Birth
彼の人生は、それなりに恵まれていたと俺は思う。五体満足で生まれ、高校、大学と通うことができ結婚もしている。20代で中古とはいえ一軒家を購入している。(ローンは組んでいるが)
そして何より、子供が産まれた。
オレは今まで病院の中でも全く縁の無かった「産婦人科」に来ている。日曜日ということもあってか院内は閑散としており、人生で初めて個人的に訪れた産婦人科という場所でおろおろとしている自分は、不審者としか形容できないだろう。
「すいません、桜井京子さんへの面会できたんですが・・・」
休日受付の窓口でパソコン画面とにらめっこをしている看護師に声をかけた。
若い女性看護師が、オレに気づき若干不思議そうな表情を浮かべながら、カウンターに近づいてきた。
「あ、面会ですね。でしたら、こちらにお名前の記入をお願いしますね。」
一言そういうと、胸ポケットから安物のボールペンを取り出し、オレに手渡す。オレはエクセルで作られたと思われる名簿にサラサラと「甲斐」と名字を記入した。
「えーっと、桜井京子さんは・・403号室ですね。右奥のエレベーターで四階まであがってください。」
看護師は、オレが記入した名簿を一瞥すると事務的な口調でそう言った。
「ありがとうございます。」
礼を言うのが人としての道理だろう。オレは一言そういうとエレベーターへ向かった。
1人で乗っているからなおさらだが病院の緊急時にベッドごと搬入できる、独特な広さをもったエレベーターが、謎にオレの心を支配する孤独感を更に拡大させた。たかが友人夫婦の見舞いに来るだけで、なぜこんな思いをしなければいけないのかとこれまた意味不明な苛立ちを感じる。おかげでエレベーターの中で過ごす時間は長く感じた。めでたい場でこんな感情を持つ自分に嫌気がさす。
『四階です。』
無機質な機械音声がオレにアナウンスを告げると、ゆっくりと扉が開いた。エレベーターを降りてぐるりと辺りを見回すと、すぐに目的の部屋番号がオレの目に飛び込む。
『403 桜井京子』
名前のみ手書きで書かれたプレートを一瞥すると、オレはドアをノックする。
「はい。」
部屋の中から、少し低めの女性の声で返事が返ってきた。
「失礼するよ。」
がちゃりとドアを開けると、院内着をきた京子の姿があった。
「あれ、甲斐君じゃん!」
意外な来訪者が来たとばかりに京子は驚きの声をあげる。
「おっす、おめでとさん。ほれ、出産祝い。」
挨拶もそこそこに、オレは右手に持った紙袋を京子に手渡した。わからないなりにベテラン店員と相談しながらベビー用品店で見繕ってきたんだ。喜んでくれ。
「うわー、ありがとう!」
京子はベッドから起き上がり、オレから紙袋を受け取ると、窓際の椅子を引っ張って寄越した。
「あー・・・体力的に厳しいだろ?ゆうっくり横になっててくれよ。そういえば、旦那は?」
オレは彼女から椅子を引ったくり、ベッドに横にならせる。気遣いしなきゃいけないのはこっちの方だ、申し訳ない。
「あっ、あの人は今家に私の着替え取りに行ってくれてるの。夜勤明けで少し寝坊しちゃったみたいで、ちょっと遅れるって。」
そっか、とオレが呟いた時だった。
オレは、京子のベッドの横に置かれた透明な樹脂製の小さなベビーベッドに気づいた。中には目を閉じたままだが、何かをつかむように手足を動かしている赤ん坊が存在感を放っていた。
「あ、ほら。はじめましてだよ。恭一郎。」
オレが赤ん坊を見ていたのに気づいた京子はそう言うとゆっくりと体を起こしベビーベッドへ向かう。
「大丈夫か?」
オレはとっさに尋ねた。男のオレですら出産という大役を果たした女性の体力の消耗具合は心得てるつもりだった。
「大丈夫だよー、もう3日経ってるし。」
京子はそう言うと、今にも崩れそうな砂細工を包み込むかのように優しく赤ん坊を抱き上げ、オレの方に向ける。
「ほら、恭一郎って名前にしたの。あの人と一緒に考えたんだから。」
誇らしげな顔で京子はオレに言った。
「うん、良い名前だ。キラキラしてないし。」
その時、ドアをノックする音が個室に響いた。
「はーい。」
京子は恭一郎を抱えたままどこか気の抜けた声で応答する。
ドアがゆっくりと開くと、底には大きめのパンパンのハンドバッグを抱えた京子の亭主、悠一が現れた。
「遅くなってすまん!恭一郎は・・・」
いきなり親バカを発揮しだした悠一はそこまで口にすると、オレの存在に気づいたらしい。
「よっ、おめでとさん。」
オレは椅子に座ったまま片手を挙げて声をかける。
「おー、甲斐チャン!久しぶり!」
悠一はバッグを備え付けの籠の中に放り投げオレに抱きつく。
「まさか来てくれるとは・・・」
涙混じりにそう言っているが、泣くことは無いだろう。
「おいおい、父親になったんだろ?泣くんじゃねえよ。オレは何にも気にしてねえんだから。」
そう言ってオレは悠一の背中をポンポンっと叩いた。
