11
「どうしよう……」
次の日の昼。
今日はアロイス様と街へお出かけすることになっている。殿下から彼に通達してくれたようで、夜に会った時にアロイス様から声をかけてくれ、軽く打ち合わせをした。
予定通りならそろそろアロイス様と合流する時間なんだけど……。
今日はお昼から出かけることが決まっていたので、朝早く訓練場へ来て体力づくりのトレーニングをしていた。約束の時間が近くなったので人のいないタイミングでシャワーを使い、着替えようと思ったら。
脱いで置いておいた服がズタズタに切り裂かれていた。
不審に思われないよう肌着などはシャワーの個室に持ち込んでいたのが幸いだった。でもブーツまでやられている。
本当にどうしよう。今日、このブーツで街にも行くつもりだったんだけど……。
服はかろうじて服としての形を保っていたのでとりあえず着て、脱衣所に置き忘れられていた誰かのコートを上から羽織った。かなりの期間放置されていたものなのかやや異臭を放っているけど、この際仕方がない。
靴をやられたのがかなり痛い。今使っているシャツやズボンは支給品でアロイス様を通して複数枚頂いたものだ。けれど、ブーツだけは替えがないのだった。
ガブリエラの私物としてなら靴なんていくつも持っているけれど、全部ドレスに合わせることを前提に作られた女性靴だ。男装では履けない。
かくなる上は……。
「アロイス様、お待たせしましたっ」
「はい、行きましょうか、エ、ル……?」
アロイス様とは辺境伯邸と屯所のちょうど中間ほどにある門の所で待ち合わせをしていた。街に出るならこの門が一番近道だそうだ。
時間がギリギリだったので小走りでアロイス様の元へ向かうと、彼は戸惑っているようだった。
それはそうだ。私はガブリエラの格好で来てしまったのだから。
髪は下ろしてつばの広い帽子を深く被り、ドレスは街に忍びやすい地味で軽いものにした。
「事情は歩きながらお話しさせてください。今は人に見られる前に、行きましょう」
「はい……」
私はアロイス様の腕をぐいぐい引っ張って門を出た。
◆
「靴を?」
「はい。自主訓練をしていたのですが、泥で汚してしまいまして。申し訳ありません、驚かれましたよね」
「私は構いませんが……」
アロイス様のおっしゃりたいことは分かる。エルとガブリエラが同一人物であるということがバレて困るのは私なのだ。
「一応、シャツとズボンは持って来ているのです。街でブーツを買って、帰りは男装して……と考えているのですが、大丈夫でしょうか」
「門を出るところは誰にも見られていないと思います。帰る頃には夕方になり人の出入りも増えているでしょうから、その方が安全でしょうな」
「はい」
辺境伯邸から最寄りの町、レーヴァンへは歩いて20分程だ。私はアロイス様と並んで舗装された道を歩く。アロイス様はさりげなく私の荷物を持ってくださった。
「申し訳ありません、こうなることが分かっていれば馬車を用意したのですが。ご婦人に長い道を歩かせるなど……」
「大袈裟ですわ。最近は隊長の考えてくださったトレーニングメニューのおかげでだいぶ体力もつきました。それに、もともとお散歩は好きなのです」
春でもまだ凍えるような風が吹くレイブンは、王都の景色とは違い色が少なく乾いている。けれど、裸の木の枝にかすかに色づく新芽を見ながら歩くのも乙なものだ。
「でも驚きました。まさか隊長が私専用の剣を贈ってくださるなんて。隊長にはいくら感謝してもしきれません。帰ったらまた改めてお礼を言わなくてはなりませんね」
「……結婚して初めて貰う贈り物が実践用の剣な訳ですが、よろしいのですか?」
「はい、すごく嬉しいです!」
「それなら良いのですが……」
お話ししながら歩いていると街へはすぐに着いてしまった。
レーヴァンの街は思ったよりも賑わっていた。防寒具で着膨れた人達がわいわいと喋ったり、立ち食いをしたり、昼間からお酒を飲んだりと好き好きに過ごしている。レイブンの地では体を温めるためにお酒を飲むことが一般的なのだ。
「剣を受け取りに行く前に靴を買ってしまっても良いですか? この姿でアロイス様の隣にいるのは、極力見られない方が良いと思いますから、すぐに着替えます」
「……いえ、靴は最後でいいでしょう」
「え?」
何故?
