第五章 ケーファーベルクの初級迷宮 -8-
イグナーツの竜鱗の防護壁を破らなければ、このまま焼き殺されるだけだ。
いや、限界と見ればストリンドベリ先生が止めに入るだろうけれど、あの竜の火弾の弾速と火力でそれが間に合うのか不安だ。
殺されるくらいなら、魔術を使いたい。
だが、それは学院が意図したことではないのだろう。
ならば、仕方がない。
やってやろうじゃないか。
イグナーツは、三発目の装薬と弾丸を詰め込んでいる。
いまのうちに手を考えたい。
ぼくのいまできる攻撃で、あれを破れるものはあるか?
聖爆炎をぶつけても、衝撃は拡散して防がれるかもしれない。
螺旋牙ならどうだ。
あれは一点に集中するし、貫通力も高い。
魔力を込めた螺旋牙なら……。
いや、いいことを思いついた。
できるかどうかはわからないが──やるしかない。
「おれはもう好きに生きることにした。飛竜を失った竜騎兵は、マジャガリーにいても栄達の道はない。ヴァイスブルク家も知ったことか。だがな、アラナン・ドゥリスコル。貴様との決着をつけずに、おれは前へは進めない。此処で貴様を倒し、おれはおれの道を行く!」
火皿に点火薬が入れられる。
だが、三発目を待っている気はない。
ぼくは右手の銀背猿の手甲に魔力を込め、大地に叩き付ける。
爆風を受けながら同時に地を蹴り、イグナーツへと跳躍した。
「ごちゃごちゃうるさいんだよ、イグナーツ! お前の事情なんて、ぼくが知るか!」
指環の魔力を解放し、聖爆炎を叩き付ける。
同時に魔法の盾をその後方に展開し、爆煙と衝撃が前方に行くように調節する。
凝縮された爆発は魔法の盾を瞬時に破壊したが、竜鱗の防護壁にもひびを入れる。
黒煙を無視して突っ込むと、足から腰、腕へと回転を伝え、魔力を楢の木の棒の先端に集めた。
衝撃が右手に伝わる。
竜鱗の防護壁が抗っているのがわかる。
螺旋牙の貫通力でも抜けないか。
イグナーツの口の端が歪む。
嗤うな。
これで終わりじゃない!
楢の木の棒の先端が光を放つ。
一点に集中し、集められた魔力が一気に解放される。
至近で炸裂した二発目の聖爆炎に、楢の木の棒が吹き飛ぶのが見えた。
だが、同時に竜鱗の防護壁も耐えきれずに砕け散る。
爆風が襲い掛かってくるが、旋風でぼくの周囲だけ避けるように流れを逸らす。
晴れた視界に、吹き飛んで行くイグナーツの姿が映った。
瞬時に剣を抜き、最後の魔力で身体強化を掛ける。
右足に魔力を込め、大地を蹴った。
起き上がろうとするイグナーツを突き飛ばし、銃を握る右手を足で踏み付ける。
反射的に銃を追おうとするイグナーツの首筋に、冷たい刃を突き付けた。
王手だ。
「く、くくく」
地面に転がったままイグナーツが笑った。
右手で顔を押さえ、全身を震わせる。
「貴様が特殊な力を持っていることは、学長から聞いた。だから、貴様がそれを使えば負けるかもしれないとは思った。だが、それを使えば嗤ってやろうと思っていた。勝ったのは貴様の力ではない。与えられた力で勝利を奪う。貴様は勝利の盗人だとな。だが……」
両手を挙げ、イグナーツが降参の合図を送る。
ストリンドベリ先生が、試合終了とぼくの勝利を告げた。
「まさか、あんな方法で竜鱗を破るとはな。貴様のような無茶なやつは見たことがない。相手にしていたら、命が幾つあっても足りやしないぜ」
「イグナーツ。お前がどう思おうと、これからどうしようと好きにすればいい。ぼくは関与しない。だがな……」
ぼくはイグナーツの右肩を左手で掴むと、力任せに引き寄せた。
銀背猿の膂力に逆らえず、イグナーツは抵抗もできず引き寄せられる。
「マリーを狙った清算はしてもらうぞ。歯あ食いしばれよ!」
銀背猿の力は使わず、右拳でイグナーツの左頬を殴り付ける。
左手を離したので、イグナーツは後方に吹き飛んでいった。
