第四話 沖縄沖の蹉跌
■1944年11月4日 深夜
沖縄 浦添沖
潜水艦クイーンフィッシュ
この日、バラオ級潜水艦クイーンフィッシュは、同バラオ級ピクーダ、ガトー級バーブの3隻でウルフパック「ラフリンズ・ルーパーズ」を組み東シナ海を哨戒中であった。
一時間ほど前からクイーンフィッシュは日本へ向けて北上するスクリュー音を感知していた。いずれも多軸推進音を発しているため輸送船団ではありえない。すでに付近にいるはずのピクーダ、バーブへも情報を伝達し共同で追尾を続けている。
「艦長、SJレーダーが目標を探知しました。距離2万4千ヤード、真方位228」
レーダー室から待望の知らせが届いた。艦長のラフリン少佐はすぐに艦橋甲板に出てレーダーの示す方向に双眼鏡をむける。
「いました。11時方向、水平線上に艦影が見えます。触接確認2305」
ラフリン艦長より先に当直士官が目標を発見した。すぐに双眼鏡をそちらに向け確認する。
「間違いない。報告にあったTF38が打ち漏らした連中だ」
ラフリン艦長の顔に笑みが浮かぶ。まだ半月に近い明るい月の光は、黒々とした敵艦隊の姿を水平線に明瞭に浮き上がらせていた。
今回の哨戒活動ではフィリピンへ向かう日本の輸送船団が主目標であった。だが司令部からは先日フィリピンで起きた海戦から帰投する艦艇が通過する可能性も知らされていた。そして目の前の艦隊には巨大な戦艦が一隻含まれいる。
情報にあったモンスターに間違いない。
「機関始動!浮上したまま距離をつめる。敵のレーダー波を検知したらすぐに知らせろ。TDC(Torpedo Data Computer:雷撃諸元計算機)も起動しろ。追跡チームは配置につけ」
ラフリン艦長は矢継ぎ早に指示をとばすと階下のコニングタワーに降りた。そこでレーダー情報をチャートに書き入れ敵艦隊の進路を予測する。
そして1時間後、クイーンフィッシュを含む3隻の潜水艦は敵艦の前方に占位することに成功していた。すでに潜望鏡深度に潜水している。TDCには自艦と目標のデータが自動的に入力され続けており、雷撃準備は整っていた。
「あのデカブツをやるぞ。全発射管発射用意。発射管注水。調定深度20フィート」
興奮をおさえた声でラフリン艦長が下命する。
「TDCライト点灯。艦長、いつでも撃てます」
TDCオペレーターがサムズアップする。ラフリン艦長はうなずくと皆が待ち望んだ命令を下した。
「用意……1番から6番、順次発射」
こうしてクイーンズフィッシュは武蔵に向けて続けざまに6本のMk14魚雷を放った。この時の彼我の距離は3000ヤード。およそ100秒で魚雷が武蔵に到達することになる。
■戦艦武蔵
「二時方向より魚雷!雷数6!」
当直に任せて艦長室に戻ろうとしていた猪口は、見張りの叫び声で慌てて窓際に駆け寄った。
「面舵一杯!」
月明りで白く光る航跡が武蔵に迫ってくる。それを確認した猪口はすかさず転舵を指示した。しかしどうみても既にその魚雷は避けようがなかった。
「総員、被雷に備えよ!全隔壁閉鎖!」
猪口にできたことは艦内に被雷を警告することだけだった。
■潜水艦クイーンフィッシュ
「潜望鏡下げ!深度300(フィート)!」
雷撃と同時に敵艦隊の護衛についていた3隻の駆逐艦が向かってきた。艦の周辺に砲撃の水柱があがり鋭い探針音が海中に響きはじめる。
砲撃には何の効力もなく日本の駆逐艦の対潜能力も低い事はわかっている。だが用心するに越したことはない。彼は艦の針路を変えつつ爆雷の被害を抑えるべく艦の深度をさげていった。
しばらくして重い爆発音が響いてきた。歓声をあげかける水兵らを先任士官が手で制する。
「どうだ?」
ソナーオペレーターの肩に手を置き、ラフリン艦長は小声で状況をたずねる。
「命中したのは4本です。激しい浸水音も聞こえますが……敵艦の機関はまだ生きているようです」
どうやら6本放った魚雷のうち2本は外れたらしい。
「それと、別の方向でも複数の命中音が聞こえました。破壊音も聞こえます。おそらくそちらは撃沈確実でしょう」
「ふむ、そっちはピクーダかバーブが巡洋艦を食ったのだろう。こっちの獲物は沈めきれなかったか……少し残念だな」
だが駆逐艦が迫ってきている状況では追撃はできない。しばらくして艦の上方をスクリュー音が通り過ぎる。
「敵駆逐艦、爆雷投下!」
ソナーオペレーターが報告と同時にヘッドホンを外す。
「爆雷がくるぞ!全員掴まれ」
