11 まだ見ぬ彼女
ヨッパライの深津にツッコミは入れなかったが、指定された月曜は成人の日で、祝日だ。
『月曜って祝日じゃん! ニシくん出社する?』
翌日、深津からメッセージが届いた。
「いますよ。出たり入ったりだから、時間教えてください」『わかった、ごめーん』
そうして伝えてきた月曜の時間きっちりに、深津が綾成の席へやってきた。
「場所移ります?」
「ここでだいじょうぶだよ」
休日なので、切羽詰まって仕事をしているか、早く切り上げて休みに戻ろうと集中している制作が多く、制作室の空気としては落ち着いている。エキサイトして電話をかけている者もいない。
深津に持参のDVDを渡された。
「紹介したい子とやった作品の白箱。一年ぐらい前かな」
作品タイトルを見て思い出す。
「『染草』の作品か。深津さんは演出ローテで入ってたんでしたっけ」
「うん、でも『染草』の子ではないんだよ。『ティルト』にいるんだ」
「ああ……。また微妙な」
「ニシくんから見てあの会社ってどうなの?」
ドリンクサーバで持参のサーモマグにお茶を汲んできた深津は、綾成の斜め前、外回りに出ている湊の席へ座った。湊にはまだ女子会の感想を聞けていない。
「人によっては居心地よさそうな泥舟ですかねえ」
「すごい例え!」
「若手がほとんど残ってないでしょう? 去年の春ぐらいにごそっと辞めて、新しい会社がいくつかできたと思うけど、おれがいた『ハワード』とよく似た状況だな」
ゆっくりと沈んでいるうちに脱出しないと、足を取られて抜け出せなくなる。
「なるほどね、たしかに」
深津はサーモマグに口をつけて、熱そうにした。姐さんは猫舌なのだ。
「城木って子なんだけど、その時はタイミング逃して出られなかったんだよね。間の悪い子でさ」
「今回は?」
「吹っ切れたみたい。というよりキレたのか。いいようにつかわれてたからね。手持ちの仕事を終わらせたら落ち着き先を見つけたいって」
「こっちは願ってもないな。明日からでも来てくれるなら、いくらでも仕事も席も用意しますから」
「決断はやっ!」
「深津さんが認めてる人なら否やはないですよ。つかえるアニメーターは幾らでも欲しい。連絡は深津さんからがいいですか?」
「そうだね、メッセージ送ってみる」
「善は急げなんで、今お願いします」
「やり手の制作っぽいねえ」
「ぽいでしょ?」
深津は笑いながらポケットのスマホを取り出した。
「いちおう休日だからさあ、すぐ返事こなくても許してやって」
「むしろ休みの日に、こっちの勝手ですみません」
「昨日も今日も、会社に入ってるはずなんだよ。さっさと片づけたいらしくて」
「他の会社にも当たってるんですかね? そんなに急いでるなら」
「ううん、入社以来ずっと箱入りだったからそんなにツテがないの。ティルト関わりだと義理があってなかなかむずかしいみたいでさ」
ここに至って聞いてみる。
「会社でなにかトラブルでも?」
深津はスマホを操作していた手を止めて首を振った。赤みの強いショートレイヤーの髪が揺れる。オーバーサイズのセーターに細身のパンツを合わせ、コケティッシュな魅力がある女性だ。
「トラブルは会社の方なんだよ。城木は───彼女の名前ね、よく今までがまんしたなって。次の仕事がムリめな話だったらしくて」
「ああ、やっぱり女性なんだ」
「そうそう、ガリガリ描くよー。でもここんとこのティルトの作品には合わないの」
パッとしない『ティルト』に関する情報や噂を頭の中で走らせてみる。
「───成人男性向けが増えてるんだったかな」
「そんな感じ」
十八禁などの際どい作品は、『単価がいい』と拘りなく請けるタイプと敬遠するタイプ、むしろ積極的に好んでやりたいアニメーターがいる。彼女は『やりたくない』タイプなのだろう。
「あ、返信きた。電話、ここでかけてもいい?」
「もちろん、替われるようならお願いします」
どうかな、ビビっちゃうかもと深津は電話をかけた。それなら深津にまかせてもいい。
「お疲れー。だからいったじゃん? よろこんでる、好感触! うん、例のプロデューサー、隣にいる。替わろうか?」
どうやら相手は慌てているらしい。深津は気楽そうに会話している。
「明日からでもいいって。───ああ、あいかわらずケチくさい会社ね。とっとと出ちゃいな?」
『ケチくさい』と深津がこき下ろすような状況らしい。
「……深津さん、とりあえず話をしたいって伝えて」
「うん、わかった。───例のオトコがね、話を聞かせてほしいんだって。もろもろ相談してみれば? ───迷惑より、さっさとこっちに来ちゃいなよ。例のオトコがなんとでもするって」
