第八章 ベールに忍び寄る影 -8-
メディオラ公に敗れたハンスは、意外と落ち込んでなかった。
「公爵に切り落としを褒められたよ。年の割にはいい技を持っているって」
そう言って笑うハンスに、ぼくはぽんと軽く肩だけを叩いた。
余計な言葉なんて欲しくないときもあるさ。
結局、第一組はそのままメディオラ公ロレンツォ・スフォルツァが勝ち上がった。
大本命が残る波乱なしの展開である。
ぼくたちは、ハンスを誘ってベールで一番評判の料理屋に行くことにした。
負けた事実はもう覆らないし、今日は飲んで食べて気分転換してもらえばいい。
宿から西に少し行ったらハーンホーフ大路に突き当たる。
そこを左折し、暫く行ったところにその料理屋はあった。
ミル・サンス亭というアルマニャック料理の店だ。
高級店のくせに予約が一杯だという盛況ぶりだが、ファリニシュが大魔導師を通じて予約を取ってくれた。
流石オニール学長。
ヘルヴェティアでの影響力は絶大である。
白い壁に空間を高くとった瀟洒な入り口。
高級店だけあって洗練されている。
マリーやハンスは慣れているし違和感がないんだが、ぼくなんか場違いなところに迷い込んだ子犬みたいだよ。
ああ、カレル。
おまえはぼく側の人間だな。
夜だと言うのに高価な魔導灯をふんだんに使っているせいか、昼間のように明るい。
揃いの制服を着た給仕の青年に導かれ、ぼくたちは最上階の大きな個室に案内された。
うわ、これ場所代だけで幾らするんだろう。
「うわあ、見て。窓から時の鐘の灯が見えるわ。暗がりの中浮かび上がってとても綺麗」
大きく取られた窓からマリーが身を乗り出す。
おいおい、行儀が悪いな。
ぼくたちはいま、紳士としてのマナーをだね。
「本当ですねー。あの時計塔結構高かったんですね」
「すっげえな! あっちの大きな灯りはオーセナンラーゲン広場かな!」
「ベールの街がよく見えるね。これはいい。普段評議員とかじゃないと入れない特別室らしいからね。高い金を取るだけのことはあるよ」
「オニールのご老人も頑張りなんしたなあ」
くっ、みんな窓に群がりやがった。
一人澄まして座っているのが莫迦らしくなるじゃないか。
──ぼくも行くか?
いや、今更……。
葛藤するぼくの前にアンヴァルがちょろちょろとやってくる。
おお、神の馬よ。
ぼくの味方はお前だけか。
「お腹空いた。まだご飯出てこないの?」
「やっぱりだよ! そんな予感はしたんだよ!」
この馬がぼくを慰めに来るような殊勝な玉か!
がっくり肩を落としていると、給仕の男性が前菜を運んできた。
慌ててみんなを呼んで席に戻らせる。
「じゃがいもと鶏レバーのコンフィでございます」
オリーブオイルとニンニクで炒め、塩胡椒で味が整えてある。
じゃがいもと鶏なんてありふれた食材だが、塩気と脂の旨みが加わってこれはワインのつまみにはもってこいだ。
「この発泡葡萄酒は、オニールのご老人の葡萄酒でござんす。遠慮なくやっつけなんし」
カンパーニュ伯爵領産の最高級発泡ワインだこれ。
ま、まあファリニシュがいいってんだから大丈夫だろう。
値段を考えたらとても飲めないので、目を瞑って考えないようにする。
覚悟を決めて口に含むと、芳醇な香りが鼻に抜け、炭酸が弾ける感覚と力強い葡萄の味が口腔一杯に広がった。
うわ、何これ。
今まで飲んでいたワインが酢に感じるくらい違う。
「カンパーニュを飲むのは、父上の誕生日以来だな、アルフレート」
「そうですね。でも、こっちのが管理がいいんじゃないですか。変な酸味がないですね」
大貴族のハンスとアルフレートは、カンパーニュを飲んだことがあるらしい。
くっ、初めて格差を感じたぜ!
