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「レフ殿下が!?」

「なんだ、お前もレフ隊長に憧れてる口か?」


  そうだった。

 私は本来、もう結婚して二週間立つというのに未だに顔も知らない夫を見に来たのだった。彼が顔を出すというなら丁度いい。ここから見てやろうじゃないか。抜け出すのはその後でも遅くはない。


 グランと雑談しながら待っていると、急に場が静まり返った。運動場の真ん中、木で組まれた舞台の上にいつの間にか人がやって来ている。まだ幼い少年と、その隣に立つ立派な騎士。

 騎士はアロイス様だった。この中で唯一私の顔を知っている人だ。私は咄嗟にグランの背中に隠れた。

 そしてアロイス様が付き従う相手。あの少年が私の夫で間違いないだろう。


「皆のもの、傾聴!」


 アロイス様がよく通る声で言う。


「ま、楽にして聞いてよ」


 そう言った少年は全身赤い血に塗れている。


 返り血、かしら……?


 殿下はどこか痛む様子もなく立っているので、おそらくそうなのだろう。返り血を浴びながらもニコニコとそこに立っている。

 気狂い王子、レフ・クラウスナー殿下。

 やっとそのお顔を拝見できた。


 こんなことを言うのもなんだが、分かりやすく美形なクリスティアン殿下とはお顔立ちの系統が少し違うようだった。灰色の髪に暗い緑の瞳。強いて言うなら優しげな垂れ目が印象的だけれど、これと言った特徴はない。なんというか、素朴な少年といった風体だ。

 ……もちろん、血濡れでなければだけど。


「ん? あぁ、これは気にしないで。ついさっきまで捕虜の尋問をしてたんだ」


 レフ殿下は部下たちの視線に気づいてそう言った。返り血など日常茶飯事だと言うように(というより、実際茶飯事なのだろう)あっさり。


「えー、北の砦が敵軍の妙な動きを観測した。奴ら、また性懲りも無く僕らに殺されにやってくるようだ。小競り合いが連日続いてあまり休みも取れていない状態だけど――うさぎ狩りで疲れちゃうような軟弱者はうちにはいないよね?」


 レフ殿下の問いかけに答え、兵士たちから歓声が上がる。


「もちろんです!」

「奴らうさぎ鍋にしてやりましょう!」

「ぶっ殺してやる!」


 すごい気迫……!


「士気が高いんだね」

「ここの隊は名目上は王家直轄近衛隊の一つってことになってるが、実際はレフ隊長のカリスマにやられてついて来た荒くれ者たちの集まりだからな」

「グランもそうなの?」

「ま、似たようなもんだ」


 レフ殿下って人気あるんだなぁ。聞いていた話とはだいぶ違う。クリスティアン殿下は、レフ殿下のことを誰彼構わず殺してしまう殺人狂のように言っていたけど、少なくとも部下とは仲が良いみたい。


 確かに、壇上で堂々と演説する殿下は楽しげで、自信に満ち溢れていて、この人について行きたい! と思わせるような気迫が感じられた。


「各自持ち場につけ! レイブンの守りは鉄壁だと言うことをセブンスの犬どもに叩き込んでやれ!」

「「おぉーっ!」」


 殿下の檄に兵士たちのテンションは最高潮に達する。

 空気に乗せられた私は、グランと一緒に拳を天に突き上げた。



 私はグランにつれられ、彼の所属だと言う第五分隊と行動を共にしていた。グランはとても面倒見が良くて、私が本当に新兵だったら一生ついて行きます! と言っていたかもしれない。


