第二十話 降伏の儀式
■1945年6月11日 午前8時半
戦艦武蔵 第二船倉
戦闘指揮所前
中央通路の機銃陣地前で、日米の将官が向かい合い敬礼を交わした。
周囲には戦闘の跡がまだ生々しく残っている。
「日本海軍、第34特別根拠地隊司令、猪口少将です。降伏を求めます。兵には寛大な処置を希望します」
「アメリカ海兵隊、第3海兵水陸両用部隊司令、ガイガー少将です。降伏を認めます。条約に則った扱いをお約束します。貴官らは十分に義務を果たしました」
「貴官のご寛怒に感謝します」
猪口少将とガイガー少将が握手を交わす。フラッシュが焚かれその様子が写真に撮られる。
ライズマン少佐から戦艦武蔵の降伏について相談を受けたガイガー少将は、それを認めるとともに徹底的に利用することにした。
撮影されていたのは降伏の様子だけではない。
艦首に奇跡的に残っていた旗竿から日章旗を降ろし、星条旗を掲げるところも別の班が撮影している。
すべては海兵隊の将来のためだった。
米国海軍も英国空軍も落とせなかった戦艦を落とした海兵隊の成果を内外に宣伝するためだった。
一通りの『セレモニー』を終えると、猪口とガイガーは口調を砕けたものに変えた。
「何というか、まさに政治ですね」
猪口が苦笑する。
「その通り。戦争は政治の延長にすぎない。我々はある意味、政治をしているんだ」
ガイガーも肩をすくめて苦笑する。
「クラウゼヴィッツですか。確かに彼の言葉は正しいですね。我々がそれを実証している」
「そういう事だ。さて君たちは約束通り朝の5時に降伏したことになっている。我々海兵隊が実力で日本の降伏前にこの戦艦を落としたという事だが……本当にそれで良いのか?」
先ほど初めて出会ったにも関わらず、ガイガーは猪口の事を心配していた。
「小官の事はお気になさらずに。事実と全く変わりませんので。あのままでは間違いなくその通りになっていたでしょう。我々の全滅という形でね。見事な作戦でした」
そう言って猪口はガイガーの隣に控えるライズマン少佐に視線を向けた。
「ライズマン少佐でしたか、海兵隊には勇敢で優秀は士官がいる。誠にうらやましい限りです」
ライズマンは気恥ずかしそうに敬礼した。ガイガーも満足げに頷く。
「あなたたちは本当に勇戦した。それは間違いない事実だ。私が、いや米軍全体が保証しよう」
ガイガーは両手を広げて苦笑する。
「そして、あなたたちのお陰で我が国の計画は滅茶苦茶になった。このたった一隻の戦艦のおかげでだ。これを勇戦と言わずして何を勇戦と言うのか」
「そこまで評価されると恥ずかしくなります。我々はただ出来ることを精一杯やっていただけですが」
猪口は照れ隠しに鼻の頭を掻いた。
「まったく、日本人は噂に聞いた通り本当に謙虚だね……」
ガイガーは呆れたように再び肩をすくめた。そして実務を進めることにする。
「まあ自己評価の件は置いて、我々海兵隊がこの艦を接収します。よろしいですね」
「はい、従います。武装解除は済んでおります。といってもある武器はこれだけですが……」
幾分表情を引き締めた猪口が指さした先には、彼らの保有する全ての武器が並べられていた。
そこに有ったのは、わずか機銃2基と小銃4丁に過ぎなかった。
「よくまあ、たったこれだけの武器で我が海兵隊の精鋭を防いだものだ……」
ガイガーが呆れた顔でそれらの武器を眺める。
「小銃はもっと有ったのですが最初にライズマン少佐らに奪われました。仮にあったとしても結果は変わらなかったでしょう」
「少将、やはり爆薬はなかったのですね……」
無礼とは承知していたが、ライズマンは思わず少将同士の会話に割り込んでしまった。
「その通りだ少佐、騙してすまなかった。それと君の部下たちには申し訳ない事をした」
猪口は心底申し訳ない風でライズマンに謝罪した。
「いえ少将、お気になさらずに。これは戦争です。仕方のない事でした。お互いに。それももう終わりました」
