第八章 ベールに忍び寄る影 -6-
声を掛けてきたのは、長い金髪を豊かにうねらせた上品そうな女性だ。
そして、隣にいるのはレオンさんじゃないか。
「あ、ホーエンローエ嬢、お久しぶりです」
ハンスが心持ち顔を赤らめて固くなっている。
帝国貴族同士、知り合いなのかな。
「ご挨拶ですね、ハンス・ギルベルト。貴方がこんなに小さいときからの付き合いじゃないかしら」
そう言いながら、ルイーゼさんは両手を赤ん坊くらいの大きさに広げた。
相変わらず煙を燻らせながら、くっくっとレオンさんが笑った。
「あんまり若いのをからかうのはよせ、ルイーゼ。かちんこちんじゃねえか。──それと、アラナン、久しぶりだな」
「お久しぶりです、レオンさん。帰ってきていたんですね」
「ああ……。フェストはやっぱり出ないとな。本選出場すれば大変な名誉だ。そういや、お前は学院推薦で本選出場を決めたらしいな。おめでとう」
「そう聞くと何かずるしているみたいで悪いですね」
「何、おれたちは選抜戦の過酷さをよく知っている。おれも、ルイーゼも学院の卒業生だからな」
レオンさんは、煙草を右手に持ったまま、目を細めてぼくを見た。
「驚いたな。一年前とは、別人だ。どうやったら、こんなに強くなるんだ。なあ、ルイーゼ、見てみろよ」
「もう、紹介もしないで。こんにちは、アラナン君。わたくしはルイーゼ・フォン・ホーエンローエと言います。こう見えて、この人の学院の同期なんですよ」
おっと、丁寧に礼なんてされたら、こっちまで赤くなっちゃうよ。
大人の女性の前に出ると、何かこう言えないけれど恥ずかしい気になるよね。
同年代は平気なんだけれどさ。
「は、初めまして、エアルのアラナン・ドゥリスコルです。レオンさんには、よくして頂いています」
「ふふ、聞いていた通り可愛い子ですね。でも、レオン、貴方の言うとおりこの子は凄いわ。あのクリングヴァルさんが育てただけはあります」
「げ、本当か。あの鍛練狂に……いや、何でもない」
レオンさん、本音が漏れてるよ。
まあ、鍛練大好きってのは否定できないけれどね。
レオンさんたちより少し上の代だったっけ、クリングヴァル先生。
「クリングヴァルさんは、おれより三つ上だったかな。高等科であの飛竜に師事した学生がいるって話題だったんだ。初めは羨ましかったが、あの毎日の練習を見るとな。おれには無理だと思ったよ。人間、身の丈に合ったことをするのが一番だ」
「今では、学院の教師の推薦枠に入っているんですもの。やっぱり、地道な努力も大切なのですよ、レオン」
「あいた。ま、そういうわけだ。幸い、おれは第七組で、ルイーゼは第十組でな。そんなに強敵はいないから、本選も狙えそうだ。だが、そこのハンス君は運がなかったな」
レオンさんの言葉を聞いて、赤くなっていたハンスの顔が、瞬時に真面目なものに変わる。
それは、戦士の貌であった。
「メディオラ公、そんなに強いですか」
「強いな。本選常連だぞ。今年は教会の推薦枠が取れなかったが、実力は本選出場組に劣らないと思え」
「そうですか……有難い」
いつも堅苦しく抑揚の少ないハンスが、闘争心を剥き出しにしていた。
隠されていた男の顔だ。
予想外の表情に、ちょっとどきっとする。
「メディオラ公に勝てば、わたしも本選出場者並みの力があるということですね。遣り甲斐がありますよ」
「まあ、あのハンスが、こんなに立派になって」
ハンカチを握り締めるルイーゼさんに、ハンスは辟易として手を振った。
猛々しい表情は、一瞬で崩れていた。
持続力ないな、ハンス。
「第一組の本命は、メディオラ公ロレンツォ・スフォルツァ。対抗で、ユルゲン・コンラート・フォン・ツェーリンゲン。学生のハンス君の評価は、彼らの下だ。本選に出るなら、死ぬ気で頑張らないとな」
「はい! 有難うございます!」
レオンさんに激励され、ハンスの闘志が再び燃え上がっている。
レオンさん、意外と教師に向いているんじゃないの。
「それにしても、第五組見たか? ほら、こいつだ。こいつも学院の生徒だと聞いたが、今まで聞いたことがないやつなんだ」
レオンさんが指した先には、ハーフェズの名前が書かれていた。
うん、初出場だしね。
聞いたことはないだろう。
「中等科のランキングトップですよ、ハーフェズは。ぼくが準決勝で破ったけれど、高等科にも勝つ実力者です」
「──いや、アラナン、お前が選抜戦で勝ち抜いたんだから当然だが、あれに勝ったのか、本当に」
レオンさんは、ちょっと呆れた風だった。
「執事を彷彿とさせるあの魔法陣。底知れぬ魔力量。中等科とはとても思えないぜ。どうやって、あれに勝ったんだ?」
「そりゃ、あいつの放った竜炎魔法を、ぼくの聖炎魔法で真っ正面からぶち破ってですかね?」
そう言うと、レオンさんとルイーゼさんは顔を見合わせ、やれやれと首を振った。
二人はハーフェズの試合を観ていたらしく、竜炎の三角形のとんでもなさを目撃しているのだ。
それを凌駕する魔法となると、最早想像の範囲外なのだろう。
「今年のフェストは荒れそうだぜ。──おっと、じゃあ、おれたちは行くわ。全く、おれたちの組にあんなのがいなくてよかったよ」
そう言うとレオンさんは空を見上げ、煙を吐き出すと、手を振って身を翻した。
にこやかに笑いながら、風の侯姫がその後に続いていく。
はー、何かお似合いの二人だったな。
どっちも大人で、格好いい。
ぼくもレオンさんみたいな男の渋さってのが欲しいよ。
「ああ、素敵ねえ、ルイーゼ・フォン・ホーエンローエ様。月刊冒険者の一番人気の女性冒険者なのよ。版画を出せば、必ず売り切れる御方なのよ!」
「え、月刊冒険者? そんなのあるの?」
知らない間に、変なものが流行っているな。
しかもマリーが嵌まっているとは。
ん、カレルが何故か目を泳がせたな。
怪しい。
ぼくの第六感がびんびん警報を鳴らしている。
「カレルくーん。ちょっとお話ししようかー」
「うああ、よせ、やめろ! くすぐるなよ! そうだよ、月刊冒険者は、おれが作った雑誌だよ!」
意外と簡単に白状したが、こいつ錬金術に入って何作ってんの?
「いいじゃねえか。凄い儲かってんだぞ。シピさんにも学長にも許可も取っているし」
しかも、ギルド公式発行物だった!
凄いな、カレル。
お前の才能を甘く見ていたわ。
「今月は無論フェスト特集だ。飛竜の独占取材に、付属で聖騎士と黒騎士の人形も付くぞ。凄いだろ」
「うん……凄すぎて何て言っていいかわかんないよ。なあ、ハンス」
「あ、ああ。わたしも知らなかった。アルフレートもだろう?」
「あ、すみません、ぼくは知ってました。時々手伝っていたんで」
おお。
可愛い顔して、さらっと言いおったな。
しかし、ぼくたちに内緒とは気に入らん。
ん、この間のみんなはこんな気持ちだったのかな。
くっ、悪いことをしたもんだ。