「……例のオトコってなんなんですか」
深津は綾成の小声を意に介さず話し続けている。
「───なら聞いてみる。ちょっと待ってね。時間は?」
相手の都合を確認しているので、綾成もスマホでスケジュールを開いておく。
「彼女、昼間だと外出しにくいんだって。朝か夜、空いてる日はある?」
「今週なら、毎日どちらか空けられるんで、いちばん早い日で。深津さんも立ち会える日がいいのかな?」
「そうだね、わかった。───城木、明日の朝! もうさっさと決めちゃおう。───よし!」
おどろいてはいるものの、そう迷うこともなかったようだ。
「十時ぐらいでどうですか。『テイタム』なら、近くまで行くんで。もちろん、グリーングラスでもかまいません」
「そのぐらいが妥当かな。───そっち行くよ。十時でいい? うん?」
グリーングラスまでやって来るという。遠慮しているのかと思えば、人目につきたくないようだと深津が可笑しそうにいった。深刻な意味ではないらしい。
十時にグリーングラスで、と話がついたので会議室を押さえておく。朝の時間帯は予約もすくない。
森と湊にも立ち会うようにメッセージを送った。
通話を切った深津は息をついた。
「じゃあ、明日頼むね」
「深津さんにもつきあわせてしまいますが」
「んーん、あたしが引っ張ってきたかったんだ。このチャンスを逃してなるものか。西門くんに面倒みてもらえるなら安心だし」
「深津さんがそこまでいうなんて楽しみだな」
「白箱観たら納得するよ。ほかの作品よりあたしと組んだのがいちばんの出来だね」
相性の良さに自信を見せる。
「手持ちの仕事って『ティルト』の作監ですか?」
「『ガチャもん』劇場の原画。『KGM』のご指名でね」
「ティルトのパート請けではなく?」
コンスタントなペースで上映される国民的アニメ作品、『ガチャガチャもんすた』劇場版はおそらく二千カット前後で、同じシリーズのTVオンエアを抱えた制作元請けの『KGM』社内だけでまかなえる質と量ではない。いくつかのパートに分けて外注スタジオに出すのはごく当たり前のやり方だ。
「前はそうしてたみたいだけど、ティルトの原画マンのレベルが落ちてて、けっきょく『KGM』で引き上げたり城木が二原やったりしてたらしくてさ。今回は発注が来たのは何人かだけで、そのうち城木だけが請けたかんじ」
「なるほど……」
他社に実力を認められたその一人が離れてしまうのなら、ティルトの先行きはさらに厳しくなりそうだ。
「とにかく腕はいいし、いい子だから!」
「そこは心配してませんから。深津さんも気にかけてくれるだろうし?」
「もちろん、あたしも面倒みる」
「ただ、しばらくはグリーングラスの仕事に専念してもらいますよ」
「うーん、そうなるよねー。今の作品終わっても一緒にやりたいんだけど」
「深津さんがグリーングラスの仕事すればいいでしょ」
「次の企画が決まっちゃってるから……。でもとりあえず『ティルト』から出られそうでよかった」
「明日、話をまとめないとですね」
「西門くんがその気になれば、だいじょうぶ」
観ておいてね、と綾成に渡したDVDを指した。
「───それと、彼女の件」
固有名詞は出さず、手の甲で湊の机を叩いた。
「気づかなかったんだよ。ごめん」
「深津さんが『姐さん』だからって、そこまで求めてないですよ。会社としての対応がまずかったんだから。ただ、女同士で話せば発散できるかと思って」
「むしろあたしがショックだった。勘がにぶっちゃったなー、歳取って女子力低下してるわ」
「それは深津さんの夫婦関係が安定してるから、気を回さなくていいってことじゃないですかね」
同業の夫とはたいへん仲がよろしい。
「でも、自分の身近で不穏な動きがあるなら、知ってればなんとかできたのに、立て続けに……」
立て続け、という言葉に気づいた綾成だったが、深津は軽いため息をついただけだった。
「彼女、どんな感じでした? 女子会は楽しんでましたか」
「うん、今まで見た中でいちばん楽しそうだった。よその制作が来てたんだけど、同世代で気さくな子だからうまい具合に打ち解けられてたね」
「へえ、そりゃよかった。けっこうな人数だったんですか?」
「そうでもないよ。もともと、城木の相談を聞こうってとこから決めたから、湊と、その制作が連れてきた子で、五人か」
「永井がキャンセルしたっていってましたね」
「ああ───、会ってたの?」
「ちょうど呼び出しで出社してきたところに」
「なんだ、そっか。まあそうだよね」
「はい?」
