14
「作戦開始だ!」
レフ隊長が吠える。
その時になってやっと私も気づいた。
二国間の争いの種であるエインセルに、こちから踏み込むのは相手に正当性を与えることと同義だ。だからこそ隊長は相手が仕掛けてくるのを待った。
でも、そんなことはセブンス公国も承知のはずだ。一体何故、彼らは私たちに正当性を与えてまで攻め込んできたのだろう。
その答えは森を出て、エインセル市街に到達する頃に目にすることとなった。
背後を振り返ると、森の木の高いところにそれが打ち付けられていた。
かつては人だった残骸。彼らがに身つけているのはセブンスの防具だ。明らかに過剰と見える暴行を加えられ、手足は見る影もなく砕かれ、無惨に中身を晒している。
くり抜かれた眼孔は見る者全てを呪うかのようで。同胞のこんな姿を見せられた公国には、戦う以外の道がない。
「あれは今までに捕まえた残党だよ。この間、森で接敵した奴らもいるかな」
確かに、なんとなく見覚えのある顔だ。顔が潰されているのではっきりとは分からないが……。
「向こうから仕掛けて来たんだ、どうにでもされる覚悟があるってことだろ?」
隊長はそう言って笑っていた。
確かにこれは、悪趣味なプレゼントである。
戦いは市街地へと突入した。
幸いなのはここが放棄された無人都市であることだ。無関係の民間人を間に挟んで冷静に戦えるほど私の肝は座っていない。
事前に取り決めた作戦の通り、各部隊がポイントに向かっていく。今回はセブンス公国との全面抗争となるので、全部隊が投入される大規模作戦だ。
私は隊長率いる第一小隊と三つの分隊の混合部隊と共にエインセル市中央に位置する教会堂に向かう。その教会堂はエインセルで最も高い建物だ。ここを取れば街全体が見渡せるため格好の狙撃ポイントである。けして公国軍に取らせるわけにはいかない。
複数の混合部隊の最大火力でまずここを制することが、今回の作戦の第一関門だった。
教会堂手前の郵便局の影で一度足を止め、隊長が通達する。
「あいつらも教会堂を狙ってくるはずだ。ここを取れるかどうかで僕たちの生存率は大きく変わる。気張って行くよ」
「「はい!」」
目指すは教会堂の裏門。音を立てずに走る。しかしここで敵の部隊とかち合った。
「α隊、抑えろ!」
少数が敵の動きを抑え、部隊は構わずに前進する。
教会堂の裏門に差し掛かった。
隊員が門に手をかけたところで、何かが光った。
「! 待ってください、何か――」
爆発が起こった。
「隊長、大丈夫ですか!?」
「平気。トラップが仕掛けられてたのか……先回りされてたな」
「いらっしゃいませ、王国軍の皆々様。お待ち申し上げておりました」
煙の中から現れたのは全身黒ずくめの細身の男。厚手のコートの上からマントを羽織り、両手に目立つシルバークローをつけている。熊の爪のように鋭いそれは人の肉など軽く抉り取るだろう。
「あれは……」
「本日のお客様は何名ですか? 私が地獄への片道ツアーの案内人を務めましょう。今日はお客様がとても多いので、少々手荒くなることをお許しください」
「あれは間違いない、キツネ……!」
黒衣の男は感情読めない微笑みを浮かべている。
「キツネが何で? まずいな、他の隊員はそのことを知らない」
「僕が引き受けます。その間に通達してください」
私は隊長の前に出て、キツネと対峙した。
「頼む」
魔術礼装を用いて全隊員は連絡を取ることが出来るけど、通信魔術は礼装で便利になっているとはいえ魔術だ。手間がかかる。戦いながら使えるようなものではない。
隊長が携帯用の礼装を起動する。
『全隊員に通達、敵に――』
『た――です――こちら――』
「……? 魔術に乱れがあるな」
『隊長――こちら――で――!』
「くそっ、駄目だ」
「無駄だと思いますよ?」
キツネが言った。
「無駄?」
「こちらも勝算なく攻めたわけではないということです。今回の作戦には司令部も本気のようで、大量の魔術師が投入されております。
そんな魔術師たちによる、市街全域を覆う通信妨害魔術。
それが今回の彼らの勝算です」
「通信妨害……!?」
通信妨害魔術。それ自体は王国にもあるが、手間とコストがかかり過ぎるため実用化には至っていない技術だ。それを公国はもうものにしているようだった。