「本当に来てくれてありがとうね。」
そう言う京子までもが、目に若干の涙を浮かべている。
そこからはスヤスヤと眠る恭一郎を横に思い出話に、そしてまだこの世に生を受けてから1週間もたっていない恭一郎の今後の予定について盛り上がった。
30分程経っただろうか。時計をみた京子があっ、とつぶやく。
「そろそろ恭一郎におっぱいあげなきゃ・・・三時間おきだから。」
「んじゃまぁ、オレは帰るよ。」
流石に同席する訳にはいかない。
「あっ、それじゃ下まで送るよ。自販機になるが茶でも飲もうぜ。」
悠一がそれとなく提案した。京子も何かを察したようにいってらっしゃい、と快く送り出してくれる。
ガコン、ガコン・・・と病院の一階に設置された自動販売機が小銭と引き換えに缶コーヒーを吐き出す。休日ということで、通常診療窓口のあるこのフロアは、灯りが落とされ太陽はでている時間帯ではあるが薄暗さを帯びてきた。
「いや、本当に来てくれてありがとうな。」
悠一は缶のプルタブを開けながらそう言った。
「どういたしまして。」
オレは缶をあけることなく、冷たい缶コーヒーのプルタブを弾いてはカチカチと音をさせながら返事をする。
「オレ、甲斐チャンがいなかったら恭一郎が生まれるどころか、京子とも結婚できてなかっただろう・・・」
「そりゃ、オレはあそこまで骨を折ったんだ・・・結婚してくれなきゃ困るよ。」
悠一もオレも、それだけ言うと言葉に詰まった。どこかで微かに空調の音が響く以外は無音だった。
「あのさ・・・」
先に沈黙を破ったのは悠一の方だった。
「このあと3時くらいから、タニヤンとかなっちゃんとかも見舞いに来てくれるらしいんだよ。もし良かったら・・・」
悠一がそこまで言うと、オレは缶コーヒーを持ったままの手で制止させる。
「今更オレがいた所で、だよ。」
悠一はそれでも悔しそうな、何かいいたげな表情を浮かべている。
「オレが先輩を殴った、問題になった、部活は廃部でおれは停学、それでいいじゃないか。タニヤンやなっちゃんも、今はどこまで知ってるか知らないが、部活潰されて大舞台に立てなくなった原因のオレを当時は許さなかっただろ?」
オレは大学生の頃を思い出し、病院という場所を忘れつい大声で悠一に言う。
「それは結果論であって、その過程・・・俺と京子の為に汚れ役をやってくれただけじゃねえか!」
「結果は結果だ。」
悠一の発言を半ば遮るようにオレはピシャリとそういった。
「もちろん、オレはあいつが許せなかっんだよ。・・・『自分の判断』で悠一と京子のために動いたんだよ。冷静になれなかった、そして他の方法を考えられなかったオレが悪い。」
そうだ。オレは自分の意志で動いたんだ。その結果が吉と出ようが凶と出ようが、それは自分自身で招いたものだ。殴った相手のカリスマ性とリーダーシップまでオレは計算できなかった。ただそれだけの話だ。
「目出度い席だ、水差しヤローはいらねえってこった。」
黙ったままの悠一に、念の為だめ押しをする。
「そうか・・・最後までごめんな。」
悠一はオレに謝ると、ゴミ箱に缶を投げ込んだ。
時計の長針は、午後三時まで丁度90度の角度まで迫っていた。刻一刻とタイムリミットが近づいてくる。実際は15分もここにとどまることはできないだろう。
「そろそろ行くわ。京子と恭一郎君に、よろしく。」
「ああ、甲斐チャン。元気でな。」
オレは悠一に背を向けて、病院の外を目指す。自動扉がゆっくりと開いた。まだ冷たい冬と春の悪いところ取りをしたような風が頬に感じる。
病院から50メートルほど離れたコンビニで、オレはすっかり冷め切った缶コーヒーをあけ、ポケットからライターとタバコを引っ張り出した。フーッと吹いた煙は、風に乗って昇っていく。ふと病院の方を見ると、反対方向から3人の男女がやってきて、病院に入っていくのが確認できた。
「オレも、あいつ等と一緒に来れたら違ったのかね・・・」
そうつぶやくオレを隣でタバコを吸ってる、休憩中と思われるタクシードライバーのおっさんが訝しげに見ている。独り言は悪い癖かもしれない。
悠一は、多分このあと来る予定の同期の見舞い客にオレが何故先輩を殴ったか、事細かに説明するつもりだろう。彼らの名誉のために言っておくと、オレは決して二人のスケープゴートとなったわけではない。ただその理由を説明するのは、京子にとって、悠一にとって、非常に苦痛となるに違いなかった。しかし、義理堅い二人だ。恐らく人の親になったこのタイミングで説明をするだろう。親になったから、子供の前で隠し事をしたくないといく可能性を含めての計算だが。
二本目のタバコに火をつける。そこでオレは今日のメインイベントを思いだした俺は過去や意地を捨てて、赤ん坊のように生まれ変わってこれからの人生をやり直すのも、悪くないと思った。
解説はつけません。脳内補完おねがいします。