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2 師走の小休止

 クリスマス間近の夜中に、監督の嶋津(しまづ)とふたり、ケーキをつついている。

 三十路の男同士、あまり嬉しくないシチュエーションだが、ワンクール十三本の最終話V(ブイ)編(ビデオ編集)を終えて、「このまま帰るのつまんないよー」と監督の嶋津にごねられたのだから仕方ない。

 V編会場へは終電時間の関係もあって車で移動していたし、ここ数日の追い込みは厳しかった。アルコールを入れたらダブルノックダウンだ。綾成(りょうせい)には翌朝、局納品連絡を受ける仕事も残っている。


 そんなわけで深夜のファミレスだ。

 ひとつの作品を終えた達成感があるから、同じ理由でハイになった嶋津の、愚痴と自慢と彼女欲しい話の周回コースも聞き流していられる(あと何周回かは、おそらく)。

「ニシくんさー、独立して俺らとスタジオつくろうよ、考え直してよー」

 たまに周回から外れたかと思えば、やっかいなことを言い出す。

「だから社長に恩義あるんで、無理ですって」

「ええー」

 巨漢で話し好きな嶋津は、表裏のない男だ。

 ただし、思いついたことを咀嚼なく口にするので、話半分に聞くのがコツ。

 本気に受け取って立ち働いても報われない。きっと何人もの制作がそんな目にあってきた。

「前にいたのってハワードプロだっけ。あそこって結局なにが原因でつぶれたの?」

「資金繰りでしょうね。思えばヒット作が出てなかったし」

 綾成の入社するきっかけとなった『モノクローム・エントロピー』以降、赤字の作品が続いていた。

「グリーングラスはハワード出身が多いよね」

「うちの社長がまとめて引き取ってくれたんです」

「それで恩義かあ。でもニシくんならどこのスタジオでもウェルカムだったろうし、今回みたいな貧乏くじ作品もやって、充分恩は返してるでしょ」

「貧乏くじとか言わないでくださいよ。みんなで心血注いだんだから」

「もちろん作品自体は最高だけど! でも途中参加って、プロデューサーとしての醍醐味が薄いじゃん」

 綾成は前任者の豊田(とよだ)が体調を崩して長期休暇に入った代わりに入った。枠組みが決まった中でのほとんど現場仕切りだけの仕事だ。けっきょく制作デスク業がメインのようなものだった。

「たしかに、監督がやりたい放題で地獄のような状況でした」

「うわ、今蒸し返す!?」

 仰け反って突き出た腹をみせつつもツッコミには嬉しそうだ。

 交替したのはオンエア開始二ヶ月前を切った時期だった。ずいぶん前から取り掛かっていたのに、納品ストックをできる見込みもなかった。

「ちゃんと反省したし!」

「おれのことすっごい警戒してたし、ツラかったなあ」

「だってさあ、イケメンプロデューサーなんてマンガみたいじゃん? 愛のないスケジュールで俺を締めつけてくるし。今じゃすっかり骨抜きだけどね! ニシくんなしで仕事できないよ〜」

「誤解されそうな発言は控えめに?」

 平日の夜中過ぎ、店内はそう混んではいないが、気だるげな客の中で嶋津がキャッキャしてるのは目立つ。

「やばっ、腐女子にネタ提供しちゃう」

 嶋津は巨体を揺らしてドリンクバーへ向かった。

 綾成のコーヒーはまだ一杯目なのに、喋り続けている嶋津はすでに三杯目だ。

 綾成より身長は十センチ低く、体重は三十キロ以上重いはずだが、動きは三倍早い。



 ───フリーランスの嶋津ははじめのうち、綾成のやり方に懐疑的だった。

 抱え込んでスケジュールを食いつぶすタイプの監督なのはすぐに見て取れた。

 本編以外に作らなければならないオープニングやエンディングも、自分がやると言い張ってストップさせていた。綾成がただちに取り上げて別のスタッフを手配し始めると、猛烈な反感を買った。


「一話終わったらやるって! どうせ使うのは二話からなんだし」

「本編を回すのに注力してもらわないと。嶋津さんが納得する人を連れてきますから」

「俺が納得するかどうかなんて、どうしてわかるんだよ!」


 しかし綾成が介入してすぐに、現場を支えきれなかった制作デスクまでもが逃亡してしまった。これには嶋津もショックを受けていた。


「ギリギリまでつきあう覚悟をしたって、いってたのに……」


 そんなのは、その場のノリだ。先を考えてない時点で実際は最後までつきあうつもりがなかったのだ。

 嶋津が演出担当する一話にかまけて、他の話数は壊滅的な進行状況だった。


「落ちそうな作品なんて、誰もやりたくないですよ。一度落としたら癖になるし、その評判をかぶるのはまず監督ですから」


 無理なスケジュールでも、新たに頼んだコンテ演出は活きのいい素直な若手で、嶋津を満足させることができた。

 嶋津の態度は改まり、すっかり協力的になった。

 綾成も慣れない「オチもの萌え系」の作品に戸惑いながらも奔走した。

 社長の楢崎は、いつも頼りにしている豊田相手だけに珍しく判断が遅れたわけだが、そこはなんとしてもフォローする決意だった。嶋津には「俺の作品」だが、綾成には「グリーングラス制作作品」であって、評判を下げられないのだ。


