第六章 ツェーリンゲンの狂牛 -9-
差し込んできた陽光に、思わず目を細める。
控室から長い廊下を通って、試合場に出た。
すでに、ユルゲン・コンラートは準備万端で待っている。
両手持ちの幅広の大剣を肩に担ぎ、身には板金鎧を着込んでいた。
高そうな武装だね。
ぼくとは比べ物にならないや。
こっちの武器は刃の欠けた剣だし、魔灰色熊の防具なんてあの大剣の質量の前には紙同然だ。
ユルゲンは、ぼくの装備を見てげらげら笑っている。
不愉快なやつだな。
「アラナン・ドゥリスコル。こう見えて、おれは帝国最強の騎士に武技を教わっているんだ。かの黒騎士にだぞ。そのおれと戦うのに、その情けない武器は何だ。恥ずかしいやつめ」
「ふーん。でも、ぼくに負けたじゃないか」
「ふざけるな! あんないんちきで、負けたと言えるか!」
おお、激昂していらっしゃる。
でもさ、馬を転ばせただけだって、勝ちは勝ちじゃんねえ。
防げなかった方が悪いと思いますよ!
試合の前に、飛竜から前置きがあった。
冒険者ギルドの構成員であるアラナン・ドゥリスコルへの試合の申し込みに対し、ギルドは当人に試合参加のクエストを発した。
試合において、相手に対する直接攻撃、妨害する呪文を禁止する。
試合の決着は、死亡か戦闘不能か本人の試合放棄によってのみ決まる。
決着が付いた場合、如何なる結果であろうと双方それを受け入れること。
受け入れぬ方の都市からは、冒険者ギルドの支部を撤退する。
おおう、アセナ・イリグ老人、なかなか思いきったことを仰る。
冒険者ギルドは、蔓延る魔物から街道を護り、通商を保障する大切な組織だ。
これに撤退されては、領地の経済が回らなくなる。
ユルゲンの親父さんが青い顔をしているのは、その重要性がわかっているからだ。
残念ながら息子の方はわかってないのか、きょとんとしているがな。
おい、何でこんなのにバードゼックを任せているんだ?
飛竜の話が終わり、いよいよ試合が始まる。
ぼくとユルゲンは十歩ほど離れて対峙し、開始の合図を待つ。
やつは、完全にぼくを殺す気だろう。
だが、銀背猿と対決したときの方が、もっと迫力があった。
憎悪の視線なんかで、ぼくは殺せない。
唐突にユルゲンの体に魔力が満ちる。
身体強化を発動したか。魔力感知で視れば、術の習熟の度合いは初等科のみんなと同程度かな。
ぼくの目でも丸見えということは、魔力隠蔽など意識したこともないだろう。
ぼくもクリングヴァル先生から見ると、あんな感じで視えるんだろうな。
ちょっと恥ずかしいや。
「始め!」
飛竜の声が響き渡る。
同時にユルゲンが大剣を振りかざし、猛撃を加えんと接近してくる。
ああ、魔法の糸でも使えれば楽なんだが。
ユルゲンの振り下ろしを横にかわす。
思った通り、威力はかなりのものだ。
斬撃を受けた大地が抉れ、土が飛び散っている。
生身で直撃を食らえば、骨がぐしゃぐしゃに砕けるのは間違いない。
振り下ろしの隙を狙って飛び込もうとしたが、魔力の流れを見て逆に飛びすさる。
その飛び退いた後を、唸りを上げて刃が斬り上げられた。
うん、思ったより速度もある。
足捌きはともかく、身体強化で強化した腕力にものを言わせて振り回してくるな。
そういや、初めにぼくの足捌きを見たとき、クリングヴァル先生は微妙な表情をしていたっけ。
恐らく、ぼくもまだ先生から見るとユルゲンと似たようなレベルなんだ。
「逃げ足だけは早いな、ええ!」
得意気にユルゲンが連続攻撃を放つ。
だが、鎧の重さのせいか、足が付いてきていない。
腕力で振り回しているだけだ。
板金鎧なんて、馬上で着る鎧だからな。
あれを着て普通に動けているだけで、ユルゲンの身体強化がそれなりのものだと評価できるが、当然高機動とはいかないよね。
だが、金属の鎧で守られている以上、半端な攻撃では通用しない。
えーと、妨害魔法は駄目だが、付与魔法はいいのかな。
何か制限がよくわからないな。
「ほらほら、どうした! 手も足も出ねえか、ええ!」
勢いに乗ってユルゲンが前進してくる。
黒騎士に師事したとほざくだけあって、剣の技倆もそれなりにあるな。
斬り下げと斬り上げの連続技に遅滞がなく、隙も見えない。
初等科で言えば、ハンスよりも強いかもしれないぞ。
「まあ、こんなところか」
様子見はもういいかな。
こいつの力は大体わかった。
剣の速度はそれなりだが、この運足では朝まで振ってもぼくを捕まえられまい。
「口だけは威勢がいいな!」
叫びながら振り下ろしてきたユルゲンの大剣を、左螺旋で外側に弾く。
クリングヴァル先生の見真似だが、これはぼくも得意技だ。
その瞬間、圧縮していた魔力を一気に解放した。
今までも、再循環で身体強化は維持していた。
だが、魔力圧縮を使わない普通の身体強化である。
ぼくの魔力隠蔽の技術は高くはないが、魔力感知の意識も持たない相手に見破られるほどではない。
ずっと体内で魔力圧縮をしていたことも、気が付いてはいないだろう。
増幅強化で加速したぼくの踏み込みは、容易くユルゲンの斬撃の懐に入り込んだ。
火焰刃を使うと煩そうなので、普通に魔力付与だけで剣を強化する。
この程度でも、鎧の上から痛打を与えられるはずだ。
だが、ぼくの斬撃がユルゲンの胴を薙いだとき、鈍い音を立てて剣の刃が折れ飛んだ。
え、どういうことだ?
魔力で強化した刃が、ただの鉄の鎧とぶつかって折られるはずがない。
とりあえず、そのまま前方に走り抜ける。
すれ違い様に見えたやつの口の端は、確かに吊り上がっていた。
それを見たとき、ぼくは評議会で剣を警備兵に預けていたことを思い出す。
そうか。ここまでやるか。
いや、事前に剣を点検する時間はあった。
それを怠った自分が悪い。
真剣勝負で甘えたことを言えないのは百も承知だ。
それでも、ベールの連中に嵌められるのは腹が立つな。
一応、立場上は味方じゃないのか、くそっ。
「そんな刃の欠けたなまくらで勝負するから悪いんだぜ、ちびっ子よお」
ユルゲンの挑発にかっと頭に血が上りかけるが、飛竜もクリングヴァル先生も騒いでいないことに気付く。
そうだ。先生たちが、この刃の状態に気付かぬはずがない。
これも含んだ上で、圧倒してみせろということなんだ。
「ふん……やってやろうじゃないか」
ぼくは折れた剣を投げ捨てると、素手で左半身の構えを取った。
これでも、飛竜の系譜に連なる者だ。武器がなくとも何とかしてやるさ!




