第四章 ルンデンヴィックの黒犬 -1-
ようやくフラテルニアに戻ってきた。
倒れたドゥカキス先生を介抱したり、騒ぐサルバトーレを大人しくさせたりと大変だったが、マリーとビアンカが巧く対処してくれた。
勿論、前者がマリーで後者がビアンカだ。
いい感じの昇打がサルバトーレの顎を撃ち抜いたのを見たとき、ビアンカの才能は拳闘にあるのではと震えたものだ。
イグナーツは冒険者ギルドのシピに引き渡され、そこからオニール学長に報告が行ったらしい。
ことは学院だけじゃなく、フラテルニア、いやヘルヴェティア全部に関わってくる可能性がある。
それで政治的な調整が色々と忙しいようだ。
誰かがエーストライヒ公に使者として派遣されるみたいだけれどね。
ちなみに、野外実習での飛竜を倒したポイントは、やはり学長によって除外された。
フラガラッハを使った分は認めないとのことだ。
く、厳しいな学長。
でも、飛竜と人面鳥を倒した分の褒賞をギルドから貰ったため、ぼくの財産はかなり増えた。
しかも、ファリニシュが飛竜の死骸をこっそり魔法の袋に入れて持ち帰ってきたため、学院に売り払ったら恐ろしい金額になった。
マリーとファリニシュに食事を奢る約束をするくらいは余裕になったな。
ハーフェズにも、屋敷に招待されている。
と言うか、宿屋住まいなのを知られると、うちに住めと言われた。菩提樹亭もいい宿だから迷うところだ。
ま、今度下見に行こうと思う。
イグナーツ班の班員二人は、途中でイグナーツに見捨てられて戻ってきていた。
元々成績はよくないし、当分彼らは初等科から出られそうもないな。
命があっただけ幸運なのだろう。
戻ってきてからの授業で、ハンスとハーフェズとは一回ずつ対戦している。
ハンスの剣技とぼくの棒術は互角だが、今まで身体強化の差で負けていた。
今回は、魔法でハンスの足元を少しだけ柔らかくし、僅かに態勢が崩れたところを突いて勝たせてもらった。
だが、ハーフェズとやったときには容赦のない魔法の矢の連打に完封された。
風刃で対抗したが、限度がある。
対人であれは反則だろう。
ぼく以外なら死んでいる。
むしろ、生きていたぼくを褒めてやりたい。
ハーフェズは手抜きをするなと怒っていたが、ぼくに言われても困る。
と言うことで、初等科の対戦ランキングはハーフェズ、ぼく、ハンス、マリー、ビアンカ、ファリニシュ、サルバトーレの順になっていた。
ビアンカに毎度殴られていたせいか、サルバトーレがビアンカに勝てなくなっていたのには笑ったよ。
それと、ファリニシュがサルバトーレと戦うときだけ本気を出すので、いつの間にかサルバトーレの上になっていた。
調子のいいあいつも少々へこんでいたな。
「アラナン君、今日ちょっと付き合ってくれないか。カレルの回復祝いでもしようかと思ってね」
ハンス・ギルベルトがぼくに誘いを掛けてきた。
珍しいな。
ハンスが仲がいいのは、同じ班だったうちの二人、カレル・イェリネクとアルフレート・リヒャルト・フォン・ローゼンツォレルンだ。
カレルはボーメン王国のチェス人だが、アルフレートは帝国のブランデアハーフェル辺境伯の息子である。
ハンス・ギルベルトのザルツギッター家の縁戚で、ザッセン人だ。
父親の仲がいいせいか、子供もいつもつるんでいる。
と言うか、カレルとアルフレートが、ハンスに付いて回っているのだろう。
カレルの成績は並みだし、アルフレートもランキングは大したことはない。
ただ、剣技だけならアルフレートはハンスに匹敵する。
残念ながら、身体強化が下手なのだ。
座学の成績はクラスでも一番なだけに、惜しい人材だねえ。
「ダルブレ嬢とマカロワ嬢も誘ってどうかな。ほら、カレルもマカロワ嬢に礼を言いたいらしいし」
ああ、目当てはファリニシュね。
そんなことだろうと思ったよ。
そうは言っても、ハンスの誘いは断りにくい。