とりあえず、これでマリーとの約束は果たせたかな。
全く、約束を守るのも命懸けだよほんと。
イグナーツは地面に横たわったまま、血の混じった唾を吐き捨てた。
にやりと笑い、険の取れた顔で立ち上がる。
「では、これで貸し借りなしだ。おれはフラテルニアを出るんでな。もう会うこともないだろう。さらばだ、アラナン」
イグナーツが、何故ヴァイスブルク家もマヴァガリー王国も捨てる気になったかはわからない。
だが、学長と話した気配があるところを見ると、あの爺さんの思惑が働いているのは間違いない。
食えない爺さんだよ。
フランデルンでの聖修道会の布教許可だけ取って、イグナーツは体よく追い出したな。
黒衣を翻して、イグナーツが去っていく。
格好つけやがって。
ぼくも肩をすくめると、試合場から出ようとする。
ああ、楢の木の棒が砕けちゃったな。
気に入っていた武器なのに。
剣と棒では戦い方が違うし、ぼくはどっちかというと長い武器のが得手なんだ。
「なんや、自分。えらい属性魔法の使い方しよんなあ。高等科のもんもびっくりやで」
近付いてきたジリオーラ先輩が、早口で捲し立てる。
はい、ぼくもびっくりですよ。
あんな無茶は初めてやりましたよ。
お陰で愛用の武器が吹っ飛んだからね。
毎回あんな真似できませんよ。
「火炎呪文はともかく、爆裂呪文の使い手は少ないんやで。それの応用呪文なんて、高等科でやることやっちゅうねん」
「いやあ、属性魔法は元々得意なんで……」
頭を掻くが、そもそもジリオーラ先輩も中等科の平均を遥かに超える人だ。
人のことは言えないのではないだろうか。
「初級迷宮を突破したら中等科に来るんちゃうか? あの酔っ払いの爺さんもそのつもりやろ。中等科に来たら、うちとまた遊ぼうなあ」
やっぱりもう一度やる気満々だよこの人!
さりげなく学長を酔っ払い呼ばわりしているし、これは高等科の前に大魔導師の指導をすでに受けてるな。
あの老人も結構贔屓するよね。
「やったな、アラナン!」
勢いよく駆けてきて背中を叩くのはカレルか。
友達に中では一番騒がしいやつだが、一番率直に喜んでくれる。
羨ましいね、こういう性格は。
「凄いな、アラナン君。イグナーツ君の隠していた実力にも驚いたけれど、あの変形の魔法障壁をよく破ったね」
「それよりも、あの火炎の弾丸をよく避けましたよ! あれ見たときは、マルグリットさんなんか悲鳴を上げていたんですよ」
「上げてないわよ、アルフレートの莫迦!」
騒がしい。
でも、不快じゃなかった。
いい友人がいることは、学生生活に彩りを与えてくれる。
莫迦騒ぎだって人生には必要さ。
ぼくは、黒衣が去った方角を見る。
イグナーツは、振り返らず消えていった。
誰も彼が去っていくのに興味はなかったのだろう。
視線をそちらに向けている者はいない。
彼には、いい友人はいたのだろうか。
裏切られたエーストライヒ公とマジャガリー王国は激怒するだろう。
追手も掛かるはずだ。
あれだけの力を持っていればイグナーツが不覚を取るとも思えないが、できれば生き延びて欲しいところだ。
「全然心配なんかしてなかったからね! アラナンがあんなのにやられるはずがないし、絶対勝つと思ってわ。だから……」
唇を尖らせながらアルフレートに拳骨を食らわせている。
痛そうに頭を抱えるアルフレートを無視し、マリーは急にぴんと背筋を伸ばした。
貴婦人の如く優雅な足取りでぼくの前に進み出て、右の手の甲を差し出す。
ああ、元々作法は綺麗だったな、マリーは。
「イグナーツをぶん殴ったのは見てたわよ。ありがとうね」
うん、発言は相変わらず貴婦人らしくない。
ぼくはマリーの前に片膝を突くと、恭しくその掌を押し頂き、手の甲に口づけをした。
ぼくは騎士じゃないけれど、これくらいの礼儀はわきまえている。
ジャンには怒られそうだけれどね!




