最終話
城から下り、宿に戻る。
アロイス様は事後処理のために王城に残ってくださるそうだった。彼もお疲れだろうに申し訳ない。
「クリスティアン殿下のこと、レフ様はご存知だったんですね」
「僕だって城にツテくらいある。急に結婚が決まったら事情を調べたりはするさ。その流れで聞いたんだ」
「私、10年以上彼の婚約者だったのに、全く気がつけませんでした。自分が恥ずかしいです……」
「兄上が隠してたんだろ。気にすることはないよ」
連れてきた使用人はもう休ませているので、私がレフ様の上着を預かりお着替えを手伝った。
お互い寝間着に着替えてベッドに腰掛ける。
今借りているのは二人用の部屋で、ベッドも二つある。手続きの時に私は一つでも良いと言ってみたけど、受け入れてはもらえなかったのだ。
「それより、ごめん。僕の考えが甘かったせいで、お前をあんな目に遭わせた」
「何故レフ様のせいなのですか?」
「僕は兄上がお前を諦めてないことも知ってたんだって。僕と離れれば接触してくるだろうことも予想してた。でもお前を一人にしたんだ」
「それは、どういう?」
レフ様のおっしゃりたいことがよく分からなかった。
「だから、その……もしかしたら、お前も、きちんと兄上と話しておきたいかと思って」
「……? お気遣い頂いたということでしょうか? ありがとうございます」
私としては特に話すべきことはなかったが、まぁ10年の付き合いでもある。もっとちゃんと挨拶とか、するべきだったのかもしれない。レフ様はその辺りのことを考えてくださったのだろう。
「違うって。お前を気遣ったんじゃなくて……自信が無かったんだ。お前の心が少しでも兄上にあるんじゃないかって、疑って……それを振り切れなかった」
「えぇ? 私何か、レフ様に疑わせるようなことをしてしまいましたでしょうか」
「何もしてない、僕が勝手に思っただけだよ。だって、奥さんが前の婚約者と会うんだよ。少しくらい不安に思うのは普通の感情じゃない?」
なるほど。
よくよく考えなくても私とクリスティアン殿下は元婚約者同士、しかも世間的には私が一方的に振られた形だ。
まだ未練があると思われるのも無理はないのかもしれない。私の配慮が足りなかったと言えるだろう。
「クリスティアン殿下のコンプレックスのことといい、私ってものすごく無神経……? レフ様、もし私が無礼なことを言ったらいつでも叱ってくださいね」
「無神経っていうか、感情の機微に疎いかな?」
「そうだったんだ……」
そしてレフ様からもそんな風に思われていたんだ。真面目に自分の性格を見つめ直す必要があるかもしれない。
「でもその分、言葉にしてくれるだろ。お前のそういうところは好きだよ」
「そうなんですか? レフ様がそう思ってくださるなら直さなくて良いです」
「うん、僕もそうすれば良かった。兄上を馬鹿にできないね。不安だったけどお前にそれを気取られたくなかったんだ。だからあの時一緒に来いって言えなかった。そのせいでお前を嫌な目に遭わせて……本当に悪かったよ」
レフ様が責任を感じてくれていることは分かったけど、やはり謝られることではないと思う。ただそう言ったところでお分かりいただけないだろう。
「じゃあ、お願いを一つ聞いて下さいますか? そうしたら許します」
「あまり良い予感がしないけど……何?」
「今日は一緒のベッドで眠りたいです!」
「…………」
◆
1人用の狭いベッドの中で、レフ様と並んで横になる。
ランプの火を消すと、部屋は窓から差し込む月明かりに照らされるのみになった。
レフ様の白い頬が月光に浮かび上がるようだ。
「そんなに端に寄っては落ちてしまいますよ?」
「平気だよ。僕は寝相がいいからね」
「私もそっちへ行っていいですか?」
「少しは僕の事情を汲んでくれないかな……」
レフ様から悩ましいお声がする。
