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短かったので一日に二話投稿です。同日にもう一話投稿していますので、まだの方はそちらからご覧ください。
「だいたい、僕は家庭ってものがよく分からないからね。まともな夫婦とか身近に見たことがないし。あと貴族の女なんか一番嫌いだ。あんな見栄と思いつきで生きてるような生き物と一緒に暮らすなんて冗談じゃない……っていうのは、前まで思ってたことだけど」
隊長は私の顔を見て、慌てて付け足した。
「だから結婚も不本意だったし、お前とも話したくなかった。せっかくレイブンでのんびりやってたんだ、城でのことを思い出したくなかったんだよ」
私は何と言っていいのか分からず、ただ頷いて話を聞いていた。
「でも、お前からすればいい迷惑だよね。そっちだって好きでこんな田舎まで来たわけじゃないだろうに、夫は顔も見せないし。住む所は辺境伯の屋敷に居候だし。ついでに夫は僕だし。
ほんと、不思議だよ。なんでお前ってそんなに僕に好意的なの?」
そんなの言うまでもないことだ。
「隊長は私の恩人で、誰にも代え難い大事な人だからです」
隊長は私の言葉に驚いたようだった。
「隊長は私のことを必要だと言ってくれて、そういう風に扱ってくれます。だから隊長といる時間は幸せです」
「……そうなんだ」
「はい! 私、隊長のことが大好きです」
「ごめん、もういいから」
隊長は私からふいっと顔を背けてしまう。けれど、赤い耳が隠せていない。恥ずかしがっていらっしゃるのだ。
「僕をそんな風に言うのはお前だけだよ」
そう言って隊長が私の髪を撫でる。
隊長の腕の中にいると、エインセルで肩を寄せ合って休んだ時のことを思い出す。隊長が隣にいてくれると思うと敵地でも安心して休むことができたのだった。
隊長の肩口に頭を擦り寄せると、隊長はびくりと体を硬直させた。しかし、ゆっくりと抱き寄せてくださる。
「こうしているとお前の心臓の音がすぐ近くに聞こえる。それがすごく心地いいんだ。多分僕はお前のこと、かなり好きなんだと思う」
「うれしいです」
「喜ぶようなことじゃないよ。お前もあの小鳥みたいに、最後には潰しちゃうかも」
「そうなんですか?」
「そうとも。僕はそういう奴だから」
隊長は自嘲気味に言った。
「だから、お前にはどこかに行ってもらおうと思ってたんだ。ここじゃない、もっと暖かい場所がいいかな。そこで穏やかに暮らせるように、お前のために屋敷を建てようって、そう言おうかと思った」
その展望は私がはじめに予想していた未来と近い。
「でもやめた」
「えっと……何故ですか?」
「お前、僕から逃げようとしてただろ。荷物を処分して身軽になって、それでどこへ行くつもりだったの?」
「あっ」
隊長は私が支度を進めていることに気がついていたのだ。あれから辺境伯邸にいらしたのは初めてだから、見張りでもつけていたのかもしれない。私の信用の無さ……。
そして笑顔がなんだか怖かった訳がやっと分かった。隊長は怒っているのだ。
「僕に全部預けるとか、一生ついてくるとか言っといてさ、うそだったってこと? 生意気だよね。ムカついたからさっきの案はやめたんだ」
「お……怒っていらっしゃいますよね……?」
「ん? そう見える?」
見えます。
表情はとてもにこやかだけど、背後に怒気が立ち上っている気がする……。
「さっきの案はやめて、お前をずっとここに置くことにした。お前はこれから一生僕のお嫁さんでいるんだ。心配しなくても虐めたりしないよ。ただ時々こうして僕の話し相手になって、一緒に過ごして、お前の音を聞かせてくれたりしたらいいんだ。そんなに悪い取引じゃないはずさ。週に何時間か我慢すれば、お前は好きな剣術を続けられるんだし……って、何笑ってるの?」
矢継ぎ早に話していた隊長が、話を中断して私を詰る。
「ごめんなさい。殿下の言い方がおかしくて」
意地悪そうな口ぶりで取引なんて言うけれど、その内容は私にとって全く意地悪なんかじゃない。それでも悪ぶって見せるのは、きっと私と同じ理由だ。
「どうして取引だなんておっしゃるんです?」
「だって……お前はこんな望まない結婚から逃げ出したいんだろ。僕みたいな戦争狂いで、大した後ろ盾もなくて、今は田舎に引きこもってて、ついでにこんな年下のガキだったら誰でもそう思う」
