第十話 失われた威信
■戦艦テネシー
「敵戦艦、発砲!」
敵戦艦の上空に貼りつけている弾着観測機からの報告に艦橋内がどよめいた。
想定していたより敵艦の発砲が早い。
ようやく沖縄の島影が水平線に見え始めた所である。こちらの射程に入るまでには、まだかなりの距離がある。
およそ二分後、単縦陣の先頭を進むコロラドの右舷側に三本の巨大な水柱が立った。
それは隊列の中央を進むテネシーからも良く見えた(米海軍に旗艦先頭などという酔狂な伝統はない)。
水柱に遅れてようやく重々しい発砲音が響いてくる。
「どうしますか?進路変更、回避しますか?」
幕僚が緊張した様子でデヨ少将に振り返る。
「針路・速度このまま。今は距離を詰める事を優先する」
デヨはまだ落ち着いていた。
敵の射撃指揮装置は艦橋ごと破壊されている。おそらく臨時の観測所を島内のどこかに作ったのだろう。ならばこの距離ではそうそう当たるはずはない。
「コロラド、夾叉されました!」
だが予想に反し敵は3度目の砲撃で夾叉を出してきた。その報告に艦橋内が再びどよめく。
敵の発砲間隔が短いだけでなく弾着修正も早い。それは敵の観測精度と練度が恐ろしく高い事を意味していた。
このままでは、いずれコロラドに敵弾は命中するだろう。
最悪の想定では最大射程で砲撃してくる事までは想定していたが、この状況は想定外だった。
古今東西どの国でも陸海軍の仲は悪いものと相場が決まっている。それは日米海軍も例外ではない。
まさか敵の陸軍が総力をあげて海軍の戦艦をバックアップしている事などデヨらは想像もしなかった。
「艦長、敵までの距離は?」
「およそ4万3千ヤード(3万9千メートル)です」
まだコロラド級の最大射程まで9千ヤード(8千メートル)ほどの距離がある。
現在、艦隊は最大速力の21ノットで進んでいるが、その距離を詰めるのには最短でも12分以上は掛かる計算になる。
デヨにはそれが果てしない距離に感じられた。
■戦艦武蔵 機銃弾薬庫
「敵先頭艦を夾叉。艦長、斉射に移ります」
越野の問いに猪口が頷いた。そして武蔵は轟音とともに9発の九一式徹甲弾を発射した。
「残弾は気にしなくていいよ。予備砲弾もたくさんもらったからね」
猪口らの戦艦武蔵、あらため第34特別根拠地隊が沖縄でなにやら好き勝手やっているらしい事は、さすがに年末頃には海軍上層部の耳にも届いていた。
当初は猪口を呼び戻して詰問し更迭する事も真剣に検討され、実際に連合艦隊司令部から何人も調査と称して猪口らを掣肘しに武蔵を訪れている。
だがその動きに待ったをかけたのが陸軍だった。
今や武蔵は沖縄防衛の中心となっている。現地の第32軍との連携もこれ以上ないくらい上手くいっている。それを単なるプライドや意地でご破算にされては堪らない。
そこで陸軍は海軍に対し、「もし戦艦武蔵の扱いを変えるならば、今後陸軍は一切海軍に協力しない」と通達した。
さらに総参謀長の梅津大将が戦況を上奏した際に、陛下から『此戦カ不利、今後の戦局憂ふべきなれど、現地軍が陸海一致協力しあい、敵の上陸を防ぎたることは嬉しく思う』、との宸旨を賜っている。
あきらかに陸軍側のリーク、根回しの結果だった。
こうなっては海軍としても第34特別根拠地隊の動きを認めるしかない。いやむしろ全面的に支援しなければならない立場となった。
結局海軍は渋々ながら猪口が行った装備や人員の転用を追認するだけでなく、国内にあった予備砲弾や機銃弾等を沖縄に送ってきていた。
敵潜水艦の攻撃で半分は失われてしまったが、それでも各砲は20発ずつの予備砲弾を積み増し出来ていた。
1.4トンもある砲弾を艦内に収めるのは一苦労どころでは無かったが、これも陸軍と急造のクレーンを作るなどしてなんとか収めた。
おかげで残弾数を気にする事なく十分な標定射撃を行なう事ができ、それが高い命中精度にもつながっていた。
「どうせ敵が戦艦を持ち出すのもこれが最後だろう。砲身命数が尽きるまでどんどん撃とうか」
砲身命数もまだ基準に対して100発近く余裕がある。