首をすくめた深津は、湊の席を目顔で示した。
「足立某のことは単に意地悪な人だと思ってたみたい。ちがう意味でツラい想いしなくてよかったけどね。いやよくないんだけどさ」
「深津さんはどう思いました?」
「胸クソ悪いわ。からかってる態を取り繕ってたんだろうけど、パワハラだっつうの」
「八名井さんの威を借りてるのがタチ悪いんですよ」
「やり口がせこいんだよね、仕事そのまんま。とにかく、今後そういうことがあればすぐ相談するようにっていっておいた」
「姐さんには感謝です。こっちからも、気をつけさせますんで」
「うん、ほんとにね。女子の制作あるあるなんだけどさ」
「───そうなんですか?」
「そりゃそうよ。イケメンプロデューサーの西門くんがコナかけられたり、ブサイクに敵意むき出しにされたりするぐらいの頻度であるでしょうよ」
「それは───、どう受け取ればいいのか」
「日常茶飯事ってことよ。ま、当人が流せるぶんにはいちいちかまわなくていいけどね。ニシくんが優しくすると惚れられちゃうから、距離をとるのはわかるけど、察したら対応してやって」
「いつでも対応しますけど。おれってそんな距離感あります?」
深津はニヤリと笑った。
「おやおや、トラブル防止のためにわざとのくせに。だから既婚のあたしには気安いんでしょ、わかってるよ」
「───それで相談できない空気があるなら本末転倒だし」
「けっきょく今回だって森くんがボサッとしてるのを気づいたでしょ。ま、無理なスケジュールだとそれこそ無理や理不尽が増えるわけでしょ? 無理ない現場を整えるのがいちばんの近道だよ」
わかりやすい道理だ。作業が深夜に及ばないだけで、女性にはリスクが減るのだ。
「環境がよければスタッフも居ついてくれますしね」
「そうそう。せいぜい城木には優しくしてやって。だいじょうぶ、イケメン耐性があるからやっかいなことにはならないよ」
面倒なのでツッコミは端折る。
「ええと、パートナーがいらっしゃるんですか」
よこしまな考えではなく、配慮が必要かを先に聞いておく。
「んーん、未婚だよ」
大いに盛り上がった女子会の既婚参加者は、深津だけだったそうだ。
帰宅した綾成は、『キャラセル』で挽いてもらった豆でコーヒーを淹れてから、深津に借りた白箱のDVDをセットした。
『染草』制作の、男性層をターゲットにしたバトルアクションものだ。『ティルト』は目立った演出不在の会社だから、おそらく作画グロスで出した話数に深津が演出として入ったのだろう。
深津らしいテンポのよさが気持ちい話数になっていた。
深津は属性としては絵描きでない演出家なので、絵の力とは別のアプローチでフイルムを組み立てる。作画のメンツや作監がいいと相乗効果でいわゆる『神回』と呼ばれるような出来になり、その確率が高いのが深津の売りだ。
全てに隙がないわけではないが、その作監(作画監督)には力があった。深津が紹介するだけはある。
深津は能書きが多いわりに出し惜しみする作監は嫌いだから、もちろんそうした心配はなかったのだが、予想を遥かに上回る。レイアウトにも見どころがあり、絵心のない深津の弱点を補強している。
───めっけもんだな、このアニメーター。
足立にかかずらっていた徒労感が報われそうだ。
想定していた条件を上乗せしようと決めた。
他のスタジオに出し抜かれないように、本人の希望となるべく添えるように持ってゆこう。
───城木架那。
エンディングテロップからフルネームを知った。
満足して見終えた白箱の他にも情報が欲しくなって、パソコンでネット検索をしてみた。
アニメスタッフWikiとされるサイトに彼女の項目がある。
『城木 架那 スタジオティルト所属のアニメーター。原画、作監。』から始まり、ここ三〜四年の原画や作監で携わった作品名を知ることができた。経歴からすると、意外と若そうだ。深津と綾成の間ぐらいかと思っていたが、綾成と変わらなさそうだ。
三十代前半のアニメーターとして大事な時期に差し掛かるタイミングで、グリーングラスで預かれるのなら、だいじにしたい。
『ティルト』の元請け作品の数が減っているためか、作品歴は外注作品の作監が多い。目立つのは、やはり『ガチャガチャもんすた』だ。
優秀なアニメーターの彼女が『ティルト』を出ると決めたのなら、制作会社の『KGM』真っ先に手を挙げそうではある。『ガチャガチャもんすた』のプロデューサーは知り合いだが、抜かりのない人だけに、明日じゅうに話をまとめてしまうに限る。
コーヒーをもう一杯淹れ、作品履歴の中から見られる配信動画を探した。