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第六話 現地協定

 武蔵が沖縄に座礁した当時、本土防衛にあまり関心のない海軍と異なり、陸軍(大本営陸軍部作戦課)はフィリピンでの捷一号作戦の失敗を受け真剣に本土決戦を考えていた。


 その作戦は、フィリピンは持久戦体制とし、さらに台湾と沖縄で本土決戦までの時間稼ぎを行うことが主軸となっている。


 そして陸軍作戦課は沖縄より台湾を重視していた。


 このために沖縄から兵力の一部をフィリピンや台湾へ移動させることを決定する。これにより第32軍が当初計画していた沖縄防衛計画は大きな変更を余儀なくされていた。


 このような時期に戦艦武蔵が戦闘能力を保ったまま沖縄に座礁し、それが海軍内で継子扱いされているという状況は、戦力不足に苦しむ第32軍にとって極めて好都合な事であった。




■1944年11月7日 戦艦武蔵


「大変な時に急にお邪魔して申し訳なくあります」


 武蔵の座礁から二日後、陸軍がさっそく武蔵に接触してきた。訪ねてきたのは第32軍司令部の作戦参謀である八原博通大佐だった。彼の態度は最初から非常に腰の低いものだった。


「大丈夫ですよ。とりあえずの応急は終わりましたのでね。重傷者も沖根に一時的に引き取ってもらいましたし、物資だけは十分にありますから。ただしこの通り、もう戦艦としては使い物になりませんがね」


 猪口が自嘲的に笑う。


「艦長……」


 その様子にまた猪口が不安定にならないかと同席する加藤副長はヒヤヒヤしていた。それに気づいた猪口が加藤に俺は大丈夫だと言うように頷く。


 加藤に説教された後、猪口はあの時に一度死んだものと考える事にしていた。死んだと考えれば気が楽になる。彼はもう出来る事は何でもやってやろうと開き直った気持ちになっていた。


 なお戦艦武蔵が第34特別根拠地隊となったことで猪口の肩書も艦長から隊司令に変わっていたが、皆は変わらず猪口の事を艦長と呼んでいた。猪口の方もそれを正そうとはしていない。


 しばらく雑談的な情報交換をしたあと、八原は本題を持ち出した。


「閣下、実は第32軍として折り入ってお願いがあります」


 そう言って八原は頭を下げた。それに対して猪口は不思議そうに首を傾ける。


「32軍の指揮下に入れっていうなら何も問題ないよ。もう沖根だって実質的に指揮下に入っているだろう?」


 実は日本軍に陸海軍の正式な作戦協力の仕組みは無かった。これは翌年の1945年1月に上奏される『帝国陸海軍作戦計画大綱』まで待つことになる。もっともこれですら大雑把な大綱であり、その中身も航空作戦の協力をしましょうという程度のものである。


 だが前線の現地部隊同士であれば、『現地協定』に基づいた陸海軍の協力は普通に行われていた。だから猪口の疑問はもっともな事であった。


「はい。それはその通りではありますが……我々としてはもっと具体的な、もっと踏み込んだご協力を頂きたいと考えております」


 八原の説明はこうだった。


 元々、第32軍は3個師団と1混成旅団を有しており、しっかりとした沖縄本島の防衛計画を建てていた。


 それは豊富な砲兵戦力により水際で敵に大打撃を与え、敵上陸後は島北部の防衛をある程度放棄する代わりに、中部から南部にかけて要塞化し十分な兵力を配置して長期持久を図るというものであった。


 だが既にフィリピン防衛のため2個砲兵大隊の転用が決定されており、沖縄同様に戦力をフィリピンに抽出された台湾を補強するため、さらに1個師団を台湾に移動する計画も進んでいる。


 つまり合計して5個砲兵大隊が今月中にも沖縄から居なくなる予定だった。さらに歩兵戦力の減少により特別攻撃隊が使用する飛行場の防衛維持も怪しくなっている。つまりこれは事前の防衛計画が完全に崩壊している事を意味していた。


 そんな苦境に立たされていた所に降ってわいたのが戦艦武蔵の座礁である。


 ガダルカナル島に対する金剛・榛名の砲撃は1000門の野砲、3個師団に相当するとも評されている。それよりはるかに巨大な砲を搭載しているはずの戦艦武蔵に第32軍は大いに期待していた。