「そうだな。ありがとう」
そう言って猪口は手を差し出す。ライズマンはその手をしっかりと握り返した。
こうして戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊の戦いは正式に終わりを告げたのだった。
■戦艦武蔵 第一砲塔
艦内の清掃と整理が進む中、猪口は越野砲術長とともに第一砲塔に訪れていた。
他の二砲塔と違い、ここ第一砲塔だけは中が血の海だった。
「第一主砲分隊砲塔長の浅井少尉です」
操作盤にもたれるようにして事切れている浅井少尉。壁に半ばへばりついている米兵の死体。
そして後部扉近くに散らばる別の誰かの身体だったもの。わずかに残った服から、その死体はおそらく砲術科の班員だろうと思われた。
「ライズマン少佐の話と合わせると、どうやら少尉が咄嗟射撃をして敵部隊の半分を殲滅してくれたようです」
「それが無ければ我々はもっと早くに全滅していただろう。この二人には感謝しても感謝しきれんな……」
そして猪口と越野は手を合わせると、連れてきた兵らに遺体の回収と部屋の清掃を命じた。
■最下甲板 罐室付近
Dirty Dozen中隊
「ん?なんだあの穴は?」
あらためて艦内を検分していたライズマン少佐は、罐室の右舷側にぽっかりと空いた穴に気づいた。
「中は行き止まりです。何もありません。どうやら元は陸上とつなぐ通路だったようです。今は天井が崩れて通れなくなっていますが」
既に艦内を一通り調査していた第二小隊長の中尉が答える。
それは被雷で空いた穴を利用した陸軍との連絡通路跡だった。
そのトンネルは分厚いべトンで覆われていたが英軍の5トン爆弾に耐えきれず今は完全に崩壊していた。
「おそらく英軍の大型爆撃機が破壊したんだろう。たまにはイギリス人も良い仕事をするじゃないか」
もしこの穴が事前に潰されていなかったら、自分たちの作戦は失敗していたかもしれない。
おそらくやったのは最後に特攻をかけたという隊長機だろう。
口では馬鹿にしたが、ライズマンは死んだ爆撃機の搭乗員らに心の中で感謝と祈りをささげた。
■1945年6月12日
戦艦武蔵 第二船倉
戦闘指揮所
日本と武蔵が降伏した翌日、樺太沖で行われた日ソの艦隊戦の結果が伝えられた。
「本日一三三〇。第二艦隊は真岡沖でソ連艦隊と戦闘に突入、これを撃破。味方の被害軽微とのことです」
猪口をはじめ降伏で腑抜けになっていた武蔵の乗員らは、この知らせで久しぶりに沸き立った。
ソ連の参戦前、米国はソ連の対日侵攻を助けるためプロジェクト・フラと呼ばれる計画を進めていた。これは上陸作戦能力のほとんど無いソ連にそれを与える事が目的であった。
その中身はフリゲートや掃海艇、上陸舟艇等をソ連に供与し、それを操る兵士も訓練しようというものである。
計画は5月からアラスカで始まっていたが、ソ連の突然の参戦により当然ながら中止となった。
当初は150隻もの艦艇がソ連に供与されるはずであったが、計画中止までに引き渡されたのは掃海艇17隻に過ぎない。
だがスターリンの命令は絶対である。
ソ連太平洋艦隊の司令長官ユマシェフ大将は、それになんとか応えようと苦労して艦船をかき集めた。
だが彼が集められたのは警備艇・掃海艇・哨戒艇が30隻、潜水艦12隻、輸送船が10隻に過ぎなかった。魚雷艇を入れても100隻にも満たない。
仕方なくユマシェフは就役したばかりで問題の多い巡洋艦ラーザリ・カガノーヴィチも加えこれを旗艦とし、全艦を引き連れソヴィエツカヤ・ガヴァニを発つと、一路北海道を目指した。
このソ連艦隊の動きは日本よりも米潜水艦の方がよく把握していた。
彼らはなぜかその情報を「平文で」太平洋艦隊司令部に送信した。その結果日本もソ連艦隊の動きと米側の「真意」を知ることとなる。
呉を出た大和以下の第二艦隊は真岡の沖合でソ連艦隊を捕捉した。
