3話 森探検 ~子供たちを添えて~
「90……91……92……。」
まわりには誰もいない俺の家の庭。
現在俺はその庭で運動を行っている。
母はおそらく朝飯の用意中だろう。家のほうから良い匂いがただよってくる。
人影が全く見えない早朝。
少し肌寒くはあるが肌を優しくなでる風が心地良い。
この時間帯は本当に集中できる。
たまに聞こえてくる小鳥のさえずりがうっとおしくなるほどに。
現在何をしているのかというと、素振りの真っ最である。
動きやすい服装に着替え肩まで伸びた髪を纏め庭に出てただひたすら木刀を振る。
最初はただ筋トレのためだったのだが今はもはや日々の日課だ。
「93……94……95……。」
手に持つ木刀を上げて、下す。ただこの行為を繰り返すだけ。
とても地味な作業だが案外俺は嫌いではない。
「96……97……98……。」
なぜならこれを行っている間は俺が強くなっていっていることが実感できる。
最初は20回行うことでさえ不可能だったのに、今は90回以上行うことができる。成長している証拠だ。
まあ前の体なら軽く100万はできたのだが。
「99……100……。ふぅ。」
100回を超えた時点で素振りをやめ、木刀を一旦地面に置く。本当はもう少しできるのだが無理は禁物だ。またやりすぎで倒れたら前のように一か月鍛錬禁止なんてことになりかねない。
「はぁ……疲れた。家に戻るか。」
流れている汗を近くに置いてあったタオルで拭い、木刀を拾い家の方向へ足を進める。
とりあえず風呂に入ろう。こんな汗だくのままじゃまた母に怒られてしまう。
こうして俺の一日が始まる。現在転生して7年。7歳である。
* * * * *
もう7年だ。あっという間である。
7年経ってもやはり女の体は不便といわざるを得ない。
なぜいちいちトイレをするときに小でさえ座らなければならないのか。
立ちションができないとは不便である。
現在でも鍛錬は変わらず続けている。
父はさすがに村に滞在した期間が長すぎたため、1年前に部下に連行されて王都へ帰っていった。
最後まで俺や母と別れたくないと駄々をこねていたが母が一言「パパ?」と冷たい声で言っただけでおとなしくなった。やはり母は強い。
なので俺は今現在一人で鍛錬を行っている。
だがはっきりいってあまり成果は芳しくない。
断然父とやった時のほうが自分の成長を実感していた。
なんだかんだ言って父は鍛え方が上手かった。腐っても騎士師団長である。
父がいなくなった今、前の世界での鍛え方を参考にして鍛錬してみてはいるのだが如何せん今の体に合っているとはいいがたい。
なぜなら前の世界での鍛え方は前の世界の俺の体に合っている鍛え方なため、今の体からしたらとにかくハードなのだ。
一度前の鍛え方をそのまま試してみたが5分でリタイアした。
それなりに体力や身体能力は向上した自信はあったのだが前の体には到底追い付けないらしい。
なので今は前の体の鍛え方を限りなく簡単にしたプランで鍛錬を行っているのだが、成長の実感は薄いといっていいだろう。
それでも他に参考にできるものはないためこれを続けるしかないのだが。
父の鍛錬は父ありきの鍛錬だったし。
しかし鍛錬ばかりの生活は母が心配するため、週に一日、全く鍛錬を行っていない日が存在する。
この日だけは普通の子供と同じように他の子どもと遊んだり家の手伝いをする。
今日はちょうどその日だ。今日だけは鍛錬を行ってはいけない。
朝素振りをしたがあれは別だ。あれはもう俺の日課なためやらないと逆に気分が悪くなる。
母にも素振りだけは許可をもらっている。
家での手伝いもやることがなかったため今現在俺は村の子供たちと一緒に近くの森に遊びに来ている。
子供たちだけで、だ。大人はいない。
一応護身用に木刀を持ってきてはいるがそれでも危険なことに変わりはない。
実は森に遊びに来ている、という表現には少し語弊がある。正確には森に忍び込んでいるが正しいだろう。
この森は浅いところには魔物もいなく小動物しか存在しない平和な森だが、一歩森の奥深くへ足を踏み入れるとと狂暴な魔物がうじゃうじゃいる危険な森だ。
そのため、普段は大人が見張りを交代制で行っているのだが、当番が交代するときに少しだけ誰もいない時間がたまに存在する。
その間に忍び込んだのだ。
子供はみんな好奇心旺盛である。
「なんだ。森って初めて入ったけど全然平和じゃん。大人たちが禁止する意味がわかんねー。」
「本当だぜ。きっと自分たちだけこの森の中を探検したりして楽しんでるんだぜ。ずりぃよなー。」
先頭を行くのは村一番の悪ガキと名高いテッダとテッダの親友であるロー。
森に入ることを最初に提案したのもこいつらだ。
短く切られた茶色の髪を風で揺らしながらどんどん森を進んでいく。