「どういうことだ……?」
「通信が繋がらない! あっちの状況はどうなってる?」
こちらの部隊に混乱が広がり始めている。
「お友達とお話が出来なくなってしまってお困りですか? ご心配には及びません」
キツネがふっと姿を消した。
その時私が振り向いたのはただの勘だ。私の剣がキツネの爪と打ち合った。
「おや、俺が見えるのですか? 中々見どころのあるお客様だ」
魔術の前兆はなかった。驚くべきことに、今の瞬間移動は彼の身体能力によるものなのだ。
今回はなんとか合わせられたけど、見えていた訳じゃない。長く打ち合ったら削られるのはこっちだ。
「ぎゃああああっ!」
「今何かに切られた! 見えねぇ!」
早くもこちらには被害が出始めている。キツネは踊るように楽しげに隊員達を切り裂いて行く。私も大剣で身を守りながら極力隊員達を庇うけれど、限界がある。
「あなたは魔術剣士ですね。その力を俺に見せてください」
キツネが誘うように単調な攻撃をする。
でも無理だ。仲間が間合いに入っていて、かつ皆が混乱している今、私は思うように大剣を振り回せない。
「隊長、ここを離れたいです。長くは持ちません……!」
「でも、いや……そうだね。全員聞け! 一時撤退、教会堂は放棄! 緊急用プランDに従って行動しろ!」
「は、はいっ!」
緊急プランD。簡単に言えば散り散りになって身を隠すというプランだ。
私は煙幕弾を投げてキツネの視界を遮る。
基本的に軍隊は集団であることが強みだ。散らばって仕舞えば各個撃破される危険がある。しかしまとまっているからこそ一網打尽にされる恐れもあり、それが今だった。
「エルは僕と一緒に走れ。西だ」
「はい!」
白い煙の中、薄ら笑うキツネが見えた気がした。
◆
エインセル市街西部、かつては繁華街だった通り。地下通路へ続く階段に入ったところで足を止めた。
「ここならしばらく身を隠せるだろ」
「はい……」
私は隊長率いる分隊と共に行動していたけれど、度重なる接敵で部隊は散り散りになっていた。今は私と隊長だけだ。
「くそっ、キツネの投入に魔術師部隊での大掛かりな妨害魔術だと? 公国は今回で完璧に蹴りをつけるつもりってことか。見誤ったか……? ここからどうすれば……!」
「隊長、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか!」
隊長は通路に落ちていた一斗缶を蹴飛ばそうとするので私は慌てて止めた。こんな場所でそんなことをすれば音が響いてしまう。
「隊長……!」
「うるさい……!」
隊長を押さえ込もうとする私の腕を隊長が振り払う。そしてはっと顔を歪めた。
「……悪い。今僕は冷静じゃないな……」
「水分を取りましょう、ここは冷えますし。僕の分を注ぎますね」
作戦前に配られたボトルを開ける。これにはお酒が入っている。喉が潤って体が温まるし、気分を高揚させる効果もある。いい事づくめだ。
「はぁ……」
隊長は地面に腰を下ろした。私も隣に座る。
「…………ごめん」
「僕は大丈夫です。隊長がいなかったら僕も混乱して悪態をついていたかもしれません」
「でも、みっともないところを見せて……」
隊長の声が尻すぼみに消える。
驚いた。今まで勝手に隊長はいつでも冷静で完璧な人かと思っていたから、こんな風に取り乱すことに。
「僕をなんだと思ってるんだよ。これでも一応隊長だからね。士気を下げないように普段はカッコつけてるだけ。中身はこんなんだよ」
「だからいつもかっこいいんですね」
「…………」
隊長はなんとも言えない顔をした。
「もともと……ちょっと、感情的になりやすいところがあるんだ。でも昔アロイスに教わったんだよね。かっとなって冷静じゃなくなったら、自分の目的を思い出せって」
「目的?」
「そう。今僕らの目的は公国に勝つこと……それか生きてここから出ることだろ? 今怒りに任せて暴れたところで何の役にも立たない。それより打開策を考える方がずっといい」
「タメになる教えだと思います」
隊長は二、三度深呼吸をし、座り直す。
「よし、じゃあタメになる話をしよう」
「はい、ここからどうしましょう。このままじゃ……」