そう小声で叫んでラフリン艦長も近くのパイプにしがみついた。
■戦艦武蔵
被雷により武蔵の状況は急激に悪化していた。航空機用よりはるかに大型の魚雷が4本も命中したのである。
特に先の海戦と同じ場所に命中した2本が痛かった。これで施されていた応急処置はすべて無に帰してしまいバイタルパート内に再び大規模な浸水が始まっていた。艦首無防備区画の浸水量も多い。
このため武蔵は右舷に急速に傾いていった。
「左舷注水急げ!」
副長の加藤大佐が必死に応急の指揮を執る。だが既に左舷側にも注水しているため思う様に傾斜を回復できない。
「右舷罐室すべて浸水しました!」
「第3主機械室に浸水!機関停止します!」
追い打ちをかけるように機関科から悲報が届いた。武蔵の12室ある罐室のうち右舷側の6室すべてと機械室に浸水がはじまっていた。
機関科の水兵らが煮えたぎる海水と高温の蒸気に飛び込み罐の火を落として高圧蒸気を逃がす。彼らの決死の活動により蒸気爆発だけは避けられた。
本来罐室はバイタルパート内に守られており、また罐室ごとに隔壁で仕切られているため被雷で多数同時に浸水する事はないはずであった。
だが大和型は重量軽減のため装甲の一部を構造材としており(これは他国の同世代の戦艦も同じである)被雷の衝撃で装甲が押し込まれ、その内側の隔壁を歪ませていた。
姉妹艦の大和の方はこの是正工事を受けていたが武蔵はついに受ける機会が無かった。これが今回の被害を更に拡大させていた。
大量の浸水と罐・機関の喪失により速度は10ノットほどに低下してしまった。傾斜も思うように回復出来ない。このままでは横転転覆する危険が高かった。
「艦長、残念ながら本艦はもう長くは保ちません……どうか……」
加藤大佐が悔しそうに事実を告げた。
覚悟はしていたが、その報告に猪口はぎゅっと目を瞑る。そして目を開けると月明りに浮かぶ沖縄本島が見えた。大きく息を吸うと、彼は最後の決断を口にした。
「本艦はこのままでは沈没を待つばかりである。誠に遺憾ながら本艦を沖縄本島に座礁させる」
そして武蔵はその舳先をノロノロと沖縄本島の方向へ向けた。
■潜水艦クイーンフィッシュ
敵駆逐艦の爆雷攻撃は執拗だった。幸いなことに調停深度がデタラメなため被害は今のところ何もない。
そんな中、息を潜めるラフリン艦長の耳に爆雷とは異なる大きな音が聞こえてきた。
「なんだ?なんの音だこれは?」
思わずラフリン艦長は隣に居たソナーオペレーターに尋ねた。ソナーが使えないので正確な判断はできませんがと前置きした上で彼は自分の判断を述べた。
「これはかなり大きなものが海底に衝突する音のようです……方角が分からないので断言できませんが、おそらく先ほど攻撃した敵戦艦に何かあったのかもしれません」
そう話している間にも謎の轟音は続き、最後に一際大きな音がしたあと何も聞こえなくなった。
「ふむ……おそらく敵戦艦は浸水を抑えられず転覆でもしたんだろう。さっきの音は海底への激突音かもしれんな」
「ならば!」
「ああ、我々も戦艦を撃沈したということだ。よろこべ、大戦果だぞ!」
ラフリン艦長の言葉にクイーンフィッシュ艦内は静かに沸き立った。
新型戦艦を撃沈された報復だろうか。敵の攻撃は翌朝になっても航空機まで動員して執拗に続けられた。
翌日夜にようやく浮上できた時にはクイーンフィッシュとピクーダは若干の損傷を負い、僚艦のバーブは失われていた。
長時間の潜水で二酸化炭素吸収材は使い果たしバッテリーも傷んでいる。このためラフリン艦長は、敵新型戦艦1、敵妙高級巡洋艦1撃沈確実と報告し、哨戒活動を予定より早めに切り上げ真珠湾へ帰投することにした。
後日、日本の暗号通信から武蔵を示す符丁も消えた事から、米海軍は武蔵の撃沈を確信しクイーンフィッシュに殊勲部隊章を授与した。
この五か月後これが大きな間違いであったことを彼らは大きな代償をもって思い知る事となる。
史実でもクイーンフィッシュ以下ラフリンズ・ルーパーズの3隻の潜水艦は沖縄周辺で暴れまわり、あきつ丸を含むヒ81船団を壊滅させています。
本作ではその前に真珠湾へ戻るため、ヒ81船団とは遭遇しません。船団を襲うのはウルフパック一つだけになるので被害は少し軽くなるかもしれません。
また、今回の帰還と損傷修理により出撃ローテーションも変わるため、緑十字船「阿波丸」撃沈事件も発生しないかもしれません。
作者のモチベーションアップになりますので、よろしければ感想や評価をお願いいたします。