第六章 ツェーリンゲンの狂牛 -7-
眼下の議場では、おどおどしたオルテのズーター市長が立ち上がり、ツェーリンゲン家との揉め事は避けるべきだと主張していた。
学院に入学する前の人間はヘルヴェティアの国民ではなく、その時点で起きた紛争はヘルヴェティアと関係がないと述べたのである。
それに対し、シュピリ市長が猛然と反論に撃って出た。
ユルゲン・コンラート・フォン・ツェーリンゲンは国境を侵犯しており、ヘルヴェティアでの警察権を有していない。
それが、ヘルヴェティアを旅する一般市民に武装して襲い掛かるとは山賊行為も同然であり、自衛するのは当然だ。
しかも、彼らは現在フラテルニアの市民である。
これを保護せずして、何が自由の国か。
我々は、アレマン貴族の軛から脱するために戦い、勝利した。
今更、ツェーリンゲン家に右顧左眄する必要などない、と滔々と語ったのである。
うん、いいこと言うね。
流石はシュピリ市長だ。
あんな細っこいのに、肝っ玉は太いんだな。
だが、当然ツェーリンゲン家は、これが気に入らなかったらしい。
傍聴席の上から、汚い野次を飛ばし始める。
自国じゃないのに、いい度胸だな、あいつら。
それとも、ベールの市長と繋がっているから、安心しているのか?
次に立ち上がったのは、クウェラの太っちょ大司教、グレゴーリオ・キエーザだ。
立ち上がるのも苦しそうで、少しは運動したらいいのにと思う。
大して暑くもないのに汗を拭きながら、太っちょが唾を飛ばして喋った。
「そやつは異国の邪教徒だと言うではないか。火炙りで問題なかろう。騎士と娘はアルマニャック王国に帰せばよい。さすれば、問題は回避できる」
何さらっと人を邪教徒扱いしてんの、この太っちょ!
まあ、確かに異教徒ではありますがね。
ルウム教会に邪悪呼ばわりされる謂われはないんですよ!
「グレゴーリオ」
巌のような堅い声が議場に響き渡った。
「冒険者ギルドの人間を、理不尽な裁きには合わさんぞ」
飛竜の眼光を浴びたキエーザ大司教は、忽ち震え上がった。
腰砕けになって座り込むと、神の御名をひたすら呟いている。
ほっ、よかった。
そういえば、ぼくは冒険者ギルドの一員だったな。
あの飛竜が敵にいないだけでも、ほっとするよ。
「しかし、野次がうるさいねえ。フロリアン、静粛にできない聴衆は外に出てもらうべきじゃないの? 警備隊に命じたらどうかな」
柔らかい言い方だが、マティス護民官は結構怒っていた。
ベールの市長に、ツェーリンゲン家の連中の排除を促している。
「申し訳ないが、リヒャルト殿。ブライスガウ伯には、ヘルヴェティアの公正さを御覧になって頂かないといけません。それには、評議会に臨席頂かないと」
うーん。このフロリアン・メルダースという男、ぼくの印象だと蛇だな。
爬虫類のような、気持ち悪い眼光だ。
少なくても、ズーター市長やキエーザ大司教よりは、警戒しなきゃいけない人物だなあ。
「それに、どうやら今日はその当事者がいらっしゃったようですね。アラナン・ドゥリスコル君。ベルナルド殿が連れていらっしゃったのですか?」
「そうです。──ティアナンの指示で」
シュピリ市長の声は、若干苦々しい。
ぼくが来るのは不本意だったせいだろうか。
「当事者が揃っているなら、話は早い。いえ、実は被害者の方がこう主張されていましてね。アラナン・ドゥリスコルは、怪しげな妖術を使って自分を罠に掛けた。正々堂々、剣を取っての戦いで決着をつけたい、とですね」
うん、まあ確かに魔術は使ったね。
だからどうしたって話だけれど。
え、何、要するに剣だけで自分と戦えと言いたいの?
