第五話 東部戦線――そしてクリスマス
お久しぶりですね。
――1914年 オストプロイセン付近
ロシア軍はドイツの想像するよりも早く、体勢を整えた。ドイツの目論見の一つは早急に崩れ去ったのであった。
ドイツは劣勢でオストプロイセン、ひいてはその中心都市ケーニヒスベルクを守る必要に駆られた。参謀総長モルトケはオストプロイセンを譲り渡す気など毛頭なく、一時的な撤退もやむ無しと考えた指揮官を解任した。
そして新たに送り込まれて来たのが、時の人となるヒンデンブルクとルーデンドルフである。
彼らは見抜いていた。ロシア軍は大軍であるが、大きな欠点が二つあった。
一つ目は、指揮官の不和である。ロシア軍のうち対ドイツ作戦に関わっていたのは第一軍と第二軍であったが、第一軍司令官のレイネンカンプと第二軍司令官のサムソノフの仲の悪さは決定的であった。
二つ目は、技術的な問題である。戦場に電信線はなく、無線で連絡をとらなければならなかったが、ロシアには暗号技術がなかった。そのためドイツはロシアの作戦を傍受することができた。ドイツも初めは信じていなかったが、やがてその内容を信じることとなる。
さて、ロシアが目標としていたのはケーニヒスベルクであった。第一軍は東から、第二軍は南からケーニヒスベルクへと向かっていた。対するドイツ軍はロシアの四割もいなかった。そして多くの場合において、少数が多数に勝てる場合は、各個撃破であった。
ドイツはまず、第二軍の殲滅に動いた。第一軍の対応に少数のみを残し、全力で第二軍のいる南方へ向かった。ドイツが思い切った行動をとれた要因には、先に挙げた二つが含まれる。ロシアは無線で作戦を伝えなければならなかったが、無論ドイツ軍は傍受によってその内容を知ることができた。初めは疑っていたドイツ軍司令部は、傍受していた通りに作戦が展開されたことに感動したことであろう。また、サムソノフとレイネンカンプの仲の悪さによって、第一軍は第二軍への救援は遅れるだろうという予測もできた。そして現実に、そのように動いたのであった。
戦力を集中されて劣勢に陥った第二軍は撤退するほかに道はなくなった。しかし彼らに退く道など存在しなかった。第一軍は救援に向かい始めたものの未だ遠く、補給も絶え絶えのなか、ドイツによってロシア第二軍は、包囲された。
そして救援が届く前に殲滅された。サムソノフはなんとか逃走することができたが、皇帝に壊滅を報告するよりは死を選んだ。
暫くは、東部戦線はドイツ優位で進むことになる。
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「クリスマスまでには帰れるさ」
その楽観的思考が渦巻く中始まった世界大戦。
実際には多くの兵士が塹壕でクリスマスを迎えることになる。
そんな中、クリスマスにまつわるエピソードが残っている。
それこそが、クリスマス休戦である。
さて、「きよしこの夜」という曲は聴いたことはあるだろうか。
「きよしこの夜」の初演奏はちょうどこの前(2018年)のクリスマスイブから遡ること200年。1818年12月24日、オーストリアのザルツブルクで行われた。
それから約百年経った1914年のクリスマスイブ。ドイツの塹壕からは「きよしこの夜」の合唱が始まった。それに応じてイギリスの塹壕からも英語で「きよしこの夜」の合唱が起こった。
翌朝、彼らは塹壕から這い出てクリスマスを祝った。
――亡くなった両軍の兵士を埋葬する兵士たち。
――物資が不足している中、たばこの火を分け合う兵士たち。
――空白地でサッカーをする兵士たち。
彼らの根底にはこんな思いもあったかもしれない。
――早く家に帰りたい
――皆はクリスマスまでに終わると言っていたではないか
――家族に会いたい
――なぜ皆死んでいくのか?
――なぜ我々は戦っているのか?
――同じヨーロッパ人で、こうして分かり合えているのに、どうして?
しかし、こうやって分かり合った兵士たちはまた双方の塹壕へ戻り、銃や大砲を使ってお互いに撃ち合い、死体の山を築き上げていった。
そして風紀の乱れを危惧した双方の上層部が休戦を禁止したため、このようなことは二度と起こらなかった。