「ニシくんが宣言したとおり、クリスマス前に終わったねえ」

 ボリューミーなパンケーキをたいらげた嶋津は、流れるように再びのデザートメニューを手に取った。

「一週間前納品には間に合わなかったのが惜しかった。四日前でしたね」

「今まで前日納品当たり前だったからさあ。当日納品だって」

「いいことないんですよ。消耗戦は」

 前話数の作業が翌週話数に食い込んでしまうから、どんどんクオリティが下がる。

「最終話の反応楽しみだなー。ニシくんの伝手(ツテ)、やっぱひと味違うわ」

「なりふりかまわず声をかけてみたら、けっこう請けてくれましたね」

 どちらかいえばリアル系、メカやアクション系作品がもっぱらな綾成だから、つきあうアニメーターも萌え系とは縁のない人が多い。

江藤(えとう)くんも、さすがに大御所アニメーター原画に作監入れるのは手が震えるって言ってた」

 江藤は今回の『もふもふクロニクル』のキャラクターデザインを手がけたアニメーターだ。

 綾成や嶋津と同世代で、成人男性向けの萌え系作品を得意としている。『もふもふクロニクル』をやらなければ接点もなかっただろう。淡白そうな趣の男なのに、えらくねちっこい絵を描く。

「江藤さんがうまくバランスを取ってくれたんで、いいとこ取りの画面になったんじゃないですか」

「オレも褒めてよー、いつもと違う神経の使い方したんだよ!」

「褒めてますよ、そもそも嶋津さんのために集めたんだから。約束通りにコンテ上げてくれたおかげ」

「意地で上げたもん。その甲斐あったけどさ。───あ、そういえば江藤くんに聞いたんだけど」

 メニューをいったん戻した嶋津は、身を乗り出すようにした。

「ニシくんと永井(ながい)さんて、つきあってないんだって!?」

「はあ、そうですけど」

「なーんだ、本当なんだ!」

 永井琴未(ことみ)は『もふもふクロニクル』でも色彩設計を担当した。彼女も外注の前任者が現場崩壊で降りたのを受けての交替だった。

「永井さんに思いっきり否定されたって江藤くんに聞いてさ! だったらもっとコナかけとけばよかったなって」

 永井は誰が相手でも臆せず、明るく会話を運ぶのがうまいので、初心(ウブ)な業界人の男などイチコロだ。

 一方、四十の大台目前の嶋津は二言目には「彼女が欲しい!」だ。琴未からは『彼女募集中bot』といわれるほどで、もはや社内では誰も相手にしない。

「今からでもいいんじゃないですか。永井は本気かどうかが重要みたいだから、あわよくばとかいう態度がいちばん逆効果ですけど」

 やんわり嶋津の無駄玉の多さを指摘する。

「永井さん可愛いなって思うけど、江藤くんの方がご執心みたいなんだよねー」

 しかし聞いていない。

「江藤さんは超優良物件だし、がんばってほしいな」

「へえー、やっぱり永井さんにオトコが近づいても気にしないんだ? まあニシくんはカノジョいるんだもんね」

「え、いませんよ」

 嶋津の情報を正すと、「えぇーっ!?」と大げさな反応が返って来た。

「だってそれも永井さんがいってたよ……。いちばん確かな情報じゃん」

 飲み残しのコーヒーを飲んで考えてみる。

 前の彼女の山瀬茅乃(やませかやの)は遠い意味でハワードの後輩だったから、琴未も知り合いではあった。

「そういえば───永井には別れたっていってなかった気もする」

「マジで! 永井さんてニシくんのお目付け役みたいなもんなのに」

「ヤバいな……、うっかりしてた。でも、別れたって言ってもどうせ叱られると思うんで」

 茅乃とつきあい始めたときは報告したわけでもないのにバレていて、『あんな年下に手を出すとか!』『元とはいえ職場恋愛!』といつにない剣幕で叱られた。

「ねえ、どんな子だったの? 業界人だったんでしょ」

「もう別れた子なんで、どうでもいいでしょう」

「けっこう年下だったって聞いたよー」

 嶋津は興味津々でぐいぐい顔を近づけてくる。夜中を過ぎて、脂ぎっている(お互い様だが)。

「───ハワードにいた動画の子だったんで、そこそこ下でした」

「うは、羨ましい! どんな感じの子?」

「どんなって、ふつうにかわいかったんじゃないかと」

「なんでそんな他人ごとみたいなの」

「だって他人ですからね。この先会うこともないわけで」

「さすがイロオトコはつれない! 永井さんがさ、ふわっとした女の子ーって感じの子だって!」

「ああ、そんな感じだったかも」

 ふわふわと可愛らしくはあった。

 いつのまにかただそれだけになってしまった彼女と別れ、『もふもふクロニクル』に没頭していたこともあって、すでに遠い過去のようだ。

「どうせ続かないですよって永井さんが予言してたけど、その通りだったってことかあ」