当然ながらここに来るまで米潜水艦の攻撃は一切受けていない。
どうせ最後の戦闘ということで、指揮官の伊藤中将は最初に航空部隊を出さず、あえて水上戦闘を挑んだ。
結果はまさに鎧袖一触であった。
衰えたとはいえ米軍と激烈な戦いを繰り広げた日本海軍に、弱小で寄せ集めのソ連艦隊がかなうはずもない。
ラーザリ・カガノーヴィチをはじめ主だった艦艇や輸送船はあっという間に沈められた。
そして散り散りになって逃げる小艦艇に航空攻撃で追い打ちをかける。
その結果、ソヴィエツカヤ・ガヴァニに帰りつけたのは、わずか魚雷艇2隻だけだった。生存者にユマシェフの名はない。
その後、第二艦隊は樺太沿岸のソ連部隊を砲撃、そして航空部隊で内陸の部隊を爆撃しソ連軍の南下を食い止める事に貢献する。
大陸でも戦力不足と日本軍の徹底抗戦により朝鮮半島手前で攻勢が足踏みしていたソ連が渋々停戦に同意したのは翌月の7月5日の事だった。
■1945年6月20日
戦艦武蔵 第二船倉
戦闘指揮所
「閣下、ご無事で何よりであります」
第32軍の八原大佐が久しぶりに武蔵を訪れたのは停戦から9日目、玉音放送から5日目の事だった。
監視兼通訳の米兵を一人伴っている。
「大佐も無事で何よりだった。そちらも随分激戦だったと聞いているが、勝ったそうだね。おめでとうを言わせてもらおう。私は恥ずかしながら敗軍の将となったよ」
猪口は横にいる米兵の事など気にせず第32軍の戦いを褒めたたえた。
わずか1日の戦闘ではあったが、第32軍は宜野湾の嘉数に築いた陣地を最後まで米軍に抜かれることはなかった。
逆に米軍は短時間の戦闘で20両の戦車を失い2000名を超える死傷者を出している。
バックナー中将も海兵隊と同様、日本の降伏前に戦果を稼ごうと無理攻めをしたが果たされなかった。
戦術的には反斜面陣地と戦艦武蔵から譲られた高角砲や機銃を活用した第32軍の完勝だったといえる。
「いえ少将、そんな事はありません。この島で最も勇戦したのはこの戦艦です」
突然、付き添いの米兵が口を挟んできた。
「ん?そちらは?」
そこで初めて猪口は米兵に興味をもった。その中尉は意外に流暢な日本語を話したからである。
こちらに好意か興味があるのか、彼の目はキラキラと輝いていた。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。通訳担当のドナルド・キーン中尉と申します。牛島中将の元で戦後処理のお手伝いをさせて頂いております」
彼は猪口の差し出した手を握る代わりに日本人のようにお辞儀をした。
「奇特な事に彼は日本好きが高じて、この沖縄の戦いに志願したそうであります。第32軍は海軍さんほど英語達者が少ないので、とても助けになっております」
八原が嬉しそうにキーンを紹介する。
「私もやっとまともに通訳の仕事が出来てホッとしています。最初は島北部の収容所に居たのですが、この島は方言が強くてなかなか私の日本語が通じず……今は本当に楽しく仕事をさせてもらっています」
そう言ってキーン中尉は恥ずかしそうに頭を掻いた。
そんな二人の様子に猪口は内心で少々驚いていた。
まだ終戦から数日しか経っていないにもかかわらず、キーン中尉はずいぶんと第32軍に受け入れられている様に見えた。
この島での地上戦闘は極めて短時間で終わったため南方の様な凄惨な状況にはなっていない。それがあまり反目を生んでいない理由かもしれない。
そう言えば自分もあっさりと海兵隊と打ち解けた事を思い出す。
もう戦争は終わったのだ。日本と米国もいずれこの様な関係にきっと戻れるだろう。
二人の様子を見ながら、猪口はそう願わずにはいられなかった。
これで戦艦武蔵の戦いは正式に終わりました。この後は講和と戦後の様子をお届けします。
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