閑話-主従の夜
短いので今日も16時にもう一話投稿します。
アロイスは屯所に戻り、その足でレフの執務室へと向かった。
ガブリエラ――いや、エルとは屯所一階の廊下で分かれた。エルは屯所に続く道の途中で茂みを見つけ、そこでさっさと男装に着替えていた。外で元気に着替える女性というのはどうなのだと思うが、そこが彼女の良いところでもある。
「殿下、ただいま戻りました」
「おかえり。エルとは話せた? って……なんか酷い顔してるね」
取り繕ったつもりではあったが、レフはアロイスの機微などお見通しのようだった。アロイスは苦笑いで返す。
「振られました」
「……エルと話したんだよね?」
「殿下のおっしゃる通り、エルの作戦に参加させたくないというのは私情でした。説得しようと試みましたが、失敗しました。反対の立場は変わりませんがもはや翻意させるのは不可能のようです」
「ふぅん。ま、お前がそれでいいならいいんじゃない」
レフは二人に手を繋いで仲良くすることを望んでいるわけではない。ただ作戦に支障が出ない程度に和解することを望んでいただけだ。なので、本人が納得しているようならそれ以上口を出すことはしない。アロイスもそのことは分かっていた。
「エルは今すぐにでも殿下にお礼を言いたい様子でしたが、そろそろ辺境伯とのお約束の時間なので遠慮するよう言いました。構いませんね?」
「あぁ。あの人は結構時間にうるさいからね」
次の戦は今までになく大規模なものになる。今まで以上に多くの物資が必要だ。そのための話し合いの場を今日の午後、レフはレイブン辺境伯と持つ予定になっているのだ。
時計を確認すると、そろそろ約束の時間が近い。アロイスは必要な書類をまとめると執務室のドアを開けた。レフが廊下へ出る。
「悪いね、休憩も取ってやれなくて」
「問題ありません。この程度で音を上げるような鍛え方はしておりませんので」
レフの元には優秀な兵士たちが集まっているが、彼らは基本的に平民だ。読み書きが出来るものは少ない。よってレフの補佐が務められる人員は少なく、アロイスは常に忙殺されているのである。
半歩前を歩くレフを見てアロイスは言う。
「……殿下は何故戦場に立たれるのですか?」
「何? 急に」
「もともとのあなたは立場も弱く、戦わねばならなかったことは分かります。しかし今は違う。既に多くの功績を持つあなたには、城に戻って味方になる貴族たちで派閥を作るという道もある」
「そうだね。出来なくもないだろう」
「そうすれば少なくとも、死が身近にあるような生活はしなくて済む。何故そうなさらないのか、疑問に思います」
アロイスの問いかけにレフは面白そうに答える。
「お前の言う通り、僕は必要もないのに自分から戦いに行く。気が狂ってるとしか思えないね。そんなことをする理由なんて一つしかないだろう」
「それは?」
「人が自ら毒を飲む時は死にたい時だ。高い場所から飛び降りるのも死にたい時。自分を危険に晒す時ってのは大体そうだろ? 必要もないのに戦に出る理由なんか決まってる。死にたがりなんだよ」
レフの口ぶりはまるで歌うようで、冗談か本気かアロイスには読み取れなかった。
「アロイス、僕の言ってることが分からないだろう。お前はきっと死んでしまいたいなんて思ったことはないんだろうね」
「……はい」
「そうとも。お前は生まれて来なければよかったと詰られたことも、理由もなく殴られたことも、やることなすこと笑われるような経験もないだろう。良いことだよ」
レフの目はアロイスを見ない。何もかもを吸い込む黒い穴のようになって廊下の向こうを見据えている。
「理解しようとしなくて良い。どう頑張ったってお前には分からないからね。王子ではなく、側妃の息子でもなく、名前も顔も何もかも捨てて獣となれる戦場でしか、息ができない人間もいる」
「それは……」
「悲しいことかい? お前から見たらそうなのだろうね」
張り付いた笑みを浮かべるレフからは悲しみも怒りも読み取れない。
それはもう枯れるほど泣き、喉が割れるほど叫び、そしてその全てが無駄だと知ったからだ。
「お前がエルを説得できないことは分かってたよ。だからわざわざ話し合いの場を持たせたのさ」
「そうなのですか?」
「うん。エルはお前よりも僕に近いんだ」
そう言ってにっこりと笑うレフを見て、アロイスは少し考えてから言った。
「もしかしてですが、怒っていらっしゃいますか?」
「別に怒ってないよ。急に踏み込んでくるなあとは思ったけど」
レフはスタスタと先を歩いて行く。
「お前の傲慢っぽい正しさも、僕は割と好きだよ。たまにムカつくけどね」
「やっぱりお怒りじゃないですか……」
「今は怒ってないよ」
「じゃあこっちを見てください」
「ほらほら、もう会議室に着くよ。辺境伯の前で無様を晒さないように」
「殿下、お待ちを」
二人はぽんぽんと言い合いながら会議室へと向かった。