18
それから数日、私はほとんどをベッドの上で過ごした。
私の体には戦闘で受けたいくつかの傷と、毒による体内のダメージがあり、起き上がるのが億劫だったこともある。しかしそれ以上に何もする気になれなかったのも事実だ。
アロイス様にはああ言ったが、もしかしたら隊長からあんな風に四角四面な話し方をされたことが少なからずショックだったのかもしれない。
ただまぁ、そのおかげで回復に専念することができたため、私の体はみるみる元気になっていった。看病してくれた辺境伯邸の使用人たちには感謝してもしきれない。
ちなみに、私が兵士として潜り込んでいたことは辺境伯邸のみんなにも説明されてしまったらしかった。この怪我の理由を説明しないわけにいかなかったのだろう。
体力が回復するにつれ、少しずつ考える余裕が出てきた。私の今後についてだ。
病気だのと理由をつけてどこか僻地へ追いやられるのなら、私が一人でここを出ても問題ないはずだ。レフ殿下はお話の分かる方だから、相談したらうまく取り計らってくださるかもしれない。
そうしてレイブンを出たら、ご迷惑にならないようここから遠く離れた地へ向かおう。王国を出るのも良いかもしれない。王妃教育を受けて来たおかげで、周辺諸国で言語の壁に困ることはない。
そうしてどこか田舎の村へでも行って、害獣や野盗から村を守りながら一生を終えるというのも楽しいかもしれない。
私はずっと私を厭わしく思う人たちに囲まれて育って来たから、誰かから必要だと言われていたいのだ。ただの寂しがりやなのだろう。
そのためにも、私はまず荷物の整理を始めた。旅に持って行けるものは少ない。残していけば辺境伯のご迷惑になってしまう。
とりあえず商人を部屋に呼び、ドレスや宝石などを処分することから始めた。お金であれば持って行けるし、お礼としてお世話になった方々にお渡しするのも良い。
そんな風に過ごしていたある日、部屋に慌てた使用人が飛び込んできた。
「レフ殿下から伝言をお預かりしました。その……今夜、部屋に伺うと」
◆
私はネグリジェ姿でベッドに腰掛けていた。
柄にもなくちょっと焦っている。
殿下から夜に部屋に向かうと言伝があった訳だが、きっと以前お話しされていた私の処遇の件だろう。というかそれ以外にない。
ついでに私の一人旅についてもご相談できたら良いだろう。今日はそういう実務的な話をする予定で、それ以外には何もない。
しかし何を間違ったのか。伝言してくれたのが若い女の子の使用人だったからなのか。夜に部屋に来るというのを何やら艶めかしい話だと思ったらしかった。
私は彼女らの激しい熱量に押されて風呂に入れられ、念入りに洗われ香油を刷り込まれ、今まで袖を通したことのないレースまみれで柔らかい生地の夜着を着せられ、こうしてベッドに座っていた。
「どうやって殿下をお迎えしましょう……こんな格好で……」
肩も足も丸出しの格好で一体どんな真面目な話をするというんだろう。
せめて使用人に上着を持って来てもらおうと立ち上がった時、無常にもノックの音が聞こえた。
お待たせすることはできないので、私は仕方なく彼を迎え入れた。
「遅くなって……えーっと、もう寝るところだった?」
「いえ……」
殿下が居心地悪そうに部屋を見回す。部屋はメイド達の采配で薄ぼんやりとベッドを照らすランプだけになっており、ムードだけが満点だった。
殿下はきっと私が普段のドレス姿で出迎えることを想定していただろう。この頃私が回復し、屋敷内を散歩しながら体力回復に努めていることくらいご存知なはずだから。
きっと呆れられているだろうな……。
「このような格好で申し訳ありません。どうかお気になさらず、本題に入っていただいて構いません」
「いや、無理だよ」
少し迷ってから、殿下はご自分の着ていたジャケットを脱いで私の肩にかけてくださった。
殿下はベッドの私の隣に腰掛け、一つして話しを始める。
「まずこれ」
隊長は紙束を一つ私に手渡した。何かの資料のようだが、細かい文字はこの暗い部屋ではよく見えない。
「詳細はあとで読んでおいて欲しいけど、かいつまんで説明すると、うちの部隊で女性兵士の登用を始める」
「はい……えっ?」
「基本的には衛生兵や各種補助要員になると思うけど、戦闘要員も受け入れる。今は猫の手も借りたい状況だ、優秀な人材はいくらでも欲しいからね」
突然の話についていくことが出来ない。
「前々からうちの人手不足は問題になってたんだけど、良い案が無かったんだ。しかし雇用の門戸を広げてより多くの人員を獲得することができれば、役職を細分化しより各々のパフォーマンスを活かせる。良いことづくめだ」
たしかに、今の部隊では皆さんそれぞれ持ち回りで食事の用意をし、掃除当番を回し、馬の世話をし、自分の武器を手入れしている。それぞれ自分の仕事に専念出来るようになるのは良いことだろう。
「それに、お前のように才能を腐らせている奴がいるかもしれないからね」
「はい、とても良いことだと思います……」
例えば。王都にいた頃、叔父一家の中に安らぎはなく、第一王子殿下とも冷え切っていたあの頃に女性兵士登用の噂を聞いたなら。私は希望を持ってレイブンへ来たかもしれない。そうでなくても、こんな私を受け入れてくれる場所があるかもしれないと思うだけで心が救われただろう。
それを考えるととても素敵な試みに思えた。
それにしても、このタイミングで女性の登用を始めると言うのはもしかしなくても私のためだろう。
しかし何故?
