表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルーの翼 ~アラナン戦記~  作者: 島津恭介
第一部 フラテルニア魔法学院編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

75/399

第六章 ツェーリンゲンの狂牛 -10-

 勝ち誇った表情で、ユルゲン・コンラートが歩を進める。

 ぼくが剣を失ったことで、もう勝ったつもりなのか。

 増幅強化アンプリフィケイションでぼくの肉体が強化されていることにも、まるで気付いていない。


「死にやがれ、このちびっ子(ツヴェルク)が!」


 ユルゲンが大剣を振り下ろす。

 いや、振り下ろそうとした。

 彼が振り下ろすより速く、ぼくは一歩前に出る。

 そして、左手の肘を止めて押さえたのだ。


膂力(マハト)が自慢のようじゃないか、ユルゲン」


 顔を赤くして腕を動かそうとするが、増幅強化アンプリフィケイションによって底上げされたぼくの筋力がそれを許さない。


「どうした、それで精一杯か。ツェーリンゲンの狂牛ツェーリンゲンス・リンダーヴァーンなんて大層な異名が泣くぞ。仔猫(ケッツヒェン)に改名した方がいいんじゃないか?」

「ふ、ふざけるなあ!」


 憤怒で泡を噴きながら、ユルゲンは大木のような足で前蹴りを放ってくる。

 ぼくは更に一歩踏み込むと、軸足を払いながらユルゲンの胸を押した。


 地響きを立てながら、ユルゲン・コンラートが仰向けに倒れた。

 流石の筋力自慢も、鎧を着ているこの状況ですぐには起き上がれない。

 好機とばかりに攻め込もうとしたぼくは、しかしそこで足が止まった。


「なにっ」


 ぼくの意志で止めたのではない。

 大地が急に泥沼と化し、ぼくの足を絡め取ったのだ。

 泥濘化(クアッグマイアー)だと!

 ユルゲンの仕業ではない。

 明らかな部外者の干渉、しかも禁じられた妨害魔法(オブストラクション)じゃないか!


「やってくれるね……!」


 何とか泥濘化(クアッグマイアー)から脱出したときには、ユルゲンは起き上がっていた。


「殺す!」


 ユルゲンの目は血走っており、完全に血が昇っている。

 いやいや、怒りたいのはこっちだぜ、ユルゲン・コンラート!


「汚い手を使ってくれるじゃないか。これが、ヴィッテンベルクの帝国騎士(ライヒスリッター)の戦い方かよ! お前の師匠の黒騎士(シュヴァルツリッター)ってのは、こんな戦い方を教えたのか!」

帝国騎士(ライヒスリッター)に敗北の二字は許されんのだ。負わされた恥辱は、血をもって購う他にないのだよ、ふはは!」


 ちっ、このでかぶつ(イノーマス)が!

 思わず悪態が口を突いて出そうになる。

 いけない。

 かっかしているようだな。

 冷静にならないと、いい判断はできない。

 何か心を鎮めるものはないか!


 そのとき、ふと観客席のアンヴァルが目に入る。

 そして唐突に、さっきの控室でのあいつの莫迦な科白を思い出した。

 ああ、気が抜けるぜ、ほんと。

 でも、助かった。

 お陰で、頭に昇った血は下がったようだ。


「来いよ、ユルゲン・コンラート。次の一撃で決めてやる」


 前に出した左手で、ちょいちょいとユルゲンを挑発する。

 すでに頭が沸騰している狂牛(マッドカウ)は、簡単に挑発に乗った。


「地獄に落ちるのは、お前の方だあ、アラナン・ドゥリスコル!」


 鼻を鳴らしながら、土煙を巻き上げユルゲンが走ってくる。

 だが、その動きはもう見切っている。

 振りかぶった動作も、強化された視覚が全て捉えている。


 そして同時に、再びぼくの足許に泥濘化(クアッグマイアー)妨害魔法(オブストラクション)が飛んでくる。

 同じ呪文かよ、芸のないやつめ。

 二度そんな手が通用すると思うな!


