第五章 ケーファーベルクの初級迷宮 -5-
全身に倦怠感がある。
魔力をほとんど使い切ったのだ。
流石に聖爆炎を属性魔法で使うのは少々きつい。
だが、あれのお陰で短時間で地下二階を突破できた。
力押しをしてなかったら、暗黒弾で状態異常を食らい、弱ったところを骸骨兵に囲まれて殺されていたかもしれない。
髑髏魔法師と骸骨兵が光の粒子に変わると、後にはまた小箱がひとつ残っていた。
僅かに残る魔力を振り絞って魔力の糸で探ったが、特に罠はない。
蓋を開けると、中にはまた指環が入っていた。
今度のは、金の指環だ。
魔力を感じるが、前回の魔力の指環とは違うようだ。
またファリニシュに見せてみるか。
もう先に進む魔力は残っていないので、現れた門から外に出る。
日が暮れるにはまだ早かった。
今日の探索は順調だったと言えるだろう。
疲れた体を鞭打って菩提樹亭に帰る。
ハーフェズには屋敷の空いている部屋を自由に使っていいと言われているけれど、余り彼に借りを作りたくない気持ちもある。
ハーフェズは友人の一人だが、初等科トップを競うライバルでもあるわけだからな。
夕食を摂って早々に寝台に入る。
宵闇のフラテルニアは、まだ喧騒に溢れている。
外の嬌声や酔漢の怒声を聞いていると、薄暗い部屋の中で一人横になっている寂しさが募ってくる。
エアルの森の中では感じたことのない感情だな。
一人でいることには、慣れているはずなのに。
オニール学長が迷宮に一人で潜れというからには、そうするだけの理由があるのだろう。
でも、マリーやハンスたち三人組が一緒にやっているのを見て、疎外感を覚えたのも事実。
本当は、みんなと一緒にやりたかったんだなあ。
だが、此処で投げ出すわけにもいかない。
明日も頑張らないと。
翌朝、迷宮に行く前にファリニシュに金の指環を鑑定してもらう。
ファリニシュ曰く、これを身に付けていれば状態異常に対する耐性が上がるそうだ。
成る程、耐性の指環だな。
「何よ。戦利品を見せびらかしにきたの」
ジリオーラ先輩に完敗を喫したマリーの機嫌は悪かった。
ファリニシュと話しているぼくをじろりと睨むと、ため息を吐いて外に出て行く。
学院に向かうのだろう。
慌ててジャンが後を追っている。
「女の子は難しいよ」
ファリニシュに向かって肩をすくめると、狼は舌を鳴らしながら人差し指を振った。
「しっかりしなんせ。主様は将来百万の人を負いなんす。いま、女一人負う度胸がなさんしてどうしなんすか」
大袈裟だとも思ったが、太陽神の祭司長として生きていくことになったら、セルトの民に責任を負うことになる。
ファリニシュはそれを言っているのか。
だが、それを言うならマリーはセルトの王家の末裔だ。
背負う宿命は、ぼく以上に重い。
ああ、そうか。
ただでさえマリーは色んな重みで潰されそうなんだ。
血の重みもそうだが、アルトワ伯爵領に対する責任もある。
ロタール公やエーストライヒ公に狙われる圧力もある。
その上、試験で立ち塞がるジリオーラ先輩の圧倒的強さ。
ぼくの能天気な顔を見れば、当たりたくもなろう。
理不尽さも感じるが、仕方ない。
だって、ぼくも男だからな!
格好悪いことはできないじゃないか。
学院に行きたい気持ちはあったけれど、ケーファーベルクの丘に向かう。
イフターハ・アティードが、またいつ来るかわからないのだ。
いまのぼくの実力では、神聖術を使う前に殺されている。
もっと、地力を付けないと立ち向かえない。
さて、地下三階だ。
地下三階の扉を出ると、何故か外に出ていた。
えっ、なんだこれ。
森の中?
