第三十五章 狗神 -10-
日頃「ルーの翼」を御愛読頂き、誠に有難うございます。 ページ下部から、ブックマーク、評価など頂ければ作者の励みになりますので、できましたらお願い致します。 (要ログインです)
普通に考えれば、異様なことだ。
何故、魔王はイスタフルにマタザを派遣したのか。
魔王テンマ・ゼクスは、これまでの大陸侵攻を、軍の展開で行っている。
外交交渉などを、事前に行ったことはない。
イスタフルの隣国タメルラン王国も侵攻を受けているが、外交的手段は一切行っていない。
だが、イスタフル帝国に対してだけは、事前にマタザが派遣された。
これは、極めて異例なことだ。
指導者が戦わずしてマタザに屈服したことも驚きではあるが、魔王はそうなると予測していたのかもしれない。
「アラナン、魔王はかつてこの地にいたことがある」
「この地に?」
「正確には、イスタフルの南西部にあるアルタムの地に、だな。かつてイスタフル帝国ができる以前に栄えたアルタム王国、その都シューシュにだ。シューシュの王と呼ばれていた」
魔王の故郷──。
テンマ・ゼクスがマタザを派遣した理由は、そこにあるのだろうか。
「魔族の中枢、魔都シューシュ。栄華を誇ったいにしえの神の都。だが、その都も、太陽神を奉じるイスタフルの民の南下により滅び、魔王とアルタムの民は東に逃れた。いまは、誰も住んでおらぬ」
「──だが、マタザの目的は、そのシューシュにあったと言うことか?」
「うむ。マタザがイスタフルに来た後の行動を聞くと、二箇所の地に赴いたらしい。ひとつはシューシュの前にアルタムの都であり、イスタフルも初めに都を置いていたかつての古都アンシャン。もうひとつがシューシュだ。アンシャンはいまでは鄙びた田舎の都市だが昔の遺跡が迷宮として残っている。そして、シューシュは都市自体が迷宮となっており、普通の人間では入ることすらできぬ」
迷宮と化した遺跡が目的だったと言うことか。
まあ、聞くからに魔王の領域っぽい遺跡だしな。
一般の人間では立ち入ることもできないと言うなら、ぼくとファリニシュを呼んだ理由もわかる。
「アンシャンとシューシュでマタザが何をしていたのか、その調査を頼みたい。わたしはこれから、ヤフーディーヤに赴かなければならぬ。帝都を掌握せねば、新たな皇帝として即位もできぬ。だが、魔王の眷属に足下をうろちょろされるのも嫌なのでな。懸念は払拭しておきたい」
視線が、強い。
自堕落でやる気のないあのハーフェズが。
それだけ、いまのイスタフルには余裕がないのだろう。
なにせ、隣国に敵が迫っている状態で内戦を行わなければならなかったのだ。
ハーフェズの軍団の主力も、同国人ではない。
これを、魔王の軍団と戦える状態に再編しなければならない。
時間はいくらあっても足りないだろう。
とはいえ、今まで敵対勢力だった西方の大国セイレイス帝国と手を組むことができている。
それに、ヘルヴェティアとヴィッテンベルク帝国の後押しもある。
イスタフルでシュリの軍団を止める。
そのためにできる手は全て打つつもりなのだ。
「シューシュには、未だに魔王の領域が展開されている。マルグリットも連れて行くのだな」
「マリーを?」
にやついた笑いを浮かべる。
面白がっているのか?
だが、ハーフェズの目には真剣さがあった。
「ああ。マルグリットは神の遺物を持っているだろう? あれが必要だ。あれがなくば、シューシュには入れまい」
聖杯のことか。
ハーフェズには話していないが、流石に嗅ぎつけたかな。
まあ、この戦いで結構使っているし、不思議はない。
もともと、マリーがロタール公に狙われていたことだって、摑んでいるだろう。
ファリニシュがいればなんとかなると思っていたが、聖杯がいるとなると、シューシュの探索は油断できないかもしれない。
「わかった。アンシャンとシューシュの遺跡を調査しよう。これは部隊にではなく、ぼく個人への依頼ということでいいな?」
「ああ。ノートゥーン伯には、わたしから話しておく。明日にでも向かってほしい」
そんなに重要な問題なのか、ハーフェズには焦りもあるようだ。
祭司長から、なにか言われているのかもしれない。
仕方がないな。
マタザと戦った余韻も消えぬうちではあるが、早速向かうとするか。
ヤフーディーヤに寄れないのは、ちょっと残念ではあるが。
ハーフェズが自慢していた都だからな。
ハーフェズの許を辞した後、騎馬隊の駐屯地に戻るとノートゥーン伯、マリー、ジリオーラ先輩の三人が待ち構えていた。
すでにハーフェズから連絡が行っていたのだろう。
苦い顔のノートゥーン伯。
笑顔のマリー。
見るからに不機嫌なジリオーラ先輩。
厄介事の予感しかしない。
「あー、皇子殿下から使いが来てな。アラナンとマカロワ嬢とダルブレ嬢に特別任務を依頼したいとのことで……聞いているとは思うが、行ってもらいたい」
「うちも行くで」
むすっとした表情でジリオーラ先輩が宣言する。
ノートゥーン伯が、肩を落とした。
「いや、ブラマンテ嬢は今回の任務には入ってなく……」
「あかん。アラナンとマリーのアルタム古都巡り一カ月の旅とか冗談やないで。うちは認めへん」
「遊びじゃないんだぞ、ブラマンテ嬢!」
ノートゥーン伯の頬が紅潮する。
だが、こうなったジリオーラ先輩が退くとは思えない。
勝者の余裕か、マリーは微笑みながら静観を決め込んでいる。
ノートゥーン伯の視線が、ぼくの方を向いた。
「アラナン・ドゥリスコル、お前からも言ってやってくれ」
「仕方がないですね。行きますか、ジリオーラ先輩」
「おい!?」
「流石はアラナンや! 石頭と違って話がわかるで!」
ノートゥーン伯には悪いが、ジリオーラ先輩が退かない以上、連れて行くしかない。
まあ、ジリオーラ先輩も自分の身は自分で守れる強者だ。
問題あるまい。
なんてったって、学院最強の剣士の一角であるエスカモトゥール先生の直弟子だからね。
「もぐもぐ……赤毛がついてくるのはいいですが、シューシュは本当に危険でやがりますよ。かつての魔王の本拠地。あのフワルシェーダの鳥野郎も立ち入れなかったんですから」
串焼きを頬張りながら、アンヴァルがやって来る。
ファリニシュと同様、太陽神の眷属であるアンヴァルなら、状況も詳しかろう。
「魔王が東に逃れるときに、魔都シューシュは魔王に封印されてやがります。許可のない者は入れないんですよ。中には、魔王が放った魔物もうようよしてやがりますしね」
「大丈夫よ。わたしが守ってあげるわ」
得意気に、マリーが胸を張る。
ジリオーラ先輩は、悔しげだ。
アンヴァルが、やれやれと両手を上げる。
「──大丈夫か、アラナン?」
大きなため息。
ノートゥーン伯の諦めが伝わってきた。




