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武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり  作者: もろこし


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Wiki風解説 キャンプ・ムサシ

 キャンプ・ムサシ(英語: Camp Musashi)は、沖縄県浦添市の海岸に位置する在日米軍海兵隊の基地である。


 建物本体に旧日本海軍の戦艦武蔵をそのまま利用している事で有名であり、それがキャンプ名の由来ともなっている。

挿絵(By みてみん)


■概要


 浦添市西部から浦添市北部にかけて長さ約1.2km、国道58号から西海岸にかけて幅約0.8km、市面積の約5%を占めている。


 開設当初は広大な米陸軍総合補給基地(牧港補給地区)が隣接していたが、2013年より順次返還され現在に至っている。残った補給基地も現在は米海兵隊が管轄している


 施設面積:0.994km2(2022年月1月)

 所有形態:国有地0.890km2

     (全施設面積の約90%)

      私有地0.104km2

     (同約10%)

 管理軍別:USMCアメリカ海兵隊

 推定兵力:1050人

 使用用途別:米海兵隊太平洋基地司令部

 従業員数:324人

 管理部隊名:海兵隊キャンプ・ムサシ基地司令部


 米軍基地の規模としては比較的小さな部類に入るが、このキャンプには伝統的に米海兵隊太平洋基地司令部がおかれている。


 その管轄下には沖縄にあるすべての海兵隊基地、海兵隊ハワイ基地、韓国海兵隊ムジュク基地、岩国航空基地、普天間航空基地、そしてキャンプ富士が含まれる。




■司令部本館の建物について


 この基地の本館は、太平洋戦争で日本が降伏する直前に海兵隊が占領した旧日本海軍の戦艦武蔵(当時の名称は第34特別根拠地隊)の船体を利用している。


 艦内は隔壁や甲板を含めほぼ全てが変更され原形を留めていない。


 だが最上甲板より上の部分は当時の姿が完全に復元されており、基地開放日には見学も可能である。


 特に3基の主砲塔はその動作と発砲が可能な状態を維持されており、礼砲やイベント時には実際に空砲が発射される。


 なお轟音を発するため発砲計画は地元自治体に事前通知される事となっている。


 建物の正面玄関は右舷中央の喫水線下にあたる部分にあり、これは戦艦武蔵がシブヤン海海戦で被雷した時の穴を利用している。


 沖縄戦時にはこの場所に旧日本陸軍部隊(第32軍)と結ぶ地下トンネルが設置されていた。




■名称について


 通常、米海兵隊の基地は勇戦した兵士の名前から取られる事が多い。


 しかしここは海兵隊が多大な犠牲を払って占領した事と敵手に対する敬意から、戦艦武蔵の名前をそのまま使用している。


 命名者は初代基地司令のロイ・スタンレー・ガイガー中将。




■歴史


 旧日本海軍の戦艦武蔵としての経歴については、戦艦武蔵の項を参照のこと。


◇1944年11月5日

 シブヤン海海戦で損傷を受け日本に帰投する途中に、米潜水艦クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393) の雷撃を受ける。武蔵艦長の猪口敏平少将は横転沈没を避けるため浦添海岸に武蔵を座礁させる。


 クイーンフィッシュ艦長のチャールズ・E・ラフリン少佐は激しい激突音から武蔵を撃沈したと判断し潜水艦隊司令部にそう報告した。これが大きな誤認であった事は後の沖縄侵攻作戦(アイスバーグ作戦)で判明し、この作戦の大きな障害となる。


