第九話 汚名返上
■1945年4月3日 沖縄西方海上
第54任務部隊
旗艦 戦艦テネシー
「まったく……最初から戦艦の相手は戦艦に任せておけば良かったのだ」
戦艦部隊を率いるデヨ少将は憮然として、この日何度目かになる愚痴を言った。
二日前の4月1日に再度行われた慶良間上陸作戦はまたしても失敗していた。
第58任務部隊が確かに破壊したと保証した戦艦から再び砲撃を受けたのだった。
このため上陸作戦を行っていた第96歩兵師団も先の第77歩兵師団と同様に後退する羽目になった。
損害自体は両師団をあわせてもそれ程大きくはない。LVT1個大隊、兵員2個大隊程度である。
決して小さいものではないが、強襲上陸作戦である事を考慮すれば許容範囲ではあった。
問題は両師団がともに司令部を丸ごと失ってしまった事だった。
生き残りの部隊は他の師団に割り振られはしたが予備兵力にしか使えない。実質的には2個師団が完全に失われたに等しい。
これがエイプリルフールの冗談であれば、どんなに良かったことか。その悲報を聞いた海軍将兵は皆そう思った。
調査の結果、あの戦艦は5ヵ月前に潜水艦部隊が撃沈を報告したものと判明した。
信じられない事に報告した潜水艦は音だけで撃沈と判断したらしい。それを知ったスプルーアンスとニミッツは激怒し、その潜水艦に授与された勲章は剥奪され艦長は更迭されたという。
しかしこの一連の件で陸軍の海軍に対する不信感、というより怒りは極限に達していた。
あの戦艦をフィリピンで仕留めそこなったのも、撃沈を誤報したのも、偵察で見逃したのも、爆撃で仕留めそこなったのも、何から何まで全て海軍の不手際だったからである。
汚名を濯ぐには今度こそ完全に敵戦艦を破壊するしかない。第58任務部隊のミッチャーはスプルーアンスに再攻撃を直訴した。だが当然の様に却下された。
代わりにスプルーアンスから直接命令を受けたデヨは、手元にある10隻の戦艦のうち上陸部隊を神風攻撃から守る分を最低限だけ残し、6隻もの戦艦を引き連れて出撃していた。(テネシー、アイダホ、ニューメキシコ、ウェストバージニア、メリーランド、コロラド)
いずれも標準戦艦と呼ばれる低速でやや旧式の艦ばかりではあるが、近代化改装も受け、主砲の改修により射程も伸びている。6隻あわせて14インチ砲36門、16インチ砲24門もの砲力をもってすれば、例え相手がモンスターと言われる戦艦であろうと撃破可能と考えられた。
「敵戦艦の射程は4万5千ヤードを超えると思われます。我々の主砲より1万ヤード近くの差がある点が心配です」
幕僚の一人が不安を口にした。戦艦が座礁している浦添の海岸から慶良間諸島の阿嘉島まではおよそ41キロの距離がある。おそらくこれが最大射程と思われるが、もっと長い可能性もある。
「心配ない。観測機や観測点が無い限り水平線を超えて砲撃はできん。慶良間のケースは島内に敵の観測点があったからだ。だが今回は何もない海上が戦場となる。観測点に使える場所はない。だから射程の差はそれほど大きな問題にはならんだろう」
デヨは幕僚の不安を一蹴した。
「現状、敵は戦艦というよりは要塞と考えた方が妥当と思われます。洋上から要塞への攻撃となると不利は否めません」
別の幕僚も不安を表明する。
古来より船と要塞の戦いでは船側が不利であるというのが定説であった。
要塞は一般的に高台にあり船より大きな砲を備えるため射程・威力の面で船に勝る。また揺れる船と違い大地に固定されているため照準の面でも有利となる。その幕僚の意見は一般論として正しかった。
「その点も考慮している。そのために戦艦を6隻も用意したのだ。君の言う通り我々にもある程度の損害は出るだろう。だがそれは許容すべき損害だ。敵はたった1隻に過ぎない。砲の威力や精度に差があっても、手数で勝る我々が最終的に勝利するだろう」
この点も作戦開始前に考慮されていた。個艦性能の差は数で埋めるしかない。デヨはスプルーアンス、そして上陸船団の防衛を担当する第51任務部隊のターナー中将らと入念に打合せを行い、この作戦に出せる限りの戦艦を投入していた。
