第五章 ケーファーベルクの初級迷宮 -6-
銀毛の右腕の魔力が急激に膨れ上がり、打ち下ろしと同時に地面で爆散した。
咄嗟に横に飛んだから助かったが、まともに食らっていたら魔力障壁を貫かれていたかもしれない。
衝撃で転がりながら、恐怖とともにそう思う。
爆風の中心地にいながら、銀毛は平気な表情をしていた。
攻撃力、防御力、敏捷性に優れた典型的な前衛型だ。
七フィート(約二百十センチメートル)はある巨体が、身体強化を使って殴り掛かってくるのだ。
その破壊力は、人間の比ではない。
飛ばされた地点から起き上がって態勢を立て直そうとしたところに、黒毛の一撃を食らう。
重い豪腕だが、黒毛の拳なら魔力障壁で防げる。
重さで体がずれた。
が、何とか踏み止まり、火焔刃で頭から両断した。
息が荒くなる。
呼吸の乱れは、魔力の制御の乱れに繋がる。
大きく息を吐き、肺を空にしたところで短く息を吸った。
大丈夫だ。
まだ、余力は残っている。
銀毛が両脇に二体の黒毛を従え、じりじりと近寄ってくる。
四体の黒毛を殺され、慎重になったのか。
正直、銀毛を相手にしているときに黒毛に注意は払えない。
それだけの迫力。
間違いなく、危険度は黄級だ。
銀毛が咆哮を上げると、両脇の黒毛二体が一気に突っ込んでくる。
だが、これは銀毛の作戦だ。
ぼくが黒毛の相手をしているところに、さっきの一撃を決めるつもりだろう。
そうは行くか。
跳躍と同時に魔力の糸を伸ばす。
糸を枝に巻きつけると、その反動で一気に樹上に飛び上がった。
急速な縦の動きに、黒毛は付いてこれていない。
その隙に風刃を飛ばし、さっき斬った首筋をもう一度斬り裂いた。
血飛沫を上げて黒毛が全て斃れる。
銀毛の瞳が怒りで血走り、身体強化が更に膨れ上がった。
化け物か、あいつ。
咆哮を上げて地面を蹴ると、大地がひび割れている。
なんて強烈な踏み込みだ。
驚くべき跳躍力で樹上に駆け上がり、口を大きく開けて迫ってくる。
ぼくは魔力の糸を隣の木に飛ばすと、それを支点に振り子のように別な枝に飛び移った。
だが、銀毛の動きも素早く、枝を蹴って後を追ってくる。
樹上での動きはやつに一日の長があるようだ。
そこを魔力の糸で補って、必死に逃げ回る。
弧を描くように枝を飛び回り、初めの地点に戻ってくる。
銀毛もしっかり後を付いてきた。
ふん、知能はあるようだが、疑うことをしないやつだ。
目当ての場所に銀毛が入ったことを見たぼくは、網のように張り巡らせた魔力の糸を、一気に引き絞った。
銀毛は、見事に罠に掛かった。
身体中を糸に雁字搦めに捕らえられ、大きく吠える。
吠え声を上げながら魔力を膨れ上がらせると、縛り上げた魔力の糸が軋み始めている。
まさか、力任せにぶち切るつもりか?
「化け物め。その前にとどめだ!」
火焔刃を燃え上がらせ、枝を蹴って銀毛の頭上から剣を振り下ろす。
その瞬間、銀毛の右腕の糸が破られ、魔力が右腕に収束するのがわかった。
あれは、まずい。
ぼくの剣と銀毛の右腕が、衝突する軌道に乗っている。
咄嗟に糸を伸ばし、強引に銀毛の下に回り込んだ。
右腕を振り切った銀毛の態勢は崩れている。
別な糸を銀毛の頭上の枝に飛ばすと、糸を巻き上げて上昇する。
下から一気に火焔刃で斬り上げると、魔力障壁ごと頭上まで両断した。
光の粒が、緑の葉の中に消えて行く。
終わったのか。
糸を伸ばして地面に降りると、暫くひっくり返って放心していた。
恐ろしい相手だった。
あの一撃を食らっていたら、今頃ぼくは魔獣の餌だ。
ぼくの魔力障壁は、ハーフェズの魔法の矢くらいなら、十発くらい防ぐ。
それを一撃でぶち破りかねない敵だったのだ。
ぼく以外の初等科生徒だったら、死人が出ているんじゃないか?