「この鶏レバー、凄い癖がないわね。わたし、レバー苦手なのに、全然気にならないわ」
「このオリーブオイルが最高でございますよ、お嬢様」
ジャン・アベラール・ブロンダンめ。
平民出身の癖にテーブルマナーが完璧だな!
──さて、どっちのフォークを使えばいいんだっけ。
ああ、ファリニシュの真似をしよう。
いや、アンヴァルよ。
前菜でお代わりとか頼むなよ?
「このカンパーニュ、特級でございますね。アルトワ伯爵閣下も一本しかお持ちではございませんのに」
「父上に自慢できるわね。ああ、このじゃがいも後を引くわ。何かフォークが止まらないの」
アルマニャック料理だから、マリーとジャンは当然絶賛している。
アルマニャック王国の人に言わせれば、ヴィッテンベルクの料理は田舎料理で、アルビオンの料理は犬の餌だそうだ。
自国の文化に誇りを持っているアルマニャック王国人らしいが、犬の餌はひどいよね。
アルビオンの料理も、牛肉料理くらいは旨いのもあるよ。
「アリエ風冷製スープでございます」
給仕がスープを持ってくる。
炒めたじゃがいもと玉ねぎをブイヨンで煮込み、生クリームを加えて冷やしてあるようだ。
ひんやりとして滑らかな口当たりがとても美味しい。
「これ最近流行しているらしいわね。アリエの料理人が考案したらしいけれど」
「ルイという料理人らしいですが、腕前を見込まれて、フォンシール・ベル・オー宮殿のお抱えになったそうですよ」
「まあ、国王陛下の料理人に? それは大した腕ねえ」
こうやって聞いていると、マリーとジャンはやっぱり同じ国の出身だけあって話題が合うんだな。
アンヴァルは一口で飲み込んでもっと欲しそうな顔をしているだけだし、三人組は次のワインを何にするかで盛り上がっている。
ぼくはちょっと会話に入り損ねて、サヴーラリエを口に運んでいた。
「学院からは、本選出場が決まったんは三人やったで。エリオット卿、イシュマール、ハーフェズや。何や、先を越された感じやねん。うちも出ればよかったわ」
そんなとき、ジリオーラ先輩が如才なく話し掛けてきた。
うん、つい嬉しくて笑顔も綻ぶね。
「ティナリウェン先輩も、白銀級冒険者並みの力は持ってますもんね。それで、他に強そうな人はいましたか?」
「セイレイスの砂漠の鷹、アルビオンのグウィネズ大公、ボーメンの赤い悪魔。有名どころではこのあたりやね。初顔もちらちらおって、おもろい祭になりそうやで」
そういや、出ていたっけ、アルビオンの王太子。
ルウェリン・グリフィズ直々のお出ましとはなあ。
エリオット卿を失ったことで、今回のアルビオンは本気で勝ちに来ている。
いまアルビオンで最も人気がある未来の王、精強なる獅子の心臓騎士団の騎士団長を送り出してきたのだ。
「無茶するよなあ。勝てば威信を示せるだろうが、負ければ逆に地に墜ちる。そもそも、帝国が黒騎士なんて出してくるからこうなったんだ。皇帝を守護する不壊の剣。門外不出じゃなかったのかってね」
「当代皇帝を輩出したレツェブエル家は、ロタール出身のアルス人の家系なんやね。ロタールといや例の公爵閣下や。ロタール公が手を組む相手を変えて、今まで静観していた皇帝家が首を突っ込んでくる気ちゃうんかなあ」
レツェブエル家が勢威を奮っていたのは、五十年くらい前だ。
当時は、ヴィッテンベルク皇帝位にボーメン王とレツェブエル伯、マヴァガリー王も兼ねていた。
だが、今はボーメンとマジャガリー王位を手放し、威信は下降している。
まさか、次期皇帝最右翼のヴァイスブルク家に対抗するために、彼らが手を焼いているマリーを手に入れてやろうとか考えてないよな!




