第十八話 キルゾーン
■1945年6月10日 午前
最下甲板 罐室付近
Dirty Dozen中隊
ここまでライズマン少佐らを案内してきた第二小隊長の中尉が罐室の手前で立ち止った。
片手を挙げて、これ以上は絶対に先に進まないよう皆に注意する。
「この先が問題の通路となっています。最初に発見した分隊が扉を開けながら進んだため、この先50ヤードほど風通しのよい状態となっています」
中尉が壁を指さした。
「無理に進むとあの壁みたいに自分の身体も風通しがよくなります。もっとも相手は対空機銃なので穴だらけじゃ済みません。バラバラにされます」
通路の突き当りの隔壁扉は確かに穴だらけになっていた。
夥しい血痕だけでなく何か赤黒い塊もへばりついている。そして通路の床は血の海だった。
「50ヤードくらい、バズーカでも打ち込めばイチコロじゃねぇか……」
兵士の一人、最初にこの艦に乗り込んだウラディスローが思わずつぶやいた。それが聞こえたライズマンもその通りだと頷く。
ロケット弾を打ち出すバズーカならば射程は150ヤードはある。ここから敵陣地まで十分届くはずであった。
「少しでも顔を出すと撃たれます。実はすでに試してみましたが狙いをつける暇がありませんでした。それでも発射しましたがバックブラストで数人がが負傷しました」
狭い艦内通路に隔壁扉の枠が並んでいるため針の穴を通すような照準が要求される。
何度か発射されたロケット弾は全て壁や隔壁に当たり失敗してしまった。しかもロケットの後方爆風の逃げ場がないため射手や他の兵士が巻き込まれ火傷を負っていた。
「火炎放射器ではどうだ?今なら外からいくらでも装備を取り寄せられる。あれなら狙いも何もいらんだろう」
まだ地上部隊はこの戦艦の周辺に達していないが、敵の救援部隊も撤退したため海側からの補給はある程度自由にできるようになっている。このため中隊は既に人員と装備の補充、負傷者の後送を行っていた。
「残念ながら少し射程が足りません。それにあの辺りには弾薬庫もあるようです。誘爆の危険もあります」
中尉の返答にライズマンは唸り声をあげる。
「この通路以外の接近ルートは?あの部屋の左右や背後、上はどうなっている?」
なにも馬鹿正直に危険なルートを進む必要はない。その問いに中尉は手書きの艦内地図を広げて説明した。
「困った事にあの部屋の背後、船としては艦首側になりますが、そこはA砲塔の弾薬庫となっています。そして部屋の上もB砲塔の弾薬庫です。どちらも壁や床が強固な装甲板なので破壊は無理と思われます」
「部屋の左右は?」
「部屋はあるようですが、辿り着くにはあの通路を通る必要があります。それに通路の扉は溶接されていて開けられません」
中尉は言い淀む事無く質問に答えていく。
どうやらライズマンを呼ぶ前に、彼らは既に色々と試していたらしかった。
「なんともまた面倒な所に立て籠もったものだな」
ライズマンは敵に感心したような、呆れたような声をだした。
「弾薬庫に囲まれているなら丁度いいじゃねえか。まとめて燃やすか爆破しちまえば面倒がねえ。ガソリンでも注ぎ込んで、このくそったれ戦艦ごと吹き飛ばしちまいましょう」
マゴットが笑って提案する。
実際、戦艦の主砲をそのまま転用したフィリピンのフォート・ドラムに籠もった日本軍の排除作戦において、米軍は大量のガソリンを流しこんで爆破している。
被害を抑えるならば、それが一番効率の良いやり方だった。
「俺もそうしたいのは山々だが……出来るだけ壊さずに戦艦を手に入れろというのがガイガー少将のご希望だ」
ライズマンが残念そうに説明した。
ガイガー少将、いや海兵隊は戦果を、はっきりとしたトロフィーを欲していた。
硫黄島の戦いで海兵隊は大きな犠牲とともに目覚ましい活躍をみせた。だが得たものはちっぽけな島だけ、それも爆撃団が使っている。
第10軍団のバックナー中将との関係は良好だが、本国では海兵隊を陸軍に吸収しようという動きもある。
いずれ対日戦も終わるだろう。
戦後も海兵隊の存在意義を象徴的に示すために、ガイガー少将、そしてヴァンデグリフト海兵隊総司令官は武蔵の破壊でなく占領を強く希望していた。
「暗闇にすれば敵の狙いも甘くなる可能性がある。電路を探して照明を落とせ。突入部隊を選別しろ」
3時間後、彼らは通路照明の電路を切断し、真っ暗になった通路に突入した。
■1945年6月10日 午後
戦艦武蔵 第二船倉
中央通路前 機銃陣地
「な、なんだ!?」
突然通路が真っ暗になった事で機銃班の兵士らはパニックになった。
「落ち着け!おそらく敵が……」
指揮を執る越野大佐や広瀬少佐が何か言う前に、恐怖に駆られた兵士らは機銃や小銃を乱射しはじめた。