◇1944年11月5日

 連合艦隊司令部命令より、武蔵乗員により第34特別根拠地隊を編成。


◇1945年3月26日

 アイスバーグ作戦の前哨戦となる慶良間上陸作戦で第77歩兵師団を砲撃、アンドリュー・デービス・ブルース少将を含む司令部を撃破。


◇1945年4月1日

 慶良間への再上陸作戦で第96歩兵師団を砲撃、ジェームズ・レスター・ブラッドリー少将を含む司令部を撃破。


◇1945年4月3日

 第54任務部隊の戦艦6隻と交戦。うち5隻を撃沈。モートン・リンドホルム・デヨ少将を含む司令部を撃破。


◇1945年5月20日

 RAF第617飛行中隊「ダムバスターズ」と交戦。特別仕様のランカスター爆撃機18機中、指揮官のジェームズ・ブライアン・テイト中佐の乗機を含む8機を撃墜。


◇1945年6月10日

 海兵隊の特別選抜中隊「Dirty Dozen」による潜入破壊作戦「アムネスティ」実施。指揮官はジョン・ライズマン少佐。

 潜入直後、第一砲塔の突然の発砲により隊員の半数を失うが、各砲塔の無力化に成功。これにより第10軍団による上陸作戦を成功に導く。


◇1945年6月11日

 第二砲塔下に立て籠もる猪口少将らに対し猛攻をしかけ、日本降伏の3時間前に降伏させることに成功。

 降伏の交渉は猪口少将とロイ・スタンレー・ガイガー少将(当時)の間で行われ、武蔵は海兵隊に接収される。


◇1945年8月

 日独の残存艦艇の分配を調整する四国間海軍委員会(QNC:Quadripartite Naval Commission)にてカテゴリーC(稼働には6か月以上の修理が必要な艦)に分類。海兵隊は艦艇ではなく要塞だと主張したが認められず。


◇1945年9月

 QNCにて武蔵は米国に配分される事が決定。海兵隊の管轄となる。猪口少将を武蔵修復担当官に任命。武蔵の修復改装作業に着手。


◇1946年10月

 武蔵の修復改装作業が完了し、海兵隊への引き渡しが行われる。内部構造は大幅に変更されたが、外観はシブヤン海海戦当時の姿をほぼ完全に再現している。米海兵隊太平洋基地司令部キャンプ・ムサシとして開所。初代基地司令はロイ・スタンレー・ガイガー中将。


◇1978年

 隣接する陸軍の牧港補給地区 (Machinato Service Area) を海兵隊に移管。キャンプ・ムサシの一部となる。


◇2013年

 日本政府、「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」(Consolidation Plan for Facilities and Areas in Okinawa)を発表。


◇2019年

 旧牧港補給地区の9割が返還完了。現在のキャンプ・ムサシの敷地となる。




■武蔵の降伏時間についての議論


 武蔵が降伏したのは6月11日の午前5時ではなく、日本がサンフランシスコ宣言を受諾した午前8時以降だったのではないかとの説がある。


 これは旧武蔵乗員、海兵隊双方の複数の兵士の証言による。


 時間が食い違っている理由は、海兵隊が日本の降伏前に独力で武蔵を下したという戦果を求め、猪口少将が全滅を避けるためそれに応じたからと言われている。


 だがこの説は、ガイガー中将、ライズマン少佐、猪口少将ら関係者すべてに否定されている。


 また降伏時に撮影された公式の写真およびフィルムの撮影時間も午前5時と記録されており、あくまで噂の域を出ていない。




■基地開放日


 在日米軍海兵隊は日米親善のため年に3回、基地の開放を行っている。


 入場は他の在日米軍基地と同様に日本国籍または米国籍を持つものに限られ、身分証明書の携帯が義務付けられる。


◇スプリング・フェスタ

 毎年2月に行われるお花見のイベント。敷地内には多数のカンヒザクラが植えられており、これが満開となる時期に行われる。このイベント時のみは主砲の発射イベントは無い。


◇フレンドシップ・ディ

 毎年6月に行われるイベント。他の米軍基地と日程をあわせて開催されている。他の基地の様な兵器の展示は無いが、主砲の発射イベントがあるため非常に人気が高い。


◇ムサシ見学ツアー

 毎年11月に行われる見学イベント。ほぼ戦時中の姿を残している最上甲板より上の見学ツアーである。当時のままの主砲内部や副砲・高角砲に加え、完全に復元された艦橋から主砲発射の様子を見学できる。公式HPからの予約が必要であるが、募集開始後すぐに予約満杯となるほどの人気イベントである。




