第八章 ベールに忍び寄る影 -10-
ルウェリン・グリフィズという人は、回りくどいことは嫌いなんだな。
根回しの好きそうなメルダース市長が色々と段取りを考えていたんだろうが、ぼくたちがまず市長の邪魔をした。
それを奇貨として、王太子は真っ直ぐ正面から斬り込んできやがった。
自分のペースを掴んで離さないこの話術は、流石にあの女王の子供だ。
普通の人なら、王太子にこう押されたら逆らう気も起きまい。
だが、モウブレー家の麒麟児は、簡単に自分の信念を曲げる人ではなかった。
「魔法の深淵を覗いたことのない人には理解できないでしょうが」
エリオット卿の瞳が、爛々と輝き出す。
この人、折角の料理にも手を付けてないな。
アンヴァルがいつ奪いに行くか、冷や冷やしてるよ。
「その高みに昇ったときの全能感! これは何物にも換えがたい。しかも、それでもわたしはこの山の麓にいるに過ぎない。だが、先生に付いていけば、何れはその頂きにも登れるはずっ! 今のわたしには、そのことしか考えられないのですよ」
何か、エリオット卿が、ちょっと危ない人のように見える。
王太子も同感なのであろう。
ぼくの表情を確かめにくる。
「エリオット卿は、些か熱中しすぎるきらいがあるように見受けられますね」
ちょっと緊張するな。
グウィネズ大公に不敬とか言われないよね。
「でも、物事に集中することが一概に悪いとも思えません。大成する方は、多かれ少なかれそういう側面を持っていると思います。ぼくの先生もそんな方ですし」
「ふむ。聞けば、お前はノートゥーン伯に選抜戦で勝利を収めたそうじゃないか。本国に届けば、喜ぶ連中もおろう。本選に出場するほどの男を擁しているとなれば、我がアルビオンも鼻が高い」
給仕が新しく来た三人にスープを運んでくる。
食べられないまま下げられるエリオット卿の前菜。
アンヴァルの首が伸びる。
ファリニシュが足を蹴って正気に戻していた。
恥ずかしいな、もう。
「それほどの男の言葉には、重みがある。お前もその師に倣って高みを目指し、ノートゥーン伯爵を凌駕する頂きに立ったのだからな。学院の頂点に立った感想はどうだ?」
学院の頂点?
そういや、エリオット卿を破ったってことはそうなのかな。
「卿に勝利したことは、非常に嬉しかったです。学長に言われた課題を解決したような、そんな喜びで一杯になりました。達成感がありましたね。学院の頂点とか、そんなことは考えてもいませんでしたよ。まだまだぼくより強い人は沢山いますし」
「ふむ、この飽くなき向上心。ゆえにノートゥーン伯に勝利し得たのか。よく似ていると思わんかね、伯爵」
「どうでしょうか。あの一戦を振り返ると、今でも不思議に思います。神の領域に足を踏み入れたわたしに、彼は生身のまま追い縋ってきました。いつもなら仕留められる一撃が、僅かに急所をずらされる。人間には見切れぬ速度に、彼はあの戦いの中でも対応して成長していった。逸材であることは間違いないでしょう。オスカー・ウェルズリーが強く推してきたのもわかります」
「エーリントン侯爵か」
エーリントン侯爵オスカー・ウェルズリーは、エアル島出身で、元は貴族ではない。
祭祀階級だったからだ。
だが、功あってアルビオン王国の貴族として叙爵された。
もっとも、アングル人は格式と秩序を重んじる連中で、新興の外国人の貴族などあまり相手にされない。
同じ侯爵でも、バーンフィールド侯はアルビオン貴族で、エーリントン侯は新貴族と厳密に分けられる。
ぼくの学院推薦に一番尽力してくれたのは、このエーリントン侯爵だ。
エアルの祭司たちが背後に付いていたとはいえ、並みの努力ではなかっただろう。
「エーリントン侯爵は言った。この少年が、エアルとアルビオンの未来の架け橋になる、と。その言葉を信じたいものだな。再びノートゥーン伯爵のような問題を起こされても困る。そうは思わんかね、メルダース市長」
急に話を振られ、メルダース市長は動揺した。
額に汗が浮かぶが、拭きもせずに口を開く。
「は、はっ。ヘルヴェティアとしては、個人の自由を尊重しておりまして……」
「その個人の自由が問題なのだ。貴族というものは、国を支えるためにあるものだ。そのために多くの特権を享受しておる。自由などという戯言が許される存在ではない」
ハンスはその言葉に感銘を受けているようだ。
あの堅物なら、同じ考え方だろうなあ。
アルフレートはにこにこしていて表情が読めないが。
だが、その考えに納得できない者もいた。
ええ、さっきまでジャンと楽しそうに料理について語っていたマリーですよ。
「お言葉ですが、殿下。国が貴族を護れないとき、それでも貴族は国に殉じて命を捨てろと仰るのでしょうか」
外見はたおやかな淑女であるマリーの辛辣な発言に、王太子も驚いたようだ。
エリオット卿から、素性を聞かされて初めて納得したような表情になる。
「失礼、ダルブレ嬢。貴女も興味深い人物だ。わたしも、貴女を巡る騒動については聞き及んでいる。ロタール公やエーストライヒ公のように介入しようとは思わないがね。だが、貴女の発言には、実体験に裏打ちされた重みがある。それを踏まえて、あえてわたしは言おう。その通りだと」
峻厳な表情で断言するグウィネズ大公に、思わずマリーが絶句する。
だが、この答えはある程度は予想していた。
為政者としては、そう答えざるを得ないのだろう。
しかし、切り捨てられる側がそれで納得できるものなのか。
「これは、何処の国とて同じことである。自由の国ヘルヴェティア。理想を高く掲げる国ではあるが、国のためとあらば個人を切り捨てようとする。そうではないか、ドゥリスコル。お前は身を以て体験したであろう」
「殿下、それは誤解です。わたしはアラナン・ドゥリスコルの能力を高く評価しておりました。神前決闘であれば、彼の無実を手っ取り早く証明できると思ったのです」
ぬけぬけとメルダース市長が言い放つ。
おい、あんたそんなつもりは全くなかっただろう!
よくそんな嘘を堂々と言えるよな。
「──そうですね。ぼくは学生なんで、まだ判断が尽きかねることが多々あります。でも、その中でただひとつ思っていることは、理不尽に泣かされている人がいたら助けたい。遠くの人まではわかりません。ぼくの手の届く範囲の人だけでいい。そのために必要な力を学びたい。そう思ってますね」
ぼくは、ぼくとぼくに関係する人たちを大切にしたい。
それが正義であるかはわからない。
だが、悪であってもいい。
ロタール公やエーストライヒ公に立ち向かっている時点で、怖いものなんてないよ。
「──ひどく危険で困難を伴う思想だな、ドゥリスコル。ノートゥーン伯爵よりも、もっと危険だ。バーンフィールド侯爵などが聞いたら、それだけで糾弾されるだろう。個人的には好ましいとは思うが、お前にそれだけの力があるかどうか。それが問題となろうな」
王太子は、ポンティニー産の最高級白ワインで喉を湿らせると 更に続けた。
「それだけの力があるか、わたしが判断してやろう。メルダース市長、わたしをフェストの一回戦でノートゥーン伯爵と、二回戦でドゥリスコルとぶつけろ。わたしに勝てば、二人とも好きにするがいい。負ければ、二人ともおのれの意志を貫く器に足らずと判断して、王国の指示に従ってもらおう」