「今日は剣の受け取りのために来たのですよ? まずは目的を果たすべきかと」
「え、でも……」
「さ、参りましょう」
アロイス様の笑顔の圧で、靴は後回しになった。
「こうしているとまるでデートのようですね」
「えぇ?」
アロイス様が珍しくそんな軽口を叩くので、私は笑ってしまう。
「アロイス様もそんなご冗談をおっしゃるのですね」
「……はい」
今回剣の製作を注文した鍛冶屋さんは街の南側、路地裏の奥まった場所にお店を構えられているとのことだった。そこは隊長のお気に入りの店で、アロイス様もたまに足を運ぶという。
建物と建物の間に入り、細い道を進みながら鍛冶屋を目指す。
その途中、人だかりを見つけた。
「あれは何でしょう?」
「露店ですね。テントを用いて簡易的な店舗を構え、食べ物を売るのです。売っているのは……パンケーキですね」
「パンケーキ?」
「はい。薄く焼いた生地で果物や野菜を包んで食べる料理です。お召し上がりになりますか?」
「えぇと……」
あたりを見回してもテーブルはない。立って食べることを前提としたお店なのだろう。それが悪いこととは思わないけれど、少し抵抗がある………。
あぁでも。
露店の横では今まさに買って食べようとしているのだろう子供たちがいて、溢れんばかりのジャムがとても美味しそうに見える。
「買って参りましょう」
そんな私の様子が分かったのか、アロイス様は露店でパンケーキを二つ購入した。
「どうぞ。中が熱いのでお気をつけて」
「ありがとうございます!」
パンケーキに包まれた大粒の木の実とジャム。甘酸っぱくてとても美味しい。
出先で食べる温かい食べ物は本当に美味しくて、私はぱくぱくとすぐに食べ切ってしまった。なんとなく横を見ると、なんと、アロイス様の綺麗なお顔が可愛らしいことになっていた。
「アロイス様、ほっぺに……」
「頬?」
アロイス様がパンケーキを食べながら、頬にジャムをつけている。
「お拭きします。じっとなさってください」
私はハンカチでアロイス様の頬を優しく拭った。
「これは……お恥ずかしいところを……」
「アロイス様にもこんな可愛らしい一面がおありなんですね」
アロイス様はバツが悪そうに耳まで赤くしていた。恥ずかしそうだけれど、いつも完璧な彼の抜けた一面が見られたことはなんだか嬉しい。アロイス様をぐっと近くに感じる。
「武器を注文している鍛冶屋、『鴉の竈亭』はあちらです。参りましょう」
アロイス様は少し早口でそう言い、先に立って歩き出した。
「あそこですね」
しばらく路地を歩くと、店先にカラスの形に切り抜かれた小さな看板を下げた、古めかしいお店の前に出た。ここが『鴉の竈亭』らしい。
「いらっしゃい」
中に入ると、店主のお爺様が愛想良く私たちを迎えてくれた。
店の中には武器が所狭しと並び、ただでさえ狭い店内を圧迫している。
「お久しぶりです、店主。注文の品は出来ていますか」
「もちろんでさぁ。こちらになります。奥へどうぞ」
店主に案内されるまま店の奥に入る。そこは工房になっていた。店先が狭いのは、建物の大部分を工房として使っているかららしい。
作業台の上に鎮座する一振りの剣が目に入る。
「これが……」
「へい、ご注文の品です」
すらりと長い一振りの大剣。
一切の余計な装飾をそぎ落とし、中心に深い溝を掘ることで極限まで軽く作られている。主に叩きつけて使う武器なので切先は無い。
そして何より、刃の部分に薄く削った石が嵌められている。魔術の発動を補助する魔術石だと分かった。
「とにかく軽くってことだったんでこんなもんですが、いかがですかね? もう少し重くてもいいんなら、魔術石をもう一つつけて……」
「いえ、これで結構です。ガブリエラ様」
「はい」
私は剣を握り、軽く振った。まるで生まれた時から握っていたかのようによく馴染む。
私の体格に合わせたサイズ、少しでも使いやすいように極限まで軽量化され、魔術の発動も助けてくれる。私のための剣。はじめての私の剣だ。
嬉しい。今にも踊り出しそうなくらいだ。
「流石、いつも素晴らしいお仕事です。お代はこちらに」
「はい、毎度あり」
アロイス様が剣を背中に担ぎ、私たちは店を出た。
「本当に嬉しいです、こんな素晴らしいものを使わせていただけるなんて。帰ったらまた改めて隊長にお礼を言わなくてはなりませんね」
「そうですね」
剣は私が持つと言ったけれど、アロイス様は頑として譲ってくださらなかった。淑女に荷物を持たせるのは紳士道に反するらしい。
◆
剣を受け取るという本来の用事も果たしたので、次に向かうのは靴屋だ。男装用のブーツを買わなくてはならない。
『鴉の竈亭』の近くにあった靴屋に入り、無難な靴を予備も含めて二足購入する。剣を受け取って上機嫌だった私は靴磨きやワックスなど、不必要に爆買いしてしまった。後で第一小隊の方々にお裾分けしようかな。
靴屋はとても小さな個人商店だったので、大剣という大荷物を持ったアロイス様には申し訳ないけれど外で待機して頂いていた。
店を出て、さてアロイス様はどこかしらと見回すと、道の向こうにちょっとした人だかりができているのが見えた。
「ありがとうございます、本当に助かりました!」
