第三十六章 タル・イ・マルヤーンの迷宮 -5-
「キエエエエエ!」
死霊の一人が叫声を上げる。
魔力のこもった声。
精神障壁の弱い者なら、昏倒しかねない威力である。
だが、基礎魔法を鍛えているぼくらには、当然通じるはずがない。
マリーが聖杯を掲げると、聖光が発して死霊の一体に突き刺さった。
甲冑が砕かれ、死霊が絶叫を上げる。
「やかましいわ!」
一気に接近したジリオーラ先輩の長剣が、砕けた甲冑の隙間から死霊を斬り裂いた。
ただの長剣であればたいしたダメージもないであろうが、先輩の斬撃には魔力が乗っている。
想像以上に痛手であったか、その死霊は下がって防御姿勢を取ろうとした。
そこに、瘴気を帯びた剣を構えて二体の死霊が殺到する。
「甘いんや!」
二筋の剣閃が、ジリオーラ先輩の身体をすり抜ける。
水面に映る影の残像だ。
本物の先輩は右の死霊の脇に跳び、首を斬り飛ばしている。
鮮やかな手並み。
剣での地上戦で先輩に勝つのは、容易なことではない。
「アラナン、上を見て!」
マリーが指差す前に、気付いてはいた。
地下なのに、黒い雲が出てきている。
あれは雷雲であろう。
放電現象が起きているのが見える。
「あそこから、雷を落とすつもりかな」
ぼくが使う雷の魔術と似ている。
「雷雲召喚!」
後ろに控えていた魔獣が吠える。
巨大な魔力がうねりとなり、上空の雲を支配した。
「させるか!」
領域支配で、雷雲の支配を奪い取ろうとする。
だが、魔獣と雷雲には繋がりがあり、それを断ち切らないと無理そうだ。
「ごめん、失敗した! 雷が来る!」
雷雲から稲妻が走る。
遅れて、轟音が鳴る。
衝撃が来るが、一撃ではぼくの障壁は破れない。
だが、雷雲には、無数の放雷の兆しが見えた。
一気に落ちたら、ちょっとまずいことになる。
大地に手を付けると、魔力を操って隆起させる。
形を変形させ、ぼくらを守る屋根を作った。
そこに、無数の雷が降り注ぐ。
激しい衝撃と雷鳴が大地を震わせた。
仮設の屋根はあっという間にぼろぼろになるが、都度修繕してなんとか耐えしのぐ。
結局、魔獣の雷の攻撃は、十秒ほど続いた。
流石に、その間は死霊やジリオーラ先輩も身動きができない。
ライェダンの雷は、デル・シアーの雷より威力が大きく、流水でも受け流しきれないようだ。
「あんなのを何度も撃たれてはたまらないな」
雷雲召喚が終わり、雲が霽れる。
ようやく動けるようになったので、ぼくは太陽神の翼を発動し、一気に死霊の騎士たちを飛び越えた。
フラガラッハを抜き、一気に魔獣を斬り伏せようとしたとき、ライェダンの目が赤く光る。
「消滅」
瞬間、ぼくを覆っていた黄金の光が消失した。
急激に速度が落ち、宙に身が投げ出される。
そこに、魔獣の爪が襲ってきた。
かろうじて、フラガラッハで弾き返す。
その後、もう一度太陽神の翼を展開すると、きちんと黄金の光が現れた。
どうやら、ライェダンには敵にかかっている付与効果を解除する能力があるようだ。
封じているわけではないので一安心だが、それにしてもこんな能力は初めてである。
神力の加護まで剥がすとは、恐ろしい力だ。
「死の爪」
ライェダンの爪が赤く光り、瘴気を纏った爪が振り下ろされる。
さっきの通常攻撃に比べると、威力が桁違いに大きそうだ。
だが、魔力圧縮を極めつつあるいまのぼくなら、パワーでも負けることはない。
フラガラッハを振り上げると、魔獣の爪と真っ向から衝突する。
赤い瘴気が一瞬抵抗したが、フラガラッハの神力が勝り、魔獣の右前足が斬り裂かれた。
悲鳴を上げ、ライェダンが僅かに怯む。
その隙に魔槍ゲイアサルを放って牽制すると、ぼくは一気に魔獣の懐に飛び込んだ。
迎撃しようと牙を剥いた魔獣の身体が、その瞬間硬直する。
マリーが、聖杯の聖光で魔獣の動きを一瞬だけ止めたのだ。
その少しの時間があれば十分だった。
フラガラッハを魔獣の胸に突き立てると、その刃から紅焔を発生させる。
内部から灼かれたライェダンは、この世のものとは思えぬ叫びを上げる。
「音響攻撃は勘弁してくれ」
うるさいので、真上にある魔獣の顎を掌底で突き上げる。
神力を乗せた一撃は、ライェダンの顎から頭蓋まで突き通り、粉砕した。
この魔獣は攻撃力は高いが、防御はそれほどでもない。
それで死霊の騎士を連れていたのだろうか。
「あとはうちらに任せてえな」
ライェダンが崩れ落ちる。
配下の騎士たちが、恐慌をきたして逃げようとする。
ジリオーラ先輩がその後を追い、一体を斬り倒す。
先輩はさらにもう一体を追ったが、初めにダメージを受けた一体が逃げ遅れていた。
「この騎士はあまり素早くないようね」
マリーが細身の剣を構える。
その刃に、聖光が宿っていた。
どうやら、聖杯の習熟で技倆が上がり、聖光を武器に付与できるようになったようだ。
「聖騎士に対抗するつもりかい」
思わず呟いたときには、すでにマリーは逃げ遅れた死霊を聖光の刃で滅殺していた。
あの調子で訓練していけば、本当にコンスタンツェ・オルシーニを超えるかもしれない。
最後の騎士に追いついたジリオーラ先輩が、その背中に魔力刃を浴びせる。
甲冑が破壊されたが、それだけでは死霊は止まらなかった。
面倒なので、大地の魔術で地面を隆起させ、手のような形に変えて死霊を拘束する。
死霊は雷光を発して拘束を破壊したが、その隙にジリオーラ先輩の剣がその首を刎ねた。
「これで終わりやねんな?」
先輩が戻ってくる。
ぼくは頷いて、通れるようになった門を示した。
障壁は消え、通行を阻害するものはもう存在しない。
「これ、どこまで行けばええんやろ」
「アンシャンには、シューシュの王の宮殿があったらしい。まあ、当時はアンシャンの王だったのかもしれないが」
「どっちでもいいけれど、そろそろ見えてきてもいいんじゃないかしら。死霊ばかりで飽きてくるわ」
贅沢なことを。
この地底の都は、もともと死者の国なのだ。
生者がこんなところで生きていけるはずがない。
魔族でも無理だろう。
魔王がここを捨て、シューシュに移ったのは、それが理由かもしれない。
ここを統治しているのは、別の神という可能性もあるのだ。