「レフ様はいつも私を遠ざけられます……私の何が不足ですか? おっしゃって頂ければ、直します」
私の中の数少ない両親の記憶は、広いベッドで一緒に眠る2人と、時折その間に混ぜてもらう幸せな夜だ。
そうでなくても夫婦は一緒に寝るものだと思うのだけど、レフ様はそういうことを嫌がられる。
「あっ、もしかして、人が近くにいるとうるさくて眠れないのですか?」
「そうじゃない、迷惑だから言ってるんじゃないよ」
レフ様は慌てて否定した。
「そうじゃなくてただちょっと……女の子と同じベッドで眠るなんて、慣れないから」
「……お顔が赤くなってます」
「うるさいよ」
隊長は赤くなった顔を隠すように私に背を向けてしまった。
「近くで眠ってもご迷惑じゃないんですか?」
「そう言っただろ」
「なら、こんな風に近づいても?」
レフ様の背中に頭をぴったりつける。
「……もしかして僕を試してる?」
「試す?」
「ごめん、なんでもない……」
本当に意味が分からなかったから聞き返したのだけど、レフ様はすぐに言葉を引っ込めてしまった。
「ごめんなさい、よく意味が分かりませんでした。でも私はレフ様を心から尊敬していますから、そのお心を天秤にかけたりはしませんわ。どうか信じてください」
「僕が悪かったから……!」
私がしつこく聞くと、レフ様はそのお言葉の意味を教えてくれた。
「ごめんなさい、物分かりが悪くて」
「だから今のは、こんな寝間着一枚で、距離も近くて無防備だと、僕が不埒なことをするかもしれないよってこと。あんなことがあった後で、お前だって嫌だろ? だからもう少し……」
「不埒って、道徳に反したことって意味ですよね? 私たちは夫婦ですから何も恥じることなどないと思います。それに、レフ様は第一王子殿下ではありませんから」
「うーん、何をどこから説明したら良いのかな……」
レフ様がこちらを向く。そして私の腹の辺りに手を滑らせた。
「じゃあ、こういうことされても良いの? 嫌じゃない?」
「くすぐったいですけど、はい、問題ありません」
レフ様の手がそのまま脇腹を撫でるようにして這い登る。その触れ方がとても優しいので、くすぐったくて仕方がなかった。
「ふふっ、ふ、我慢できません。くすぐったい」
「こういうのは?」
「もちろん、嫌じゃありません。レフ様にされて嫌なことなんかありませんから」
「……本気で言ってる?」
「はい。最近知ったのですけど、レフ様に撫でていただいたり、ハグして頂いたり、そういうスキンシップが私は好きみたいです。どうぞもっと触れてください」
レフ様が大きなため息をついた。
「あんまりこんなこと聞きたくないんだけど、兄上と過ごしていた時はどうしてたの?」
「ご覧の通り私はあまり女性らしいスタイルをしていませんから、クリスティアン殿下はお気に召さなかったようです。時折馬車の中で体を触られたりとか、その程度です。その度に肉付きが悪いと怒られました」
「じゃあさ、もしかしてさっきみたいなことが……」
「まさか、クリスティアン殿下は穏やかな方ですから。ぶたれたのは初めてです」
「それ以外はあったの?」
「殿方の欲を受け入れるのも妻の役目と、王妃様から教わりました」
「あの女が元凶かよ!」
レフ様が珍しく乱暴な言葉遣いをされた。
「あ、ごめん、お前に怒ったわけじゃないから」
「はい……」
「そうだ、さっき触って思ったけど、結構腹筋ついて来ているね。トレーニングを続けてるんだ、偉いよ」
「え……」
私を気遣ってか、努めて明るい声でそう言う。そういえばさっきお腹を……レフ様や部隊の皆さんにはけして及ばない薄いお腹を……。
「お、お恥ずかしいです。部下としてこんなだらしない体をお見せしてしまうなんて……ごめんなさい、もう触らないでください、恥ずかしい……」
「お前の恥ずかしがるポイントが分からない」
◆
なんとなく会話が途切れ、静寂が落ちる。ただレフ様の体温が心地よくてまどろんでいると、ぽつりとつぶやくような声が聞こえた。