ああ、ぼくはあのとき魔術しか使わなかったっけ。
単なる魔術師と思っているのかな?
「ドゥ、神前決闘だ。正しき者には神の加護がある。偽りを申す者は敗れ、命を落とすであろう!」
いきなりキエーザ大司教が叫び出す。
怖いな。
あれ大丈夫なのか?
あんなのが評議員じゃ、ヘルヴェティアの将来が心配になるよ。
「じゃ、邪教の妖術は使用禁止にし、せ、正々堂々剣での勝負というわけですな」
ズーカー市長も頻りに頷き、フロリアン・メルダースの意見を首肯する。
腰巾着らしい態度だな。
「論理的ではありません。ヘルヴェティアの法律に、神前決闘などという条項は存在しませんぞ!」
毅然として、シュピリ市長が反論する。
凄いな。
あの細い背中が、頼もしく見えるよ。
「まあまあ、ベルナルド殿。まず、落ち着いて下さい。そこに本人がいるのですから、本人に聞いてみるのはどうですか」
何を考えているのか、メルダース市長が舌なめずりをするかのような表情でこっちを見る。
うん、気持ち悪いな。
何か鳥肌が立ったよ。
「ユルゲン・コンラート・フォン・ツェーリンゲン殿。貴卿は神前決闘を望みますか?」
「おう、おれは望むぜ! おかしな妖術で兵士を殺したばかりか、騎士に辱しめまで与えやがって、こいつだけは許せねえ! おれの手でぎたぎたにしてやるぜ!」
傍聴席の反対側で、ユルゲン・コンラートが拳を振り上げて騒ぐ。
やる気十分だな。
ぼくを殺す気満々のようだ。
「ありゃあ、父親から相当強く言われているんだ。騎士が率いた武装兵一個分隊が、たった三人に敗北したんだぞ。何かの間違いにしないと、面目が丸潰れだ」
耳許でクリングヴァル先生が囁く。
うん、そんな感じだなあ。
あの憎悪が滾った瞳を見ると、理性が残っているようには見えないな。
「ユルゲン殿は勇敢にも神前決闘を受けると仰せです! では、アラナン・ドゥリスコル君。異国から来た戦士である君はどうですかな!」
メルダース市長が大きく手を広げて叫ぶ。
何だろう。
役者にでもなったつもりか。
ん、こっちを凝視している。
ああ、ぼくが答えるのか。
んー、特にぼくにはやらなきゃいけない理由がないんだけれど。
「え、ヘルヴェティアの法の規定にないんですよね? じゃあ、特にやる理由もないです」
ぼくが断ると、メルダース市長はちょっと鼻白んだ。
あんな安っぽい煽りでぼくが乗ると思っていたのであろうか。
「これは残念な。アルビオン王国の戦士は戦いに背を向ける臆病者ですか。学院に留学してくる方は、みな国の名を背負った優秀な戦士だと聞いておりましたものを」
「フロリアン、言い過ぎではないですか? アラナン君はフラテルニアの市民であり、学院の生徒であり、冒険者ギルドの一員でもあります。国内の法を犯したならともかく、それ以外で彼を裁くことはできませんよ」
挑発するメルダース市長に、シュピリ市長が食って掛かる。
だが、フロリアン・メルダースは悪びれずに両掌を上に上げ、肩をすくめた。
「甘いことをおっしゃいますな。少なくとも、バードゼックの兵に死者が出ているのは確かなのですぞ。これは国際問題なのです。ヘルヴェティアの法規の問題ではないのですよ。大体、事件があったときは、彼はまだヘルヴェティアの国民ではなかったではないですか」
ふてぶてしい笑みを浮かべ、メルダース市長は首を振った。
その瞳を、真っ正面からシュピリ市長が睨み付ける。
「いいじゃねえか。やってやれよ、アラナン。あの程度なら、軽く蹴散らせるだろ。それで決着で万々歳じゃねえか」
そこに、傍聴席から爆弾が投下された。