陸戦訓練など受けた事もない兵士らである。これまでは何とか戦闘をこなしてきたが、暗闇の恐怖に耐える事など出来なかった。
普通の戦場であればパニックになった陣地など簡単に蹂躙されてしまう。
だがここは戦闘正面がひどく限定されていた事が功を奏した。とにかく前にむけて撃てば敵に当たるのである。
通路前方から悲鳴があがる。発砲炎で断続的に映し出される通路には、迫ってくる敵兵と砕け散る敵兵が交互に映し出された。
「撃ち方やめ!やめろと言っている!言う事を聞かんか!!」
通路から悲鳴が途絶えても兵士らはなかなか発砲をやめなかった。
しばらくして通路に照明がもどった。
明るくなった通路には人体の破片が散らばり、血の海はその深さを増していた。
■機械室手前
Dirty Dozen中隊
中隊は先ほどの突入失敗で再び1個分隊を失っていた。
すでにこの艦に乗り込んでから100名以上の戦死者が出ている。
人員は外から補充されているが、この状況ではいくら頭数が有っても役に立たない。
「このままでは埒が明かんな。一旦体制を整えよう。第一小隊はこの地点を保持。監視だけでいい。こちらから手出しする必要はない」
そう指示を出して、ライズマン少佐は打合せのため第10軍団司令部のある揚陸指揮艦パナミントへ一旦戻ることにした。
こうして攻防の長い一夜はようやく終了した。
■サンフランシスコ宣言
ソ連の突然の参戦で慌てたのは日本政府だけではない。他の連合国、特に米国の動揺は大きかった。
ルーズベルト大統領が存命の頃、2月に行われたヤルタ会談でソ連は独降伏後3ヵ月後の対日参戦を約束していた。それ以前の会談でソ連が樺太と千島を領有することも認めている。
しかし現在の米国はソ連を戦後世界の仮想敵と明確に認識していた。
そのためにも太平洋に面した極東ではソ連の影響力は極力小さくすべきであり、だからこそソ連に日本列島を渡すつもりはなかった。
だが見込みより3ヵ月も早いソ連参戦と、日本の予想外の粘りによる沖縄攻略の遅れは、米国に戦略の大幅な見直しを迫る事となる。
5月23日、ソ連参戦の翌日早々にトルーマン大統領はスターリンに北海道の領有を認めないという書簡を送っている。
そして国務次官のグルーに対し、日本を速やかに降伏へ導くよう指示した。
この日から米国の動きは戦争終結に向けて急激に加速していく事になる。
グルーはすぐさま部下のドゥーマンと共に降伏勧告の声明案作成に着手した。(国務長官はステティニアスであったが、多忙なためグルーが長官代理として実質的なトップとなっている)
知日派で知られていたグルーは、実際の日本の政治と日本が何を重視しているかを非常によく理解していた。
そのため彼の作成した案には、日本に降伏勧告を受け入れやすくさせるため、『現皇統による立憲君主制を排除しない』という天皇制保障条項が明記されていた。
6月2日、グルーは作成した声明案をスティムソン陸軍長官、フォレスタル海軍長官、マーシャル陸軍参謀本部議長らに説明し意見を聞いた。
彼らは皆、日本を早期に降伏させソ連の影響力を可能な限り小さくし、将来の脅威に備えるという目的で一致している。このため声明案は陸軍、海軍、国務省の3者間で了承された。
一部で要求のあった原子爆弾の実戦使用は、開発日程が間に合わないため仕方なく断念する事となった。
ソ連が仮想敵である以上、いずれ近いうちに使う機会は訪れるだろうという判断もある。また、日本のソ連に対する防衛戦闘はこれを妨害しない事も合意された。
6月3日、ホワイトハウス会議でトルーマンに承認された声明案は、英国・中華民国に対して提示された。
英国からは特に意見は無かった。とにかく英国はさっさと戦争を止めたいのが本音だった。
そして意外な事に中華民国からも意見は無かった。ソ連の早期参戦は共産党の勢力が増す事と同義であるため、彼らとしても早く日本に降伏してもらいたかったのである。
そして6月9日、サンフランシスコで英米中の首脳会談が行われた。そこでの声明文は三ヵ国の名において『日本への降伏要求の最終宣言』として日本と世界に対して発表された。
それは武蔵がライズマン少佐らDirty Dozen中隊に襲撃される前日の事であった。
ライズマン少佐らは艦内に不慣れで、まだ侵入して数時間のため攻略ルートを見つけられません。
米政権にバーンズがおらずソ連が参戦済みのため、降伏勧告案は初期案に近い日本に受け入れ易い内容になっています。まだ6月なので原爆も完成していません。
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