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魔王は最初、ただ静かに佇んでいた。
魔人達は与えられたその力で魔王へ襲いかかった。…攻撃どころか、指先一つ触れることすらできなかったが。
近付く程身体に幾つもの重石が降り掛かるように歩みは遅くなり、魔王の足元に着く前に地面に倒れ込む。魔王はゆっくりと足を進める。大気が倒れた者達を地面へと押し込み、呼吸も許さない圧力が全身を押しつぶそうとする。
絞り出されるような声はもう声ではなくただ音。肺が圧迫されて搾り出された空気が喉を通って音として出ただけ。
そしてそれも消える頃には、息をしていなかった。否、人としての原型を留めてはいなかった。
「我は、魔王アルフィス。この魔王との約束を違えた以上、貴様らを生かしておく意味もない。よって、今から貴様らはこの領地ごと地図から、歴史から、永遠に消え去ってもらう」
せめて我の退屈凌ぎになれ。…そう言って魔王は、何の感情も感動もなく、軽く上げた手で何かを掴むように空を握った。
その瞬間、魔王の姿を捉えていた魔人達が胸を押さえて倒れた。悲鳴をあげる間も無く。一拍遅れて身体が灰となり、風に吹き飛ばされて消える。跡形もなく。初めからそこには存在しなかったかのように。
「…ッあ」
息を飲んだのか、それとも喉が詰まったのか。その呼吸音を誰が出したのかは分からない。だが、次にそこに響いたのは、恐怖に濡れた叫び声。声と同時に恐怖は伝播した。広がっていき、立ち向かう者など誰もいない。我先にと醜く自分以外を押しのけて逃げる。
嗚呼、くだらない。
「…魔王様?」
「…国王含む上部の連中以外は好きにしていいぞ」
魔王は自分が一度は羨んだ魔人達が碌に手も足も出ずに朽ちる様に腹立った。この程度の者達を、自分は羨んだのだ。この程度の者達が容易く得られるものを、自分は得られないのだ。
虚しい。
それだけが魔王に浮かんだ感情だった。
魔王の許しを得て配下達が国を蹂躙し始める。ある者は殺し回り、ある者は食い始め、ある者は自分の眷属へと魔人を変化させ、ある者は実験体にするべく狩りを始めた。
逃げる事の出来ないよう既に国は魔族によって包囲されており、じわじわと首都へ向けて殺戮を、破壊を続けている。何処へ逃げようが逃げ場など無いのだ。
魔王は配下達が暴れるのを見ながら静かに進み、籠城していた魔導国上層部の元まで辿り着き、いざその手で塵にしようとしたその時。
「魔王よ!この勇者が相手だ!!」
現れたのは勇者。
四方八方で暴れまくっている配下の魔族達の目を掻い潜って、どうやって魔族の包囲網を抜けてこの魔導国の中心部までやって来られたのか。魔人とはいえ、人間程度に超長距離転移魔法は使えないはずだ。単純に魔力が足りない。
魔王は疑問に思った。非常に不思議で、しかし、答えは簡単な事だった。
「精霊達が俺を此処に連れて来てくれた!観念するんだな魔王!お前を倒す!!」
「…精霊…?」
よく知る気配がした。
魔王にとっての遊び相手、友達くらいには思っていた下位精霊達が、勇者の近くを飛んでいる。その上力を貸している。
魔王を殺すために。
「…お前達も、そうなのか。我が居なくなればいいと、思っているのか」
魔人達の契約不履行では苛立った。しかし、これには苛立つ事は無く、ただただ悲しかった。友人だと、信じていたのに。
魔王は悲しみをぶつけるように攻撃魔法を魔導国中に放ちまくった。精霊と勇者が作った結界が、幸いにも首都だけは守ったお陰で、半壊にはなったが間一髪、滅びる事だけは避けられた。
そして魔王は配下を連れて、魔王城へと戻っていった。
これ以降、精霊達は魔王の近くから姿を消した。というか、魔王の配下達が近づけさせなかった。全くいないわけではないが、そういう精霊は元々魔王の配下の誰かの眷属であり、魔王の邪魔をした精霊達とは違う。それでも見かけた魔王が気分を害さないようにと、配下達は精霊達を隔離していた。
…正直な話、精霊達が居なければ、魔導国は滅んでいた。精霊達が勇者を連れて来なければ、あまつさえ力を貸し与え、魔王に対抗しなければ。何せその勇者はまだ選ばれたてで、碌に力も満足に扱えなかった。魔王達を迎えたのは、実質精霊達の力だった。
「…つかれた」
以降魔王は退屈な日々を過ごした。
勇者が来る度倒したり、ふりだしに戻したり。勇者という称号を得ただけだと言うのに、必死に魔王を倒そうとする人間を憐れんだ。
時に魔王はひよったと、謀反を起こす者も出たが勇者よりも歯が立たない。心が揺れない。身内からの裏切りはもう慣れたのだろう。
そしてある時唐突に思う。
「人間を滅ぼすのが駄目なら、もう此処では無いどこかへ行くしかあるまい」
こんな間違った世界が悪いのだ。
魔王がその後何をしたのかは御伽噺にも、もちろん歴史にも残っていない。しかし、魔王は勇者によって討伐され、魔族は消えたとされている。精霊達は存在する為に必要な栄養源を失い、眠りについた。
読了ありがとうございます。