「分かってる。でも通信が妨害され完全に分断された以上、取れる手段が無い。撤退するにしても統率が取れなくては烏合の衆と変わらない。背中を撃たれて終わりだ」
「通信妨害魔術。完全に盲点でした……」
レフ隊長率いる我々王国軍の強みは、なんといってもその統率の取れた動きだ。レフ隊長の高い情報処理と迷いのない指示、そしてそれを通信魔術を用いて常に共有していることが最大の長所である。
しかし今、通信妨害魔術のためにその強みが全て潰されてしまった。練度の高い兵士であっても一人で大勢に襲われたらひとたまりもない。もしこのまま何も手を打たなければ全滅は時間の問題だろう。
「撤退にせよ抗戦にせよ、通信妨害が問題ですよね。妨害魔術を使っている魔術師を倒せばなんとかならないでしょうか?」
「簡単に言うけど無理だよ。おそらく公国は網状に妨害魔術師を配置してエインセル全域をカバーしているはずだ。少なく見積もって20人……もっといるかな。街中に散らばった魔術師を探し回ってるうちに狙い撃ちにされて終わりだ。なんせ、教会堂を取られてるからね」
そうだった。教会堂には時計塔がある。街の中心に位置する高い塔からはこちらの動きが筒抜けだ。
「このまま潜伏して夜になるのを待つか? 少しずつ仲間と合流して撤退作戦を伝え、一斉に退却……確実ではないけれどこれしかないか。くそ、この僕がこんな無様な撤退をするハメになるなんて」
このまま負けてしまうんだろうか。今こうしている間にも仲間が殺されているかもしれない。
夜を待つ以外に、何もできることはないのだろうか?
「……隊長、やっぱり魔術師をなんとかしたいです。妨害魔術さえ無ければ、まだ勝てる余地はあると思います」
「そりゃそうだけど。お前、状況分かってる?」
「分かってます。僕一人でやります。一人なら見つかりにくいし、小回りが利くから逃げやすいです。僕が魔術師を狩ります」
「魔術師が狙われることは相手も分かってる。護衛役がついてるはずだ」
「多対一は得意です!」
隊長は少し考え込む仕草をした。
「…………駄目だ、リスクが高すぎる。そんな命令は出せない」
「隊長!」
夜になるのを待って味方と少しずつ合流し、口頭で命令を伝達し、撤退行動を行う。不確かな作戦だし、全員に伝わる保証もない。一体どれほどの犠牲が出るか予想もつかない。隊長だってそんなことは分かってるはずだ。
「隊長、僕に命じてください。どんな命令でもやってみせます。今日まで隊長に鍛えてもらって、こんなに素晴らしい剣も頂きました。僕は隊長の信頼に必ず応えます。信じてください」
「…………」
「僕は隊長に全てを預けます。だから、今だけでいいですから僕を信じて、やれと言ってください」
隊長が考え込んでいるのが伝わって来る。私はレフ隊長ほど頭が良くないから、ただ頼み込むことしか出来ない。あとは隊長の判断を待つしかない。
「……分かった、お前に賭けるよ」
「隊長……! じゃあさっそく行ってきます!」
「待て待て、話を聞けよ」
飛び出そうとした私を隊長は捕まえて座らせた。
「お前、どうやって魔術師を探すつもりなの?」
「とにかく走り回ります!」
「ばか。すぐ蜂の巣にされて終わりだよ。僕が魔術師を探す。僕なら近づけば大体の位置は分かるからね」
「え? 何でですか?」
「……これ、誰にも言うなよ」
隊長はそう前置きして話し出す。
「僕は人より耳が良いんだ。普通の場所なら5キロくらい先の葉が擦れる音まで聞こえるよ。人間は常に音を発してる。心音、息遣い、衣ずれの音……近づけば必ず分かる」
「すごい……」
そういえば、いつかのパーティーで離れていたのに私と伯爵の話の内容を把握していたことがあった。うるさい場所だったので聞こえているはずはないと思っていたけど、違ったらしい。
「これ、一応僕の切り札の一つだから。うちの隊でもアロイスしか知らないんだ」
「絶対誰にも言いません」
「よろしい。
戦場はうるさいからね。ある程度近づかないことには人の気配を聞き分けられない。だから二人で行動する必要があるんだけど、するとその分狙われやすくなる。僕を庇いながら走り続けられる?」
「余裕です!」
ここで気弱なところを見せる訳には行かない。私は強く断言した。