第一章 黒猫を連れた少女 -7-
マリーとジャンと別れ、徒歩でジク通りを歩き始める。
左手にはトゥリーク湖から発したリマト川の流れが望める。
水運があるせいか、フラテルニアは商業も発展している。
聖女修道院の手前には各種のギルドが立ち並んでいると聞いた。
ぼくはアルビオンから留学費用も出ているが、小遣い稼ぎに冒険者ギルドに登録するのもいいかもしれない。
聖女修道院は、リマト川とジル川の中州にある。
修道院なのに聖堂なのは、ここがかつてはルウム教会の司教座だったからだ。
ウルリッヒ・ベルンシュタインの改革でルウム教会の司教がフラテルニアから追い出され、トゥリーク聖堂は、聖修道会の女性が清貧な生活を送る聖女修道院に変わった。
ジル川に架かるポスト橋を渡り、フラテルニアの中枢が揃う中洲、菩提樹の島に入る。
島を横切るウラニア通りで、店の横に大きな菩提樹が佇む宿を見つける。
老舗らしい佇まいに心惹かれ、中に入る。
宿の名前は、そのまま菩提樹亭だ。
「いらっしゃいませ」
まだ若い女将さんが挨拶をしてくる。
宿泊だと伝えると、銀貨四枚だと言う。
相場よりは若干高いが、まあいいだろう。
旅券を出して清算する。
旅券を見た女将さんは、ぼくがアルビオン王国から来たことにまず驚き、更に学院の生徒であることに二度驚いた。
「アルビオン王国って西の果てにある島国だって聞いたけれどねえ。学院には本当に遠いところから来るもんだねえ」
とりあえず腹が減ったので、食事ができるかを尋ねる。
ちょっと時間帯を外しているが、ここ二日ろくなものを食べていない。
何かを腹に入れておきたいところだ。
「うーん、すぐってなら、レシュティとラクレットくらいなら出せるけれどねえ」
女将さんが運んで来たのは、ジャガイモだ。
ラクレットってのは茹でたジャガイモに溶けたチーズを掛けてあるようだ。
単純な料理だが、これはチーズが絶品だ。
濃厚で甘みがあり、フルーティーな味わい。
フラテルニアより南西の方にある高原の村の特産らしい。
ヘルヴェティアのチーズは侮れないな。
もう一品のレシュティもジャガイモ料理らしい。
卸したジャガイモをベーコンとチーズと一緒に円状に揚げ、塩を振りかけたもののようだ。
素朴だがいい味を出している。
この店の朝食は、大体これだと言う話だ。
ジャガイモ料理が多いのは、ヴィッテンベルク帝国の支配が長かったからなのかな。
それにヘルヴェティア特産のチーズを巧く使っている。
二品にワインを一杯付けて銀貨一枚と銅貨三枚。
ヘルヴェティアの通貨はまだ帝国の通貨が主流だ。
まあ、ぼくは旅券からの引き落としで済ませるけれどね。
両替とか面倒だし。
腹も膨れたので、荷物を置きに部屋に上がる。
三階建ての建物の、三階の端に部屋はあった。
窓からは、リマト川の流れが一望できる。
トゥリーク湖を渡ってきた商船が、ちょうど荷降ろしをしていた。
目の前が商業ギルドである。
荷物の積み下ろしは都合がいいのだろう。
荷物を置いて、また街に繰り出す。
ぼくの荷物で本当に重要なのは、楢の木の棒と旅券くらいだ。
だから、それだけは置いて行かずに持ち歩くことにする。
あとは小銭の入った財布だけ持ってくる。
冒険者ギルドは、商業ギルドの隣にあった。
緑の屋根の小さな二階建ての建物だ。
交差された剣の上に鉄の獅子。
あれが冒険者ギルドの紋章である。
もっとも、エアル島は田舎なので、冒険者ギルドはなかった。
なので、ぼくはまだギルドに登録したことはない。
ギルドの入り口は、木製のスイングドアだ。
軽く押すと、キイと鳴って中に開く。