「いえ、困っているご婦人をお助けするのは騎士の務めですから」
人の輪の中心で、女性と話し込んでいるアロイス様が見えた。
「何かあったのですか?」
私は人だかりの中の人を捕まえて尋ねる。
聞くと、どうやら酔っ払いに絡まれた女の人をアロイス様が助けたらしかった。
「凄かったのよぉ、男の腕をこう捻りあげてね! 王子様みたいだったわぁ」
お話を聞いた女性が嬉しそうに話してくれる。
このちょっとした時間でトラブルを解決するとは、流石アロイス様だ。
「私、家がすぐそこで、料理屋をしているのです。どうか寄っていっていただけませんか? お礼ですから、お代は頂きませんので!」
助けられた女性はそうアロイス様に捲し立てる。まだ若い、女の子とも言える年齢の子で、助けられたこともあってかアロイス様に好意を感じているように見えた。
素直で可愛らしい。
怖い目に遭ったのだろうから、アロイス様効果で今日のことが嫌なだけの思い出ではなく、かっこいい騎士様に助けてもらった思い出として記憶に残ると良いだろう。
こうして見ると、アロイス様って本当に完璧だわ。キラキラと輝く金の瞳、透き通る碧眼。優しい微笑みを浮かべた甘いマスクに、引き締まって均整のとれた身体つき。
先程の女性が言っていたように、物語の中から抜け出して来た白馬の王子様みたい。私も同じ状況でアロイス様のような人に助けられたら、恋に落ちてしまうかもしれない。
「うぅ……」
どこからか鳴き声のようなものがして見回すと、小さな男の子が人だかりの端にぽつんと立って泣いていた。
周りに保護者と思われるような大人はいない。賑やかな人の輪に紛れてはぐれてしまったのだろうか。
「大丈夫? どうしたの?」
仕方がないので私が声をかけることにした。男の子はぼろぼろと涙をこぼして話せる状況ではなかったけれど、手を握って背中をさするうちにだんだんと落ち着いた。
「ママがぁ……」
「お母様がどうしたの?」
「いなくなった……」
「そうなの。では探しましょうか」
よくよく話を聞くと、どうやら人だかりに興味を惹かれた男の子が自分から母親のそばを離れてしまったようだった。きっとお母様も今頃探しているだろう。
「お名前はなんておっしゃるの?」
「シシル……」
「シシルね。シシルのお母様のお名前は?」
「アンネっていう……」
アンネさんのお名前を呼びながらあたりを歩き回る。そのうちに疲れたのか、またシシルがぐずり出してしまう。
「うぅ……」
「泣いてはいけないわ。男の子なのだから」
シシルの涙を拭ってやる。小さな子供だ、母親とはぐれてさぞ心細いだろう。
「あなたは今とても不安でしょうけど、きっとあなたとはぐれたお母様も不安だわ。ね、早くお母様を見つけてあげましょう」
「……うん……」
「ガブリエラ様」
すると、人だかりの中心にいたはずのアロイス様が私の元へやって来ていた。
「ガブリエラ様、申し訳ありません。こんな騒ぎになるとは。その子供は……?」
「迷子のようなのです。お母様を探しているのですが、まだ見つかりません」
「なるほど」
アロイス様がシシルを抱き上げ、自分の肩に乗せる。
「わっ……!」
「この方が辺りがよく見えるでしょう。お母様は見つかりますかな?」
「なるほど、素晴らしいお考えです」
いきなり目線が高くなったシシルは、アロイス様の肩の上できゃっきゃと喜んでいた。
「二人はともだち?」
「友達……というのは違うかもしれません」
「そうですね」
すっかり機嫌を直したシシルが無邪気に問いかける。
「ガブリエラはアロイスの彼女?」
「まぁ」
「ち、違いますっ」
真面目なアロイス様には不慣れな冗談だったのかもしれない。彼は驚くほど慌てて否定していた。
「彼女ではありませんよ。私には夫がいますから」
「そうなの? じゃあアロイスかわいそうだね」
「失礼ですよ。アロイス様はこんなに素敵な方なのですから、良いお相手がたくさんいらっしゃいます」
「へー」
アロイス様の高い上背のおかげで、ほどなくしてお母様は見つかった。
「ありがとうございます! ご迷惑をおかけしました。ほら、シシルも謝りなさい!」
「ごめんなさい……」
「謝っていただくことなどありません、楽しくお話しさせていただきました」
「えぇ、将来が楽しみなお子さんですな」
「ガブリエラ、また遊ぼーな」
「はい。また」
お母様に連れられながら、シシルは何度も振り返って手を振ってくれた。
「可愛らしい男の子でしたね」
「はい。子供は良いものです、彼らがこの地の未来を担っていくのですからね」
いつの間にか道の人だかりは無くなっていた。
「そういえば、女性からお誘いを受けていらっしゃいませんでした?」
「はい。ですがお断りいたしました」
「そうだったのですか……私のことなどお気になさらず、お受けすれば良かったのに」
私はどこかで時間を潰してもいいし、何なら一人で帰ってもいい。
「いいえ。今日の私はガブリエラ様の騎士ですので」
アロイス様はきっぱりとそう言って笑った。
その微笑みがなんだか寂しそうに見えた気がしたけれど、多分気のせいだろう。
「さ、そろそろ戻りましょうか」
そう言って先を歩き出したアロイス様は普段と変わらないように見えた。