「ね、ねぇ。やっぱりやめようよ。駄目っていわれたことはやっちゃ駄目だよ。」
「そうだよ。今ならまだ間に合うよ。」
そんな二人を止めるのは双子の兄弟であるジャンタとガンタ。
この二人はおとなしくて優しいタイプの子供たちだ。今でも森に入ったことを後悔しているのか、執拗に戻ることを強要している。
しかしなんだかんだで少し興味があるのか、二人とも髪をずぼらに伸ばしているせいで目にかかってしまっている緑色の前髪を手で持ち上げながらずっときょろきょろしている。
「いいじゃない楽しそうで。あっ! 可愛いお花!」
「ね、ねぇテッダ。怖いから手、つないでいい?」
自分の道をひたすら進むこの二人はミラとメイル。数少ない女の子だ。
ミラは自分が大好きなきれいなものを見つけるたび、長く伸ばしたピンク色の髪を揺らしながら髪と同じピンク色の瞳を輝かせながらそれめがけて飛んで行っている。
そしてお構いなしに摘んでいる。
子供の無垢な心とは時に残酷なものである。
メイルは森の広大な自然になど目もくれず、その美しい銀の瞳でひたすらテッダのことを見ている。
ここだけの話、メイルはテッダに恋をしている。まだ若いのに、ませているものである。
「はぁ……。」
人知れず、ため息をついてしまう。どうしてこの年の子供はこんなに好奇心旺盛なのだろうか。
彼らが大きくなった姿を知っているからこそ、余計にそう感じてしまう。
「どうしたライ。疲れているのならそ、その……お、おぶってやろうか?」
「いや、いいよ……。」
「そ、そう。」
ため息をついた俺を見て疲れていると勘違いしたのか、テッダが声をかけてくる。
ローも一緒だが彼ら根は優しいんだがな……。なぜあんなに悪ガキなのだろう。
まあ前の世界じゃ俺もその悪ガキの中にカゴテライズされていたためあまり人のことは言えないが。
「お前も大変だな。彼らの保護者みたいな立ち位置になってしまって。」
「いや、そんなことはないさ。……バロット。」
俺の隣を首のあたりまで伸ばした黒髪を揺らしながら歩いていたバロットが持っていた本からは目を離さず声をかけてくる。
そう、バロット。バロット・モーメント。
俺の勇者旅についてきてくれた俺の唯一無二の親友。
そして、志半ばであの世へ旅立った俺が救いたい人物の一人。
彼とはいわゆる幼馴染といった関係だった。
だからこそ、次は絶対に救ってみせる。もう二度と親友を失う辛さを味わうのはごめんだ。
「しかし……バロットは森に興味はないのか?さっきからずっと森に目もくれず本ばかり読んでいるが。」
「そうだぜバロット。せっかく来たんだから楽しもーぜ。また次いつ来れるかわかんねーんだからよ。」
「ええっ! また来るつもりなの? や、やめようよ。大人たちに怒られちゃうよ。」
「ジャンタは心配性だな。大丈夫だって。どうせばれやしないって。」
「そんなぁ……。ね、ねえ。バロット君からも言ってくれよ。こんなことは駄目だって。」
「……どうでもいい。」
「おいおいつれねーなあ。」
「そ、そんなぁ……。」
相変わらずバロットは大人びている。
昔からこいつはこうだ。普通の子供がはしゃぐようなことでも一切目もくれずただただ静かにその深紅の瞳で小難しい本を眺めている。
どうやら前の世界からずっと変わらないらしい。
「えっと……。あ、そうだライちゃん!ライちゃんがいた!ねえライちゃん。あの二人を止めてくれよ。ライちゃんの言うことだったらあの二人もきっと言うことを聞くよ。」
「そ、そうだよ。ライちゃんなら駄目だって分かるだろう?」
おっと。こっちに話題が寄ってきた。この双子は自分で止めれないと分かると人を頼って止めようとするタイプだ。
これはなかなか賢い選択だ。
だが残念。俺もあちら側だ。ため息をついたものの、本当に駄目だと思うんなら森にいれない。
今世では一応大人ぶってはいるが、少年の頃の冒険心は失っていないのだ。
「別にいいんじゃないか? テッダのいう通りばれやしないさ。それにもしばれたとしても奥へ行かないことには危険じゃない森だし、きっと注意くらいで終わるさ。かくいう森については私も少し入ってみたいという気持ちもあったしな。」
「さすがライ! 分かってるな! そうだよなー。一回は入ってみたくなるよなこの森。なんつーか、冒険心がくすぶられるというかさー。」
「ええっ! そんな……ライちゃんまでもが……。ライちゃんなら止めてくれると思っていたのに。」
「ははは……。すまないな。私だって人並みに探求心というものは備わっているのさ。」
「じゃ、じゃあミラちゃん、メイルちゃん。君たちは駄目だと思うだろう……?」
「私は別に止めようとは思わないわよ。だってここ、きれいなものがいっぱいあるし!」
「私はテッダがいればなんでもいい。」
