第八章 ベールに忍び寄る影 -5-
逃亡した黒衣を追ったファリニシュが戻ってきた。
無事に帰ったきたのを見るとほっとする。
ファリニシュの強さは知っているけれど、相手も無気味な連中だからね。
「申し訳ありんせん。やつら、途中で互いに貫き合い、討ち果てなんした。わっちが追っていたのを悟られなんしたか」
どうやら、無駄足だったらしい。
ファリニシュが悄然としている。
そんなに落ち込むこともないと思うけれどな。
相手はシピの読心を効かず、堂々とフラテルニアに潜入していた男だ。
簡単には尻尾を掴ませないだろうね。
「全員殺し合うなんて……恐ろしい話ね」
「ええ。そんな連中が紛れているなんて、ぼくもぞっとしませんよ。でも、とりあえずハンスさんが無事でよかった」
「有難う、ダルブレ嬢もアルフレートも。暫くは、一人で出歩かない方がよさそうだね」
「うむ。そうしてくれ。わしは、飛竜やフロリアンに話をしに行く。──ニーデ教会の関与に関しては証拠もないし、当面は様子見じゃのう」
オニール学長は薄暗がりに浮かび上がるニーデ教会を睨み付けると、ファリニシュの肩を叩いて去っていった。
「じゃ、ぼくらも宿に戻ろうか。カレルも心配してる」
「そうだね。いたた、やっぱりもう少し頑張らないと駄目だな。あれくらいの相手、アラナンなら蹴散らしていただろう?」
ハンス・ギルベルトには、目標も自負もある。
口には出さないが、ぼくやハーフェズに対する嫉妬もあるだろう。
それでも、そんなことを口にしないのは、彼には誇りがあるからだ。
彼の目線は、常におのれを高める方向に向けられている。
そのハンスの未来が、下手をすると摘み取られようとしていたのだ。
それを考えると、イフターハ・アティードに激しい怒りを感じる。
オニール学長が手配したベールの警備兵がやってきたので、現場の処理をお願いする。
黒衣の死体が何人か転がっているんだ。
傷を負っただけのやつも、舌を噛みきって果てていた。
おかしいな。
聖典教団でも、自殺は禁じられているはずなのに。
こいつらは、聖典の民ではないのだろうか。
宿への帰り道、再び市庁舎の前を通る。
すでに日も沈み、役人たちも退勤したであろう。
赤い屋根の煉瓦造りの建物も、黒々とそびえ立っている。
ニーデ教会にも感じた嫌な気分を、此処でも感じるのだ。
それは、ぼくがフロリアン・メルダースを信用していないせいなのだろうか。
ハンスの無事の帰還に、カレルは泣いて喜んだ。
何だかんだで、ハンスの一番の親友はカレルなんだな。
一番喜んで、一番羽目を外して、最後にはジリオーラ先輩とマリーにうるさいって叩き出されてた。
ちょっと!
いま一人で外は危ないからね。
そんな騒動もありつつ、三日後に予選が開始された。
予選の参加人数は千人以上いるらしく、十六のブロックに分けても数十人単位で椅子を争うらしい。
本選出場まで、六回は戦うことになるとか。
これは、選抜戦勝っておいてよかったよ。
予選の三回戦くらいまでは、シェーンベルク公園やオーセナンラーゲン広場などの特設会場でも行われる。
何せ、試合数が多いからね。
とりあえず薔薇庭園の特設会場にきたのは、ハンスの一回戦の見物に来たんだ。
登録はあの日済ませていたしな。
「相手は青銅級冒険者か」
学院の出身でもない二十歳くらいの青銅級冒険者の剣士だった。
青銅級ではそこそこ腕利きとして名前が通っているらしい。
でも、身体強化もできない剣士じゃ、ハンスの敵じゃないな。
案の定、ハンスは開始五秒で決着をつけていた。
相手も割りと剣筋はよかったが、技倆も速度もハンスが上だ。
一歩踏み出したときには、ハンスの剣が相手の胴を薙いでいた。
致死判定が出て、一撃で試合終了である。
予選は大分強さのばらつきがありそうだ。
続けて二、三試合一回戦を見たが、大したのはいない。
「次のは、ちょっと強そうよ」
マリーに言われて特設会場を見ると、何か既視感のある騎士が立っていた。
だが、あんな中年のおじさん、何処かで会ったかかあ。
「あれ、サルバトーレのおとんやで。メディオラ公ロレンツォ・スフォルツァや。結構有名な剣士なんやけど、今年は聖騎士のせいで推薦取れんかったんやね」
ああ、そういや、サルバトーレに似ているんだ。
息子はあんなのだが、親の方はまともそうだ。
身体強化も使っているし、剣の腕も確かだ。
これは、ハンスの強敵になりそうだなあ。
「予選でも、結構強い人がいますね」
アルフレートも興味深そうに見ている。
ハンスは地道な鍛練で技倆を上げるタイプだが、アルフレートは感覚派だ。
ひらめきと咄嗟の判断で柔軟に動く剣である。
ハンスやマリーの陰に隠れているが、アルフレートの成長もかなり凄まじい。
選抜戦でエリオット卿と一回戦で当たったのは、運がなかったよなあ。
「あの人なんか、凄いですよ。体も大きいし、迫力ありますね。青銅級冒険者みたいですが……」
「ああ、あれ! あれ、あいつじゃない!」
おっと。
そうか、ユルゲン・コンラートよ、お前もこのブロックだったのか。
流石にツェーリンゲンの狂牛。
まともに戦えば、一撃で相手を粉砕してるな。
「ユルゲン・コンラート・フォン・ツェーリンゲン。ブライスガウ伯の子供だけれど、騎士爵を剥奪されて、親子の縁を切られたらしいね。──結構深手を負わせたんだが、意外と元気だな、あいつ」
「強いですね。ハンスさん大丈夫かな」
「なに、あいつの手の内は戦ったぼくがよく知っているよ。あいつが相手ならハンスの助けになれる」
この日は一回戦だけだったハンスが戻ってきた。
ユルゲンを見て、あっと声を上げる。
「黒騎士の弟子じゃないか。ツェーリンゲン家の。事件を起こしたって聞いていたけれど」
「事件ねえ。ちょっと喧嘩を売る相手を間違えただけさ」
同じ黒騎士を目指す相手だ。
ハンスとしては、負けられないよなあ。
ベール競技場に移動して、各地で行われている予選一回戦の結果を見る。
ハーフェズやエリオット卿は当然勝っているな。
レオンさんも勝ったか。
「あっ、風の侯姫が出ているじゃない。ランゲンブルク侯爵のご息女」
ああ、聞いたことがあるな。
白銀級冒険者だっけ。
レオンさんと人面鳥退治したって言う。
名前はルイーゼ・フォン・ホーエンローエか。
ホーエンローエ家は結構帝国でも名家だと思ったが、冒険者をやっている人もいるんだな。
「ホーエンローエ家は、パユヴァール人の名家だね。本家はパユヴァール公だ。ルイーゼ・フォン・ホーエンローエ嬢は分家のランゲンブルク侯の家系だが、学院に入学して、高等科に進学するときに家を捨てたのさ」
エリオット卿と同じか。
分家の令嬢くらいなら、まだ帝国に激震走るとまではいかなかっただろうけれど。
「お久しぶりですね、ハンス・ギルベルト。随分と大きくなって」
ハンスと話していたら、不意に後ろから声を掛けられた。