 すでに、ぼくの足許には、魔力隠蔽(コンシールメント)した魔法の糸(マジックストリング)が、網のように張ってある。

 ぼくは、それを足場に泥沼をものともせず、振り下ろされる斬撃の内側へと入り込んだ。


「な……に!」


 幾ら強化しているからって、素手で鉄の鎧を殴る莫迦はいない。

 鎧越しに打撃を徹せるほどの境地にも達していない。

 ならば、狙いはひとつ。無防備な顎だ。


 一瞬体を沈め、地面から真っ直ぐ突き上げるように伸び上がる。

 掌の骨で目の前に曝け出されたユルゲンの顎を撃ち抜く。

 増幅された筋力で狂牛マッドカウの顎を跳ね上げ、その反動が頸椎(けいつい)を揺らした。


 ユルゲンの体が浮き上がり、そして力を失って崩れ落ちた。

 顎の骨が砕け、頸椎(けいつい)にも損傷を負っているだろう。

 見るまでもなく、戦闘の続行は不可能だ。

 戦闘終了の判断を求めに、ブライスガウ伯の方に向き直る。

 だが、ユルゲンの負けを認められないのだろう。

 普段は固く結ばれたルドルフ・フォン・ツェーリンゲンの口が、大きく開いて閉じられる気配がなかった。


「医者を呼べ、フロリアン。見ての通り、アラナンの勝ちだ。これ以上の戦いは無用。以後、アラナン・ドゥリスコルへの手出しは許さ……」

「まま、待ってくれ!」


 飛竜(リントブルム)がぼくの勝ちを宣言しようとしたとき、呆けていたブライスガウ伯が慌ててそれを止めに入った。


「ユルゲンはまだ戦闘不能じゃない。まだやれる! すぐに立つから……」

「すぐに立つって……完全に失神(オーンマハト)してるぜ」


 クリングヴァル先生がやってきた。

 ユルゲンの傍らに膝を突き、容態を見る。

 そして、改めて叫んだ。


「顎が砕けて呼吸も危険だ! 早く医者を呼べ、フロリアン・メルダース! ユルゲン・コンラートを死なせたいのか?」


 メルダース市長が、狼狽えたようにユルゲンの父親を見た。

 ルドルフ・フォン・ツェーリンゲンは、暫く歯を噛み締めて呻いていた。

 二度、三度とユルゲンからぼく、そして飛竜(リントブルム)へと視線を移す。

 此処で騒ぎを起こしても、アセナ・イリグがいる限り無駄なことだ。

 ブライスガウ伯の脳裏をかすめたのも、そんな計算だろう。


「全く、板金鎧(ブレヒルストゥング)くらい素手で割り砕け。師匠(マイスター)なら、手を触れた瞬間鎧ごと相手を倒しているぞ。相手が格上なら、狙いにくい顎なんてまず当たらないと思えよ」


 ルドルフ・フォン・ツェーリンゲンが逡巡している間に、ぼくの隣で物騒なことを囁く人がいる。

 思うんですが、比べる対象が間違ってやしませんかね?


「鋭意努力します」


 基準はともかく、初めてユルゲンと会ったときのぼくだったら、魔術(エレメンタル)なしでは勝ち目はなかっただろう。

 初等科の単純な身体強化(ブースト)を覚えただけだったら、五分五分かな。

 あ、でも泥濘化(クアッグマイアー)食らったら負けてるね。

 それを考えれば、シピやクリングヴァル先生には感謝だね。


「帰る! わしはフライスベルに帰るぞ!」


 唐突にブライスガウ伯が叫び出した。

 みんなきょとんとした顔をしている。

 何だ?

 この状況を放棄して、逃げるつもりか?

 息子も見捨てることになるんだぞ。


「あー、伯爵閣下オイア・エクスツェレンツ、ご子息は如何されるのでございましょうか」


 フロリアン・メルダースの声が、会場に虚ろに響く。

 だが、ブライスガウ伯は留まろうとはしなかった。


「知らん!」


 伯爵は興奮して喚いた。


「そんな負け犬(フェアリーラ)は知らん! 好きにしろ!」


 靴音も高く、ルドルフ・フォン・ツェーリンゲンは立ち去っていった。

 随従たちが、慌てて後を追っていく。

 あの中に、ぼくに泥濘化(クアッグマイアー)を掛けたやつがいるはずだ。

 だが、今更それを言っても仕方ないかな。


「では、勝利者(ズィーガー)はアラナン・ドゥリスコル君ということで。問題が解決してよろしゅうございましたな。警備兵! ユルゲン殿を運び出すのです。一応、治療は施しておきなさい」


 何事もなかったかのように、メルダース市長が指示を始める。

 え、あの伯爵は放置していいのか?

 事務作業をこなすかのようにユルゲンを運び出させ、医者の手配をしている。

 激昂して去った伯爵よりも、このベールの市長の沈着ぶりが何か恐ろしいな。


「ま、気にするな。お前はよくやったよ」


 ぽんと、クリングヴァル先生がぼくの肩を叩き、片目を瞑った。


「だが、魔法の糸(マギシャーファーデン)魔力隠蔽フェアハイムリヒュンクはひどかったな。あれじゃ丸見えだぞ」


 うん。全部お見通しだね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