残念だなジャンダとガンダ。君たちの味方はいないようだ。
しかしメイルよ。それではテッダが好きだと公言しているようなものではないか。いいのかそれで。
しかしこれだけアプローチされてもテッダはメイルの気持ちに気づく気配がない。
どれだけ鈍感なんだか。
「おいおい、いい加減諦めろってジャンタ、ガンダ。大丈夫だって! ライも大丈夫だって言ってるんだし!」
「それに、もしばれてもテッダが罪を被ってくれるって。大丈夫大丈夫。」
「そうそう……っておい!ローてめえ!最初っからそのつもりで俺の話に乗ったな!」
「なんのことかなー。ローくんわかんなーい。」
「てめえ……。あーもうしゃあねえ!男は度胸が肝心! もし見つかっても俺に無理やり連れてこられたって言え! 全部俺のせいだ! だからぐちぐちいうな!」
「いよっ! さすがテッダ!」
「さすがテッダ……。かっこいい……。」
「そ、そうか?わはははははは!」
「うう……わかったよ……僕も覚悟を決めるよ……。」
「う、うん。僕もテッダがそういうなら……。」
わお。ずいぶん男らしいな。
メイルはきっとテッダのこういうところに惚れたんだろうな。ギャップ萌えというやつか。
「しっかし……生き物がまったくいねえな……。植物ばっかりだ。」
「そうだな。覚悟してきたぶん、拍子抜けだな。」
「そう? 私は全然これで満足だけど。」
「私はテッダがいれば……。」
「そ、そういえばそうだね……。おかしいな。」
「う、うん。おかしいよね。お母さんから森の浅いところには小動物がいっぱいいるって聞いたんだけど……。」
「……。」
「そう言われてみれば……。」
うーむ。
言われてみれば確かにこれはおかしい。
この森はガンダの言った通り浅い場所では人に無害な動物の楽園が築かれていたはず。
今の体になってから入ったのはこれが初だが、少なくとも前の体で入ったときはそこら中に無害な動物が沢山いたはずだ。
それこそ常に視界に5匹は動物がいる程度には。
「うん。確かにこれはおかしい。私も母から森の話を聞いたことがあったがおおかたガンタが言った内容と同じだった。なぜだろう?」
「ライでもわからないのか。うーん……。バロットはどうだ?わからないか?お前こういう森のこととか詳しいじゃん。」
「なぜ俺に振る。はぁ……。そうだな……。小動物がいない可能性か……。あるとすれば冬眠の時期だからだろうか。冬眠の時期は一斉に動物は人の目に入らなくなる。」
「とーみん?なんだそれ?」
「動物がお休みすることだよ。動物は寒い時期になると自分の家に籠って一切外に出なくなるんだ。」
「へぇー。でも今そんなに寒くねえぞ。むしろ暑いくらいだ。」
冬眠か。確かにその時期には動物を見ることは滅多になくなるが今の時期は冬眠って時期じゃない。むしろ逆だ。動物がこぞって外で活動する時期だろう。
「確かにローが言う通りだ。冬眠というにはいささか時期が早すぎるんじゃないか?」
「分かってる。あくまで一つの可能性を挙げただけだ。他には……そうだな。この場にいられなくなって別の住処に移った。」
「住処を移った?」
「ああ。例えば餌が無くなったとか。」
「ふむ。ありえないことはないな。冬眠よりかは断然可能性がある。」
「ん~。話が難しくてわかんねー!」
「え、えっとねテッダ。要するに生き物たちは食べるものが無くなって違うところに食べ物を探しにいったってことだよ。」
「おおそういうことか!頭いーなジャンダ!」
「え、えへへ…。」
餌が無くなった、か。ありえない話ではないが、見た限りでは植物は腐るほど生えている。それに、1種類だが分かるが、全ての種族がいなくなるなんてことがあるのか?
「あとは……自分より強い種族が来て食われないように逃げていった。」
「そんなこと……あっ!」
そうだ。なぜ忘れていたんだろうか。今日はあの日じゃないか。
「……。」
「どうしたライ?急に黙りこくっ……」
「ガアアアアアアアアアアアアア!!」
「きゃあ!」
「な、なんだ!」
早急に対処が施されけが人は出たものの死人は出なかったためすっかり頭の中から抜けていた。
「な、なに今の鳴き声!」
「いたた……。腰が抜けちゃった……。」
「まるで小動物っていうより……もっと狂暴な……。」
「まずい。早く逃げよう!」
「え?どうしたんだライ急に。」
「説明している暇はない!バロット!ミラを背負って!皆!とにかく全速力で村へ……」
「な、なに……あれ……。」
そうだ。今日は…。
「ガアアアアアアアアアア!!」
「でっかい……魔物……。」
「ホワイト……グリズリー……。」
『魔物襲撃事件』の当日じゃないか。
「最悪だ……。」
俺たちの目の前には、直径5メートルはあろうかという大きさの熊の化け物が立ちはだかっていた。