「俺たちは西門の守りだ。状況によっては前線の応援に行くこともあるが、基本は持ち場から離れない。敵の奇襲の可能性もあるしな」

「なるほど?」

「今回の戦線は東側に集中してるようだから、俺たちの出番はないかもしれないな」

「勝てるの?」

「当たり前だろ。セブンス公国なんて俺たちの敵じゃない。奴ら、数が多いだけの雑兵だよ」

「へー……」


 思ったより余裕のある状況のようだった。隣国、セブンス公国と我が国の小競り合いは圧倒的にこちらに軍牌が傾いているらしい。


「これ食うか? 配られてる携帯食料なんだけどさ」

「いただきます!」

「ははは、今年の新人はいきが良いな」


 グランだけでなく、グランの仲間の第五分隊の人たちも私を可愛がってくれた。


「お前、正式に隊員になったらうちに来いよ。お前みたいな賑やかなのは大歓迎だ」


 そう言って頭を撫でてくれるのはジンさんだ。私の父くらいの年齢で、弓兵だという。


「えー? こんなひょろひょろ、使い物になりますかねぇ」


 そう言って笑うのはフロックさん。憎まれ口を叩くけれどその笑顔は優しい。彼は剣士だそうで、身長ほどもある大きな剣を触らせてくれた。


 そんな風に第五分隊の人たちと和気藹々と過ごし、ここが戦場だと忘れ始めていた時だ。


 トスっと軽い音がし、隣で自分の恋人がいかに嫉妬深いかという話を熱弁していたフロックが倒れた。


「え……」

「弓だ! 狙われてる! 建物の影に入れ!」


 流石は現役の兵士、グランの咄嗟の判断で見張り小屋の裏に腕を引かれ、隠れる。ジンさんたちもそれぞれ遮蔽物の影に入っていた。


「なんで西門が? 一体どこの軍だ!」

「フロックさんの手当てをしないと」

「今は無理だ!」


 グランが辛そうに首を横に振った。


「おい見ろ、あれ……」


 ジンさんが指をさす方を見る。


 西門の周辺は森に囲まれている。その木々の影から、金属の甲冑に身を包んだ兵士たちが次々と姿を表した。第五分隊のみんながつけている武装とは形式が違う。敵兵だ。


「サム、中に戻って報告! 西門に敵軍がいる! およそ中隊規模! 援軍を呼べ!」

「はいぃ!」


 こう言う時の伝令役は決まっているのだろう。分隊の中で一番小柄な男性――サムは驚くような速さで門の中へ駆けて行った。


「あいつ、足速いんだ。きっとすぐ援軍を連れてきてくれるはずだ」

「うん……」


 グランの言葉を信じたい。

 しかしそう上手くはいかなかった。


「ぎゃあああっ!」

「ジンが斬られた! エドモンド、連れて下がれ!」

「これ以上下がれねぇよ!」


 中隊というのは200人から300人程の人数の隊を指す。一方、こちらは小規模の分隊。もともとの人数は12人で、真っ先に弓で射られたフロックと伝令に走って行ったサムを除き、残っているのは10人。そのうちの一人が今大怪我をした。勝ち目は無いに等しかった。


 グランに下がっているよう言いつけられた私は、グランの盾の後ろでひたすら怪我人の手当てをしていた。

 習ったことはないが流石に手当てくらいはできる。衣服を裂いて包帯を作り、きつく縛って血を止める。今や部隊の全員が大なり小なり負傷している。


「グラン、ジンさんの血が止まらない!」

「くそっ、援軍はまだ来ないのか!」


 絶えず雨のように矢が降り注ぐ。私は倒れたフロックの剣を盾に矢を凌いでいた。彼の身長ほどもある大きな剣は私の体くらいならすっぽり隠してくれる。


「これだけ待っても来ないとなると……他の部隊も交戦しているのかもしれない」


 怪我をして手当てをされている第五分隊の人が言った。


「交戦?」

「きっと西の派手な戦いは囮だったんだ。奴らの狙いは最初から手薄になった東門だったのさ」

「そんな……」


 聞くところによると、セブンス公国の兵士たちは徴兵された一般人も多く、練度はそう高くない。しかしとにかく数が多い。一方でレフ殿下率いるこちら側はみな訓練を受けた軍人で練度は高いが、公国に比べるとその数は十分の一ほどのようだった。


 今まではレイブンの一騎当千の兵たちが各個撃破で勝利を繋いできたが、今回のように数を武器にした大規模戦線を敷かれるとどうしても守りが手薄になる。


 これ以上待っても味方が来ないのなら、逃げるしかないのでは……。

 このままでは全滅だ。


 腕を深く斬られて私のところへ来たグランに話しかける。


「ねえグラン――」

「逃げねぇぞ」


 私が言いかけたことを察して、きっぱりとグランは宣言した。


「俺たちはレフ隊長の元に集まった兵士だ。持ち場を離れて逃げ出すようなみっともない真似はしねぇ。俺たち兵士は、いつだってここを死に場所と思って戦ってるんだ」


 私の表情が見ていられなかったのか、グランは血と汗にまみれた手で私の頭を撫でた。


「安心しろ。お前のことはちゃんと守ってやる。俺は先輩だからな」


 みんな次々と倒れていく。倒れた人たちを介抱している余裕は今はない。まだ戦える人を優先的に手当てし、それが済んだら前線に向かわせ、なんとかこう着状態を維持している。

