第十二話 ダムバスターズ
沖縄攻略作戦では米軍だけが日本軍と戦っていた訳ではない。あまり目立ってはいないが英軍も加わっている。
周知のとおり太平洋戦争の序盤から英軍も日本軍と戦っている。だが戦争全体を見れば常に戦いは米軍主導で行われており、英軍の影は薄かった。
このままでは米国のみの功績となり、それはそのまま戦後の極東における英国のプレゼンス低下につながる、
そう危惧したチャーチルはヤルタ会談においてルーズベルトに日本本土攻略への英国の参加を求めた。そして一応は認められていた。
だが反対は多かった。
まず当然ながら米軍が強硬に反対した。
英軍は米軍と装備体系が異なるため補給整備に多大なコストがかかること、そして英軍が広大な太平洋での作戦経験を持たないことが理由である。
また身内であるはずの英軍自身も反対した。
米軍と同じ理由に加えて、今更参加したところで政治的な効果も低いと言うのである。
それでもチャーチルはそれらの反対を押し切って、強引に4隻の空母からなる英国海軍機動部隊を沖縄攻略作戦に参加させていた。
その部隊は第57任務部隊として現在は先島諸島の攻略を行っている。
そしてやはり危惧された通り部隊の補給は困難を極め、神風攻撃によってかなりの損害も被っていた。それほどの代償を払ってもチャーチルの求めた政治効果は全く得られていなかった。
ただし英軍も決して無為に過ごしていた訳ではない。
彼らは米陸海軍が沖縄でたった一隻の戦艦に苦戦している様子を、その間近でじっと観察していた。
その情報は逐次英国本国に報告されていた。
■1945年5月25日
中国 衝陽南岳
RAFタイガーフォース基地
第617飛行中隊
『ダムバスターズ』
「ずいぶんと遠くへ来たもんだな。しかし酷い所だ……」
中隊指揮官のテイト中佐は愛機のランカスター爆撃機から降りるやいなや顔をしかめた。
彼はこの急造の飛行場にランカスター爆撃機18機を引き連れて降り立っていた。
「蒸し暑いし埃っぽいし虫は多いし……クソみたいに碌でもない所ですが、とにかく自前の基地が出来て良かったですよ」
一緒に降りてきた航法士が愚痴とともに少しだけフォローする。
「全くその通りだな。まあ、あのいけ好かないアメリカ人共の基地を出れただけでも良しとするか」
前に居た成都基地で、彼ら英軍部隊は余所者であった。
そもそも司令官のルメイからして英国人を嫌っていたため、その居心地はとてつもなく悪かった。
肩身の狭い思いをしていたテイト中佐以下第617飛行中隊の面々は、ようやく自前の基地を得られた事で心底ホッとしていた。
第617飛行中隊、通称『ダムバスターズ』は、5トン爆弾『トールボーイ』、10トン爆弾『グランドスラム』を運用する特殊爆撃機部隊である。
この超重量爆弾を搭載できるように、彼らの装備するランカスター爆撃機は改造された特別仕様となっている。
彼らは対独戦で100を超える重要目標を破壊してきた。その中には独戦艦ティルピッツも含まれている。
その装備と実績を買われて、彼らは戦艦武蔵を破壊するために遥々この極東の地へとやってきたのである。
切っ掛けはおよそ1か月前にさかのぼる。
■1945年4月25日
サンフランシスコ
戦争記念オペラハウス
「沖縄では随分と苦戦しているようじゃないか。ところで我々にひとつ提案があるのだがね」
サンフランシスコで行われている連合国会議に訪れていたチャーチルは、ルーズベルト急死の後を引き継いだトルーマンに声を掛け、第617飛行中隊の派遣を提案したのである。
もちろん米軍も無策であった訳ではない。
米軍はB-29を用いた2000ポンド爆弾(1トン爆弾)による爆撃を検討していた。
だが第21爆撃集団司令のルメイが戦術目的へのB-29投入を強硬に反対し、また徹甲仕様の2000ポンド爆弾も無かったことから計画は実現しなかった。
一方英国も対日戦に海軍だけでなく空軍も参加させるためタイガーフォース部隊を準備していたものの、米国から「自前でルソン島に基地を造って自前で補給するなら構わない」とまで言われ進出は進んでいなかった。
だがトルーマンがチャーチルの提案を受けた事で、ルメイも渋々と中国成都にあるB-29の基地使用を認めた。もちろん補給から整備まで英国自前でやるならという条件付きではあったが。
これでようやく英国は日本本土攻略に参加出来るようになった。だがまだ課題があった。距離の問題である。
成都から沖縄までは2400キロもの距離がある。一方、作戦に使用する特別仕様のランカスター爆撃機が5トン爆弾を搭載した状態では2800キロ足らずの航続距離しかない。
武装や装甲を全て外し、燃料タンクを増設してやっと3000キロに届くくらいである。
そこで英国は一時的に成都基地に部隊を展開させ、より沖縄に近い衝陽に基地を自らの手で建設する事にした。
ここであれば沖縄まで1500キロ、5トン爆弾を抱えたままでも何とか往復できる。5トン爆弾は製造に非常に手間がかかり高価であるため、仮に作戦が中止になっても投棄せず持ち帰る必要があった。
ちなみに彼らは戦闘機部隊を伴っていない。