いや、これ絶対ぼくだけボス戦で強い敵を出すようにしてないか?
普通の初等科生徒にあんな強敵をぶつけるはずがない。
ちょっと武装がよくて、連携が取れている個体程度だろう。
地下一階の杖使いの小鬼、地下二階の髑髏魔法師、地下三階の銀毛の魔獣。
こいつらは絶対ぼく用だ。
大魔導師の考えそうなことだよ。
光の粒が消え去ると、やはり小箱が置かれていた。
特別なボスを斃したご褒美ってことなのかな。
開けてみると、中には銀色の革の手甲がふたつ入っている。
銀毛の魔獣の革を使っているのかな。
いまの魔灰色熊の手甲も悪くはないが、こいつには魔力を感じるからな。
またファリニシュに見てもらうか。
今回は魔力を使い果たしたわけではないが、極度の緊張を強いられた戦いの後に探索をする気にもなれず、外に出る。
外はまだ明るく、夕方までは時間もあった。
ファリニシュに会いに学院に向かう。
ケーファーベルクの丘を下り、リマト川を渡って市街に入る。
そのままリマト川沿いにジク通りを進み、フラテルニアの中心地たる中洲に戻ってくる。
学院に入ると、講義はちょうど終わったところであった。
ハンスたちは、ドゥカキス先生を捕まえてジリオーラ先輩の独自呪文、流水の特性を質問している。
あれは確かに優秀な呪文だが、剣の届く範囲が有効範囲だからな。
ぼくの魔糸陣で弱点も見えていると思うけれど。
そんなハンスたちを眺めながら、ファリニシュに手甲を鑑定してもらう。
鑑定中に自分の席でのんびりしていると、ぼくの前にイグナーツが現れた。
複雑そうな表情でぼくを見下ろしながら、イグナーツは口を開いた。
「アラナン・ドゥリスコル。明日はおれとお前の対戦が組まれている。明日は学院に来いよ」
それだけ言うと、イグナーツは足音を立てて立ち去った。
おやまあ、飛竜の復讐戦でもするつもりかな。
正直、イグナーツの実力はそこまで高くはなかった気がする。
竜騎兵としての技を隠していたなら、また別だろうが。
「主様も因縁が多うござんすなあ」
呑気なことを。半分ファリニシュにあげてもいいんだよ。
背もたれに思い切り寄り掛かりながらファリニシュに不服そうな目を向けたが、狼の笑顔は小揺るぎもしなかった。
ちえっ、大人の余裕を感じるぜ。
「で、鑑定は終わったの?」
「あい。ほんに主様はよき道具を手に入れなんすなあ。この手甲には、力を上げる効き目がありなんす」
膂力の向上か。
あの魔獣──ファリニシュに聞いたら、黒毛は漆黒猿、銀毛を銀背猿と言うらしい。
その銀背猿の怪力を考えれば、妥当な効果と言えるのかな。
しかし、漆黒猿なんて魔獣は初めて見た。
エアル島は勿論、アルマニャック王国からこのヘルヴェティアにかけて、あんな人に似た獣は見たことがない。
ファリニシュが言うには、もっと南の方に生息している動物らしい。
道理で見覚えがないはずだ。
試しに銀背猿の手甲を付け、目の前の机を持ち上げてみる。
おお、片手で軽々と上がるな。
身体強化を使わないでこれは、なかなかお得かもしれない。
少なくとも、下手に握手をしたら、相手の手を握り潰しかねないくらいの力はありそうだね。




