?」
「それは……そうなのですが……」
アロイス様がちらちらと私を見る。私は気にしないから別にいいのに。相手は年下の男の子だし、今は私も男という体でここにいる。
特に気にならないからアロイス様も気にしないで欲しい。その意思を示そうと、私はあえて軽口を叩いてみた。
「レフ隊長、意外と腹筋割れてますね。僕もレフ隊長みたいになれるよう頑張ります」
年相応に小柄で細身なレフ隊長だけど、体つきはやっぱり軍人のものだ。
「意外とは余計だよ」
「エル?」
しかしレフ隊長からは呆れられ、アロイス様の微笑みからは強い圧を感じた。
何か駄目だったかな……?
「そんなことはどうでもいい。エル、こっちに来て座りなよ。チェスを教える約束だったよね」
「はい!」
「殿下、シャツを着てください」
「ルールは知ってるんだよね? じゃあ軽く差してみようか」
「殿下……」
「胸を借りるつもりで頑張ります!」
殿下は本当にチェスが強かった。私が弱いせいもあって、よく分からないままに何度も負け続ける。
アロイス様は途中で報告があると言って部屋を出て行ったので、部屋には私とレフ隊長の二人っきり。チェスの駒を動かす乾いた音だけが部屋に響いていた。
「あの……弱くてごめんなさい……隊長はつまらないですよね」
「うん? 鍛えるために呼んだんだから、期待してないよ。ほら、チェックメイト」
「あれぇ? こんなところにポーンありました?」
「さっき置いたんだよ。どうすればこの場面を切り抜けられると思う?」
「うーん……こう動かしても、ナイトに取られるし、こうしたらこうなって、うーん……頭が沸騰しそうです」
「でも覚えて損はないよ。チェスは戦略立った考え方の練習になるし、頭の体操にもなるからね。きっとそのうち役に立つ」
「そうなんですね……頑張ります……」
でも難しい……。
◆
「これはどういうことですかーっ!」
「わっ!?」
アロイス様の声で目が覚め、自分が寝ていたことに気がついた。
窓の外を見ると、もう真夜中だ。
「あー……?」
隣ではむくりとレフ隊長が体を起こした。
そうだ……。
私の頭から煙が出始めたのでチェスは一旦休憩になり、隊長に簡単な拷問や柔軟を教えてもらったりしてるうちにじゃれあいになり、ベッドの上で枕投げが始まった。そのうちに二人とも眠ってしまったのだろう。
「なんだよ、人が気持ちよく寝てるのにさ……」
「寝るならシャツを着て、身支度を整えてからになさい。それとエル」
「はいっ」
「隊長の部屋で居眠りとは随分な態度ですね?」
「はい……」
「良いじゃんもう、ここで寝かせれば。明日も朝早いんだしさ……」
「いけません!」
確かにまずい。朝までに部屋に戻らないと、流石に辺境伯邸の使用人に部屋を抜け出していることがバレる。
「アロイス様のおっしゃる通りです。僕、自分の部屋に帰りますね」
「そう? またおいでよ、お前は見込みがありそうだからね」
半分眠っていそうなレフ隊長に見送られ、私はアロイス様に連れられて部屋を出た。
「あなたには危機感というものかお有りでないのか?」
「はい、すみません……」
「男ということになっていても、あなたは正真正銘女性なのですよ。それが殿下と一つの寝台で寝こけるなど、何かの弾みで間違いでもあればどうなさるおつもりか!」
「良いんじゃないですか? 私と隊長って、書類上は夫婦なわけですし」
言ってから、そういえばレフ隊長って私の旦那様だったなと思い出した。私にとってレフ隊長は第二王子というより仕事上の上司になりつつある。
それも、大恩ある素晴らしい上司だ。
「そういう問題ではありません!」
「はい……」
火に油を注いだようで、アロイス様のお説教はしばらく続いた。