第六章 ツェーリンゲンの狂牛 -5-
「いいか、学院が初等科の基礎魔法の講義では決して教えない要素がふたつある。再循環と、魔力圧縮だ」
翌朝、まだ暗いうちに起こされ、宿の庭に出た。
眠い目をしばたかせながらクリングヴァル先生の講義を拝聴する。
しかし、何でこんな時間なんだ。
「幸い、お前は再循環は既に修得している。後は、魔力圧縮の本当の使い方を学ぶだけだ」
本当の使い方?
そんなものがあるのか。
ちょっと興味を惹かれて、真面目に聞くことにする。
「いいか、人間の魔力ってのは、そんなに膨大なもんじゃない。高い威力を出すために大きな魔力を注ぎ込んでいたら、すぐに魔力が尽きてしまう。だが、魔力圧縮を使うことで、大きな魔力を使わずに高い効果を得ることができる。身体強化も同じだ」
そう言うと、クリングヴァル先生はぼくに背中を向けた。
「お前の魔力感知じゃ、まだ視るのは難しい。おれの背中に手を当てて、魔力の流れを感じてみろ」
言われるままに、クリングヴァル先生の背中に手を当ててみる。
うわ、小さいのに凄い筋肉だな。
でも、硬い筋肉じゃない。
しなやかな猛獣のような筋肉だ。
「いいか、いまは身体強化を切っている。魔力隠蔽を掛けずに身体強化を使うから、よく感じとれよ」
宣言とともに、いきなりクリングヴァル先生の魔力が膨れ上がった。
同時に、今まで感じたことのない圧力を受け、思わず一歩下がる。
何だこれ、こんな圧倒的な身体強化は初めてだ。
「どうだ、わかったか?」
「魔力に当てられて……よくわかりませんでしたが……腹で魔力が爆発したかのように膨れ上がりました」
「そうだ。それが、魔力圧縮を利用した増幅強化だ。圧縮からの解放による魔力の増幅を利用し、身体強化を行う。そして、それを再循環によって維持する。これが、本当の基礎魔法だ」
おお、凄いな。
そういうことか。
それなら、ハーフェズみたいな化け物じゃなくても、常時高い効果の身体強化を纏っておける。
「今まで何人もおれに師事したいと言ってきたやつがいたが、誰もこの魔力圧縮ができなくてな。これができなきゃ、おれの講義は始まらない。とりあえずお前は、陽が昇るまでこの増幅強化の練習な」
そう言って、クリングヴァル先生は隣で自分の鍛練を始める。
また時の鐘で見た槍の構えだ。
「クリングヴァル先生は飛竜の弟子だという話ですが、飛竜も槍を使われるのですか?」
「ああ? あの超人が槍なんて使うはずがない。素手で一撃。それで終わりだからな」
すると、槍術はクリングヴァル先生の工夫ということか。
しかし、飽きずに基本の三型を繰り返すものだ。
継続は力と言うが、クリングヴァル先生の槍にも膨大な積み重ねを感じる。
「慌てるな。槍もそのうち教えてやる。だが、まずは増幅強化を修得しろ」
そうですね。
よし、ぼくもやってみるか。
えーと、まずは腹部に魔力を集め、凝縮する、と。
次にそれを解放し、その勢いを持って……あ、勢いよすぎて体内から出ていったぞ。
「魔力制御が甘い。初等科の技法がきちんと身に付いてない証拠だ」
早速厳しいご指摘が飛んでくる。
ええ、その通りです。
まさかこんな魔力の流れが速いなんて。
予想してなかったです。
仕方ないから、もう少し圧縮を弱めてやってみる。
お、今度は巧く循環させることができた。
しかし、圧縮を弱めると、強化も大したことないな。
「まあ、基本はそれでいい。わかったと思うが、魔力圧縮を強めれば、増幅強化はより強化される。だが、魔力制御の技術がないと、さっきのようなことになる。繰り返し鍛練することだな」
簡単な原理だけれど、実際にやるのは難しいや。
これを平気な顔でこなすクリングヴァル先生は、本物の達人だな。
高等科の先生より強いんじゃないか?
夜が明けるまで繰り返し練習し、夜明けともに講義は終わった。
ふう、結構魔力を使うものだな。
「……で、一人で朝食かい、アンヴァル」
「ま、待つのです! アンヴァルは起こしに行ったのです! いなかったのはアラナンの方なのです!」
ぼくが朝から講義を受けている間に、アンヴァルはのんびりとハムとチーズを挟んだパンを頬張っていた。
まあ、講義にアンヴァルは関係ないから好きにしていて構わないんだが、何となく釈然としないものがあるよね。
「ああ、それはアンヴァルのソーセージ! お楽しみで残しておいたのに!」
「……嘘を付くな。何皿積み上げているんだよ」
昨日気付いたことだが、この娘は滅茶苦茶食う。
元が馬だから胃袋が大きいのか、平気で五、六人前くらいは平らげているのだ。
ソーセージの一個くらいは大した問題ではない。
「いいですか、アラナン・ドゥリスコル。人には踏み越えてはいけない境界線があるんですよ。あんたはいま、それを越えてきやがりました。そうなったらもう、戦争ですよ。アンヴァルの力を見せてやるですよ!」
そう宣言すると、アンヴァルはぼくの皿からソーセージをかっさらっていった。
発言の割りにせこい攻撃だ。
「すみませーん、ソーセージもうひとつ」
ぼくは落ち着いて問題に対処した。
なに、最終的にぼくの腹に入ればいいのだ。
どのソーセージだろうと変わりはない。
「おい、アラナン。尻尾の食費は、お前が払うことになってるんだぞ。破産する前に、そいつの口を閉じた方がいいんじゃないか?」
にやにや笑いながら、クリングヴァル先生が指摘する。
はっとして隣を見ると、アンヴァルは顔を隠して横を向いていた。
「──いや、全然隠れてないから」
「そこは隠れていることにするのが男の優しさですよ! もっと心を広く持たないと!」
「昨日から幾ら食べていたっけ……。げ、金貨二枚超えているじゃないか」
楢の木の棒は折れ、ぼくの武器は刃の欠けた鉄の剣である。物入りになるというのに、こんな金食い虫がいたのではたまらない。
「待って! アンヴァルは眷属だから! アラナンはご飯を食べさせる義務があるのです!」
「でも戦争中だしなあ」
「もう戦いは終結したんです! 戦士たちもご飯を食べるときですよ!」
まあ、いいか。
うるさい眷属だけれど、賑やかなのは悪くない。
少々出費が嵩むくらいは、ぼくが稼いで何とかするか。
「ははは! 冗談に決まっているだろ。此処の払いなんか、市長が持ってくれるさ。後で、学院に請求が行くに決まっているだろ」
ぼくとアンヴァルの掛け合いを見ていたクリングヴァル先生が、腹を抱えて笑っていた。
え、本当?
じゃあ、今のやり取りは何だったの?
呆気に取られていたぼくは、冷静さを取り戻すのに数瞬を要した。
そして、それから横を向くと、アンヴァルと視線を合わせ、頷いた。
よし、開戦だ!
あのソーセージはぼくが奪ってやる!