英国が自力で中国内陸部に展開するのは爆撃機18機だけでも荷が重すぎた。このため沖縄近辺での護衛は第58任務部隊の戦闘機部隊が担当する事になっている。
失敗に失敗を重ねた米海軍には、もうそれくらいしか貢献出来る事が残されていなかった。
■1945年5月10日 沖縄
戦艦武蔵 戦闘指揮所
「英軍の大型爆撃機部隊が中国に展開したようであります」
第32軍の八原大佐が陸軍の諜報情報を伝えに武蔵を訪れていた。つい先日も端午の節句の差し入れを口実に来艦したばかりである。
この人は月の半分は武蔵にいるんじゃないかと話を聞きながら猪口は思った。
ちなみに二人が居る部屋は先日敵の戦艦部隊を撃退する際にも使われた機銃弾薬庫である。
さすがにいつまでもその名前では締まらないため、今は「戦闘指揮所」と呼ばれるようになっていた。
部屋の外にはなぜか第32軍の牛島中将直筆の銘板が掲げられている。
「ああ、海軍の方からも警告がきている。なんでも10トン爆弾を運用する部隊らしいな」
日本軍は連合軍が欧州で5トン、10トンといった大型爆弾を運用している事を掴んでいた。それは大きな脅威と捉えられており、松代大本営の建設でも10トン爆弾に耐えうる事が要求仕様とされている。
「ある程度高い高度から投下するだろうから、そうそう当たるものではないと思うが……」
「しかし敵は20機近くの部隊と伝えられております。ドイツの戦艦も撃沈したとか……注意するに越したことは有りません」
「七時方向、敵大型爆撃機1、戦闘機12を伴い接近中!」
二人が話していると、陸軍との通信を担当する兵士が振り返って叫んだ。
この部屋には自艦だけでなく陸軍の観測情報も入ってくる。陸海軍ともに電探が全て失われているため目視に頼っているが、浦添城の標高が高いため日中であれば十分な観測が行えた。
「おそらく偵察だろう。直接見てみよう」
報告を聞いた二人は部屋を出て、まだ瓦礫の散乱する最上甲板に出た。
「四発の爆撃機だな」
猪口が双眼鏡で敵機を確認する。最下層の戦闘指揮所から最上甲板に出るまでは時間がかかる。
すでに敵機は武蔵上空で旋回していた。
「護衛の戦闘機は米軍機でありますが、爆撃機の方は国籍識別から英軍機であります。やはり単機なので偵察と思われます」
同じく八原も双眼鏡で敵機を観察する。
「つまり今しがた話していた部隊が早速偵察に訪れたと」
「はい、そのようであります」
その爆撃機は迎撃機も対空砲火も無いのを良い事に、しばらく武蔵上空を周回すると悠然と去っていった。
■沖縄 戦艦武蔵上空
第617飛行中隊
ランカスターB3SP EE146号機
「あれが例の戦艦か……ティルピッツよりはるかにデカいな」
機体をバンクさせテイト中佐が眼下の戦艦を観察する。
「その分、的もデカいです。迎撃機も対空砲火もありませんから楽な仕事ですね」
航法士の意見は楽観的だった。
「いや、主砲は生きているそうだ。油断はできない。アメリカ人の話ではあの戦艦は主砲で対空砲弾を撃つらしい。今日はこっちが偵察だと分かっているから何もして来ないだけだろう」
テイト中佐らは最初にこの戦艦を攻撃した(そして失敗した)米海軍から色々と情報を聞いていた。
彼らの話では最初の空襲では2回砲撃を受けたという。それで7機の損害が出たらしい。
尤も彼らを率いていた中佐(コナードとかいう名前だった)の話では、最初は密集隊形で真っすぐ近づいたために被害が大きかったが、すぐに編隊を開いたため2度目の射撃では2機しか落とされなかったとの事だった。
だが自分たちは高高度から水平爆撃を行うため、どうしても密集隊形で直進する必要がある。
しかも艦載機と異なり大型爆撃機なので的も大きい。大型爆弾を抱え航続距離を延ばすため防弾装備も取り外されている。
危険度は米海軍機よりはるかに跳ね上がると考えて良い。
「しかし、もう欧州の戦争は終わったそうですよ。日本もじきに降伏するだろうに、アメリカ人はなんでこんな戦艦や小さな島に拘わるんでしょうねえ」
三日前の5月7日にドイツは連合国に無条件降伏していた。いまや日本だけが連合国に抵抗している。
どうせこちらの戦争もすぐ終わるだろう。それが連合国の兵士の一般的な予想だった。
「まあ意地なんだろうな。アメリカ人は負けたままでは許せない、そういう面倒くさい性格なんだろ」
「はあ……とにかく私らもさっさと仕事を済ませて本国に帰りましょう」
「その通りだな。状況は確認した。帰投する」
周辺に爆撃ルートを阻害する地形はない。見たところ敵戦艦はボロボロで廃艦にしか見えない。
本当に対空射撃してくるか怪しい所もあるが、対策を考えておくに越したことはない。テイト中佐は最後に敵戦艦を一瞥すると機体を翻した。
このころの米国は戦後を見据えていて、英国に対してもかなりの塩対応をしています。
史実ではチャーチルのゴリ押しでTF57はなんとか参加できましたが、タイガーフォースは結局はアジアに展開できませんでした。
今回は武蔵の件があったため米国は本当に仕方なく参加を認めています。
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