閑話-レフの場合
早く死にたいと思っていた。物心ついた頃からずっと。
レフ・クラウスナーは国王陛下の二番目の妻ヴェロニカから産まれた。ヴェロニカは異国の血が混じった踊り子で、彼女はとても美しい声を持っていたという。その歌声に惚れ込んだ国王陛下が彼女を側室に召し上げ、僕が生まれたって訳。
それが気に食わなかったのが国王陛下の本妻、正妃アンドレアナだ。あの女は大変嫉妬深い性質の持ち主で、ヴェロニカの存在が許せなかった。
アンドレアナは使用人や他の婦人たちを従えてヴェロニカを孤立させ、誰とも口を聞くことを許さなかった。市井から城に上がったばかりで味方の無かったヴェロニカはひとり針の筵に座り続ける他に道がなく、国王陛下は賢明にも女達の争いに首を突っ込まない道を選ばれた。ヴェロニカはみるみるうちに弱って行き、僕を産んでそのまま亡くなったそうだ。
そうだと言うのは、ここまで全部城で囁かれる噂をこの耳で聞いた話。僕を産んですぐ死んだ母親のことなど僕が知るはずもない。哀れなヴェロニカに対して僕は、何故僕を産み落とす前に死んでくれなかったのかと思うばかりだ。
憎き側室の産んだ息子だ。アンドレアナにとって僕が可愛いはずもなく、生まれた時から僕は訳も分からないままにあの女から目の敵にされていた。
大して手入れもされない北の小さな離宮に追いやられ、一日に一回食事が出るか出ないか。それでいて教師たちは代わる代わるやってきて鞭を持って僕に教育を施した。
あの女は側室の息子をいじめる了見の狭い女だと思われるのが嫌だったのだ。パーティーやなんかに連れ出す時は最低限まともに見えるよう、マナーや言葉遣いは犬でも躾けるように厳しく叩き込まれた。
まぁ、それについては今でも役立っているので文句は言わないが。
罵詈雑言を浴びせられるのも、鞭で背中の皮が無くなるほど叩かれるのも、慣れて仕舞えばどうということはない。おかげで僕は空想が得意になった。苦しい時は、頭の中で忌々しきアンドレアナや、その息子や、あいつの仲間を思いつく限りの残酷な方法で殺してやるのだ。そうすれば少しは気が晴れた。
ただこの命を狙われることにはどうしても慣れなかった。それが初めて起こったのは僕が6歳の時だ。
ある時、初めて国王陛下が僕を部屋にお呼びになった。そしてチェスのルールを僕に教え、2人でしばらく盤を囲んでゲームをした。それだけの時間だった。
今思えば哀れな死に方をしたヴェロニカに何か思うところでもあったのかもしれない。僕には何ら関係のない話だ。
しかしアンドレアナには無関係ではなかった。あの女は短絡的にも僕が陛下に気に入られていると思ったようで、自分の息子の立場が危ういのではと危惧したようだった。そして僕を殺すことを思いついた。
そのやり方は単純で、僕の食事に毒が混ぜられていた。やり方がお粗末で、その一部始終をこの耳で聞いていたため、僕は死を免れた。しかし、自分の命が脅かされる感覚だけは今でも忘れられない。
死にたいと思っていたはずなのに、殺されるのは怖い。
僕の死を願う者が身近にいる。僕が生きていることを真っ向から否定せんとする敵がいる。そいつらに屈することは全てにおける敗北であり、家族もなく友もなく、喜びもなく日々飢えと痛みに嘆く僕にたった一つ残った尊厳の破壊である。
僕には幸いこの耳があった。神経を尖らせて聞き耳を立てれば城のどこで何が行われているのか手にとるように分かった。そうなれるよう訓練をした。
そのおかげで殺されることなく今日まで生きているが、引き換えに僕は一切の平穏を失った。
絶えず頭に響き続ける音。
些細な物音にも気を配り、それが僕を殺す者の足音ではないかと怯える日々。
厨房に滴る水滴、薪の爆ぜる音、使用人たちの他愛無いお喋り。その全てが僕を苛む。頭がおかしくなりそうだった。いや、おかしくなったのだろう。そうでなかったらあんなことはしない。
僕の部屋から見える木に、毎日やってくる小鳥がいた。小さな白い鳥だ。
初めのうちはそいつの羽ばたきにもビビっていた僕だったが、毎日変わらず僕の元を訪ねてくるそいつの声がだんだん好きになっていった。
そうするとそいつの羽ばたきが遠くに聞こえるだけで僕の気分は浮き上がり、やって来るまでの時間を楽しみに過ごすことができた。
止まり木にやってきたあいつの胸から聞こえる小さな鼓動。人間よりずっと速いテンポで脈打つ小さな胸の音を聞くのが僕は好きだった。
僕が初めて自分の耳に感謝したのがこの時だったと思う。普通の耳だったらこの楽しみを味わえなかったことだろう。
僕のやることなすこと邪魔してくるのはアンドレアナだが、この件については実は彼女は関係ない。関係があるのはその息子、僕の義理の兄クリスティアンだ。
僕がパン屑をやるせいですっかり居着いたその小鳥を、ある日クリスティアンとその友人たちが見つけてしまった。
クリスティアンは小鳥を手懐けようとしたらしかったが、野生動物がそうそう人の手に乗ってくることはない。クリスティアンは子供らしい癇癪で小鳥に石を投げ、それに当たったそいつは羽根を怪我して逃げられなくなった。
少年たちの残酷性の受け皿になろうとしていたところを、空腹を紛らわすために庭を散歩していた僕がばったり行き合った。
僕にこんな生活を強いておいて、僕にただ生きることすら許さないでおいて、その上でたった一つの楽しみさえ奪う気かと、僕はそんなことを言った気がする。
クリスティアンに掴みかかり、あいつの髪の毛を引っこ抜いて、それから馬乗りになって何回も殴った気がする。
お育ちのいいお兄様は喧嘩なんかしたことがないようで抵抗もなかった。
今考えれば僕の命を狙っていたのはアンドレアナで、まだ子供だった兄上には何の関係も無く、完全なる八つ当たりだった。その点については申し訳なく思っている。当時の僕にはみんな同じに見えていたのだ。
クリスティアンとその仲間たちを追払い、鳥を助け出した僕は考えた。
こいつは羽根を怪我している。放っておいたらまた同じ目に遭うだろう。かと言って僕が匿うことはできない。北の離宮はアンドレアナの使用人が見張っていて生き物を隠せる場所なんか無かったからだ。
だから僕は考えて、それから小鳥を殺した。
僕のたった一つの喜び。それが他の何者かに壊されるくらいなら自分でやってしまった方が良い。
その時に思ったことがある。
僕はきっと頭がおかしくて、何かを大切にすることなんか一生出来ないのだ。
だから、もう何も好きにならない。好きも嫌いも考えない。
ただ何もかも壊しながら、いつか僕が壊されるのを待とう。いつか戦少女がヴァルハラに招いてくれるその日まで、僕は殺し続けよう。
そうして僕は戦争屋になった。