一介の兵士、しかも素性を偽って部隊に潜り込んでいた異分子のために、何故ここまでしてくださるのだろう。
「何か気に入らないことでもあった?」
「い、いえ! 驚いて……私、追い出されるものと思い込んでいましたから」
「へぇ?」
隊長は微笑む。
なんだろう……? なんだか笑顔が怖い。
「で、お前はどうする? 考える時間が必要?」
そんなの、迷う余地なんてない。隊長の元で戦い続けられるなら何がなんでもそうしたい。
でも……。
「私は一応、公爵家の娘です。そんな私が所属することで何か後ろ指を刺されたり……殿下にご迷惑がかかったりしないでしょうか……」
女性は慎ましく淑やかに。それが一般的な考え方だ。
公爵家の娘が剣を持って軍職につくなど世間のいい笑いものだろう。対面を気にする高位貴族からの抗議もあるかもしれない。
私だけなら笑われることにも、責められることにも慣れているけど。
「平気だよ。僕はこれでも一応第二王子だし、これまで打ち立てた功績もある。それを使って陛下に……まぁちょっとワガママを言ってね。この件の後ろ盾となっていただくことに了解を取ってある」
「へ、陛下に!?」
「お前の名前を出したら案外すんなり了承してくれたよ。お前の実家は王家とも何かと繋がりが深いからね、思うところがあったのかも」
色々と話が性急過ぎてついていくのがやっとだ。
「大体、僕が有象無象の戯言を気にすると思うのかい。お前はただ選びたい方を選べばいいんだよ」
「……は、はい」
選びたい方。そんなの決まってる。
「私を隊長の元で働かせてください……!」
「良いとも。安心しな、所属が変わるだけで待遇は今までと変わらない。第一小隊と行動してもらうつもりだから、顔ぶれも一緒だね」
「ありがとうございます……!」
もう何度こんな恩を受けただろう。レフ隊長はいつだって私1人では行けない道を照らしてくれる。今後一生かけたってこの感謝を伝えられる自信はない。
「隊長……!」
「うわっ!?」
思わず感極まって隊長に飛びついてしまった。
「え、泣いてる?」
「ごめんなさい……うれしくて……」
「こんなことで泣くなよ」
鼻の奥がツンと熱くなって、ぼろぼろと涙が溢れる。嬉しいのもそうだし、驚いてしまったことも大きい。ご迷惑だから止めようと思うのに止まらない。
殿下は慣れない手つきで背中をさすってくださった。それに安心して更に涙が止まらなくなる。
「泣いてる暇なんかないよ。体が治ったら、お前は嫌と言うほど僕のために働くことになるんだからね」
「隊長~!」
隊長のからかうような言葉さえ嬉しい。もう聞けなくなると思っていたから。
「何度も何度も、本当にありがとうございます。隊長がいてくれなかったら今の私は無いです」
「大袈裟だな」
隊長が喉の奥でくつくつと笑う。
「じゃあ……許してくれる? 僕のこと」
「許す? 何のお話ですか?」
「今までお前に、ガブリエラに冷たくしたこと」
冷たくしたこと。結婚式にも初夜にもお越しにならず、一度夜会に出席したこと以外では公式の対面が一度もないことについてだろうか?
「許すだなんて。隊長がお気になさることじゃありません。これまで公国とのことでとってもお忙しかったんですから」
実際に屯所で過ごしていると、隊長の忙しさを間近に見ることができる。
執務室で書類業務に追われ、屯所に訪れる偉い方とお話をしたり、次の作戦のためのミーティングをしたり、そんな時間の合間をぬって兵士たちの訓練を見て周り、それらを終わらせた後の夜中を自身の訓練に当てている。
そんな方に更にご自身の時間を切り詰めて会いに来て欲しいとはとてもじゃないが言えないだろう。
「……本当に会おうと思えば会えたよ。夜に顔を見に来るとかね。でもしなかった。したくなかったんだ」
「私、何かご迷惑を……」
「そうじゃなくて。僕はお嫁さんなんか欲しくなかったんだ。この先誰かと結婚するつもりもなかった」
「結婚するつもりがなかった……?」
おかしなことをおっしゃる。
隊長は確かに難しいお立場にあり、仕事がお忙しいこともあるが、ご健康に問題はない。結婚して後継を作るのは貴族の義務だ。それが王家の方であるなら尚更。
少なくとも私はそう教わって来た。
「まぁ、そうだね」
隊長は言葉を濁す。
「僕の話をしてもいい? つまらない話なんだけど……」
そう断って、ご自身の昔を振り返り始めた。