それはつまり、この作戦が仮に失敗した場合、海軍にはもう後がない事を意味していた。
■弓鋸尾根 浦添城跡
陸軍観測所
平坦な地形の多い浦添海岸付近と違い、海岸線から3キロほど内陸に入ったこの辺りは弓鋸尾根とよばれる隆起珊瑚礁の断崖絶壁が続いている。
標高100メートルほどの高台には古来より琉球王国の城が築かれ、今も第32軍の重要な防御拠点の一つとなっている。
その断崖上に築かれた掩体壕の口から砲隊鏡がのぞいていた。
ここから見える水平線までの距離はおよそ38キロ。海岸線からの距離でも35キロまで見通せる。背の高い戦艦の艦橋やマストであれば、40キロ以上先にあっても確認することが出来た。
「敵先頭艦、方正ヘ・ト・14・28、距離40130、1208」
「復唱します。敵先頭艦、方正ヘ・ト・14・28、距離40130、1208。送ります」
陸軍砲兵観測員の言葉を海軍少尉がそのまま戦艦武蔵へ伝える。そして同じ事がこの弓鋸尾根に作られた複数の観測所でも行われていた。
■戦艦武蔵
第二砲塔下 機銃弾薬庫
戦艦武蔵の船体最下部、第二主砲弾薬庫の更に下に位置するこの部屋は、海軍と陸軍の将兵と喧騒で満ちていた。
すでに艦外に展開していた機銃陣地も爆撃後に撤収し沖根や第32軍に移管されている。このため、もともとこの部屋に山積みにされていた機銃弾薬箱もほとんど姿を消していた。
わずかに残った弾薬箱も同じく空となった高角砲弾薬庫に移されている。そうやって空いた広大な空間に今では机や椅子が持ち込まれ中央には海図台まで置かれている。
さらに壁際には後部艦橋にあった射撃方位盤の操作盤が設置されていた。武蔵の艦橋は前後共に完全に破壊されていたが、この部屋から主砲の射撃指示が出来る様に改造工事がなされている。
各観測所から次々ともたらされる観測緒元が即座に海図台に反映されていく。コンパスで観測所からの距離の円が描かれ、他の観測所の円との交点に敵艦の印と時刻が記入される。
それは敵艦隊の動きをまるで手に取るように目の前に現わしていた。
「これは手荒く凄いですね。理屈では分かっていましたが、こうも分かりやすいとは……もう元のやり方には戻れないかもしれません」
越野砲術長が感嘆しつつも苦笑する。
「これは離れた所に複数の観測所があるから出来る事さ。単艦じゃたとえ電探が有っても今まで通りのやり方でやるしかないよ。でもこうやって刻々と絵図で表現していくやり方は使えそうだね」
もしこの先に報告できる機会があればね、と猪口も苦笑した。
「本来、砲兵のやり方は移動目標に対応していないのだが……これならば確かに分かりやすいな」
第32軍の牛島中将も驚き喜んでる。
現状、沖縄防衛の要は戦艦武蔵であるから、陸軍もここに居た方がよいという考えらしい。今では八原大佐らと共に艦内に部屋も用意され、数日に一度は武蔵に訪れ寝泊まりまでしている。
「本艦は本来ならば何の役にも立たないはずでした。こうやって貢献できるのも陸軍のご協力のお陰です。感謝しています」
猪口はもう何度目かになる礼をのべた。本心から彼はそう思っていた。感謝しても感謝しきれない。
「敵針、敵速の観測は終えています。艦長、そろそろ始めたいと思います。宜しいですか?」
背後で各砲塔に指示を出していた越野砲術長が声を掛ける。
「宜しいよ。目標、敵先頭艦、コロラド型。打ち方はじめ」
猪口が静かに命じた。
戦艦武蔵は、彼女がこの世に生み出された本来の目的、打倒すべき目標である敵戦艦に向けて、建造以来はじめてとなる砲弾を発射した。
史実でもスプルーアンスはデヨ少将の戦艦部隊に大和の迎撃を命じています。
しかし標準戦艦で大和の相手をするのは無理ゲーですよね。米軍は大和が18インチ砲を積んでいる事を把握していたという説もありますが、それでも舐めていたとしか思えません。
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