「それは違います。私が逃げ出したかったのは……怖かったからです」
隊長に必要としてもらえて、頂いた言葉を胸にこの半年戦い続けた。そして自分が心から幸せだと思える日々を手に入れた。それを失くしてしまうのが自業自得だとしても、私は怖かった。
隊長から「もう要らない」と言われてしまうことが。この半年を否定されたら、もう私には何も残らない。
だから、決定的な別れの言葉を告げられる前に自分から逃げてしまいたかった。
「私が間違っていました。はじめから隊長を信じてご相談していれば良かった。私……お許しいただけるなら、ずっとずっと隊長のおそばにいたいです」
「……本当に?」
「はい。私のことを、あなたのお嫁さんにしてください」
隊長は体を離して確かめるように私の目を見て、それからまた私を強く抱きしめた。
「信じられない、僕の人生にこんなことが起こるなんて」
「私も、同じ気持ちです」
「また泣いてる?」
一度止まったはずだった涙がまた次から次へと溢れて来た。
◆
「僕のお嫁さんは本当に泣き虫だね」
「ごめんなさい……勝手に泣き止みますから、放っておいてください」
「しないよそんなこと」
何か飲んだ方がいいだろうということで、隊長が使用人を呼んで飲み物を手配してくれた。
しかし事情が上手く伝わらなかったようで――若い夫婦が自室に2人、妻は泣いていて夫が困り果てているとなると、様々な誤解を呼ぶ――雰囲気を取り持とうとでもしてくれたのか、出て来たのはお酒だった。
白い湯気を立てるホットワイン。美味しそうだ。
「夜が明けたら彼女たちには色々聞いた方が良いかもね」
「いっ、いえ、嬉しいです。ホットワインなんて王都にいた頃は飲みませんでしたから。美味しそうだなぁ」
彼女たちはちょっと親切すぎるだけなのだ。厚意を無駄にしないために、私はぐいっとワインをあおった。
「そんなに急に飲んで大丈夫かい」
「はい、とっても美味しいですっ」
「味の話じゃなくてね」
その言葉の意味を、私は30分ほどして理解することになる。
「あれ~? 隊長が2人います~……」
「はぁ……」
私は見事に酔っ払っていた。
王都にいた頃は夜会の度に酒も飲んだが、個人的に嗜んだことはなかった。夜会ではいつも大して酔わなかったから私はそれなりに酒に強いと思っていたのだが。
「私、なんでこんなヒラヒラした服を着ているのかしら? いつもの夜着に着替えないと寝られません」
「待って待って、脱ごうとしないで」
あれは単に、人前で気を張っていたから酔わなかっただけだったらしい。
何故だか分からないが隊長が私の両腕を捕まえている。これでは着替えが出来ない。ベッドの上にいるのに、もう遅いのに、まだ寝ないのだろうか?
「これから何をするんですか? あっ、分かった! 今日もチェスを教えてくださるんですね?」
「今のお前には無理でしょ」
「じゃあお喋りですか? せっかくここにベッドがあるんですから、横になってお話ししましょう」
「僕はいい。お前が寝るまでここにいてあげるから、さっさと寝なさい」
「えー……」
せっかく隊長がいてくださるのに、それじゃつまらない。
「えいっ」
私は隊長の肩を強く押した。隊長がベッドに転がり、私はその上から覆い被さる。
「っ!」
「ふふ、怒らないでくださいね。部屋が暗いから、近くに寄らないと隊長の顔がよく見えないのですもの」
「いや、この体勢はいろいろまずい……」
「だって捕まえていないと隊長がお逃げになるから」
「もう好きにしてくれ」
隊長の胸に頭を預けると、生まれてこの方味わったことのないような安心に包まれる。すると途端に睡魔がやって来た。
「私……隊長のこともっと知りたくて……」
「うん」
「朝ごはんは何が好きかとか、好きな色とか、他にも……」
「僕も知りたいよ。お前のこと」
「うぅん……まだ寝ません」
「これから時間はいくらでもある。今日はゆっくりお休み」
頬に優しい手が触れている。私は幸せな心地で眠りについた。
◆
「馬車での移動って本当に退屈だよね。馬で駆けたら早いのに」
「そうおっしゃらずに。国王陛下がわざわざ迎えを下さったのですから」
私たちは馬車に乗って移動していた。
レイブンから片道五日の王都までの旅。目指すは王城だ。
「陛下も気遣いが足りないよ。僕らの戦勝祝いのパーティーだろ? それなら王都に呼びつけるんじゃなく、レイブンでやってくれたら良いじゃないか」