上を見上げると、天井はある。
空ではない。
すると、これも迷宮の中なのか。
何で迷宮の中に森があるんだよ。
一応、茂みの間に獣道のような細い道が通っている。
これは長い武器は振り回しにくいな。
一人ずつしか通れないし、樹上から奇襲を掛けて分断するにはもってこいの地形だ。
魔力の糸を周囲に張り巡らせながら、ゆっくりと森に足を踏み入れる。
武器は短弓に持ち替えている。
森を歩くのは慣れたものだ。
むしろ、ぼくにはやり易い階層だな。
気配を殺し、足音を消して移動する。
野生の肉食獣には、本能的に備わっている技術だ。
人間だって、狩りを行う者は自然と身に付けていく。
何故なら、身に付けられない者は生き残れないからだ。
街中では狂っていた感覚が、森の中では研ぎ澄まされるのがわかる。
森の中なら、ハーフェズの後ろだって取れるだろう。
魔力の糸より先に、気配でその獣を捉えた。
樹上にいる魔獣は、まだこちらに気付いていない。
身を潜めて観察すると、毛深い人に似た魔獣が枝の上で寝そべっているようだ。
かなり大きいな。
人より大柄で、黒い毛に覆われている。
腕がかなり長く、筋肉が付いている。
腕力は相当強そうだ。
枝の上に寝ているので、やや狙いにくい。
だが、何とか側頭部は狙えそうだ。
本当は矢に魔力を纏わせたいところだが、ぼくがやると体から離れたところで維持できなくなる。
レオンさんは苦もなく魔弾を使いこなしているが、あれは結構高等技術だ。
ぼくは普通に矢を射るしかない。
矢をつがえ、呼吸を止める。
心臓の鼓動が落ち着くのを待って、一息に矢を放った。
樹上に飛来した矢は、狙い違わず魔獣の側頭部に命中し、一撃で絶命させた。
樹上で光の粒へと変わっていく魔獣を見て、この階層はあれが主たる敵だと判断する。
不意を突けば怖い魔獣ではないが、正面から戦ったらわからない。
小鬼とは比べものにならない膂力と敏捷性を持っているはずだ。
力比べはしたくないな。
その後も歩き回りつつ、この黒い魔獣を密かに仕留めていく。
森の中にも植物を使った罠はあるが、この程度の罠は子供騙しだ。
狩人の目で見れば、此処に罠がありますよと叫んでいるようなものである。
ぼくにして見れば、本当に楽な階層だ。
最奥の間まで、さほど時を掛けずに辿り着く。
今回は魔力もそんなに使っていない。
黒毛の魔獣を倒すのは全部不意打ちでいけたからな。
だが、流石にボス戦はそうはいかないだろう。
さて、どう戦うかな。
扉を開けると、中はやはり木々が茂っていた。
樹上には、黒毛の魔獣が六体いる。
そして、一際大きい背中に銀色の毛が混じった個体が一体。
あれは魔力を纏っているな。
ぼくが入ると同時に、銀毛が耳を劈く咆哮を上げる。
剥き出された牙が恐ろしい。
銀毛の指示で一斉に黒毛が動き出そうとする。
あの数に襲われたらぼくでもきつい。
まずは、先制の風刃を黒毛に向けて飛ばす。
だが、思ったより毛の防御力が高く、首を切り裂いても二体しか落ちなかった。
まずいな、一斉に降ってくる。囲まれるぞ。
身体強化を最大にし、降下してくる黒毛と交差するように跳躍する。
すれ違いざま、火焔刃を纏った剣で首を斬り飛ばす。
そのまま木の幹を蹴って包囲を抜け、走りながら振り返る。
怒り狂った銀毛が、ぼくの頭上に回り込んでいた。
あいつの身体強化は危険な領域だ。
振りかぶった右腕に、魔力の光が凝縮している。
ぼくは魔力障壁を最大にすると、地面を蹴って茂みに飛び込んだ。