根がいいやつだしな。
帝国貴族ではあるが、ヴァイスブルク家と利害対立していて危険もない。
むしろザルツギッター家には頑張って欲しいくらいだ。
マリーとファリニシュの了承は得られたので、ハンスの指定した店に向かう。
ちなみに、学院の授業ではないので当然ジャンの護衛が付く。
ジャンはファドゥーツ伯の襲撃のときにその場にいられなかったことを後悔しており、目の届かないところにマリーが行くことを許そうとしない。
リマト川に架かるミュンスター橋を通って対岸に行く。
正面には二つの尖塔を持つフラテルニア大聖堂が鎮座している。
そう言えば、此処にはまだ行ってなかったな。
ぼくはルウム教徒でも聖修道会でもないからね。
礼拝に出かけたりはしない。
待ち合わせは、フラテルニア大聖堂のすぐ近くにある料理屋だった。
勇敢な鹿亭と言うらしく、確かに鹿の顔の看板が出ている。
ジャンは一人別な席に座った。
流石に学友の集いに顔を出すほど無粋ではないらしい。
いいやつだな、ジャン。
今度差し入れ持って行くからな。
「これはようこそダルブレ嬢にマカロワ嬢……」
「堅い、堅いよ、ハンス! それよりまずは乾杯と行こうぜ!」
「カレルさん、折角ハンスさんが挨拶しているのに台無しじゃないですか、もう」
いきなり騒がしい三人組だ。
ハンス・ギルベルトはいつものように真面目で堅苦しい。
カレルは陽気で賑やかで少々せっかちだ。
それに比べると、年下のアルフレートは素直で可愛らしい少年である。
二人の弟分と言った感じだろうか。
ソーセージとフライドポテトを前に、ビールで乾杯する。
如何にも帝国流だ。
ぼくもこの料理には慣れてきたところだ。
マスタードに付けて食べると、滲み出た肉汁と辛味がいい具合に混ざり合って絶品だ。
「くそ、おれもそのときのサルバトーレの顔を見たかったなあ」
マリーがゼルティン山でのサルバトーレの一件を話したら、カレルがひどく残念がった。
何せそれまでトップ確実のドヤ顔していたからな。
ぼくたちがポイント報告したときの間抜け顔と言ったらなかった。
「剣でもアルだったらサルバトーレなんかにゃ負けないのにな。あんにゃろう、力押しで倒してきやがって汚いのな」
「仕方ありませんよ。ぼくは体も大きくありませんし、魔法も巧くないですしねえ」
「そうね。でも、少なくともイェリネクさんよりは、ローゼンツォレルン君の方がやりにくかったわね」
「ぐはっ、マルグリットちゃん、意外と毒を吐かれる!」
二人ともマリーに叩きのめされているからな。
剣技だけならアルフレートの方がマリーより高い技倆を持っているのだが、身体強化が下手だと如何ともし難い。
くっ、ちょっと前のぼくみたいだな。
「アルフレートはまだ若いし、これからだよ。成長したら、わたしだって勝てるかどうか」
「おい、ハンス、おれはどうなんだ、目を見て答えろよ!」
「カレルは……まあ、頑張れ?」
「何で疑問形なんだよ!」
うん。
同年代の友達とこうやって店で食事して騒ぐなんて初めてだけれど、悪くないもんだな。
帝国も悪いやつばっかりじゃなさそうだし、少なくともザッセン人とチェス人は信用できそうだ。
ん、隣で一人で飲んでいたジャンが、いつの間にか誰かと相席している。
それにしても、でかい人だな。
ビヨルン・ストリンドベリ先生に匹敵するか、それ以上の巨体だ。
しかし、違和感が強い。
だって、そんな大男が着込んでいるのは、黒い司祭服なんだよ。
聖職者と言うより、戦士と言われた方がしっくりするんだけれど!
「君がアラナン・ドゥリスコル君ですね」
ジャンと談笑していた巨漢の司祭が、ぼくの視線に気付いて振り返った。
ん、意外と柔和な表情をしているな、この人。
「ウルリッヒ・ベルンシュタインです。ティアナンから噂は聞いてますよ」
あ、フラテルニア大主教!
フラテルニアの二大巨頭じゃないか。