戦場が島内に移れば弱装発射になるため命数も4倍となるし、仮に命数に達しても砲弾の速度低下は3%ほどであり別に撃てなくなる訳でもない。
戦艦武蔵は後顧の憂いなく全力で砲戦を行うことが出来た。
■戦艦テネシー
コロラドが水柱に囲まれ見えなくなった。その中に爆発の光と煙が見え隠れする。
水柱をようやく抜けた時、すでにコロラドは煙をあげ船体は大きく傾いていた。針路がヨロヨロと勝手に右へと逸れていく。
「コロラド被弾!」
「コロラドより、右舷中央に被弾。機関室損傷、浸水中。速度・針路維持できないとの事です!」
「コロラド、針路逸れます」
「コロラドは戦列より離れ一旦離脱せよ。隊列先頭はメリーランドがとれ」
デヨはそう命令し目を瞑る。
この距離では砲弾は垂直に近い角度で落下してくる。敵が仮にこちらと同じ14インチ砲だったとしても防ぐことは不可能に近い。
覚悟はしていた事だが貴重な16インチ砲戦艦が砲撃前に脱落してしまったのは痛かった。
だが大遠距離からの砲撃に対する防御は敵も同じはずである。例え最新鋭戦艦であっても、この距離ならば14インチ砲でも敵の水平装甲を貫く力は十分にあるはず。
そうデヨは思っていた。
だが彼は知らなかった。
コロラド級の45口径16インチ砲ですら、およそ3万メートル以上の距離でなければ武蔵の水平装甲を貫けない事を。
コロラド級でさえ最大射程付近で命中させてようやく貫通できるのだ。陸上に固定された武蔵と違い、洋上から撃つ戦艦がそんな距離で命中弾を得る確率は限りなく低い。
命中弾を得ようと近づけば落角が小さくなり武蔵の水平装甲を貫けなくなる。垂直装甲に当たるようにはなるが、こちらはどんな距離でも貫けない。
当然ながら14インチ砲ではたとえ最大射程であっても全く歯が立たない。
そして逆に武蔵の砲弾は、どの距離でも、どの場所でも米戦艦の装甲を貫通できた。
更にデヨの知らない理由で信じられないほどの命中精度を与えられ、いまや魔弾と化していたのである。
つまり最初からデヨの戦艦部隊に勝ち目はなかった。
■戦艦武蔵 機銃弾薬庫
「敵先頭艦に命中1」
「敵先頭艦に火災発生、戦列より脱落!」
室内に歓声が響いた。
「砲術長、撃沈に拘らなくてもいい。敵戦力を減らすことを優先しよう。もう一斉射したら目標を敵二番艦に変更してくれ。牛島中将、宜しいですね?」
「構わん。ここは海軍さんの領分だ。口は出さんよ。だが協力は精一杯させてもらおう」
牛島中将は鷹揚に頷く。
そして猪口の指示は陸軍の観測所にも伝達された。
■戦艦テネシー
デヨの艦隊がようやく射程距離に到達した時には、メリーランド、ウェストバージニアも被弾してしまっていた。
コロラドとウェストバージニアは大傾斜を起こし今やノロノロと進むだけになっている。メリーランドに至っては運悪く爆沈し姿を消している。
更にようやく14インチ砲弾が敵艦の主砲天蓋にたまたま命中し、そして弾き返される様を目撃してしまった。
これで艦隊の士気は完全に崩壊した。
「残念ながら撤退する。煙幕展張。コロラドとウェストバージニアは放棄。駆逐艦は乗員救出を優先しろ」
全ての16インチ砲戦艦が失われ、こちらの砲撃が通用しなかった事でデヨは撤退を決断した。
だがそれはあまりにも遅すぎた。武蔵の射程内に大きく踏み込み過ぎていたのである。
そこから武蔵の射程外に出るまでにデヨの艦隊は一方的に砲撃を受け続けた。
結局、射程外に脱出できた戦艦はニューメキシコただ一隻だった。
デヨは沖縄侵攻作戦で失なわれた初の海軍将官となった。
彼の死とともに米海軍の威信も完全に失われた。
これで米海軍として出来る手は尽きてしまいました。
まだ戦艦は残っているのでもう一度無理攻めする事も出来ますが、戦艦は地上支援と艦隊防空の要でもあるため、これ以上失われる事を陸軍が認めないでしょう。というかもう海軍を信用しません。
作者のモチベーションアップになりますので、よろしければ感想や評価をお願いいたします。