ちょっと高揚しながら、中に足を踏み入れた。
中に入ると、左右に待合のためか長椅子が用意されており、数人の男女が座っていた。
正面のカウンターには三人の受付の女性が座っている。左の女性以外は来訪した冒険者に対応していたので、ぼくは左の女性に話しかける。
「こんにちは。初めてなんですが、冒険者の登録はここでできますか」
すると、受付の女性はその空色の瞳をやや見開いて、完璧なアルビオン語で返してきた。
「いらっしゃいませ。アルビオン語を使われる方は珍しいですね。アルビオン王国の方かしら」
ぼくのエアル訛りの強いアルビオン語より、綺麗な発音だ。
アルビオン王国人としてはちょっと恥ずかしい。
まあ、アルマニャック語やヴィッテンベルク語よりまだマシだから仕方ないけれどね。
「ええ、アルビオン王国の今年の学院推薦者です」
「学院の方ですか。優秀なのですね! 冒険者の登録はこちらで承っております。推薦者の方なら、旅券をお持ちですよね」
「持っています」
旅券を取り出して渡すと、受付の女性はそれを認証機に掛けてぼくの前に差し出してきた。
認証機の画面には、ギルドの登録料として金貨を二枚徴収するとある。
そこそこ高い気はするが、まあ仕方ない。
許諾する方を選択し、魔力を通す。
受付嬢はそれを確認すると、笑顔で旅券を返却してきた。
「登録は完了です。これでアラナンさんはギルドの青銅級冒険者と言うことになります。ご存知とは思いますが、冒険者とは治安維持のために魔物を狩る職業です。街道の隊商や村人を襲う魔物を放置できないと、大陸の各国家と教会と商業ギルドが資金を出しあって設立したのが冒険者ギルドです」
意外なことに、冒険者ギルドはルウム教会も関与している。
ヘルヴェティアに本部があるのにね。
「魔物を狩りますと、冒険者は登録証に狩った魔物の魔力が吸収され、何の魔物を何体狩ったかがわかるようになります。アラナンさんは、旅券が登録証の代わりになります。魔物を狩った後に登録証をギルドにお持ちいただければ、その討伐に応じてギルドから報奨金が支払われます」
そこ重要だね。
「魔物の出現情報に関しては、そちらにある掲示板をご利用下さい。また、冒険者のランクに応じてギルドから依頼が入ることがあります。冒険者のランクは三段階ありまして、青銅級は一般クラス、白銀級で上級クラス、黄金級で特級クラスです。ランクの昇格は狩った魔物の量に応じて決まりますので、頑張って下さい」
説明が終わったようなので、受付嬢に礼を言って掲示板に移動する。
掲示板には、魔物の名前と目撃した場所が書かれている。
魔物の種類は小鬼やら魔狼やら血熊やら色々あるが、こう出現場所がヒュルグレンとか地名で書かれていてもピンとこないな。
宿の荷物から地図を取ってこなければ駄目かな。
「おい、新人。お前そんな棒一本で魔物と戦うつもりか?」
うんうん唸りながら掲示板を見ていると、いきなり背後から肩を掴まれる。
何だと思って振り返ると、茶色い革鎧を着た髭面の中年男が、嘲りの色を浮かべながら話し掛けてくる。
「戦うつもりですよ。この辺りの魔物くらい、これで十分狩れます」
「おいおい、ど新人がやけに強気じゃないか。先輩が心配して声を掛けてやってるんだから、大人しくはいと言ってりゃいいんだよ」
うざいのが来たな。瞬殺してやってもいいが、フラテルニアの中での犯罪行為はフラテルニアの法できちんと裁かれる。
殺人は死罪だ。
ここらへんは復讐法の範疇を出ない。
ま、とりあえず穏やかにお引き取りを願ってみるかな?
「そうですね。必要ないんで、あっちに行ってくれますか」
瞬間、 中年男の表情が激変した。