 八原はかなり赤裸々に、正直に状況を説明したつもりだったが、それを聞いた猪口の最初の反応はあまり良くなかった。


「なるほど陸さんの事情は了解した。しかしその期待にはあまり添えないかもしれない」


「なぜでありますか?」


「主砲自体は無事なんだがね。先日の被雷と座礁で指揮装置がいかれてしまったんだ。近場ならなんとか狙えるが、本艦はもう最大射程では撃てないよ」


 被雷と座礁の衝撃で武蔵の主砲射撃方位盤が故障してしまっていた。今となっては修理の目途も立たない。


 まだ一応、後部射撃指揮所と各砲塔の照準器は使えるものの、武蔵の砲撃力は大きく減ぜられてしまっていた。


「砲自体が射撃可能なら問題はありません。照準修正については陸軍側で行うことが可能と考えております」


「なるほど陸式で、つまり、いち陸軍砲兵部隊として戦ってほしいという事だね?」


「はい、そうであります。甚だ無礼な提案と自覚しておりますが……如何でありますでしょうか?」


 八原が不安げに猪口の顔を伺う。


「いいよ。了解した。陸さんの好きに本艦を使いまわしてくれ」


「艦長!」


 意外な事に猪口はあっさりと八原の提案に頷いた。それに隣の加藤副長が非難の声をあげた。


 猪口は加藤に向き直ると諭すように言った。


「副長、考えてもみてくれ。我々はここから動く事もできない。GFからも半ば見捨てられている。つまり我々はもう沖縄と、第32軍さんと一蓮托生なんだよ。ならば全力で、最大限に効果的な方法で協力するのが一番じゃないか」


「はい……確かに艦長の仰る通りでした。失礼しました」


 猪口の言葉に加藤は渋々同意した。


「一応GFには第32軍と現地協定を結んだことは報告しておこうか。あまり詳細を伝える必要はないよ。言ったら言ったで、どうせ煩くなるだけだろうしね」


 そして猪口は笑顔で八原に向きなおった。


「という訳で、こちらに異論はない。よろしくお願いする。それより外野が騒がない内にさっさと既成事実をつくってしまおうか」


「は、はい。さっそくこの戦艦を組み入れた防衛計画の策定に取り掛かからせて頂きたくあります。ところで差し支えなければ、この戦艦の大砲の射程だけでもお聞きして宜しいでしょうか」


 こんなにトントン拍子に話がまとまると思っていなかった八原は喜びを露わにした。


 だが計画をたてるには戦艦武蔵の実力を知る必要がある。詳細は後で詰めるにしても、今日の会合から帰ってすぐに素案に取り掛かるには、少なくとも射程を知っておく必要があった。


「4万2千メートルだ。ちなみに46センチ砲で9門ある。砲弾重量は1.4トン。条件にもよるが、およそ40秒おきに発射できる。砲弾数は各門130発ずつ。一発も撃ってないから丸々残っているよ。でも特殊弾をのぞけば地上戦に使えるの80発ほどかな」


「艦長!」


 今度は越野砲術長が声をあげた。大和型の主砲緒元は極秘扱いとなっている。それを協力するからと言って軽々しく陸軍に漏らした事を越野は非難していた。


 猪口はため息をつくと越野に顔を向けた。


「砲術長、今さら何を言っているんだ。砲の性能が分からなければ陸さんは計画も何も立てられんだろう?」


「……はい艦長、仰る通りです。しかし……」


「砲術長にはこの後、八原大佐と一緒に32軍にしばらく行ってもらうつもりだ。砲術科から何人か見繕って一緒に連れて行ってくれ。陸式でやるとはいえ、最後に砲を調整して発砲するのはこっちなんだ。しっかりやり方を擦り合わせしておく必要がある。越野君にしか出来ない仕事だ。頼んだよ」


「はい、了解しました。八原大佐、よろしくお願いします」


 越野は悄然と命令を受け入れた。


「閣下、ご配慮ありがとうございます。しかし46センチ砲で射程4万メートル以上ですか……まことに戦艦とは大したものでありますな」


 八原は武蔵の主砲の性能に素直に驚いていた。第32軍の持つ最大の榴弾砲である九六式十五糎榴弾砲はその名のとおり15センチで、射程も1万2千メートルに過ぎない。


 第32軍に通常の3倍以上の射程をもつ巨砲が加わった。この射程ならば沖縄本島の南部はおろか慶良間まで射程に収まる。


 これは天祐かもしれない。防衛計画の根本が変わる。八原は絶望的だった沖縄防衛に希望の光が見えてきたような気がした。


挿絵(By みてみん)

武蔵が浦添海岸に腰を据えた事で、46センチ主砲は慶良間諸島や沖縄戦の主戦場となる本島南部の全域をその射程に収める事になります。


作者のモチベーションアップになりますので、よろしければ感想や評価をお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 成る程!良い位置に座礁させました。大和級が沖縄へ史実のように乗り込もうとしても殺られますからね。最初から居れば良いてす。大和級が沖縄へたどり着いた架空戦記は多分(檜山良昭著)で大和が沖縄へた…
[一言] 硫黄島程ではないにせよ日本陸軍の通常兵力と比較して高密度の砲兵に巨砲が加わりましたか。 沖縄には榴弾砲だけで加農砲の方は未配備だったんですね……。 副砲、高角砲も併せると恐ろしい事に。
[気になる点] 「陸式」って海軍軍人が陸軍のやり方を蔑んで使っていた言葉だと何かで読んだ。当の陸軍軍人を前にして不適切だと思う >砲弾数は各門130発ずつ 100発以外の資料は見たことが無い
2022/07/03 11:04 通りすがり
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