「うまくいきっこないって断言されてましたよ。───まあいつものことですけど」

「いつもってどんだけ取っ替え引っ換えなわけ? ニシくんみたいな男がいるからオレんとこに回って来ないんじゃん!」

「嶋津さんもおれも、変わらないですよ」

「はあ!? 俺、もう十年近く彼女いないんですけど!」

「だってクリスマス間近に仕事漬けの男ふたり、こうしてケーキつつきあってるじゃないですか。おれはクリスマスの予定なんにもなし」

 綾成は食べかけのレアチーズケーキにフォークをいれた。いたって無難な味だ。

「ニシくんは自由意志で、俺は不可抗力! 全然違うよ」

「おれなんかこの上、永井に叱られるし」

「その仲の良さを江藤くんが心配してたんだよね」

「長いつきあいの後輩なんで、それだけです」

「よくニシくんを楽しそうにこきおろしてるから、俺もちょっと怪しいと思ったぐらい」

「ズケズケいってくるから───、おれのなにかが彼女を苛立たせるんでしょうね。まあ、なんだかんだいっても仕事はきっちりやってくれるんで」

「永井さんもそんなこといってたかも。仕事だけはニシくんを信用してるって。だけってどういうこと?」

「さあ? 永井に仕事以外の迷惑はかけてないつもりなんですけど、なにかと手厳しくて」

「ニシくんが一緒にスタジオやってくれれば、永井さんも来てくれるかなあ。そしたら江藤くんは確実だし、他の女の子も来てくれるかも」

 ものの順番が至極まちがっている。

「おれがグリーングラスを出るなんて言ったら、それこそタダでは済まないんじゃないかな。薄情者扱いで」

 嶋津がククッと笑った。

「なんかさあ、ニシくんに絡んでる永井さんを見てると、パピヨンを思い出しちゃうんだよ」

「パピヨンて、蝶のことでしたっけ」

「ちがうちがう。小型犬でさ、耳がでっかくって、それこそ蝶みたいなの。背の高いニシくんのそばで小柄な永井さんが一所懸命文句言ってるのがなんか似てて」

 スマホの検索した画面を差し出された。潤みがちの黒目にひらひらとした耳が特徴的だ。

「あー、なんか見たことあるかも……」

 綾成がよくジョギングしている公園で散歩しているのを見かけた覚えがある。

 可愛らしい外見のわりに、ちょっとのきっかけで吠え出す。個体差や飼い主のレベルもあるのだろうが、クセのありそうな犬種だ。

 と、そこまで思い浮かべた綾成も釣られて笑った。

「嶋津さん、その例えすげえわかる」

「わかるでしょ!?」

 ふたりして笑いがとまらなくなる。

 嶋津が出したパピヨンの画像が、琴未にしか見えなくなってくる。彼女のウェーブのかかった栗色の髪も、黒目がちな瞳もそうとしか思えない。

「あー、ここで笑ったとかいったら怒られちゃうよね」

「いわなけりゃいいんですよ」

「ニシくんは、もっと大事なこといわなきゃいけないしね!」

 無事納品を終わらせた解放感もあってか、なかなか笑いが鎮まらなかった。

 ケーキの残りの一口を放り込む。ストロベリーソースがこの上なく単調だ。

 ふと、フォークで刺すととろりと酸味のあるベリーソースが流れ出すチョコレートケーキを強烈に思い出した。



 グリーングラスに入るにあたって、同じJR中央線の西荻窪から武蔵境へ引っ越した。

 駅前には全国的にもユニークなコンセプトを持つ図書館があって、それだけでも越した甲斐があったのだが、その近くにあるブックカフェは綾成にとって貴重な店だ。

 当たり前に家で食べていた食事に、曽祖父由縁の料理があったということには実家を出てから気づいた。

 綾成の好物のギネスシチューは意外と外で食べられない。ブックカフェ『キャラセル』のそれは絶品だ。

 他にも野菜とマッシュポテトのサラダや、じゃがいものパンケーキなど、食べ慣れていたものがきちんとした『料理名』がついてメニューに載っている。綾成は店を見つけて以来、ずっと通っているのだが、ここしばらくはさすがに無理だった。

 思い出したチョコレートケーキはわりとメジャーなものだったはずだが、綾成はなかなか名前を覚えられない。

 この納品の後は余裕ができるから、クリスマスシーズン只中のカップルにまみれてでも食べにゆける。



「笑ったらお腹へっちゃったなー。もうひとつケーキ食べよっかなー」

「ストレス太りしたからダイエットだって言ってたじゃないですか」

「ニシくんはなんで太んないのさ?」


 辛いスケジュールを越えて信頼を勝ち得た嶋津と、深夜のファミレスで笑いあっている。

 慣れないジャンルの作品で、歩み寄りから始まった現場はストレスも多かったが、上々の締めくくりといえた。



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