 けれど、それも時間の問題だ。


「ぐ、うっ……」


 さっき深く斬られたジンさんはまだ血が止まらない。素人目にも、これ以上出血するのがまずいことは分かる。

 死んでしまう。私に優しくしてくれた人たちが一人残らず。


「……グラン、ジンさんたちを守りながら門に入って。僕が時間を稼ぐから」


 私はグランの返事を待たずに敵陣へ走った。


「エル!」


 私はグランたちみたいに訓練された兵士ではない。けれど、彼らより体が小さいし素早い。時間を稼ぐだけならいくらかは持つだろう。その後に殺されるとしても、それでも良かった。


 ほんの少しの間だけど、エルとして優しくしてもらった。両親が死んでから、こんな風に誰かと穏やかに過ごしたのは初めてだ。剣も触らせてもらってとても楽しかった。

 だから、ここで死んだって良い。


 それに、矛盾しているけれど、私は彼らに負けないという予感があった。



 血。血。血。

 死体。死体。死体。


 さっきまで悲鳴と怒号が飛び交い、刃と刃がぶつかりあっていた戦場が、今ではしんと静まり返っていた。


 その中心に立つのはエルだ。

 俺が今日であってここへ連れて来てしまった、まだ若い新兵。魔術剣士の才能があるようだが、まともな訓練もまだ受けていない新人だ。こいつを連れて来てしまったのは俺の失敗で、なんとかこいつだけでも生きて帰さなければと思っていた。

 ……要らぬ心配だったのだろうか。


 柔らかな色合いの金髪と碧眼を持つ可愛らしい少年だったが、今はもとの色など分からないほど赤く濡れ、目はギラギラと鈍い光を放っている。


「ジンさんたちを守りながら門に入って。僕が時間を稼ぐから」


 エルがそう言ってから、まだ1時間も経っていないはずである。

 突如としてやって来たセブンス公国の中隊規模の敵兵と交戦になり、俺たち第五分隊はかなりの苦戦を強いられた。仲間が傷つき、倒れ、後は全滅を待つのみかといった状況で、エルは敵軍に突っ込んでいった。


 無謀だ。

 誰もがそう思った。あの新兵は死ぬ。


 しかし、フロックの大剣を持ったエルは、鬼もかくやの気迫だった。鉄の塊をナイフやフォークのように軽々と振り回し、敵兵を紙屑のように蹴散らしていく。

 大地は敵の血と悲鳴で満ち、大の男たちが腰を抜かしてエルから逃げ出そうとすらしていた。


 戦の前、エルと手合わせをした時、あいつはほとんど剣術の経験は無いと言った。それは嘘ではないと思う。あいつは強かったが、動きは明らかに素人だった。型のかの字も無い、完全に自己流だ。

 だが、だったらあの強さはなんなんだ? どうやって説明をつける。


 強いて言うのなら、天性のセンス。

 それも戦争のセンスだ。


 手合わせの時、エルは無茶苦茶に俺に剣を打ち込んで来たが、その全てが寸分違わず俺の急所を狙っていた。


 それはどのように動けば人を殺せるか知っている、人殺しの才能だ。


 俺たちは悪夢のような光景を呆然と見ていることしかできなかった。


「おい、エル……大丈夫か……?」

「……何人か逃した。追いかけないと」


 表情が抜け落ち目だけがギラギラと光るエルは幽鬼のようで、そんな状態でよろよろと森の方に歩き出そうとする。


「待て! もういい!」

「でも、増援が来る……」


 エルの肩を掴んで引き留めようとした時だった。


「――これはどういうこと?」


 レフ隊長だった。

 横にはアロイス副隊長を連れ、増援を伴って来てくれたのだ。

 間に合いはしなかったが、俺はやっと一息つけた心地だった。


「今回、西の戦線をおとりに東側の四つの門が襲撃に遭っていた。僕の部隊を順番に迎撃に向かわせたけど、第六と第七分隊が全滅。他は重軽傷者多数。ここも似たような状況みたいだね」


 既に落ち着いた戦場を見回し、つぶやくようにレフ隊長は言う。俺に話しかけているわけでは無さそうだった。


「ここは第五分隊の持ち回りだったよね? えっと、君は確か――」

「グランです、レフ隊長」

「そう、グラン。これは君がやったの?」

「いえ、これは……」


 俺に掴まれてじっとしていたエルの体がふっと傾いた。


「エル!」


 咄嗟に抱き抱えると、その体は驚くほど軽い。中身が詰まっているのか心配になる程だ。

 エルは気を失っただけのようだった。

 俺は、ここであったことを包み隠さずレフ隊長に報告した。


「へぇ、その新兵が」


 レフ隊長は愉快そうに笑った。

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