第三十五章 狗神 -8-
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太陽神の翼の軌跡が流れる。
光速の踏み込みで、一歩前に。
正面から槍。
閃光のような突きが来る。
全ての神力が、先端に集中している。
そして、そこにはマタザの意志が乗っている。
破壊。
マタザの槍は、強い破壊の属性を帯びている。
恐らく、本来のマタザの力ではあるまい。
魔王テンマ・ゼクスの権能が、下位の神であるマタザにも分け与えられているのだ。
槍が、迫る。
マタザの神力が、一段、跳ね上がる。
──獣!
マタザが牙を剥き出し、狗の貌へと変わる。
ファリニシュと同じように本体を顕し、真の力を行使するということか。
神の眼はマタザの槍をしっかりと捉えている。
黒騎士の抜刀を回避したぼくならば、回避することは容易い。
だが、これを回避しただけでは、周囲に被害が出る。
マタザの神力が解放されれば、かなり広範囲に破壊のエネルギーが吹き荒れる。
そうなると、周囲にいる騎馬隊の面々も無事というわけにもいくまい。
だが、受け身に回っては負ける。
やることはひとつ。
相殺して、抑え込むことだ。
やり方はわかっている。
今までは、神力を魔力と同じように使っていた。
だが、違う。
魔力はこの地にある事象を操作する力。
しかし、神力は事象を変える力だ。
右手を突き出す。
その先から、渦を巻くように紅焔の炎が生じる。
マタザの神力が帯びる属性は破壊。
ならば、ぼくが帯びる属性は何か。
太陽神の加護を得るぼくの神力が特化しているのは、当然燃焼だ。
加護を意識すれば、自然と生じる神の焔。
そこに、自分の意志を乗せる。
「ここだア!」
破壊の尖端。
槍の穂先に、拳を合わせる。
叩きつけるは、神焔をまとった門の破壊者。
最強の破壊力を持つ拳を、鋭く突き出す。
「──!」
マタザの瞳孔が、僅かに開く。
流石に驚くか。
自殺行為と思うだろう。
だが、甘い。
神力に意志を乗せるこのやり方。
神力でやるのは初めてだが、魔力ではやったことがないわけでもない。
要するに、飛竜の領域支配の変形だ。
あっちは魔力操作の精密さも求められるが、神力だとその必要がない。
自分を信じる心。
強固な意志。
必要なものは、事象を変えた未来の想像。
衝突。
──そして閃光。
マタザとぼくの神力がぶつかった瞬間、互いの意志が激しく優劣を競う。
ぼくの神力は太陽神からの借り物。
だが、マタザも破壊の属性は魔王からの借り物だ。
条件は互角──あとは覚悟の差だ。
衝撃とともに、右腕に激痛が走る。
マタザの破壊の槍を正面から受けたのだ。
常人なら、存在ごと消し飛んでもおかしくない。
この程度なら、安いもの。
ずたずたに切り裂かれた右腕の先に、どろどろに融解したマタザの槍があった。
狗神の表情が、驚愕に歪む。
そして、一歩後ろに下がった。
遅れてきた轟音が耳を打つ。
それを敢えて無視し、身体を半回転させて左足を踏み込んだ。
「貴様……!」
使い物にならなくなった槍を投げ捨てると、マタザの手が腰の刀に伸びる。
だが、抜刀の速度は黒騎士ほどじゃない。
「終わりだ、マタザ!」
左腕に、紅焔が渦巻く。
突き出す掌に障壁が抵抗するが、一瞬で融解させる。
右肘。
抜刀を諦めたマタザが、肘を掌に落としてくる。
咄嗟のことか、破壊の属性が乗っていない。
この程度なら、避けるまでもなかろう。
マタザの右肘を跳ねのける。
紅焔の炎が燃え移っているが、流石にすぐ焼け焦げるほどやわな身体はしていないようだ。
だが、この一撃で、それも狂う。
狙うは、丹田。
切り札は、暗殺者の秘拳。
覇王虎掌。
甲冑を抜けて、神力がマタザの身体に叩き込まれる。
うまく力を逃さずに徹したはずだ。
衝撃を後ろに抜けさせず、体内に全て叩き込む。
ウルクパルなら、それくらいやってのけていた。
その域にまで到達できたかはわからないが……。
「見事! 人間がここまでやるとは……」
マタザの狗の貌が歪む。
「猿真似にしても上出来よ。神殺し──その牙をまだいまの世に伝えていたか」
「魔族であろうと、神であろうと、立ち塞がる敵は斃す。そう、教えられてきた」
抑え込もうとしていたようだが、抗えずマタザの身体からちろちろと炎が立ち上る。
その勢いは次第に強くなり、すぐに全身が炎に包まれた。
一瞬で消し炭にならないのは、流石は神と言ったところか。
だが、内側から灼かれてはどうにもなるまい。
次第に崩れゆくおのれの身体を見ながら、しかしマタザは嗤った。
「呵々……快なるかな。戦場で強者と戦い、敗れて逝くもまた一興。もののふの誉れと言うものよ。上様のご帰還を見れずして逝くのだけは心残りだが……」
ゆっくりと、空を見上げる。
そして、東に向かって一礼すると、マタザの姿は炎の中に消えていった。
「勝ったか」
ノートゥーン伯とティナリウェン先輩が近付いてくる。
「スケーモンは?」
「マタザが敗れると同時に撤退した。追おうとしたが、兵に邪魔されてな」
スケーモンを逃がすための殿軍だろうか。
マタザの麾下の兵は、ノートゥーン伯とティナリウェン先輩が加わった学院勢に敵しえず、壊滅したようだ。
「もう、また無茶をして……! それ痛くないの?」
ぐちゃぐちゃになった右腕を見て、マリーが悲鳴を上げる。
「痛いけれど、仕方ないだろ。戦場ごと吹き飛ぶ一撃を相殺したんだよ」
「──わかっているけれど、もう、仕方のない人ね」
騎馬の集団に隠れて、マリーに聖杯を使ってもらう。
一瞬激痛が走るが、すぐに右腕が再生し、傷ひとつないきれいな状態に戻る。
ちぎれた袖までは戻らないが……。
「ありがとう。助かったよ」
「全然懲りてない気がする科白ね!」
マリーは怒るが、こればっかりはどうしようもない。
「で、戦況はどうですか?」
ノートゥーン伯がのんびりとしているから、もう大丈夫だとは思ったが聞いてみる。
「ああ、あっちは恐ろしい状況になっているぞ」
ノートゥーン伯が指し示す先を見ると、砂漠に不釣り合いな銀世界があった。
ファリニシュが顕現させた氷雪の領域。
特に、本陣があったあたりはひどい。
何百もの氷像が見えるだけだ。
「あれが指導者カルティール・サカフィーと教団の神官たちだよ。もう、勝負はついた。生き残った兵たちも、逃げるか投降するかするだろう」
「相変わらず容赦ないですね」
メートヒェン山の吹雪を思い出し、思わず身体を震わせる。
あの狼の怖さは、ぼくが一番知っているのだ。
「全く、手加減ってものを知らないババアですよ。普通砂漠に雪を降らせようとか考えるわけないんですよ。どんだけ手間と神力を使うことか」
アンヴァルが、人間の姿に戻ってぶつぶつと文句を言う。
それを聞くと、何故か勝ったんだな、と実感が湧いてくる。
思わず顔を綻ばせると、手を伸ばしてアンヴァルの髪をくしゃっとかき回す。
ぷりぷりと怒るアンヴァルに、騎馬隊のみながどっと笑った。