隊長のおっしゃる通り、私たちは陛下直々にご招待を受けていた。その名目は公国戦での華々しい勝利を祝ったパーティーだ。
エインセルの戦いで公国は戦争継続能力を大きく削られたらしい。公国の君主である大公家から直々に贈り物が届き、しばらくは平和に過ごせるだろうとのことだ。それをいたく喜んだ陛下が今回のパーティーを開いてくださるという。
ただあまりにも急なことで、移動に片道三日かかることを考えるとかなり忙しない旅程になる。そのせいで隊長はご機嫌が悪いのだった。
「私はこれからしばらく隊長といられるので、嬉しいです」
「お前がそう言うなら良いけどね」
王都は勝利の知らせに沸いているようだが、隊長はまだ戦後処理に追われていた。まだ訓練復帰を許されていない私はなかなかお会いできず、寂しい思いをしたものだ。
「ていうかそれ、やめてって言っただろ。仕事じゃない時は隊長って呼ばないでよ」
「ごめんなさい、たい……レフ様」
おっしゃる通り夫婦間で「隊長」はおかしいのだけど、私にとって隊長はやっぱり隊長で、ついつい出てしまう。
「パーティーは結婚祝い以来です。レフ様に恥をかかせることのないよう、精一杯努めますね」
「良いよ別に、適当にやり過ごせば。恥をかこうがかくまいが、僕の評判なんかこれ以上落ちようがないんだからね」
貴族との関わりすら嫌うレフ様だ。彼の嫌な思い出の原因である王家の皆様とお会いすることは相当お嫌らしい。
◆
三日の旅の間ずっと馬車に乗りっぱなしというわけにもいかないので、途中何度か街に寄って宿を取った。その最後の宿が王都近郊の大都市、レイシーにある。
ここには私が昔からお世話になっている仕立て屋がある。そこには今回のパーティー用のドレスを注文してある。
オーダーメイドはもう間に合わないので、出発前に先ぶれを出し私の体型に合わせて既製品を直してもらっている。それを受け取りに行くのだ。パーティーは明日。間に合って本当によかった。
近頃ドレスを買っていなかったためにパーティー用に急拵えで用意することになってしまった。なんだか、兵士として働くうちに令嬢としての振る舞いを忘れかけている気がする。レフ様の妻として恥ずかしい。これからは気をつけないと。
というわけで仕立て屋に来ていた。現物を見て、試着をしながら最後の手直しをする。時間がかかるだろうから一人で平気だと言ったのだけど、レフ様は付き合ってくださっていた。
「本当にこんなの着るの?」
ドレスを身に纏ったトルソーを眺めてレフ様が言う。
注文していたのは、近頃王都で流行の生花をふんだんに使ったドレスだ。王妃様発祥の流行らしく、最近は大層花屋が儲かっていると聞いた。
注文主の夫が難色を示したことで仕立て屋の顔が曇る。
「今の流行りだそうですよ。お花は私も好きです」
「派手過ぎだし無駄じゃない?」
「お金でしたら私が用立てます」
最近は私物を処分してかなりのお金ができたし、エルとして働いた分のお給料と報奨金がある。
レフ様がこういった趣向を好まないことはもう分かっている。けれど、隣で私がみすぼらしい格好をして後ろ指を指されるのはレフ様なのだ。それだけは看過できない。
「そうじゃなくて。お前が普段着てるような服と全然違うじゃん。こんなの本当に着たいの?」
「それは……ドレスを着たいかどうかで選んだことはありません」
そんなことを言ってしまえば、そもそも動きづらい服は好まない。他人からどう見えるか。社交というのはそれに尽きる。
「何度も言っているけどさ、僕はパーティーなんかこれっぽっちも楽しくないし意味もないの。でもお前が美味しいもの食べて、楽しそうにしてれば少しは価値があるよ」
「私が?」
「うん。明日のパーティーでのお前の仕事は、僕の隣で楽しそうにしてること。だからそのための準備をしなさい」
楽しむ……。
レフ様と一緒にいられれば私は楽しいけれど、一緒に美味しいものを食べられればもっと楽しいだろう。ダンスなんか出来ればなお良いかもしれない。
そのためには、取れやすく扱いの難しい生花のドレスは向かない。
「じゃあ、他のドレスがいいかもしれません。少し選ぶ時間をいただいてもよろしいですか?」
「もちろん」
青い顔をしていた仕立て屋に注文品はきちんと買い取ることを説明して、他のドレスを見せてもらうことにした。




