第八章 ベールに忍び寄る影 -1-
時の鐘で午後の二点鐘に待ち合わせだと言ったのだ。
色々買い物があるから、男性陣と女性陣が別れたのは失敗だった。
すでに三十分は過ぎているのに、まだ彼女たちは現れない。
「なー、アラナン、もう先行こうぜー」
待ちくたびれたカレルが、時計塔の前に座り込んでいる。
お上りさん感満載だ。
ベールの市民はフラテルニアより上品だが、苦笑を抑えているのが丸わかりである。
「今日はベール競技場の下見だけだろう。先に行っていれば、追い付いてくるんじゃないかな」
甘い。
甘いぞハンス。
何故待ってなかったのかと、逆に問い詰められる未来しか見えない。
「そんな、悪いですよ二人とも。女性に待たされるくらいで文句を言うなど、騎士にあるまじき振る舞いです」
おお、アルフレートはいい子だな。
ハンスも騎士にあるまじきと言われて顔を赤らめているし、後はこの座り込んだ男だけか。
「おれは騎士じゃないからなー。ハンスやアルみたいにはいかないぜっ」
「あっ」
カレルが力んで叫んだとき、ちょうど女性陣が到着した。
ジリオーラ先輩が、持っていた冊子を丸めてぽかんとカレルを叩く。
「自分、なに街中で恥ずかしいことしてんねん! 奥歯に手え突っ込んでがたがた言わしたろか!」
「すみません、もうしません!」
光速でカレルが降参する。
非常に弱い。
だから言ったんだよ、カレル。
黙って待っておけばいいのさ。
「じゃあ、二人は放っておいて、ベール競技場に行きましょう、アラナン」
あれ、何かマリーがやけに機嫌がいいな。
うん、これは危険なサインだ。
ぼくが此処で何か間違えると、この上機嫌は一瞬で消える。
──これだ!
「マ、マリー、可愛い耳飾りだね。買ってきたんだ」
「そうなの。いいでしょ! この碧い輝きがいいのよね」
どうやら、ぼくは生き延びたようだ。
マリーの機嫌は目に見えてよくなる。
こんなことで簡単にとも思うが、女の子ってのはこういうものなのかなあ。
「ちょお、待ちいや。抜け駆けはあかんで、マルグリット・クレール!」
「あら、お似合いでしたわよ、カレルとの掛け合い。いい相方になれるんじゃありませんか、先輩」
そして、ぼくを挟んでマリーとジリオーラ先輩が凄絶なにらみ合いを始める。
いや、流石のハンスとアルフレートも痺れを切らせているから、もう行こうよ。
「行くよ、イリヤ、アンヴァル」
「競技場には、屋台出ているですかねえ」
「アンヴァル、お前のせいで主様を待たしんしたのに、まだ食いなんすか」
──こっちも問題が多かった。
ふう、やれやれだよ。
アーレ川を渡ってベール競技場に向かう。
基本的には、アーレ川の西がベールの市街だ。
城壁も、川に沿って建てられている。
だから、競技場は郊外にあるわけだ。
とはいえ、仮にもヘルヴェティアの政治の中心地である。
治安が悪いわけではない。
「いい匂いがするですねー」
魔法武闘祭の人出を当て込んで、ベール競技場の前は、凄い数の屋台が出ている。
観光客もぎっしりだ。
見るだけで疲れるな、この数!
「後でな、後で。とりあえず、登録してこないといけない」
ぼくは学院推薦枠だから予選免除だが、到着したことは伝えないとね。
「ほら、見るですよ。熊さんがいるですよ!」
アンヴァルが指した方向を見ると、大きな熊の着ぐるみが紙風船を子供に配っていた。
あんなでかい熊が、小さな子供に紙風船を上げているのを見ていると、何か心が和むな。
そして、結局他のみんなには屋台を回らせて、ぼくは一人で登録に行くことにした。
え、何でかって?
匂いに我慢しきれなくなった駄馬がいたからだよ!
受付に行って、旅券を提出して無事に登録を完了する。
フェストの予選には各国の腕自慢も来るから、結構盛り上がるのだ。
そして、当然予選免除のシード選手もいる。
ギルドの三人の黄金級冒険者は当然として、クリングヴァル先生とストリンドベリ先生だ。
更に、帝国推薦枠で今年は黒騎士が、教会推薦枠で聖騎士が来る。
そして、学院推薦枠でぼくだね。
八人のシード選手と、十六人の予選通過者の、計二十四名で優勝を争うのだ。
といっても、飛竜に勝てる人はいないと思うけれどね。
シードだから二回戦からだし、相手は予選組になるから、ちょっと気が楽だな。
初戦飛竜とかなったら、もう終わりだよってなるからね。
予選組で知っている人はいるのかな。
へえ、白銀級冒険者が結構出ているな。
あれ、レオンさんの名前もある。
帰ってきてたんだ。
おい、ユルゲン・コンラートも出ているのか!
ちゃっかり冒険者になっているみたいじゃないか。
まだ青銅級だけれど。
──あれ、ハーフェズとエリオット卿の名前があるぞ。
選抜戦に落ちた人が予選から出るってありなんだ。
あの二人が予選に出たら、無双じゃないのか?
同じブロックの参加者に同情するよ。
一通り見終わって、受付から戻ろうとする。
と、廊下の先に異様な気配を感じる。
暗がりに立っていたのは、大きな灰色の物体だ。
何だ?
あれはさっきの紙風船を配っていた熊じゃないか。
「久しぶりだな、アラナン・ドゥリスコル。そう警戒するな」
聞き覚えのある声だった。
おい、お前、アールバート・イグナーツじゃないか?
「何してんの、イグナーツ。芸人に転職したの?」
「ご挨拶だな、アラナン。お前に忠告しに来てやったのに」
マジャガル人の竜騎兵が、熊になっていた。
いや、ちょっと待ってほしい。
あの、イグナーツだよ?
黒衣をばさっとか翻して格好つけていたイグナーツが、よりにもよって可愛い熊の着ぐるみを着ているなんて!
わ、悪いけれど笑っちゃうよね。
「おい、大事な話なんだよ。……帰るぞ、お前」
「ご、ごめん。あんまり意外だったものだからさ。いや、いいんじゃないかな。それも似合っているよ。──で、何の話だっけ」
「燃やすぞ、てめえ……。いや、いい。それより、問題だ。この魔法武闘祭、狙われているぞ」
狙われているって、穏やかじゃないな。
でも、これだけ錚々たる面子が集まっているフェストに手を出すとか、よっぽどおかしくないとやらないと思うけれど。
「だから、おかしいやつらなんだよ。聖典教団だ。イフターハ・アティードが、ちょっかい出してきているんだよ」
自分の血の気が引いていくのがわかった。
イフターハ・アティードだって?
黄金級冒険者でも手強いと感じるような相手じゃないか。
暫く大人しくしていたと思ったら、ついに来たのか。
こりゃ、思ったより大事だぞ。