「……ねぇ、僕と一緒にいるのが嫌になってない?」
「な、何故ですか!?」
「僕は敵を殺すことに何の迷いもない奴だよ。さっきの兄上のことだって、お前が止めなければ殺したって良かったんだ」
「そんなことをすれば、レフ様も罪に問われます……」
「どうにでもやりようはある。例えば拘束されたとして、公国との休戦状態が破られれば、陛下は僕を頼らないでいることはできないだろう?」
レフ様が怪しく笑う。それは意図的に戦争を起こすとかそういう話だろうか……。
今の王国と公国の微妙な緊張状態は、何か小さなトラブルでもあればまた爆発してしまうだろう。不可能ではないように思えた。
「それに、お前と兄上の会話は全部聞こえてたんだ」
「全部ですか!?」
「うん、隣にいたみたいに全部まるっと聞こえてた」
「それは……すごいですね?」
「別にすごくない。これから僕と過ごすなら、お前は秘密を持つことは難しいだろうね。話したこと全て僕に筒抜けなんだから」
レフ様は作戦を指揮している時は自信満々に見えるのに、自分のこととなると及び腰になってしまうところがある。
そういう所は見ているともどかしいけど、少し可愛らしい。
「僕は人と違うところがいくつかある。兄上言うように、もしかしたら怪物なのかもしれない。お前もいつか僕を遠ざけるようになるかもしれないよ」
「怪物と呼ばれたのは私も同じことです、レフ様。怪物だったら怪物同士、お似合いってことはありませんか?」
私がそう言うとレフ様は少し驚いて、それから頬を赤くして笑った。
「ねぇ、少し考えてることがあるんだけどさ……」
「何でしょう?」
「結婚式をさ。僕がすっぽかしたじゃない」
「はい」
「やり直し、しないかと思って」
レフ様が申し訳なく思ってくれているのは分かるし、そのお気持ちはとても嬉しい。
けれど私たちの結婚式は一度正式に行われて終了しており、もう一度行うことはあまり現実的ではないだろう。
「式は要りません。誓いが欲しいです。結婚の誓いを、私はレフ様にしていただいておりません」
「……それもそうだ」
レフ様が体を起こす。
「わっ」
私も起き上がろうとすると、頭から何かかけられた。シーツだ。
「またベールを被れるなんて思いませんでした」
「普通は二度ないからね」
それもそうだ。
レースがふんだんに使われた繊細なベールじゃない。ただの宿屋のシーツだけど、なんだか恥ずかしい。前回の結婚式と違って、今はレフ様が目の前にいるから。
「レフ様」
「うん」
「病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、私をあなたの剣として盾として、お供させてくださいますか?」
「そういうのって、愛し続けますか? とかじゃないの」
「良いんです、意味は同じですから」
「同じかなぁ……」
同じです。
「誓うよ。どんな時も一緒に戦おう。そして……一緒に死のう」
「……はいっ!」
「それで、お前は? 病めるときも健やかなるときも、僕を信じてついて来てくれるかい?」
「もちろんです。誓います。私の全てを賭けます!」
「重いな」
「あ、全てって言っても私の持ってるものなんて全然無いんですけどね。もう実家との縁も切れたようなものですし。ふふ」
「別の意味で重いな……」
レフ様は困ったように笑い、私も笑った。
こうして私たちは、この日改めて夫婦になった。
◆
公爵令嬢ガブリエラの戦争と結婚についてのお話はここまで。
これからはレフ様の妻であり王国初の女性兵士ガブリエラの物語が始まるのだけれど、それはまた別の話。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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