■心霊スポットとして


 武蔵では戦艦だった頃だけでなく、沖縄でも日米双方の多数の兵士が戦死している。


 特に70名以上が即死したと言われる第一砲塔周辺と、同じく数十名が戦死した戦闘指揮所前の通路は心霊現象がよく起こるとの噂が多い。


 以下のような噂があるが実際に確認された記録はない。


◇夜になると甲板に多数の人魂が現れる。

◇写真を撮ると多数の人影が写る。

◇誰も居ないはずの部屋でセンサーが反応する。

◇仮眠をとっていると金縛りにあう。

◇深夜勤務で大戦中の兵士を見た。断末魔の声を聴いた。

◇通路を行進する多数の兵士を見た。足音を聞いた。

◇通路の壁に突然多数の血の手形が現れた。

◇最近食欲がない、よく眠れない。

◇肩こり、目の疲れが酷い。


 尚、旧戦闘指揮所付近は通常は閉鎖され立ち入り禁止となっており、第一砲塔前の甲板では毎年6月10日には日米合同の慰霊祭が行われている。




■メディアへの露出


 旧日本海軍の戦艦、しかも世界最大の戦艦の当時の外観をほぼ保っているため、これまでも日米の多数の映画・ドラマの撮影に使用されてきた。


 海兵隊も最上甲板より上は機密性が低く、広報効果も高いため積極的に撮影に協力している。


 また、実写以外でも、アニメやゲーム等で本キャンプをモチーフとしたものが登場する事も多い。



◇宇宙戦艦ムサシ(漫画・アニメ)

 異星人に侵略され荒廃した地球を救うため旅立つ宇宙戦艦を描いた人気作品。続編やスピンオフ、リメイク作品も多い。


 赤錆びた外装が剥がれ落ち、中から真新しい宇宙戦艦の姿が現れ、護岸を割って発進するシーンが有名である。



◇1945(ゲーム)

 1990年に発売されたアーケードゲーム。縦スクロールのシューティングゲームであり、自機としてP-38またはランカスター爆撃機に似た機体を使用する。


 最終6面のラスボスとしてムサシをイメージした巨大戦艦要塞が登場する。自機にランカスター爆撃機を使用している場合、グランドスラムと言われる巨大爆弾を弱点に命中させる事で一撃で撃破する事ができる。



◇World of Battleships(ゲーム)

 シナリオ限定マップの一つ「要塞攻略戦」としてムサシをモデルにした艦が登場する。敵はムサシ1艦のみであり速度も0であるが、大和クラスと同等の威力で命中率と射程が驚くほど高い主砲をもつ。耐久力も極めて高い。


 しかも開始直後からマップのどこに居ても砲撃してくるという鬼畜仕様となっておりTier6以下の戦艦では何もできないまま一瞬で終わる可能性もある。その難易度から「運ゲー」、「絶望」の異名をもつ。



◇ガールズ&タンクス(アニメ)

 ムサシをモデルとしたアムネスティ大学付属水産高校の学園艦が登場している。母港は沖縄牧港。作品中で唯一の戦艦型学園艦である。


 保有戦車はM4や九七式中戦車が中心だが、すべて海兵隊または陸戦隊仕様であり、LVT(A)アムタンクや特二式内火艇も保有しているのが特徴である。これらを利用した海からの奇襲作戦、潜入作戦を得意としている。テーマ曲はアメリカ海兵隊賛歌。

以上で『武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり』は完結となります。


本当にこんな基地があれば行ってみたいですね。


最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 現実よりはマシな終戦です。父ちゃんは二度目の徴兵で(30代後半)陸軍兵士として中国ないし満州に派遣されてソ連軍の捕虜となりシベリア抑留されていたらしいのですが抑留後帰国して母ちゃんと再婚しま…
[良い点] 不沈戦艦武蔵の活躍おもしろかったです。(座礁して沈まなくなってるから、しずみようはない。) [一言] 記者「あの、降伏時間と旗の交換の時間がどうしてもあってないのですが?」 現場の軍人「時…
[良い点] 完結ありがとうございます! [一言] 一気読みしましたありがとう! 他の方も言及してますが写真解析から降伏時間がバレそうですし、 ウン十年後にシレッとその辺に触れた公文書を公開しそうですね…
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